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Erdinger さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/09/06

    シベリウス生誕150年で色々出るだろうとは思っていたが、コリンズ指揮の交響曲全集がLPで復活するとは思わなかった。かつて、BEULAHレーベルから全集CDが出ていたが、偶然耳にした英DeccaのオリジナルLPとの音の違いに驚き、それから、全6枚のオリジナルLP探しに奔走した。そのオリジナルの英Decca盤は、最初オレンジ地に金文字のレーベルで世に出たが、これは有名なffrrカーブによるプレス。その後、銀文字のグルーヴガード盤に変わり、イコライザーカーブもRIAAになった。(とされているが、色々聞いてみると、そう単純ではなさそう。)
     今回の復刻盤は、独オプティマル社の製作で、盤質がとても良好。最近、続々と登場する重量盤の中には、音質も製盤状態も期待はずれのものがちらほら見受けられるので、入手するまでは不安だったが、杞憂だった。(同じドイツでもP社のプレスでなくて良かった。)
     演奏は、墨痕鮮やかな太い楷書体。我々がイメージしたがる静謐透明な北欧の調べではなく、剛直で堅固、確固たる意志を貫き通す力感溢れる表現。ロシアの桎梏の下、独立を希求していたフィンランド人の熱いエネルギーを如実に実感させ、シベリウスの生きた時代を彷彿とさせる音楽に仕上がっている。
     音質も、オリジナルLPに比べ、レンジが上下に広がり、特に低域の伸びと力強さは迫力満点。何よりも、S/N比の良さは昔日の比ではない。
     再生に関しては、ステレオカートリッジ使用なら、アンプは必ずモノラルポジション、それも、単に左右チャンネルを混ぜるモノラルではなくて、針先の横方向の動きによる電流のみを拾うモノラルポジションが付いたアンプが最適。モノラルカートリッジを使うなら、新しい設計のモノラルカートリッジを。カッターヘッドも当然オリジナルLP時代のものではないので、古い設計の「名器」はやめた方が無難。 
     蛇足ながら、今回の復刻盤、レーベルはオレンジ地に銀文字だが、どうせなら、最初期の金文字にして欲しかったなあ。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/07/21

    本自体は興味深い内容だが、校正の甘さからくる誤植が気になる。編集者が歴史に詳しくないのか、その方面の誤記や、著者の記憶違いによる間違いもある。CDの音は水準以上の復刻だが、SP盤再生の段階で、もっと何とかなるのでは?と感じたものもあった。私もSP盤をよく聴くが、古いレコードだからヴィンテージ品を使えば良く再生出来るというものではないし、もっと設計の新しいアームやSP盤用カートリッジを色々試しても良かったのでは?と思う。また、愛好家に広く呼びかけて、もっと状態の良いSP盤を借用し、復刻出来たのでは?と思うものもある。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/09/28

     4枚組のうち、モーツァルトの3曲とブラームス「ドイツ・レクィエム」は10年以上前にそれぞれドイツ・グラモフォンとEMIから、ザルツブルク音楽祭70周年の記念盤として発売されていた。2枚もダブるので購入をためらっていたが、このほど思い切って購入。

     ベルリン・フィルとヴィーン国立歌劇場のシェフの座を手にして間もない覇気満々のカラヤン、その壮年期の輝かしい魅力が一杯に溢れた演奏が揃っている。やはり入手して良かった。
     デジタル・リマスタリングに携わっているのが、例によってO.E.氏なので音質には危惧を抱いていたが、予想外に聴きやすい。しかも、モーツァルトとブラームスはてっきり旧盤と同じマスターだろうと思っていたら、これが別物。このOrfeo盤の方がレンジが狭く、音量レベルも低いのだが、これが当時の放送録音の水準なのだろう。昔、ラジオで音楽番組を聴いていた頃の感触を思い出した。
     これに比べると、DGG盤もEMI盤も、高域を伸ばし低域を増強していたのが歴然とする。だから、ヴァイオリンやトランペットの高音は耳にきつく、低音は締まりがなく膨らんで聞こえたのかと納得。もともと無い音を付加しようとコンソールのつまみをいじれば、必然的にそういう結果となる。そういう意味では、このOrfeo盤の方が、物理特性は低くとも、自然で好ましい。SP復刻の場合もそうだが、あまりあれこれいじくり回さない方が、結果は良くなるのかもしれない。
     それにしても、古いDGG盤とEMI盤、手を加えた結果がそれぞれDGGとEMIのトーンになっているのが面白い。そのつもりはなくても、調整しているうちに各社固有のトーンになってしまうのだろうか。 

