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つよしくん さんのレビュー一覧 

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  • 10人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/08/17

    スクロヴァチェフスキは、間もなく90歳を迎えようとする今日においても現役として活躍している世界最高齢の巨匠指揮者であるが、ブルックナーの交響曲第7番ホ長調については、DVD作品を含めて、既に4種ものレコーディングを行っているなど、自家薬篭中のものとしているところである。本演奏は、現時点においては最新の5度目のレコーディングに相当するが、何よりも演奏時間が5種の演奏の中で最も長くなっており、とりわけ、これまで比較的速めのテンポで演奏することが多かった第3楽章及び終楽章のテンポがややゆったりとしたより重厚なものとなっているのが特徴である。第1楽章は、ゆったりとしたテンポに乗って奏されるチェロの音色が実に美しく、ヴァイオリンのトレモロとのバランスも見事である。ヴァイオリンから受け渡される低弦によるトレモロの刻み方も味わい深く、この冒頭部分だけでも全体を包み込むような深い呼吸を有したスケール雄大さを誇っており、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。その後も、各旋律を陰影豊かに美しく歌わせる一方で、各楽器セクションの響かせ方は常に明晰さを保って透明感を確保するなど美しさの極みであり、木管楽器やホルンの音色の一つ一つに意味深さがある。時として、テンポを落としてフレーズの終わりでリテヌートをかけるなど、音楽の流れに明確な抑揚があるのも素晴らしい。コーダ直前の底知れぬ深みを感じさせる演奏や、コーダの悠揚迫らぬ堂に入った表現もスケール雄大である。それにしても、ロンドン・フィルの充実した響きには出色のものがあり、とりわけブラスセクションや木管楽器の優秀さには舌を巻くほどである。第2楽章は、冒頭のワーグナー・テューバの奥深い響きと弦楽合奏のバランスの良い響かせ方からして惹き込まれてしまう。ゆったりとしたテンポで、一音一音を確かめるような曲想の運びであり、時には止まりそうになるほどであるが、しみじみとした奥深い情感豊かさは、これまでの4種の演奏を大きく凌駕していると言えるだろう。同楽章において、一部の指揮者は、全体の造型を弛緩させないために、強弱の変化やアッチェレランドを施して冗長さに陥るのを避けているが、本演奏においては、そのような小細工は一切弄しておらず、あくまでもインテンポを基調とした直球勝負の正攻法のアプローチで一貫しており、我々聴き手は、紡ぎ出される情感豊かな美しい音楽の滔々たる流れにただただ身を委ねるのみである。例によって、スクロヴァチェフスキは、本演奏においても、ノヴァーク版に依拠しつつ、頂点においては、ティンパニを一発目の強打の後は徐々に音量を絞っていくという独自のバージョンによる演奏を展開しているが、賑々しさを避けているのは本演奏の性格からしても至当である。その後のワーグナー・テューバやホルンの演奏の意味深さ、フルートの抑揚の付いた吹き方など実に感動的で、いつまでも本演奏が醸し出す奥深い美の世界に浸っていたいと思わせるほどである。第3楽章は、前後半は、中庸の落ち着いたテンポによる演奏であり、これまでの4種の演奏よりも重厚さが際立っている。ここでも、ロンドン・フィルのブラスセクションの充実した響きが実に魅力的である。トリオは、ややテンポを落として情感豊かに歌い上げているが、各フレーズの表情付けの巧さは、もはや神業の領域に達していると言っても過言ではあるまい。終楽章は、冒頭はやや速めのテンポでひそやかに開始されるが、その後はテンポを落として、落ち着いた足取りによる演奏が展開される。ブラスセクションと弦楽合奏のバランス良い鳴らし方も巧みであり、重厚さにもいささかも不足はない。随所においてテンポを落としてホルンによる意味深いコラールを響かせたり、ブラスセクションの咆哮にリテヌートを施したりするなど、これまでの4種の演奏と比較して表情の起伏が大きくなったようにも思われるが、それがむしろ功を奏しており、同曲の弱点でもある終楽章のスケールの小ささを微塵も感じさせないのは見事という他はない。そして、コーダにおいては、微動だにしない荘重なテンポによる威容に満ちた壮麗なクライマックスを築き上げて圧倒的な高揚のうちに全曲を締め括っている。なお、演奏終了後の拍手は収録されていない。いずれにしても、本演奏は、スクロヴァチェフスキの5種ある演奏の中でも最も優れた演奏であり、今後、90歳を迎えようとするスクロヴァチェフスキが同曲をレコーディングするか予断は許さないところではあるが、現時点においては、スクロヴァチェフスキによる同曲の演奏の掉尾を飾るのに相応しい至高の超名演と高く評価したいと考える。音質も、各楽器セクションが明瞭に分離するなど、素晴らしく鮮明なものと評価しておきたい。なお、私は、2010年10月16日、東京のサントリーホールにて、スクロヴァチェフスキ&読売日本交響楽団による同曲の演奏を聴いているが、その際、これ以上の演奏は不可能ではないかと思われるほどの深い感銘を受けたところである。しかしながら、2年後に行われた本演奏は、当該2010年の演奏を凌駕しており、スクロヴァチェフスキが90歳を目前にしてもなお、その指揮芸術がますます深化していることを十二分に窺い知ることが可能であると言えるところだ。スクロヴァチェフスキには、今後とも出来るだけ長生きしていただいて、ブルックナーの交響曲をできるだけ多く演奏・録音して欲しいと思っているクラシック音楽ファンは私だけではあるまい。

