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ぴたすみん さんのレビュー一覧 

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     2019/02/19

    商業的な録音ということでは、最初のものは1954年のフリプス/ロッテルダムフィルだそうですが、ストコフスキーのこの録音は、1950年のライブです。当時もその後もマーラーの8番は物理的な難曲で、1959年のホーレンシュタイン/LSOの名ライブの時も大変だったという話が残っています。この頃の録音であと聴いたことがあるのは、1960年のミトロプーロス/VPOくらいです。ストコフスキーと言えば、楽譜の改変とか、外面的な効果を狙った演奏という偏見を持ってる人も多いとは思いますが、真っ向勝負の王道的な演奏も多いというのもまた事実です。本演奏は、その見本。マーラーの交響曲で録音が残ってるのは、2番とこの8番だけですが、どちらも曲の持つ根源的な魅力というか、曲自体から溢れてくる力を十全に表現しています。本当に生き生きとした演奏です。録音は最近の優秀録音には敵いませんが…。それにしても謎なのはバーンスタインの行動です。今まで最初の8番の録音にLSOを使ったのは、上記のホーレンシュタインとの演奏の経験があったから…などと説明されてきたんだけど、それ以前にこれほどの演奏をしていたNYPで録音していても良かったんじゃないか? そうすれば、単独オーケストラの全集完成になったはずなんですが…。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2019/02/13

     前にアブラヴァネルのレビューを書いてて、「ハイティンクは聴いてないので判らない…」なんて書いてて、もうかれこれマーラーを40年から聴いているのに、ハイティンクのマーラーを説明できないのも「なんだかなぁ…」と思ったので、彼のマーラー演奏の殆どを集めて聴いてみました。HMVでは本盤を買ったので、レビューを書きます。
     マーラー没後50年を過ぎて、多くのレーベルがLPで全集を企画しました。その中で単一オーケストラで全集を完成できたのは、アブラヴァネル/ユタ響、クーベリック/BRSOと本盤の3つです。(ショルティ/CSOは発売当初はCSO単独ではなかった)他はオケをとっかえひっかえしないと完成できなかったわけです。けれどユタ響もBRSOも、戦後に誕生したオケで、それまでの伝統なんてものは無かった。だからこの二つのオケの全集は、指揮者のカリスマ性とかリーダーシップによって完成されたものです。伝統によって形作られたものではないと思います。(たぶん当時単独で全集が完成できた一流のオケはコンセルトヘボウとLSOくらいじゃないのか? 返す返すもバルビとホーレンシュタインに全集がないのは悔やまれる…)しかし、本盤は演奏にも表れているように、当時のコンセルトヘボウのマーラー演奏の蓄積の上に成り立っています。戦時中のナチによる統制で、それまであったマーラー演奏の蓄積なんてものは、他の伝統あるオケでは木端微塵に砕かれてしまっていたわけで、BPOもVPOも単独でマーラー全集を完成できたのは、ずっとずっと後です。かろうじてコンセルトヘボウだけが伝統を繋ぐことが出来たんだな…。そう思います。情感豊かな歌い回し、瑞々しい弦楽、豊潤な木管、自発性に富んだ金管、フレーズの一つ一つに「昔から、自分たちはこうやってマーラーを演奏してきたんだ。」というものを感じます。戦犯扱いになったメンゲルベルグも、その後を継いだベイヌムもマーラーを取り上げ続けた結果がここにあります。
     だから、ここでは劇場型というか、激情型というか、作曲者の情念を強調することはないですし、深層心理を抉る!なんていう緩急自在さもないですし、普通にホールで聴いてたら金輪際聴けないような楽器が突如強調されて、「ポリフォニーだ!ポリフォニーだ!」と叫んで騒ぐようなこともありません。ただただ「音楽としてのマーラー」を昔ながらに演奏しています。ハイティンクについては、本全集でよく「指揮者どこ?」とか言われますが、ちゃんと曲の構造をしっかり捉えて、造形していますし、響きのバランスもコントロールしていると思います。目立たないですが…。
     むしろ本全集で、ハイティンク自身が在りし日のコンセルトヘボウから昔ながらのマーラーの響きというか奏し方を伝授されたと考えた方が自然な気もします。その後のクリスマスマチネーの録音、未完に終わったBPOとの全集、ごく最近の世界の一流オケとの共演、いずれもそのオケの持つ特徴を生かしつつ、マーラーのの交響曲の造形と響きを見事に再現しているわけですから。(真偽のほどは判りませんが、後年コンセルトヘボウの指揮台で「昔のようにやってほしい」と言ったところ、若い楽団員が困惑した…なんて話もあるようですし…)それにしても、最初の全集レースに参加したハイティンクが今なお活躍してるのは、それはそれで喜ばしいことだと感じます。正にこれこそレジェンドと言っていいかもしんない。CD時代の第2回全集レース参加者でも、テンシュテットもシノポリもベルティーニも、もう鬼籍に入っちゃってるわけですから。

