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karajan fan さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/01/04

    BPOがカラヤンに無断でCBS_SONYと契約したといわれるいわくつきの第1弾録音。

    この時期BPOはカラヤンの後継者選びに、色々な指揮者を迎えており、BPO自体の演奏も玉石混淆。
    なかでも、この録音は★★。バレンボイムがこの曲をどのように料理したいのか、はたまたBPOが反応していないのか?! とてもつまらない演奏になっている。
    幻想というよりは間の抜けたシューベルトのよう、、、
    後年のモーツアルトのピアノ協奏曲集もそうであるが、BPOとの相性はあまり良いようには感じられない。

    小生の感覚ではこの頃(80年代中頃)からバレンボイムの演奏がつまらなくなったように思う。
    指揮者としてもピアノ奏者としても若い頃の評価の方が高いように感じるのは私だけでしょうか?

    この曲も断然70年代のパリ管との演奏を推薦する。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/11/29

    とてもエレガントで丁寧な演奏です。

    これまで色々と幻想交響曲を聴いてきましたが、第一楽章と第三楽章のアプローチの仕方によって楽曲全体の印象を決定付けるように感じますが、当盤はこの両楽章の見事なまでの感情表現の拡大に驚く他ありません。

    第一楽章は官能的というよりは、純朴な青年の恋愛叙事詩的なアプローチ感があり、木管群と弦楽合奏のバランスがとても良く、響きもクリアーな感じがします。
    第二楽章は「フランス風」というよりは「ウィーン風」のワルツで、ウェーバーの「舞踏への勧誘」を彷彿とさせます。ハープの響きが幻想的で、昇っては降るジェットコースターのような音の抑揚で表現している青年の感情を管楽器群と弦楽器群の掛け合いによって対比しています。
    そして第三楽章。当盤の白眉といえる楽章で、燃え上がった恋心、そして襲ってくる空虚さをけだるい響きの中低音が奏でます。やがてしっかりとしたテンポで刻まれるリズムと哀愁たっぷりに表現されるコールアングレのソロが、遠雷とともに青年の抱くその夢と情熱の終わりを予感させています。
    第四楽章はよく聴きこむとティンパニのピッチのズレが若干気になりますが、テンポに安定感があり、金管楽器群も中低音の弦楽器とよくブレンドされていて上品な響きになっています。
    最終楽章はこれまでのアプローチとは異なり、音の塊がうねりながら爆発します。テンポは若干速めですが、金管群はしっかりとしたテヌートを維持しており、旋律が次々と受け渡されて行きます。そして合奏は破綻する事無く情熱的にクライマックスへと一気に畳み掛けて行きます。

    それにしてもこの当時のフィルハーモニア管は上手い!
    音響には奥行きがあり、各ソロパートは絶品です。
    また、弦楽合奏もバランスが良く、各楽器群の旋律の受け渡しも実に丁寧です。
    さすがにカラヤンが鍛え、クレンペラーが磨いただけのことはあります。

    クリュイタンスの「幻想交響曲」は64年の東京公演のライブが伝説となっていますが、純粋に音楽を楽しむのであれば、断然当盤を薦めます。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/15

    実に堂々とした演奏です。
    管楽器群が出しゃばらず、弦楽合奏の中低音部が良くブレンドされていて、とても重量感のある響きになっています。
    これまでもこのコンビによるEMIへの録音には、特徴的なechoがかかっていますが、それがこの幻想では効果的な雰囲気を出しているようです。
    (当時のEMIの録音スタイルだったのかもしれませんが)

    演奏自体はベルリオーズが恣意的に付記した楽章毎の表題にとらわれておらず、5楽章全体を一つの物語(ドラマ)として捕らえています。
    第一楽章の木管楽器群の出だしから怪しい幻想の世界に取り込まれてしまいます。
    第二楽章はコルネットを効かせるタイプの演奏ですが全く違和感がありません。
    そして第三楽章ですが、これだけこの楽章を幻想的で緊張感に満ちた演奏を他に知りせん。また、コールアングレをはじめとした木管楽器群と弦楽合奏の掛け合いの色彩感もフランスのエスプリ感が漂っています。
    (フランスものによる幻想はミュンシュやクリュイタンスが有名ですが、小生はこの演奏が一番フランスらしいと感じます。)
    しかし、音の響かせ方やフレージングの処理はカラヤン&ベルリンフィルを彷彿させますが、カラヤンより華美で無くドイツ語圏の伝統的な交響曲スタイルを踏襲した演奏と言えます。

    とにかくマルティノンがこれだけ重厚感溢れる響きでオケ全体をドライヴしていることに脱帽です。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/01