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     2014/07/23

     金聖響と玉木正之の対談に惹かれて読み始めたが、65〜66頁で引っかかった。曰く、「ピリオド奏法ではヴィブラートはほとんど使いません・・・・」、「ヴィブラートというのは、すごく新しい演奏法で、フリッツ・クライスラーという大ヴァイオリニストが1910年くらいから大流行させたもの・・・・」、「オーケストラの弦楽器奏者全員がヴィブラートをかけるようになったのは(中略)1930年頃からあとのこと・・・・」等々。

     この説は、著者も私淑しているらしいイギリスの指揮者N.R.が、自身のCDのライナーノートで書いていた内容そのままである。この説については、本書が出版される前に既に疑問が呈されているが(平林直哉著『盤鬼、クラシック100盤勝負!』(2006)の135〜136頁)、それを待つまでもなく、20世紀初頭〜1920年代に録音された幾多の弦楽器奏者やオーケストラのSPレコード、及び、その復刻盤を聴けば、事実に合わないことはすぐ判明する。

     また、大ヴァイオリニスト、カール・フレッシュ(1873〜1944)の自伝には、少年時代(1880年代!)、良き師に出会えず、仕込まれてしまったヴィブラートの悪癖の矯正に苦労し、多大な時間を要した旨が記されている。(佐々木庸一著『ヴァイオリンの魅力と謎』より)

     加えて、レーオポルト・モーツァルト著「ヴァイオリン奏法」(1756年初版)の第11章にはこう記されている。「私たちが、ゆるい弦や鐘を強く打つと、その後、打った音の一定の波動が聞こえます。・・・・ヴァイオリンでこの自然の震えのまねをして、再現するように努力して下さい。指は強く弦を押し、手全体を小さく動かします。その動きは・・・・前は駒の方へ、後ろは渦巻きの方へと前後に動くようにします・・・・」
    これは「トレモロ」という奏法の説明だが、明らかにヴィブラートのことであり、18世紀には「トレモロ」と呼ばれていたこともわかる。(但し、レーオポルトは「トレモロ」の乱用は厳に戒めている。これは現代奏法にも当てはまる。何でもかんでもヴィブラートをかければ良いというものではない。)

     一二の例を挙げただけだが、著者(とN.R.)の説が??なのははっきりするであろう。

     ピリオド奏法なるものが今や大流行で、これを手がけなければ時代遅れのレッテルを貼られかねない風潮だが、奏者も聴き手も、演奏法の歴史をもう少しきちんと踏まえてみた方が良いのではないか。研究者でなくても、著作を世に問おうというのなら、根拠の怪しげな説を引き写すのは軽率のそしりを免れまい。
     本書は評判の良い本だが、私自身は65〜66頁で引っかかったきり、後を読む気が失せてしまった。

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     2013/06/19

    ブッシュとゼルキンが遺したブラームスとシューマンのソナタ。未だにこれを超える演奏を探すのは難しい。音の輪郭が明晰な優れた復刻が、そのすばらしさをストレートに伝えてくれる。ただ、残念なのはブラームスのソナタ第1番の冒頭と、恐らく唯一の復刻であろうと思われるレーガーのソナタ第5番のアレグレットに、連続するティック音がはっきり入っていること。元のシェラック盤にあった傷に由来すると思われるが、無傷の原盤が入手できなかったのだろうか?

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     2013/01/27

    1935年、42歳の若さで医療事故により夭折したフランツ(フェレンツ)・フォン・ヴェチェイの、電気吹き込みによる全録音を収めたディスクである。1893年生まれでフバイの弟子、ヨアヒムに認められ世に出た。シゲティと同門、同世代。情熱と気迫に満ちているが、それをあからさまに表に出さず、骨格のしっかりした端然たる演奏をする人である。音色は素焼きの陶器のような質感。いかにもハンガリー系を感じさせる。ベートーヴェンのソナタ第3番が遺された唯一の大曲で、一本ぴんと筋の通ったまとまりは、同時期に録音されたブッシュ/ゼルキン、クライスラー/ルップの両盤を凌駕するかもしれない。小品ではクライスラーのような洒落た歌い回しはないが、でも、聞きものである。
    復刻はSPのサーフェス・ノイズを無理に除去せず、ヴァイオリン、ピアノの音をしっかり生かしていて良好である。高価でなくても良いから、最新のプレーヤーで再生した方がうまく再生出来るようである。高級機でも古い機種では、ノイズと楽音が混濁し、拙劣な復刻に聞こえてしまうのを経験した。