    10人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/05/12

    凄い演奏だ。このようなお宝のような音源がこれまで眠っていたこと自体がおよそ信じ難い。本盤には、モーツァルトの管楽器のための協奏交響曲とR・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の演奏がおさめられている。両曲ともに、カラヤンは複数の演奏のレコーディングを遺しているが、私としては、本盤の演奏こそは、カラヤンによる両曲演奏の最高峰に掲げられるのではないかと考えるところだ。モーツァルトの管楽器のための協奏曲の演奏は、流麗なレガートを施した優美さと躍動感が際立っている。カラヤンは、後年の演奏になるほど、健康状態の悪化も相まって、躍動感を失ったいささか重いとも感じられる演奏が多くなっていくのであるが、本演奏は60歳を少し過ぎたばかりの心身ともに充実していた時期のもの。シンフォニックな重厚さの中にも、前述のような躍動感と流れるような美しさを秘めた全盛期のカラヤンならではの稀代の名演奏に仕上がっている。ローター・コッホ、カール・ライスター、ゲルト・ザイフェルト、ギュンター・ピースクと言った、ベルリン・フィルの楽団史上での最高峰に掲げられるべきスタープレーヤーが奏でる名演奏は、卓越したヴィルトゥオジティの発揮は当然のこととして、芸術性も豊かであり、カラヤンやベルリン・フィルともども実に楽しげに演奏している様子が伝わってくるのが素晴らしい。R・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の演奏は、先ずは、「序奏」の輝かしいブラスセクションの咆哮に圧倒される。「後の世の人びとについて」に入るとテンポを幾分落として、分厚くも艶やかな音色美を誇る弦楽合奏が伸びやかに曲想を歌い上げていく。その美しさは、この世のものとは思えないような音の桃源郷の世界だ。「大いなる憧れについて」や「歓喜と情熱について」におけるブラスセクションやティンパニの鋭い響きは悪魔的とも言うべき凄まじいまでの迫力を誇っていると言える。「科学について」の低弦の引きずるような響きも凄みがあり、対比する高弦の美しさは天国的とも言えるだろう。「病から回復に向かう者」のトロンボーンやホルンの咆哮は凄まじく、頂点における迫力は壮絶の極み。その後はトランペット、木管楽器、弦楽器などの絡み合いは唖然とするほど上手く、アンサンブルなどいささかも綻びを見せないのは殆ど驚異的だ。「舞踏の歌」のシュヴァルベのヴァイオリン独奏の美しさはこの世のものとは思えないほどであり、木管楽器セクションの合いの手のあまりの上手さは協奏曲のようであり、殆ど反則技とも言いたくなるほどだ。終結部の壮絶な阿鼻叫喚の世界は、カラヤン、ベルリン・フィルの大熱演。それでいて、各楽器セクションが団子状態にならず、鮮明に分離して聴こえるなど整理し尽くされているのは、後述のような音質の良さのみならず、お互いの楽器セクションの音を聴きあうというカラヤン&ベルリン・フィルの卓越した演奏の賜物と言っても過言ではあるまい。「さすらい人の夜の歌」が消え入るように終わった後、少し間をおいてから拍手が徐々に大きくなっていくのは、当日の聴衆の深い感動を伝えるものと言えるだろう。両演奏を聴き終えて思ったのは、何と言う凄い指揮者、凄いオーケストラが存在したのだろうかということである。全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの実演がいかに人間業を超えた凄まじいものであったのかが理解できるところだ。いずれにしても、本演奏は、カラヤンの演奏をスタジオ録音によるものでしか聴いたことがないというクラシック音楽ファンにこそ、是非とも聴いていただきたい名演の前に超をいくつ付けても足りない圧倒的な超絶的名演と高く評価したいと考える。音質も各楽器セクションが分離して明瞭に聴こえるなど、1970年のライヴ録音としては極めて優れたものと評価したい。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2013/05/11