    さすがに40年近くも寄り添った間柄。
    このコンビの売りはなんと言ってもフィラデルフィア管弦楽団の弦楽の美しさ。元ヴァイオリニストだったオーマンディならではのアンサンブルの完成度は、当時の全米オーケストラの中ではセルのクリーヴランドと双璧をなしていたのではないでしょうか。
    思えば当時の全米ビック5のうち、その3つがハンガリー人シェフによって鍛えられていたんですね。(セル、オーマンディ、ライナー)

    さて、この演奏ですが本当にバランスの良い響きが心地良いです。教科書的という表現には抵抗を感じますが、下記のレビューにもありますように、スコアーに書かれている音符の一つ一つがすっきりと浮かび上がり、感情表現というよりはストレートに音符の組み合わせから音楽を作っているような感覚がします。しかし、(ブーレーズのような)乾燥した音楽ではなくとても瑞々しく活きた音楽であることは間違いなく、とても不思議な感覚に陥る幻想です。
    ややもすると、没個性的な曲作りのような感じですが、個性的な演奏の多いこの曲にあっては、それもまた個性的なのかもしれません。

    で、結局のところですが、入門編には最適マークでお勧めできる演奏です。
    また、色んな幻想を聴いて収拾がつかなくなったリスナーにもお勧めできます。
    (毒気のない主観の入らない幻想を聴いてこの曲のもつ先入観をリフレッシュできます。)
    流麗なんだけど華美ではなく、繊細なんだけれどももたつかない、そんな演奏です。

    確かに言える事は、このコンビは上手い!
    カラヤン&BPOの上手さとは別な次元で、とても上手い演奏です。
    すっかりこの演奏を気に入ってしまいました。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/01

    この時期のムーティはフィラデルフィア管と集中してメジャーなレパートリーのキャリアを築いた時期であり、双方にとって最も重要な時期であった。
    オーマンディからフィラデルフィアサウンドを踏襲しつつも、極めて明るく動的で、情熱的な演奏スタイルへと変容し、管弦楽曲ではレスピーギ、ストラヴィンスキー、リムスキー=コルサコフ、交響曲ではベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、スクリャービンなど多くの優れた楽曲を録音した。

    その中でもこの幻想交響曲は、情熱的で若々しいムーティの解釈とフィラデルフィアの音色がマッチして色彩豊かな楽曲に仕上がっている。そしてとても爽やかさが前面に押し出されており、狂気や不気味さは微塵も感じられない。薄暗いルネッサンス期の絵画というよりはフランスの印象派の絵画のようで、フィラデルフィア管から紡ぎ出される繊細な響きは、まさに暖かな南欧の陽射しを感じる。
    そう、ムーティはナポリ人なのだ。この曲の醸し出す失恋の切なさよりも、恋する情熱を躍動感をもって表現しているが、第四楽章や第五楽章ではレクイエムにも通じる荘厳さを感じることができる。

    幻想交響曲は暗くて嫌い と思っている人にお勧めです。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/01

    この時期のムーティはフィラデルフィア管と集中してメジャーなレパートリーのキャリアを築いた時期であり、双方にとって最も重要な時期であった。
    オーマンディからフィラデルフィアサウンドを踏襲しつつも、極めて明るく動的で、情熱的な演奏スタイルへと変容し、管弦楽曲ではレスピーギ、ストラヴィンスキー、リムスキー=コルサコフ、交響曲ではベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、スクリャービンなど多くの優れた楽曲を録音した。

    その中でもこの幻想交響曲は、情熱的で若々しいムーティの解釈とフィラデルフィアの音色がマッチして色彩豊かな楽曲に仕上がっている。そしてとても爽やかさが前面に押し出されており、狂気や不気味さは微塵も感じられない。薄暗いルネッサンス期の絵画というよりはフランスの印象派の絵画のようで、フィラデルフィア管から紡ぎ出される繊細な響きは、まさに暖かな南欧の陽射しを感じる。
    そう、ムーティはナポリ人なのだ。この曲の醸し出す失恋の切なさよりも、恋する情熱を躍動感をもって表現しているが、第四楽章や第五楽章ではレクイエムにも通じる荘厳さを感じることができる。

    幻想交響曲は暗くて嫌い と思っている人にお勧めです。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/01

    バーンスタインの演奏スタイルから連想する幻想交響曲を期待すると肩透かしを食ってしまいます。

    オーケストラがこの時期にしては目ずらしくフランス国立であること、あるいは録音がEMIであることなどが要因なのかも知れません。また、同時期に同じ顔合わせのDVDライブがありますが、それをみると彼にしては珍しく顎鬚が蓄えられており、何かしら自己の心境の変化があったのかもしれません。いずれにしても、この演奏を目隠しサンプリングをして演奏者がバーンスタインを連想できる人はこの演奏を聴いた事がある人ぐらいでしょう。それほどまでにインパクトの強い演奏です。
    (え〜 これがバーンスタイン?! というギャップがそう思わせるのかもしれませんが)