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     2013/01/27

    かつて、来日してこの曲を歌ったライヴ(確か高崎公演)をTVで視聴した。声のすばらしさは勿論だが、表情、仕草がなんと魅力的だったことか! さすらう若者の憧れ、希望、情熱、不安、孤独、寂寥・・・・、すべてがコヴァルスキーの心の底から自然に歌となって湧きいずる趣で、画面に釘付けであった。CDではあの姿は再現されないが、でも、充分聞きものである。

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     2012/12/28

    以前、某世界的ソリスト同士の協演(競演)による全曲CDを持っていたが、聴いたのは購入当初だけ。いつの間にか死蔵品になってしまって、結局、下取りに出してしまった。オールスターゲームは年1回で充分、毎日やられたら胃がもたれる、といったところか。ひるがえって、このCDは愛聴盤。「日本人による・・・・」などという注釈抜きに、真に見事なベートーヴェン演奏。木野氏は、私自身はトリオ・ミンストレルの演奏で馴染んでいるが、瑞々しい表現と滑らかな音色が印象的。そして、シュタインベルクのピアノ、その音色の暖かさまろやかさ! 現代グランド・ピアノは、古典派、ロマン派の室内楽で、しばしば協演楽器を圧倒し、時には威嚇してしまうことが多いと感じているが、思慮深く熟達した平沢氏の奏でるシュタインベルクはヴァイオリンとよく馴染み、互いの美点を引き出す二重奏を繰り広げている。この録音は平沢氏の主導で実現したようで、自身が撮影したパッケージの写真も、色温度の低い赤みを帯びた色調が雰囲気満点である。今回の3曲、8番はクライスラー&ラフマニノフから始まって、マルツィなど、単独で録音される機会もあったが、4番と6番、特に6番は、全曲演奏・録音の機会がなければなかなか聴くことが出来ない。今、その6番がとりわけ気に入っている。このデュオによるベートーヴェン、もう一枚出ているようだからいずれ聴いてみたい。また、チェロとの二重奏や、他の室内楽でも、このシュタインベルク・ピアノは好結果をもたらしそう。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/12/28

    シューマンの管弦楽曲は交響曲の余白を埋める形で録音されるケースが多い。曲の出来映えやオーケストレーションへの批判も昔から少なくなかった。しかし、こうして1枚のCDにまとめられてみると、どこを切ってもシューマンの凛々しい魅力が溢れ、聴き応えある作品ばかりだ。ベートーヴェンやブラームスと比べてどうのこうの言っても始まらない。シューマンがそう望み、そう書いたのだから、ここは一つシューマンならではの個性を受け入れよう。
     ポーランド国立放送オケという団体はワルシャワにも存在するが、このCDで演奏しているのはカトヴィツェに所在する団体。かなり前に来日したこともあったはずだが、実力充分の一流オーケストラである。その力を引き出している指揮者ヴィルトナーにも心から拍手を送りたい。
     録音もすばらしい。ナクソスには自前のプロデューサーやエンジニアはおらず、すべて現地契約だと思われるが、両スピーカーの間、やや後方に十分な広がりと奥行きを持って音場が展開し、響きの良いホールのステージから少し距離をとった席で聴いているような雰囲気が味わえる。推測だが、マイクの数は少なめで、直接音とホールの響きの溶け具合に意を用いつつ、録音後に色々いじくり回さずに、シンプルに丁寧に制作されたCDと見た。ソロ・パートがいきなり目の前に立ち現れたり、指揮者が振り向きざま、打楽器の一撃を見舞ったかのような、マルチマイク録音にありがちな不自然さがなく、金管やヴァイオリンの高音部も硬くならず、ざらつきもない。実に優れたオーケストラ録音である。