    本盤におさめられたブルックナーの交響曲第5番変ロ長調(カプリングは、シューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」)の演奏は、オットー・クレンペラーがニュー・フィルハーモニー管弦楽団とともに、1967年3月、ロンドンのロイヤルフェスティバルホールにて行ったコンサートのライヴ録音。クレンペラーによる同曲の演奏のレコーディングとしては、あらゆる意味において完成度の高い同年のスタジオ録音の演奏と、巨大なスケールと剛毅な曲想の運びの中にもウィーン・フィルの美演の魅力、そして実演ならではの気迫や緊張感を有した1968年のウィーン・フィルとの演奏(ライヴ録音)が存在している。加えて、それら両演奏がステレオ録音であることに鑑みれば、モノラル録音である本演奏は不利な条件にあると言わざるを得ないが、そうした不利な条件などものともしない偉大な名演奏に仕上がっていると言えるところだ。それにしても、第1楽章の何物にも揺り動かされることのないゆったりとしたテンポによる威容に満ちた曲想の運びを何と表現すればいいのであろうか。どこをとってもいささかも隙間風の吹かない重厚さと深い呼吸に満ち溢れていると言える。ブラスセクションの強奏などもややゴツゴツしていて剛毅ささえ感じさせるが、それでいて音楽が停滞することなく滔々と流れていくのが素晴らしい。第2楽章は、クレンペラーとしては、決して遅すぎないテンポによる演奏であるが、木管楽器の活かし方など実に味わい深いものがあり、厚みのある弦楽合奏の彫の深さ、格調の高さには出色のものがある。後半のブラスセクションがやや直線的で武骨さを感じさせるのは好みが分かれると思われるが、いたずらに洗練された無内容な演奏よりはよほど優れていると言えるだろう。第3楽章は中庸のテンポを基調としているが、ブラスセクションの抉りの凄さや弦楽合奏と木管楽器のいじらしい絡み方など、クレンペラーの個性的かつ崇高な指揮芸術が全開である。トリオは一転してやや遅めのテンポで味わい深さを演出しているのも実に巧妙であると言える。終楽章は、第1楽章と同様に悠揚迫らぬ荘重な曲想の展開が際立っており、低弦やティンパニの強靭さ、そして抉りの効いたブラスセクションの咆哮など、凄まじさの限りである。そして、こうした演奏を基調としつつ、輻輳するフーガを微動だにしない荘重なテンポで明瞭に紐解いていく峻厳とも言うべき指揮芸術には、ただただ圧倒されるほかはなく、コーダの壮大な迫力にはもはや評価する言葉が追い付かないほどだ。いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの偉大な指揮芸術の凄さを堪能することができるとともに、クレンペラーによる同曲の名演とされている同年のスタジオ録音の演奏や、翌年のウィーン・フィルとの演奏と同格の至高の超名演と高く評価したいと考える。カプリングのシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」の演奏も、木管楽器が活躍する交響曲であることもあってクレンペラー得意のレパートリーであり、翌年のウィーン・フィルとの演奏(ライヴ録音)や、前年のバイエルン放送交響楽団との演奏(ライヴ録音)など、強力なライバルが目白押しである。もっとも、本演奏は、ブルックナーの交響曲第5番変ロ長調の演奏よりもより鮮明な音質で捉えられていることもあって、音質面においてもそれら両演奏と殆ど遜色がないところであり、悠揚迫らぬ曲想の運び方、木管楽器の絶妙な活かし方、スケールの雄大さなど、これ以上は求め得ないほどの至高の高みに聳えたつ超名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。前述の両演奏との優劣の比較は困難を極めるが、私としては三者同格の超名演としておきたい。音質は、前述のようにモノラル録音ではあるが、テープヒスさえ気にならなければ、1967年のライヴ録音にしては比較的聴きやすい良好なものと評価したい(ブルックナーの交響曲第5番変ロ長調については、ピッチが不安定な箇所が散見されるように感じたが、鑑賞には特段の支障はないと思われる。)。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/04/21

    本盤におさめられたシベリウスの交響曲第2番ニ短調の演奏は、サー・ジョン・バルビローリがケルン放送交響楽団に客演した際に、1969年2月7日に行われたコンサートのライヴ録音。バルビローリは、現時点で確認できるものだけでも4種もの同曲のレコーディングを行っている。それらを録音年代順に列挙すると、ハレ管弦楽団との演奏(1952年スタジオ録音(EMI))、ロイヤル・フィルとの演奏(1962年スタジオ録音(テスタメント(chesky)))、ハレ管弦楽団との演奏(1966年スタジオ録音(EMI))、そして本盤におさめられたケルン放送交響楽団との演奏(1969年ライヴ録音(ica CLASSICS))となっている。したがって、本盤の演奏は、現時点で確認できるバルビローリによる同曲の最後のレコーディングということになる。4種の演奏は、いずれ劣らぬ名演ではあるが、一般に最も完成度の高い名演として名高いのは、1966年の演奏である。当該演奏は、ヒューマニティ溢れる温かさを有した名演であったと言えるが、本演奏は、実演ということもあって、1966年の演奏とは対照的な豪演に仕上がっていると言えるところだ(1952年の演奏に近い性格を有していると言えるのかもしれない。)。第1楽章冒頭からして濃厚な表情付けの演奏が展開されている。その後も、凄まじいまでの粘着質かつハイテンションの音楽が連続しており、あまりのテンションの高さに、随所に熱くなったバルビローリの唸り声が聴こえてくるほどである。とても死を1年後に控えた老指揮者による演奏とは思えないほどの強靭な迫力と切れば血が噴き出してくるような熱き生命力に満ち溢れていると言っても過言ではあるまい。第2楽章は、速めのテンポで開始されるが、その後はアゴーギクを駆使したうねるような表現や、猛烈なアッチェレランドを駆使した壮絶な演奏が展開されている。第3楽章は、本演奏の中で一服の清涼剤と言ったところであろうか。北欧風の旋律を人間味溢れる温かみのあるアプローチによって情感豊かに歌い抜いているのが素晴らしい。ところが、終楽章の移行部に差し掛かるととてつもないアッチェレランドを駆使しているのに度肝を抜かれる。そして、終楽章の主旋律は壮麗にしてなおかつ濃厚な味わいの演奏であるが、その後のデュナーミクの幅広さ、大胆なアッチェレランドなど、ありとあらゆる多種多様な表現を駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき演奏を展開。終結部はテンポを大きく落として、威容に満ちた壮大なクライマックスを築き上げて全曲を締め括っている。ケルン放送交響楽団は、バルビローリの燃えるような指揮に、アンサンブルの縦の線が合わないなど、若干の戸惑いを感じているきらいもなくはないが、それでもバルビローリの指揮に必死で喰らいつき、渾身の大熱演を展開しているのが素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、ヒューマニティ溢れる温かさを有した演奏をする指揮者と思われがちなバルビローリの知られざる一面である、熱き情熱に持ち溢れた指揮芸術を十二分に堪能することが可能な圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。バルビローリによるハレ管弦楽団との1966年の演奏を愛好するクラシック音楽ファンには、是非とも本演奏を聴いていただきたい。バルビローリという指揮者の凄さをあらためて再認識することになることは必定であると思われるところだ。カプリングのシューベルトの交響曲第4番ハ短調やブリテンのテノール、ホルンと弦楽のためのセレナーデの演奏も、実演のバルビローリの凄さを堪能することが可能な濃厚な味わい深さを有した素晴らしい名演だ。音質も、1969年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものと評価したい。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/04/07