    さて、ではどのような演奏なのかというと、バーンスタインにしてはとても上品なのです(失礼)。
    第一楽章の冒頭から艶やかで官能的です。しっとりとした旋律の謳わせ方はそれまでのバーンスタインのイメージ(演歌調)からはとてもかけ離れた格調の高いものに感じられます。
    そしてしっかりとしたテンポによって刻まれるリズムはやがて強大な推進力となって押し寄せますが、弦楽器群と木管群のアンサンブルは破綻する事無くサイケディックな演出に拍車をかけています。
    第二楽章はほの暗い洋館での怪しい舞踏会を連想させ、そのおどろおどろしいまでのうねりはこれまで聴いたこのワルツの中では一番の雰囲気を出しています。
    そして第三楽章。遠雷が不気味に響き渡り、第四楽章へと突入していきます。
    後は音の洪水の中に埋もれて音楽が爆発し、バーンスタインは躊躇なくフィナーレまでたたみかけていきます。
    確かにフランス国立管弦楽団は勢いで押しており、アンサンブルも決して上手とは言えませんが、バーンスタイン特有の“くせ”がなく、上品なエスプリを匂わせています。そしてベルリオーズが表現しようとしたサイケディックで幻想的な香りを醸し出していると私は感じます。

    そう言った意味ではミンシュやマルケヴィッチなどの名盤さえも霞んでしまう何かを感じる演奏です。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/09/29

    カラヤン最後の夏の音楽祭。85年の同音楽祭でも同じメンバーでこの曲を演奏しています。カラヤンはムターとベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンなどの協奏曲をBPOとスタジオ録音していますが、チャイコフスキーの正期録音はこの盤のみなので、そう言った意味では貴重な録音です。
    さて、演奏の評価ですが、例えるなら「室内オーケストラのためのヴァイオリンを伴った交響曲」と言うべきでしょうか。この頃のカラヤンとVPOが作り出す音楽は、一種独特のテンポと重厚感がありますが、とくにこの演奏は(録音のせいかもしれませんが)VPOには珍しく立て横がきちんと揃った演奏なため音質が硬めに聴こえます。
    そして、若き日の艶やかなムターの音色が一筋の光明としてこの枯淡な伴奏と好対照をなしています。情熱的にかきたてるムターを愛情一杯のまなざしで受け止める老指揮者は、彼女に宿る芸術性を一つ一つ確かめながらお気に入りの劇場楽団をコントロールしているかのようです。(実際にこれがムターとの最後の競演だったと思います)
    感動的というよりは青春の迸りを感じる演奏です。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/26

    カラヤン最晩年のウィーンフィルとの歴史的なニューイヤーコンサート。
    ウィンナーワルツが持つ独特の『間』と『アクセント』を見事に体現しており、その一音一音に命を吹き込んだこの演奏は、どの楽曲にも生命力が満ち溢れている。
    そしてなによりもウィーンフィルとカラヤン自身が音楽することを楽しんでいることが伝わってくる演奏である。
    多分もうこのような演奏を聴くことは出来ないであろう。
    カルロス・クライバーもこんな演奏がしたくて、2回もニューイヤーコンサートを引き受けたのかもしれない。

    11人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/26

    カラヤン最晩年のウィーンフィルとの歴史的なニューイヤーコンサート。
    ウィンナーワルツが持つ独特の『間』と『アクセント』を見事に体現しており、その一音一音に命を吹き込んだこの演奏は、どの楽曲にも生命力が満ち溢れている。
    そしてなによりもウィーンフィルとカラヤン自身が音楽することを楽しんでいることが伝わってくる演奏である。
    多分もうこのような演奏を聴くことは出来ないであろう。
    カルロス・クライバーもこんな演奏がしたくて、2回もニューイヤーコンサートを引き受けたのかもしれない。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/26

    カラヤン最晩年のウィーンフィルとの歴史的なニューイヤーコンサート。
    ウィンナーワルツが持つ独特の『間』と『アクセント』を見事に体現しており、その一音一音に命を吹き込んだこの演奏は、どの楽曲にも生命力が満ち溢れている。
    そしてなによりもウィーンフィルとカラヤン自身が音楽することを楽しんでいることが伝わってくる演奏である。
    多分もうこのような演奏を聴くことは出来ないであろう。
    カルロス・クライバーもこんな演奏がしたくて、2回もニューイヤーコンサートを引き受けたのかもしれない。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/23