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     2012/07/13

    1940年代末に結成され、1950年代半ばまで活躍した名クヮルテットの遺した逸品。活動時期は短かったが、遺された録音はどれも一級品。ヴィオラのワルター・トランプラーが後にソリストとして名を成したので、トランプラー・クヮルテットなどと言う向きもあるが、それは違う。リーダーは第1ヴァイオリンのブローダス・アール。彼あってのアンサンブルである。実にしなやかで滑らかな音色の持ち主で、いかにもヴァイオリンらしいヴァイオリンを弾く人である。彼は1950年代後半に来日し、草創期の日本フィルのコンサートマスターとして楽団の発展に多大な貢献をした。そして、帰国後はエール大学音楽科教授を務める傍ら、再びトランプラーらとエール・クヮルテットを組織して1970年代まで活動を続けたはず。日本人の弟子たちも多かったと記憶している。また、チェロのクラウス・アダムはジュリアード・クヮルテットのメンバーとして、その全盛期を支えたのは周知の通り。このベートーヴェンはバルトーク・レコードBRS909として発売されたが、このレーベルは、ピーター・バルトークの卓越したマスタリングで、LP初期に父バルトークの作品を中心に、20世紀前半の諸作品およびバロック〜古典派の、知名度は低いながらも優れた作品のLPを制作、高音質レコードの代名詞として知られていた。初期の物はイクォライザー・カーブが特殊だが、それを含めてアナログ・プレーヤーを綿密に調整して鳴らせば、実に生々しい臨場感あふれる演奏が再現される。
    さて、このベートーヴェン2曲だが、聞きものはやはりラズモフスキーの第3。第1楽章の主部と、特に第4楽章のフーガの速いこと! 一糸乱れぬアンサンブルは痛快そのものである。と言ってもむやみに暴走しているわけではない。荒っぽさとは無縁で、技巧的には余裕さえ感じられる。2・3楽章は、表情記号に細心の注意が払われ、表現力豊かな歌が聴ける。機能的・技術的な側面ばかりの演奏ではないのである。また、「現代感覚」と称してやたらに攻撃的な演奏をする団体もあるが、そうした演奏とも完全に一線を画しており、全体として様式にも目配りが行き届き、実に格調高い演奏に仕上がっている。

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     2012/07/13

    ゲルハルト・ボッセは往年のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターとして活躍する一方、クヮルテットのリーダーとして、また、バッハ作品を主として演奏する室内オケの指揮者として令名は高かったが、このLPは最良の遺産と言って良いのではないか。演奏当時90歳にならんとしていたボッセの音楽は、実に瑞々しく清々しい。十分な相互信頼に裏打ちされた神戸室内オケの自発性溢れる演奏は、さながら泉からこんこんと名水が湧き出ずるごとくで、音楽は澱みなく前へ前へと流れ、聴き手の呼吸を実に楽にしてくれる。指揮者は音楽を引っ張るのではなく、巧みに進むべき方向へ導いて行く。動きの鈍い大編成オケを、指揮者が演出上の工夫を凝らして力業でドライブする演奏とは別次元の世界である。
    音の風景画家と言われたメンデルスゾーンの傑作交響曲だが、この演奏、油彩ではなく水彩画で、季節は春から初夏。と言っても南国のそれではなく、北国の風景だろう。柔らかな陽光が隅々まで回って陰の部分にも明るさが感じられる。明暗のコントラストが強い秋の風景ではないのである。もっと感情を露わにし、くっきりと彫琢を施した演奏にすることも可能な曲だが、そういう解釈の対極にある表現としては一級の出来映えである。
    LPのみの発売とのことだが、盤質は実に高品質。50年近くLPに親しんでいる者として、ここまで来たかという感慨を感じる。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/01/26