    ラフマニノフは偉大な作曲家であると同時に偉大なピアニストであった。それだけに、4曲にも及ぶピアノ協奏曲や、パガニーニの主題による変奏曲、2曲のピアノ三重奏曲、2曲のピアノ・ソナタをはじめとする相当数のピアノ曲を作曲しているところである。どの曲も、難曲の部類に属するが、それは、ラフマニノフが他の誰よりも大きな手の持ち主であり、どのような曲でも弾きこなすだけのヴィルトゥーゾ・ピアニストであったことにもよるものと思われるところだ。ラフマニノフの数あるピアノを用いた作品の中でも特に有名なピアノ協奏曲第2番及び第3番について、自作自演が遺されているというのは、クラシック音楽ファンにとっても何という素晴らしいことであろうか。ピアノ協奏曲第2番については1929年、そしてピアノ協奏曲第3番については1939年のモノラル録音であり、いずれも音質は決して良好なものとは言えないが、ラフマニノフがこれらの2つの有名曲をどのように解釈していたのか、そして、ラフマニノフがヴィルトゥーゾ・ピアニストとしていかに卓越した技量を有していたのかを知る意味においては、極めて貴重な歴史的な記録とも言えるであろう。先ずは、両曲の演奏ともにやや速いテンポ設定をとっていることに驚かされる。当時の演奏傾向にもよるとは思うが、それ以上に、ラフマニノフがいかに人間離れした卓越した技量の持ち主であったのかがよくわかるというものだ。両曲ともに、ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた旋律が満載の楽曲ではあるが、ラフマニノフはやや速めのテンポをとりつつも、それらの旋律の数々を情感豊かに歌い抜いているところである。アゴーギクなども駆使しているが、決してセンチメンタリズムには陥らず、いささかの古臭さを感じさせないのが素晴らしい。もっとも、音質が悪い(特に、ピアノ協奏曲第2番)ので、ラフマニノフのピアノタッチが鮮明に再現されているとは言い難いのがいささか残念ではあるが、ラフマニノフの両曲に対する捉え方、そして持ち味の超絶的な技量を堪能することができるという意味においては、歴史的な意義が極めて大きい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。もっとも、前述のように音質は今一つであるというのが玉に傷と言ったところだ。今般のBlu-spec-CD化によって、若干ではあるが音質は改善されたが、それでもトゥッティにおける各楽器セクションの分離の悪さは如何ともしがたいものがあると言える。もっとも、これまでの従来CD盤よりは聴きやすい音質(とりわけピアノ協奏曲第3番)でもあると言えるところであり、本演奏を聴くのであれば、迷うことなく本Blu-spec-CD盤を購入すべきだ。なお、ラフマニノフは、ピアノ協奏曲第1番及び第4番についても録音を行っているところであり、今後はそれらの録音についてもBlu-spec-CD化していただくことをこの場を借りて要望しておきたいと考える。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/04/07

    近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る交響曲第8番の録音(1986年)の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。したがって、1986年以降の演奏は、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開することになるのであるが、それ以前の演奏についても、いささかも妥協を許さない全力投球の極めて燃焼度の高い渾身の演奏を繰り広げた。そうしたテンシュテットの指揮芸術は、最も得意としたマーラーの交響曲の演奏において如実に反映されていると言えるであろう。テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施していると言える。かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない。)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。
    テンシュテットは、マーラーの数ある交響曲の中でもとりわけ第6番を得意としており、本盤の1983年のスタジオ録音の他にも、同年のライヴ録音、そして1991年のライヴ録音が存在している。このうち、1991年のライヴ録音が最高峰に君臨する名演であるのは自明の理ではあるが、本盤におさめられた交響曲第6番の演奏も圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。オーケストラは必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本演奏を超名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、1983年のスタジオ録音ではあるが、リマスタリングなどはなされていないものの、比較的良好な音質であると言えたところだ。このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、テンシュテットによる圧倒的な超名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2013/03/30