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     2018/12/08

     ようやく全集のハイレゾ版が出たので、思わず買っちゃいました。でも、BDだけでよいのにな…なんて思ってしまいますね。でも、昔のLPジャケットと同じ紙ジャケットにCDが入ってるのは、ちょっと郷愁をそそるというか、感慨深いものがありますが。私事で恐縮ですが、まだお金のなかった学生の頃、バーンスタインやショルティのLPは高かったので、クーベリック先生にはお世話になりっ放しでした。なんと言っても、安かったのでね。でも、そのお陰でマーラーのことが嫌いにならずに済みました。なんだか良く判らないけど、国内の廉価盤のクーベリックやセル、ホーレンシュタイン、遅れて出たノイマン、外盤のベイヌム、アブラヴァネルなどの方がよほどお財布に優しいし、良い演奏だと思ってましたから。どの演奏も独りよがりじゃないところが共通してます。私にとってはこの全集中での白眉は8番です。大編成にも関わらず大仰でなく、大らかなところが曲想に一致していますし、なにより第2部、浮遊せる聖母の登場の場面は、他のどんな演奏も敵わないと思います(私にとって…ですが)。後年のライブ演奏でもいいのですが、今回のBDで、やはりこっちだな…と思いました。我が家に到着して、やはり真っ先に聴いてしまいましたね。今までのCDに比べると、音質は向上していて、妙に生々しく感じます。(シングルレイヤー版は未聴だけど…)まあ、私みたいなノスタルジーを感じる人向けの企画なんでしょうけど。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/12/01

     堂々とした立派な演奏です。知情意バランスのとれた計算された演奏だと思います。この曲に初めて出会う人にもお薦めだと思います。作曲家の七転八倒に寄りすぎるわけでもなく、楽曲の分析に走りすぎるわけでもなく、民謡っぽい歌謡性に流され過ぎるわけでもなく、それでいて全ての要素をかなり高いレベルで統一しています。けれども、今までのオンリーワン感いっぱいのショスタコの14番などに比べると…という感じです。ここまで「衝撃作」ばかりの録音ですが、どんどん競合盤の多い作品に差し掛かり「これでなくては!」というモノではなくなってきています。前のチャイコの6番であれば、「ムラヴィンとかフリッチャイとかオブチニコフとか他にも色々あるよな…」というレベルでしたが、マラ6ともなると優れた競合盤が多すぎて、「別にこれでなくちゃダメだよな…」というところまではいってないと思います。とはいえ、このまま衝撃作狙いで進んでもらって、A・ペッテションの中期以降のシンフォニーをやってくれたらな…なんて思ってしまいます。なんといっても今一番注目されてるクルレンティスですから、もっと注目されるべき有名じゃない人の「衝撃作」をやってほしいな…と思います。