    マーラーの交響曲は指揮者なら誰もが録音するような御時世になって、とても全部は聴くのが追いつかないが、このマゼール指揮ヴィーン・フィルの演奏は特筆すべき出来映えであると思う。マーラーが生きた19世紀後半〜20世紀初頭の中欧、ハプスブルク帝国末期の雰囲気を感じさせてくれるからだ。マーラーの音楽は、分離派、ユーゲントシュティール等、当時の芸術様式と分かちがたく結びついており、時代の空気を共有している。マゼールとヴィーン・フィルの演奏は、そのあたりを聴き手に如実に実感させる。マーラーのいくつかの作品の初版で装丁に使われた分離派やユーゲントシュティール様式デザインの音楽版と言ったら語弊があるが、表現がきめ細かく、色彩豊かで洗練されて、適度にモダンだが伝統的な手法も捨てていない。マゼールも相手がヴィーン・フィルだからこういうアプローチが可能になったのだろう。他のオケならこういう演奏は不可能だったのではないか。
    マゼールはマーラーと同じくユダヤ系だったはずだが、血筋の共感から来る思い入れを込めた表現や、濃厚な情念の噴出を期待すると肩すかしを食う。彼の狙いはそういうところにはないからだ。しかし、第9番など、美しい響きのそこここに、第1次世界大戦が勃発して現実のものとなるカタストロフィの予感が秘められていることを、この演奏は忘れてはいない。
    録音時期は1982〜85年(「千人」だけは1989年)だが、この頃はマゼールが年齢的(50代前半)にもキャリアでも円熟期を迎え、意欲と気迫十分で、より高みを目指す野望を抱いて「白い雲を見つめつつ坂を登っていた」時期でもあった。
    マーラーの交響曲は大編成だが、練達の管弦楽法を駆使した轟然たる音響ダイナミックスで聴き手を圧倒する場面は実はさほど多くない。総奏部でなく楽器編成の薄い、いくつかのソロ楽器が室内楽風に音楽を紡いでいく部分こそが聴き所、核心部分である場合が多く、楽器が次々に交代しつつ旋律を奏でていく所など、新ヴィーン楽派、特にヴェーベルンの音色旋律に繋がる道を指し示している。そして、そうした部分におけるヴィーン・フィルの奏者たちの腕前は実に見事。フルートやクラリネット、ヴァイオリン・ソロ等のちょっと気取った艶やかな一節が、飾りのたくさんついたフェミニンなロングドレスにつばの広い帽子を被り、手には小振りな日傘を携え、小型犬を連れた女性たちが行き交う・・・・といった当時の光景を彷彿とさせ、聴き手をあの時代へといざなう。
    また、遅めのスケルツォ楽章(例えば第5交響曲の第3楽章など)の3拍子がヴィーン風に訛ってスウィングすると、忽ち舞踏会ムードが醸し出され、マーラーの前半生がヨハン&ヨゼフ・シュトラウスと重なっていたことに気づかされる。ヴィーン・フィルは他の指揮者ともマーラーを演奏し、録音しているが、何故かこういう雰囲気は出てこない。

    ただ、CDの音質に関してはいささか問題がある。録音された時期はデジタル録音の黎明期。録音機器もPCM1610systemから始まって、同じく3324system・・・・、と短期間に次々に更新されていったことが記されており、色々試行錯誤があったであろうと想像される。そして、最初に世に出た第5&6交響曲は当初LPとカセット・テープでの発売。だから、というわけではあるまいが、特に第5はLP(蘭プレス)の方が音色のグラデーションが豊富で、上記の演奏の特色は実はLPを聴いてのものだ。CDは何度か意匠を変えて発売されたが、マスタリングの更新は行われていない様子。CDの方は写真に例えると、明部は白く飛び、暗部は黒く潰れた、暖かみのない硬調なプリントのよう。ヴァイオリンやトランペットの高域は硬く冷ややかで聴き疲れする。だからCDを購入はしたものの、聴くのはもっぱらLPのみという有様。より後に録音された第1や「千人」のCDは十分に満足できる音質であるので、メーカーには、早い時期に録音された「復活」、第5、第6あたりの新たなマスタリングを是非要望したい。