    本盤におさめられたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、そしてフランクのピアノと管弦楽のための交響的変奏曲の演奏についてであるが、かつてはワイセンベルクの個性が、カラヤン&ベルリン・フィルによる豪壮華麗な演奏によって殆ど感じることができない演奏であると酷評されてきたところであるが、先般のSACD化によって、その印象が一掃されることになった意義は極めて大きいと言わざるを得ない(そして、今般のシングルレイヤーによるSACD化によって、その印象はさらに決定的に激変した、)。もちろん、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏は凄いものであり、SACD化によって更にその凄みを増したとさえ言える。もっとも、流麗なレガートを駆使して豪壮華麗な演奏の数々を成し遂げていたカラヤンの芸風からすれば、ラフマニノフの楽曲との相性は抜群であると考えられるところであるが、カラヤンは意外にもラフマニノフの楽曲を殆ど録音していない。カラヤンの伝記を紐解くと、交響曲第2番の録音も計画されていたようではあるが、結局は実現しなかったところだ。したがって、カラヤンによるラフマニノフの楽曲の録音は、本盤におさめられたピアノ協奏曲第2番のみということになり、その意味でも、本盤の演奏は極めて貴重なものと言えるだろう。しかしながら、前述のように、演奏はいかにも全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの圧倒的なものであると言える。一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感溢れる力強さ、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックで美音を振りまく木管楽器群、そして雷鳴のように轟わたるティンパニなど、圧倒的な音のドラマが構築されていると言える。そして、カラヤンは、これに流麗なレガートを施すことによって、正に豪華絢爛にして豪奢な演奏を展開しているところであり、少なくとも、オーケストラ演奏としては、同曲演奏史上でも最も重厚かつ華麗な演奏と言えるのではないだろうか。他方、ワイセンベルクのピアノ演奏は、従来CD盤やHQCD盤で聴く限りにおいては、カラヤン&ベルリン・フィルの中の一つの楽器と化していたと言えるところであり、その意味では、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築の最も忠実な奉仕者であったとさえ言える。しかしながら、SACD化により、ワイセンベルクの強靭にして繊細なピアノタッチが、オーケストラと見事に分離して聴こえることになったことによって、実はワイセンベルクが、カラヤン&ベルリン・フィルの忠実な僕ではなく、むしろ十二分にその個性を発揮していることが判明した意義は極めて大きいと言わざるを得ない。いずれにしても、私としては、同曲のベストワンの演奏と評価するのにはいささか躊躇せざるを得ないが、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィル、そしてワイセンベルクによる演奏の凄さ、素晴らしさ、そして美しさを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演として高く評価したいと考える。併録のフランクのピアノと管弦楽のための交響的変奏曲は、ワイセンベルクのピアノ演奏の個性がラフマニノフよりも更に発揮されているとも言えるところであり、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演奏とも相まって、同曲の美しさを存分に味わわせてくれるという意味において、さらに素晴らしい名演と高く評価したい。音質は、1972年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化、そして更に今般シングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。とりわけ、前述のように、ワイセンベルクのピアノ演奏とカラヤン&ベルリン・フィルの演奏が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィル、そしてワイセンベルクによる素晴らしい名演を、現在望みうる超高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2013/03/30

    いわゆる4大ヴァイオリン協奏曲の中でもベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲は、技量面での難しさもさることながら、メロディの美しさよりは音楽の内容の精神的な深みが際立った作品であると言える。したがって、演奏するヴァイオリニストにとっても、卓越した技量を持ち合わせているだけでなく、楽曲の内容の深みを徹底して追及する姿勢を持ち合わせていないと、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの浅薄な演奏に陥ってしまう危険性があると言えるだろう。そうした中にあって、ハイフェッツによる本盤の演奏は、持ち前の超絶的な技量を駆使することのみによって、両曲の内容面をも含めた魅力を描出し得た稀有の演奏と言えるのではないだろうか。1955年というハイフェッツの全盛期の演奏であるだけに、先ずは、その持ち味である超絶的な技量に圧倒されてしまう。同時代に活躍した、ヴィルトゥオーゾを発揮したピアニストにホロヴィッツがいるが、ホロヴィッツが卓越した技量が芸術を超える稀有のピアニストであったのと同様に、ハイフェッツも、卓越した技量が芸術を超える稀有のヴァイオリニストであったと言えるのではないかと考えられる。両曲ともに、ハイフェッツは、おそらくは両曲のこれまでのあまたのヴァイオリニストによる演奏の中でも史上最速のテンポで全曲を駆け抜けている。これだけの早いテンポだと、技量面だけが前面に突出した素っ気ない演奏に陥る危険性を孕んでいると言えるが、ハイフェッツの場合には、そのような落とし穴にはいささかも陥っていない。これほどの早いテンポで卓越した技量を披露しているにもかかわらず、技巧臭がいささかもせず、音楽の素晴らしさ、魅力だけが聴き手に伝わってくるというのは、正に、前述のような卓越した技量が芸術を超える稀有のヴァイオリニストの面目躍如と言ったところであろう。両協奏曲の緩徐楽章においても、早めのテンポでありつつも情感豊かに歌い抜いており、このような演奏を聴いていると、ハイフェッツはヴィルトゥオーゾヴァイオリニストの第一人者として広く認知はされているが、血も涙もある懐の深い大芸術家であったことがよく理解できるところだ。いずれにしても、本盤の両協奏曲の演奏は、ハイフェッツの全盛期の演奏の凄さを大いに満喫させてくれる圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。これだけの超名演だけに、これまでハイブリッドSACD化など高音質化への取組がなされているが、これまでのところ、私としては数年前に発売されていたSHM−CD盤よりも本Blu-spec-CD盤の方が良好な音質であると言える。もっとも、ハイフェッツ全盛期の超名演だけに、メーカー側の段階的な高音質化という悪質な金儲け主義を助長するわけではないが、今後はシングルレイヤーによるSACD盤で発売していただくことをこの場を借りて強く要望しておきたい。