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     2018/11/17

     持っている同一のCDの具合がおかしくなったので買い直しを機にレビューします。(昔のバラ売りのCDやLPを処分するんじゃなかった…。)
     マーラーが亡くなって50年たったところで、著作権が消滅。そこで、CBS、ドイツグラモフォン、デッカ、フィリップスといった大手が競って、マーラーの交響曲全集を制作し始めます。それぞれバーンスタイン、クーベリック、ショルティ、ハイティンクを起用したわけです。(EMIとRCAが参戦してくれていたら、バルビローリかホーレンシュタイン、ラインスドルフの全集が残ったのに…)その中で、弱小レーベルだったヴァンガードが果敢に挑戦したのが本全集。オケは正直言って非力です。特に合奏部分になると、明らかなミスや音程が怪しい奏者もチラホラいます。でも、ついさっき音程が怪しかった奏者がソロを奏すると、なんか凄い節回しで演奏したりします…。曲によっては弦楽や木管が妙にジプシーっぽい(?)ヨーロッパの場末感いっぱいの奏で方になったりもします。アメリカの田舎(当時)のオケなのに…。これは、明らかに指揮者が指定して、練習した結果だと思うんだけど…。それになにより、バーンスタインが始めて、テンシュテットが確立した「苦悩して、もんどり打ってのた打ち回る作曲家の姿」がありません。ここにあるのは「生きる喜びを爆発させる作曲家の姿」です。5番の終楽章など、他の演奏家のものとまるで違う。プレートルとか、シェルヘン以上です。まさに生きる喜びの爆発です。だから、従来のイメージを持つ人から見たら、「ヘン」以外の何物でもないでしょうね。だから、曲そのものの意味も大きく変わってきます。
     でも、7番はこのアプローチでないと筋が通らないんですよ。1楽章→日没、太陽の葬送に始まって、終楽章→日の出、太陽の復活。間の楽章は夜のさまざまな性格、心象風景ですから。7番が判らない…とか、難解だと思ってる人にはうってつけの演奏じゃないかな…。こういう全集は、たいていの場合、曲の収録順は、7番と8番が最後になることが多いんですが(20年以上マーラー、マーラー言ってるI・フィッシャーでさえそう。)、アブラヴァネルは面白いことに、演奏環境という物理的難所の8番から収録を始め、解釈上の難所の7番を2曲目に持って来ています。この演奏スタイルは、だから確信犯ですね。4番などもこのスタイルがいい方向に働いてる…というより多分一番ふさわしいかたちのような気がします。
     あと2番や8番の合唱が圧倒的ですね。2番なんかは、長く苦しい闘病生活を終えた指揮者の復活公演(アバド、テンシュテット、小沢あたり)とか、経営難でつぶれたけど再興された楽団の演奏なんかが感動的だったりしますけど、この演奏では、本当に「魂の復活」とか「神による救済」を信じてる人たちが合唱してるってのがアリアリと聴こえてきますから。現代的な演奏だと、まず合唱者は、そんなこと信じてませんけどね。この人たちは本気です。
     いずれにせよ、私にとっては、どうしても必要な演奏です。深刻なバーンスタイン、中欧の歌謡性を大切にしたクーベリック、現代楽団の機能を十全に発揮するショルティ(ごめんなさい。ハイティンクのものは真面目に聴いてないので何とも言えません。)。いずれの指揮者にも影響を受けたりした後継者はいるようですけど、アブラヴァネルのようなマーラー指揮者には後継者はいないようです。強いて言えばMTTですけど、ここまで爆発的に前向きで明るいマーラーではないように思います。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/11/03