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     2012/01/17

    今やこの曲はすっかりポピュラーになって、一体何種類のCDが出ているのか見当もつかないが、マゼール指揮ヴィーン・フィルの演奏は特筆すべき出来映えであると思う。マーラーが生きた19世紀後半〜20世紀初頭の中欧、ハプスブルク帝国末期の雰囲気を感じさせてくれるからだ。マーラーの音楽は、分離派、ユーゲントシュティール等、当時の芸術様式と分かちがたく結びついており、時代の空気を共有している。マゼールとヴィーン・フィルの演奏は、そのあたりを聴き手に如実に実感させる。マーラーのいくつかの作品の初版で装丁に使われた分離派やユーゲントシュティール様式デザインの音楽版と言ったら語弊があるが、表現がきめ細かく、色彩豊かで洗練されて、適度にモダンだが伝統的な手法も捨てていない。
    かつては、練達の管弦楽法を駆使した轟然たる音響ダイナミックスにまず魅力を感じたこともあったが、現在では、総奏部でなく、楽器編成の薄い、いくつかのソロ楽器が室内楽風に音楽を紡いでいく部分こそが聴き所、核心部分であると感じている。楽器が次々に交代しつつ旋律を奏でていく所など、新ヴィーン楽派、特にヴェーベルンの音色旋律に繋がる道が指し示されている。そして、そうした部分におけるヴィーン・フィルの奏者たちの腕前の見事なこと! フルートやクラリネット、ヴァイオリン・ソロ等のちょっと気取った艶やかな一節が、飾りのたくさんついたフェミニンなロングドレスにつばの広い帽子を被り、手には小振りな日傘を携え、小型犬を連れた女性たちが行き交う・・・・といった当時の光景を彷彿とさせ、聴き手をあの時代へといざなう。また、遅めのスケルツォ楽章の3拍子がヴィーン風に訛ってスウィングすると、忽ち舞踏会ムードが醸し出され、マーラーの前半生がヨハン&ヨゼフ・シュトラウスと重なっていたことに気づかされる。ヴィーン・フィルは他の指揮者ともマーラーを演奏し、録音しているが、何故かこういう雰囲気は出てこない。
    マゼールも相手がヴィーン・フィルだからこういうアプローチが可能になったのだろう。他のオケならこういう演奏は不可能だったのではないか。
    マゼールはマーラーと同じくユダヤ系だったはずだが、血筋の共感から来る思い入れを込めた表現や、濃厚な情念の噴出を期待すると肩すかしを食うかもしれない。しかし、美しい響きのそこここに、第1次世界大戦が勃発して現実のものとなるカタストロフィの予感
    が秘められていることを、この演奏は忘れてはいない。
    残念ながら、CDの音質に関してはいささか問題がある。録音された時期はデジタル録音の黎明期。録音機器はPCM1610systemと記されているが、この演奏が最初に世に出た時はCDの登場前、第6交響曲とセットで3枚組のLP(とカセットテープ)だったのだ。だから、というわけではあるまいが、特に第5はLP(オランダ製、フィリップスのプレス?)の方が音色のグラデーションが豊富で、上記の演奏の特色は実はLPを聴いてのものだ。CDの方は写真に例えると、明部は白く飛び、暗部は黒く潰れた、暖かみのない硬調なプリントのよう。ヴァイオリンやトランペットの高域は硬く冷ややかで聴き疲れする。だからCDを購入はしたものの、聴くのはもっぱらLPのみという有様。その後、CDは何度か意匠を変えて発売されたが、マスタリングの更新は行われていない様子。メーカーには、新たなマスタリングによる再発売を是非要望したい。

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     2012/01/12

    ブルックナーの交響曲の初期稿による演奏が流行になっている昨今だが、この演奏は非常に優れた出来映えである。
    複数のスコアが残されたブルックナーの交響曲の中で、第3は特に複雑で問題を孕んでいるが、それは、ブルックナーが、ベートーヴェンやブラームスなら未だスケッチ段階であるところを総譜に「仕上げて」しまったことに由来する。作家や学者の中にも、小説や論文をいきなり清書形態で書き始め、それに訂正、追加、削除を施しつつ、ある線まで行ったら、もう一度原稿にして(第2稿)、また同じことを繰り返しながら決定稿に近づけて行く、というやり方をする人がいるが、ブルックナーも同じタイプだったのだろう。だから彼は、作品が「完成」した後も手を加え続けたわけで、弟子たちや周囲の誰彼の助言、初演の失敗、演奏拒否等がなくても改訂を繰り返したのではないか。
    ティントナーの演奏は、CDを手に取った時、第1楽章だけで30分を要すると記されていてびっくりした。しかし、聴いてみると、ゆったりしたテンポで、後に削除されることになるいろいろなモチーフを丹念に辿りつつ進んで行くが、全く冗長にならない。拡張されたソナタ形式の構造も明瞭に感知できる。テンポ感が実に優れていて、あちこちに寄り道しても、本来のルートを決して外さないから、聴き手を惑わすことがないのだろう。大変な実力者である。仮にティントナーが19世紀後半にタイムスリップして、ブルックナーの交響曲の初演を担当していたら、「形式の欠如」などという批判は招かなかったのではないかと思うくらいだ。
    ヨーロッパに留学し、現地での演奏活動も経験した知人が、「CD録音の機会がなくて、日本では全く無名でも、向こうには実力のある演奏家が大勢いる」と言っていたが、ティントナーはその最右翼だったわけだ。メジャー・レーベルに見過ごされていたのは彼の不運だったかもしれないが、仮にメジャー・レーベルに録音するチャンスを与えられても、ブルックナー交響曲全集は無理だったろう。だとすると、「不運にも」マイナー・レーベルにしか録音出来なかったことが、我々にとっては大変な幸運をもたらしてくれたことになるわけで、残された遺産が今後も聴き継がれていくことを願ってやまない。