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     2013/03/24

    チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルによるブルックナーの交響曲集のSACD盤がついに発売された。本セット盤には、ブルックナーの交響曲第4番、第6番、第7番、第8番がおさめられており、このうち第8番については、先般、アルトゥスレーベルから同一音源のシングルレイヤーによるSACD盤が発売されており、厳密に言うと、初SACD化は第4番、第6番、第7番の3曲ということになる。もちろん、本セット盤はハイブリッドSACDであるし、ベルリンのスタジオにてDSDマスタリングが行われていることから、第8番についても、同じ音源によるSACDでも音質の性格はかなり異なるものとなっていると言える。因みに、EMIから発売されているこのコンビによる通常CD盤では、第4番が1年前の1988年のライヴ録音、第6番は同一音源、第7番は4年後の1994年のライヴ録音、第8番は3年後の1993年のライヴ録音であり、第7番及び第8番については来日時の本盤の演奏の方を高く評価する音楽評論家が多いことなどに鑑みれば、高音質SACD化がなされた本セット盤こそは、チェリビダッケによるブルックナーの交響曲選集の決定盤と言っても過言ではあるまい。チェリビダッケは生前、自作を除いては自らの演奏のCD化(LP化)を一切禁じていた。表向きは、実演をCD(LP)では表現尽くすことができないというのがその理由であったとされるが、ベルリン・フィルの芸術監督に係るフルトヴェングラーの後継者争いで敗退したカラヤンに対する対抗意識も多分にあったのかもしれない。それ故に、チェリビダッケの演奏を聴くことは実演以外には不可能になったことから、あまたの海賊盤が跋扈するとともに、その存在の神秘性が高まっていくことになった。我が国にも来日し、その際の演奏がFMでも放送されたことから、一部に熱烈なチェリビダッケファンを生み出したのも記憶に新しいところであるが、殆どのクラシックファンにとっては縁遠い幻の指揮者的な存在であったと言える。もっとも、チェリビダッケの没後には、遺族の了解を得て、ミュンヘン・フィル(EMI、来日時の演奏についてはアルトゥスやソニー・クラシカルなど)や、さらにそれ以前のシュトゥットガルト放送交響楽団(DG)などとのライヴ録音が相当点数発売されることになり、一般のクラシック音楽ファンでもチェリビダッケの芸術を味わうことができるようになったところだ。正に、幻のベールを没後になって漸く脱いだのである。チェリビダッケは、カラヤンをはじめ同業者への罵詈雑言を浴びせ続けていたが、これは罵詈雑言の対象となった指揮者のファンならずとも、決して気持ちのいいものではなく、このことが現在におけるチェリビダッケに対する評価が二分されている理由であると言えるのかもしれない。チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということなのであろう。楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢で練習に臨むとともに、かなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのがミュンヘン・フィルであったと言える。チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追及しようというものではない。むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、正に音のドラマ。これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらないと言える。ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、一音一音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたと言えるが、チェリビダッケの場合は、音の一つ一つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは一つ一つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であったと言える。したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、ブルックナーの交響曲についても、そうしたことが言えるのではないだろうか。EMIから発売されている通常CD盤で言うと、第5番、第8番、第9番については、超スローテンポによる演奏は、間延びした曲想の進み方に違和感を感じずにはいられないところであり、熱狂的なチェリビダッケのファンはともかくとして、とても付いていけないと思う聴き手も多いと言えるのではないかと考えられる。これに対して、第3番や第4番、第6番などは、その極大なスケールに圧倒されるところであり、チェリビダッケだけに可能な個性的な名演と評価し得るのではないかとも思われるところである。もっとも、EMI盤では違和感を感じさせた第8番も、本セット盤におさめられた演奏は、チェリビダッケがこよなく愛した日本でのコンサートのライヴ録音ということもあって、同じく超スローテンポであっても、演奏の密度の濃さもあって冗長さを感じさせないと言えるところであり、必ずしも私の好みの演奏ではないが、音のドラマとしては十分に合格点を与えることが可能な名演と評価し得るのではないかと考えられる。これは、第7番についても同様のことが言えるところであり、これらのことを総合的に勘案すれば、本セット盤は、ブルックナーの交響曲に深い愛着を持ち続けたチェリビダッケがその晩年に到達し得た自らの指揮芸術の集大成とも言うべき名セット盤と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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     2013/03/24