     う〜ん…、どう評価したものか迷うところがありますねえ。ブルックナーの弦楽五重奏曲は好きで、何度となく「これが交響曲だったら…」なんて妄想をかきたてる曲ではあります。特に三楽章アダージョ(この録音ではアンダンテ)は、ブルックナー好きには堪えられない魅力があります。だから、スクロヴァチェフスキもアシュケナージも、この楽章をオーケストラの弦楽合奏で交響曲の余白に録音しちゃってます。昔ツァグロクセクもオルフェオに全曲を弦楽合奏版で出してました。これが又とんでもなく素晴らしかった。だから、この曲に木管も金管も打楽器もつけて交響曲にしちゃったら、どんなに素晴らしいだろう…。ブルックナー好きは、妄想するんです。それをやっちゃうところがシャラーらしいと言えば、そうなんですが…。それにこれをやっちゃってもOKなのも、今生きてる人で言えば多分シャラーかキャラガンくらいなのも判ります。でも、聴いてて、やはり戸惑ってしまいました。当然、ブルックナー自身が交響曲にしなかったのには、リズムや曲調の部分があってのこと。だから無理があるのは百も承知で、それでも交響曲版を聴いてみたい。でも、たぶん私はハードルを上げすぎていたのかもしれない…とも思います。編曲はけっこう健闘している部分はあります。木管の処理は、私がこうだったらいいな…と思ってたとおりだし、でも終楽章はもっとスケールが大きくなるんじゃないか?とか、いろいろ思ってしまうわけです。考えてみると原曲が弦楽五重奏曲なのに、曲が進むにつれて、妙に弦のセクションが薄く感じてしまうのが、問題なのかとも思います。それでも、こいうことを敢えてやっちゃうシャラーという人はホンットにブルオタだなあと思っちゃいますね。みんな(?)が聴きたいと思ってるものを自分で作って演奏しちゃうんですから。
     余白にはト短調序曲が入ってます。これは自分としては「特選もの」です。全集を録音した指揮者で、この序曲にまで手を出した人は、私の知る限りでは朝比奈御大とミスターSだけですが(他にもいるんだろうか?)、このブルックナー第一人者の二人でさえ、ブルックナーらしくない曲にしか仕上げられなかったのを、シャラーはチャンと徹頭徹尾ブルックナーの曲として仕上げています。さすがブルオタ指揮者! これはビックリですよ、本当に。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/09/01

    cpoのミヒャエル・ハイドンの交響曲集も、これで一応のおしまい。一般的な音楽ファンにとっては、交響曲の1番から41番まで番号がすべて繋がった今回で一区切りだと思います。4種ある1番も、2種ある33番も揃ってますし、簡単に参照できる作品目録で見ても、取りこぼしはないように思いますから。
    それにしても長かった…。顧みれば、ボフダン・ヴァルハルによる第1弾が出たのが確か1993年。ボフダン・ヴァルハルももう亡くなってるし…、もう4半世紀も経つんだと思うと、よくついていけたな…と感慨もひとしおです。その間、指揮者もゴリツキがメインになったりしたし、指揮者、楽団が変わり、ホールも変わったこともあって、時代の嗜好に合わせて録音のコンセプトも変わったから、純粋に、このシリーズに統一感があるかといえば疑問だけど、よくぞ完走したな…というのが実感です。同じレーベルのボッケリーニが短期間で完成したことを思えば、ちょっと意外な感がしないでもないけど…。このディスクはすっきりした録音で、最初の頃のふわっとした感じではないけど、作品をより純粋に紹介しようというスタイルだけは一貫しているので好感が持てます。したがって☆5つを進呈いたします。
     これで、この時期で全貌が明らかになっていない最重要交響曲作家はヴァンハルだけだと思うけど、果たして完成できるんでしょうかね? 

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     2018/08/17

    何年かごとに、巡ってっくるブルックナーのピアノ曲全集の最新版。演奏家の解釈や芸術性などで大きく違ってくるはずもないプログラム。別に買わなくてもいいんだろうけど、大抵の場合、ここ何年かで発見された未発表作品が追加されているから、ブルックナー好きは絶対に買ってしまう…というアイテムです。今回はかつて出たcpoの、ほぼ「決定版」と言われていたものよりも収録曲も収録時間も圧倒しており、現時点では「決定版」と言っていいと思う。感動するような曲でもなく、演奏家によって様相がガラリと変わるわけでもないものなので、これからブルックナーのピアノ曲を手に入れようという人は、当分の間は、これ1枚だけ買えばそれでOKだと思います。好事家としては、「おっ、なんか交響曲を彷彿とさせるな。ここ!」といった感じですが、そういう部分が頻出するわけもなく、一般的な音楽ファンには無用なものなのかもしれません。