    《幻想交響曲について》曲の仕上がりとしては、ミュンシュに近い感じがします。この時期のバレンボイムはシカゴとの録音も多いですが、私の好みから言えばパリ管との相性の方が良いように感じます。また、この頃のバレンボイムの音楽が、その後の彼を通した中でも一番感性に溢れた表現が出来ていたのではないかと感じます。とくにこの頃録音したパリ管との一連のフランス音楽(ベルリオーズやドビュッシー)は(現在は入手できるものが限られますが)、クリュイタンスやマルティノンなみの評価があっても良いのではと感じます。
    この幻想も青年バレンボイムの迸る情熱をパリ管がうまく受け止めながら、ベルリオーズの世界に導いているような印象です。情熱的な部分はバレンボイムが、静寂で空虚な表現はパリ管が、と言った感じです。色彩感が強いんだけれども、うるさい感じでもなく、ドラマ性というにはそれほど深刻なアプローチではないように思います。曲の作りも丁寧で、あまり癖の無い演奏なので入門編にはお勧めです。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/23

    まず弦楽器が余り上手ではありません。上手ではないと言う表現が正しくないかもしれませんが、音が立っている感じ。刺々しい。ブレンドされていない。ガサツな感じ。 弦楽器についてはこんな表現でしょうか。総じてヨーロッパの一流と言われるオーケストラの音になじんでしまっているリスナーには、あまり上手には聴こえないかもしれません。
    しかし、これがヨーロッパのローカルな音色 と言われれば、それも許容範囲かな?と納得します。
    また、曲全体としてフレーズの処理音が丁寧ではありません。これはマルケヴィッチの音楽の作り方のかもしれませんが、そうかと思えば、わりと粘着質的なボーイングをさせている場面も散見されます。
    しかし、表現としてはグロテスクでサイコ的なものとなっており、ベルリオーズが付記したメッセージからイメージした幻想交響曲とはこのような演奏なのかもしれません。
    当然、そのファクターとしてラムルー管弦楽団の音色や力量も含まれるので、小生のオケへの指摘が否定的な部分だけではないことを一言添えておきます。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 14人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/04

    カラヤンという指揮者を私達(極東の日本において)は長年において大きく誤解していた。それはカラヤンが多くのセッション録音を残し、あたかもそれこそがカラヤンの作り出す音楽(芸術)の全てのように評価していたからではないだろうか。
    今世紀に入りカラヤンのライブ録音が数多く発掘されるにつれ、実はカラヤンも古の巨匠達と同じくライブで燃焼する指揮者だったことが多くの人の認めるところとなった。
    つまり、言い方は悪いが「あの完全加工品」(セッション音源)に「魂」が入ったとてつもなく豪華絢爛で生々しい音楽なのである。
    とくにこの「浄められた夜」はデーメルが謳いあげたシチュエーションをはるかに越えたロマンチズムに満ちている。そして70年代に録音された同曲を凌駕する熱さは、老いて益々情熱的な、そして達観した芸術家であった証であろう。

    ブラームスについては他の方のレビューで語りつくされている通りである。ただ、重厚なテンポと響きであるが、タイミングをみると45分をキープしている。この辺がカラヤンの音楽が間延びせず、引き締まった感があるところなのかもしれない。

    音響についてのコメントが多いが、これについては、各人のこだわりで判断するのが良かろう。

    14人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/04/23

    その昔、黛敏郎が出演していたサントリーの「メルツェン」というビールのCMで使用されていた「モルダウ」が気に入って入手した記憶があります。
    40年近く前の話しで、当然LPでした。(モルダウ、高い城、前奏曲、ハンガリー狂詩曲)
    チェコスロヴァキア(当時)とハンガリーの作曲家のアルバムで、この暗いジャケットと選曲がそのまま当時の中欧のイメージとオーバーラップして聴くのになんとなく覚悟がいるような印象がありました。
    さて、このアルバムの中で「モルダウ」と「前奏曲」は過去にPOやBPOと、この後もBPOやVPOと何度かレコーディングを重ねているカラヤンの十八番ですが、私が推したいのは、「高い城」です。
    あまりメジャーとは言えず、連続作品からのワンピースですが、カラヤンはこの曲を完全に単独な「交響詩」として仕上げています。
    カラヤンの演奏は曲によってはちょっと呼吸感が速く感じられる場合がありますが、このジャンル(交響詩や序曲など)では奇を衒った抑揚や緩急が皆無で、聴いていてとても自然で音響のバランスとテンポがとても心地良く感じられます。
    曲自体は短調で少し暗い感じがするのですが、冒頭のハープの重奏から奏でられる我が祖国の主題からすでに引き込まれます。
    そして終盤に再展開される主題の金管のユニゾンの謳い方や盛り上げ方は圧巻で、とてつもなくドラマチックな演奏になっています。
    名盤として誉れ高いアンチェルやクーベリックのような侘びの世界ではなく、やはりこれも豪華絢爛なカラヤンワールドの人工美的な音楽です。(この暗いジャケットとはほど遠い)
    なので、当然賛否両論あるところですが、「美しくドラマチック」な音響に感動したい方には是非ともお勧めします。
    (最近ではLevine & VPOのこの曲も良いなと感じています)

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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