    マリス・ヤンソンスは、バイエルン放送交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という、世界でも超一流のオーケストラの音楽監督を兼任するなど、名実ともに、同じく指揮者であった父親のアルヴィド・ヤンソンスを超える現代における大指揮者の一人であると言えるが、本盤におさめられたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、そしてストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」は、バイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任して1年後のライヴ録音だ。ヤンソンスは、祖国ロシアにおいて、ムラヴィンスキーの統率下にあったレニングラード・フィルの副指揮者をつとめ、ムラヴィンスキーの薫陶を受けるとともに、カラヤン国際指揮者コンクールにおいて第2位入賞を果たすなど、カラヤンの影響も少なからず受けることになった。それだけに、ムラヴィンスキーとカラヤンによる得意のレパートリーであったチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」については、両者の演奏のそれぞれの長所を採り入れた演奏になっていると言えるのではないだろうか。演奏全体の引き締まった造型美とテンポ設定については、ムラヴィンスキー直伝の神経に貫かれた演奏とも言えるところであるが、これにカラヤンの演奏が有していた豪壮華麗さが付加された、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏こそが、ヤンソンスによる本演奏ということになるのではないかと考えられるところである。また、実演ならではの強靭な生命力やトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫においてもいささかも不足がないところであり、若き日のヤンソンスがオスロ・フィルとともにチャイコフスキーの交響曲全集をスタジオ録音(シャンドスレーベル)した際の「悲愴」の演奏よりも格段に優れた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。他方、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」は、ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団とのほぼ同時期のライヴ録音が存在している。当該演奏と本盤の演奏は、アプローチ自体は酷似していることから、オーケストラの違いということになるが、両オーケストラともに技量は卓越したものがあり、後はオーケストラの音色の好みの問題と言えるのではないかと考えられる。いずれにしても、本盤の演奏は、ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団との演奏と同格の素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は、1994年のライヴ録音ということもあって、従来CD盤でも比較的満足できるものであったが、今般発売されたBlu-spec-CD2盤は、従来CD盤とは次元が異なるような優れた高音質に蘇ったと言えるところだ。もっとも、ヤンソンスによる素晴らしい名演だけに、メーカー側の段階的な高音質化という悪質な金儲け主義を助長するわけではないが、今後はSACD盤で発売していただくことをこの場を借りて強く要望しておきたい。

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     2013/03/20

    メシアンのトゥーランガリラ交響曲は、近年では録音点数もかなり増えてきており、クラシック音楽ファンの間でもその人気が少しずつ高まりつつあると言える。前衛的な典型的近現代音楽であるだけに、演奏の方もそうした前衛性に光を当てた切れ味鋭いシャープなアプローチによるものが多いと言えるのでないかと考えられる。そうした中で、本盤のプレヴィンによる演奏は、複雑で難しい同曲の構造を明瞭に紐解き、できるだけわかりやすい演奏を心がけたと意味において、極めて意義の大きい名演と言えるのではないだろうか。ポピュラー音楽等の世界からクラシック音楽の世界に進出してきたプレヴィンの演奏は、そうした異色の経歴を反映して、聴かせどころのツボを心得た、正に聴かせ上手の演奏を行っていると言えるが、こうしたアプローチによって、一般的には親しみにくいと評されていた楽曲を、多くのクラシック音楽ファンにわかりやすく、なおかつ親しみを持ってもらうように仕向けてきたという功績には多大なものがあると言っても過言ではあるまい。本盤のメシアンのトゥーランガリラ交響曲の演奏も、そうした列に連なるものと言えるところであり、複雑で輻輳した同曲の楽想が、プレヴィンによる演奏によって、明瞭に解析され、多くのクラシック音楽ファンに身近な存在するように貢献した点については高く評価しなければならないと考えられるところだ。もっとも、プレヴィンの演奏が、単なる大衆迎合型の演奏に陥っているわけではない。多くのクラシック音楽ファンに同曲の魅力を知らしめようという姿勢を持ちつつも、テンポの大胆な振幅や思い切った強弱の変化など、ドラマティックな表現を駆使しており、演奏全体に漂う気迫や緊迫感においても、いささかも不足はないと言えるところである。クラシック音楽ファンが同曲の演奏に求める様々な期待の全てに応え得るこのような本演奏を成し遂げたということは、プレヴィンが、同曲の本質を深く理解するとともに、愛着を有している証左とも言えるところだ。いずれにしても、本演奏は、プレヴィン&ロンドン交響楽団が成し遂げた同曲演奏史上でも最も明晰でわかりやすい名演であると高く評価したいと考える。音質は、1977年のスタジオ録音であるが、もともと録音面で定評があり、従来CD盤でも十分に満足できる音質であった。しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、このようなプレヴィンによる素晴らしい名演を、現在望み得る超高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2013/03/17