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     2011/12/30

    古刹の本堂の奥、燈明で微かに照らされ、深遠かつ神秘的な佇まいで鎮座していた仏像を、明晰な照明の下、いつもは視野に入らぬ背部も含め、全体を隅々まで目にする・・・・。想像以上の精巧な造形、匠の技に改めて感嘆する・・・・。今回のセットを聞いた感想はそんなところだろうか。出所不明の海賊版まがいの録音は努めて避けてきたので、全14枚のうち、既知の演奏はブラームス3枚のみ。そのうち、1949年収録の第3交響曲および48年収録の第4交響曲は、東芝の赤い盤から始まってELECTROLAのDacapoシリーズ、それに満足出来ずに、同じくELECTROLAのE90945、E90955に辿り着いて聴き込んでいたが、今回のLPでどうやら終着点となりそうである。(ELECTROLAにはWALP547、同548という番号もあり、それが初版らしいが未聴。)

    咳払いなどの会場ノイズも演奏と一体化して耳に馴染んでいたが、今回のLPでは楽器の音と会場ノイズが明確に分離し、両者の距離感、すなわち会場の広さがはっきり聴き取れる。残響の消え具合によって、それほど響きが豊かでなかったというティタニア・パラストの音響特性もうかがい知ることが出来る。

    演奏に関しては、ベートーヴェンやシューベルトも含めて、強奏部分以外にこそ注目すべきだろう。緩徐楽章の管楽器群、各々のピッチの良さから来るハーモニーの輝き! 今となっては世界のメジャー・オケのコンサートでも遭遇する機会はなくなってしまった・・・・。

    と、ここまでなら★★★★★、めでたしめでたしなのだが、各音楽雑誌の批評で全く触れられていない問題点を敢えて記したい。到着した梱包を開けてLPを取り出してみたらびっくり。ほぼすべての盤にヘア・スクラッチや染みのような模様がいくつもあり、外見はひと頃のアメリカ盤みたいである。大半は音に出ないので問題はないのだが、経験上、こういう外見の盤には傷やプレスミスがある可能性大。「もしや」と思ったら案の定14枚中2枚に大きな傷。やれやれである。販売店がすぐ対応してくれて、セットごと交換してもらったが、またしても傷。前回とは別の盤だがやはり2枚が駄目。どうやら何度交換しても、14枚全部が良品というセットには巡り会えそうもない。購入した多くの皆さんはどうだったのだろう。小生だけが外れクジ連発、というわけではないように思うのだが・・・・。

    LPとの付き合いも40年を超え、プチパチ・ノイズは付きものであることは十分承知している。が、緩徐楽章の聴き所でパンチのきいたティック音を数十回聞かされるのはさすがに辛い。初期LPの中古盤ではあるまいし、1枚あたり\3,750、最新の高品質重量盤を謳い文句にしているのだから、もうちょっと何とかならなかったのか。各社から発売されている高品質重量盤で、こういう例はなかったと思うが・・・・。

    もう一つ難点を挙げると、カッティング・レヴェルが低すぎないか。私の装置では、通常10時のボリューム位置で聴くところ、11時〜11時半近くにしないと十分な音圧が得られない。物理的に正しいのか否かわからぬが、経験上、カッティング・レヴェルが低いレコードはボリュームを上げて聴いても、通常レヴェルのものを通常のボリューム位置で聴くのと同じ音にはならない。音の力感に違いが出てくる。「英雄」や「グレイト」を3面にカッティングして詰め込みを回避しているのが売りであるなら、もう一段カッティング・レヴェルを上げられたのではないかと残念でならない。

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