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     2018/08/06

    思えば交響曲22番は、これ以上ないほどコッ恥ずかしい内容です。単1楽章でありながら、4楽章に相当する部分のそれぞれが、美しい郷土→戦争で荒廃する国土→侵略者との戦い→勝利と解放という具合に物語的なプログラムを持っています。ショスタコーヴィッチが第7交響曲で言ったように裏読みできる余地さえないほどにハッキリしたその内容は、「これぞ社会主義リアリズムか」といったものです。けれど、曲の最後の部分、勝利を報せるトランペットとそれに続く弦楽合奏は、いつ聴いても泣いてしまう。この演奏は、この最後の部分を輝かしいトランペットと情感豊かな弦楽合奏で「これでもか!」と迫ってくるので、それだけでも一聴の価値はあります。今までスヴェトラーノフの演奏しかCDはなかったと思いますが、別の演奏が聴けて良かったです。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/07/21

    ようやく聴くことが出来た大澤壽人の交響曲1番、片山杜秀氏には感謝の念しか湧きません。年代的に見て、ちょうどショスタコーヴィッチの4番と同じ時期に、これほどモダンでしかも、交響曲の形式を重視するものから見ても非の打ちどころがないものを日本人が作っていたなんて…というのが本当のところです。ショスタコーヴィッチの復権より時間はかかってしまいましたが、聴くことが出来たので、もうそんなことはどうでもいい。循環形式やソナタ形式をすべてブチ込んで、しかもアメリカの聴衆を意識しての日本風メロディなど、若干トッ散らかっている感はありますが、本当の天才というのは、やはり凄いな…と思いました。2000年代にナクソスから2番と3番が出て、メジャーのオーケストラが取り組んでくれないのをもどかしく思っていましたが、この1枚で少し気分が晴れました。同じ年代の日本が誇る三人の交響曲作家、橋本國彦、諸井三郎のうち、これで日本人家庭のお茶の間で簡単には聞けないのが、諸井三郎の1番だけになってしまったのがちょっとだけ意外でした。三人の中で、まだ正当に評価されて、一番長生きしたのが諸井氏だったので…。どこか早く諸井三郎の1番をCDにしてくれないかな…。

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     2018/07/15

     名曲の条件というのはいろいろあると思いますが、「涙なしには聴けない」というのが一つの条件として認められるのなら、この曲は紛れもなく名曲です。もし、この曲がショパンなどというビッグネームの交響曲だったら、HMVのディスコグラフィに20や30くらいの盤が並んでいただろうと思います。とはいえ、ここ20年くらいで10種弱は出てるから、やっぱ名曲なんでしょうね。
     Yarvi父が演るとどうなるのか? スイスロマンドがお国もの(?)として奏でるとどうなるのか? という興味で聴いてみました。やはりYarvi父は驀走しますね。ほぼ最速に近い演奏です。しかし、第2楽章「幸福の情景」などは速いながらも、ヤルヴィトーン炸裂!(やはり録音がいいと、かなりの線までちゃんと捉えてくれています) フィナーレの「夜の騎行」での回帰を待たずに涙腺崩壊。フィナーレは明晰に過ぎる感じがしますが、どんどん調子が出てきて(単に耳が明晰な音に慣れてきただけか?)、不気味さもそこそこ出ています。フィナーレコーダの「死の浄化」もあっさり気味ですが、打楽器の進行が面白く感じられました。ベストの演奏とはいえないかも…ですが、とにかく弦楽の柔らかさは、この曲では決定的な要素ですから、いい演奏だと思いました。(バーメルトなどおそらく楽団員に弦の運び一つ一つを指定していたと思う。ホールが悪い録音でしたが、すばらしかった。)
     ロマン派交響曲は、ベートーベンの末期、シューベルト後期あたりから主要な主題に歌謡主題を採用してきた関係で、アレグロが成立しづらくなっています。Yarvi父やムラヴィンスキーの突進驀走は、アレグロ楽章(特に第1楽章)を成立させるための仕掛けだと思うんですが(だから曲全体のバランスをとるために全体に速くなる)、この曲に関しては成功してると思います。第1楽章の華やかさも際立って、悲劇に終わるこの曲が始まったのにワクワクしてしまいましたから。(ひさしぶりの「レノーネ」の新譜だったからかも?ですが。)でも、やっぱちょっと速いか…?ということで☆4つです。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/07/07

     かつてマルコポーロ・レーベルが音楽学者カール・ロビンソンとともに全曲録音を企てつつも頓挫したラハナーの交響曲にcpoが挑むということで、期待しています。まさか、これでおしまいってことはないでしょうね? 
     と言うのは、ラハナーはシューベルトの親友。妄想を逞しくするなら、シューベルトの生前から、彼の「大ハ長調」交響曲の存在を知っていたのではないかと思われるからです。後にシューマンが再発見する1839年までの間に第7交響曲までを、だいたい作曲し終えています。しかもそのほとんどが大ハ長調とほぼ同じ規模の交響曲で、シューベルトの大ハ長調が持つ特徴を備えています。よく「曲が陳腐だ」とか「大きさの割に中身がない」などと言われますが、私は、同時代のシュポーアやラフに比べて格段に劣っているようには思えません。友を失った年に交響曲を書き始め、友と同じ曲数の交響曲を書き(シューベルトの交響曲が8曲であると確信していたかは不明だけど…。そして決して尊敬するベートーベンを超える曲数を書かなかった。)、その後は、交響曲もどきとも言える4つの楽章(?)から成る組曲ばかり7曲も書き続け、決して交響曲に手を出さなかった…。でも、その組曲さえもマーラーの時代だったら、交響曲と呼ばれたでしょうけど。
     肝心の演奏の方ですが、この台湾のオケは世界標準の能力は備えていますし、指揮の方も的確であり、十分曲調を捉えていて好感が持てます。マルコポーロ盤は、ロビンソンが絡まなかったら、いささか心許なかったですが。出来るなら、このコンビで8曲すべてを録音していただきたいですね。7曲の組曲も続けて録音していただけると尚いいですが…。
     いずれにせよ、このシューベルトとブルックナーを直接に橋渡しした交響曲作家の交響曲の新譜が出たことを喜びたい。全曲録音が完成すれば、重要なミッシングリンクが埋まることになるわけですから。

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     2018/07/01

    かつて聴いた「1万ドルの交響曲」の中で、最速の演奏です。あのトスカニーニでさえ、第1楽章の第1主題はしっとりと歌わせているのに、Yarvi父は、主題のメロディラインがつぶれるくらいの速度で突っ走ります。たぶんbisの広上純一の嫋々とした演奏が基準の人にとっては噴飯ものかもしれません。けれども、かつて聴いたどの演奏よりも生気があって、生命力に満ち溢れています。アッテルベリ自身は、本職はビジネスマンというか、起業家といった人だったらしいので、このような解釈が本当なのかもな…と思ってしまいました。つまり私がかつて聴いたものの中で一番説得力がありました。第1楽章の第1主題は、もうちょっとなんとかならないのか…とも思いましたが。
     それにしても、氏は年を経るに従って、ムラヴィンスキー師匠の突進爆走系に近づいてるような気がします。ただ、曲の持つ微妙なニュアンスは、爆走の中にも息づいていますし、このディスクはYarviトーンを見事に捉えているので、ムラヴィンスキーとは芸風はちょっと違うかな…とも思いますが。

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     2018/07/01

    マイナー交響曲好きにとっては、なかなかにメジャーな曲ではあるのですが(なんちゅう日本語や!)、先行のディスク(EhrlingやRasilainenのディスク)はとっつき易いメロディ、曲自体の流れを優先するあまり、ハリウッドのサントラか、大河のテーマ曲みたいになっていました。それはそれでいいんですが、でも、Yarvi父のこの演奏は、この曲が持つ不協和音すれすれを狙ってるとしか思えない管弦楽の響きをあぶりだして、作曲年代に見合った交響曲であることを認識させてくれます。全集の他の曲もそうなのですが、ポピュラリティよりも曲の実相を認識させる方向に進んでいるのはいいことだと思います。氏の他のアッテルベリのナンバーは、突進驀走系の名演ですが、この3番はゆったりしています。最終楽章の盛り上げは「これでもか」という感じで気に入っています。いずれにしても、この愛すべき交響曲を、好事家が「こんなんあるで」という佳曲としてではなく、感動的な名曲として演奏してくれているので、☆5つです。

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