    サン・サーンスは、番号付の交響曲を3曲、そして番号が付かない交響曲を2曲の合計で5曲にわたる交響曲を作曲している。この中で、交響曲第3番のみが「オルガン付き」という愛称もあるせいか極めて有名であり、その他の交響曲については無名の存在で、演奏すらされることが稀である。したがって、録音も、その殆どが交響曲第3番のみであり、サン・サーンスの交響曲全集を録音した指揮者は殆ど限定的であると言える。そのような状況の中にあって、フランス人の超一流の大指揮者マルティノンが、最晩年にサン・サーンスの交響曲全集のスタジオ録音を遺してくれたのは、クラシック音楽ファンにとって実に幸運なことであったと言えるのではないだろうか。マルティノンは、交響曲第3番については、5年前にも同じフランス国立管弦楽団とともにスタジオ録音(エラート)しており、その再録音を含めて、交響曲全集のスタジオ録音を行ったということは、マルティノンの本全集の録音にかける並々ならぬ意欲と、サン・サーンスという母国の大作曲家への深い愛着と敬意を窺い知ることが可能であると言えるところだ。それにしても、演奏は素晴らしい。マルティノンは、持ち味である力強さ、メリハリのついた明快さ、そして繊細な抒情などを全て併せ持つ多種多彩な表現力を駆使した剛柔のバランスのとれた演奏ぶりが際立っており、そうした指揮芸術が、サン・サーンスの各交響曲、とりわけ演奏機会が極めて限定的な交響曲第3番を除く他の交響曲の魅力を引き出すのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。また、各楽曲の細部における入念な表情づけも抜かりなく行われており、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの浅薄な演奏にはいささかも陥っていない。そして、それら細やかな表情づけが施された各旋律の端々からほのかに漂ってくる独特の瀟洒な味わいは、これぞフランス風のエスプリと評しうるものであり、その何とも言えない美しさには抗し難い魅力が満ち溢れていると言える。なお、交響曲第3番については、前述のエラート盤も名演であるが、オルガンのマリー=クレール・アランの存在感に際立ったものがあり、マルティノンの指揮芸術をより味わいたいというクラシック音楽ファンには、ベルナール・ガヴォティによるオルガン演奏がより抑制的であることもあり、本演奏の方をおすすめしたいと考える。いずれにしても、本盤のマルティノン&フランス国立管弦楽団ほかによるサン・サーンスの交響曲全集は、その絶対数が少ないこともあり、究極の決定的な名全集と高く評価したいと考える。音質は、1975年のスタジオ録音ではあるが、数年前にリマスタリングされたこともあって比較的良好な音質であると言えたところだ。このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、マルティノンによる最大の遺産の一つでもある至高の超名演・名全集を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを喜びたい。最後に一言。EMIは、シングルレイヤーSACDシリーズが一段落した後も、ラトルの一連の録音のハイブリッドSACD化、新譜のハイブリッドSACD盤での発売、そして4月にはカラヤンの生誕105年を記念してシングルレイヤーSACD盤の発売が予定されている。同じく大手のユニバーサルが、シングルレイヤーSACD&SHM−CDシリーズを取りやめ、再び中途半端なSHM−CD盤でお茶を濁しているのに対して、EMIの積極的なSACD盤の発売について大いに歓迎したい。ユニバーサルは、EMIの爪の垢でも煎じて飲むべし。ネット配信に対抗する唯一の手段はSACDであることを今一度再認識すべきであることをユニバーサルに対して強く訴えかけておきたい。

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     2013/03/10

    本盤におさめられたラヴェルの管弦楽曲集は、マルティノンによるドビュッシーの管弦楽曲集と並ぶ最良の遺産である。マルティノンは、シカゴ交響楽団の音楽監督時代にもラヴェルの管弦楽曲集をスタジオ録音(1964〜1968年)しており、不遇とされていた時代にあっては、決して良好な関係にあったとは言い難いこのコンビによる演奏の中では最高の名演と言えるものであった。しかしながら、本盤の演奏のレベルの高さは、当該演奏の比ではないと言える。何よりも、不遇であったシカゴ交響楽団の音楽監督を離任し、愛する祖国フランスの最高峰のオーケストラ、パリ管弦楽団を指揮しての演奏だけに、マルティノンも得意のラヴェルの管弦楽曲の演奏に臨んで、気持ちの高揚がないということはあり得ないことである。当時のパリ管弦楽団は、初代監督のミュンシュが急逝し、その後、カラヤン、ショルティと他国の大指揮者を監督に頂いたが、同国人であるマルティノンの下でこそ、その本領を十二分に発揮し得たと言えるだろう。指揮者によっては、事なかれ主義的な演奏に終始するパリ管弦楽団ではあるが、本盤の演奏は、マルティノンを指揮者に頂いて、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の名演奏を展開していると言えるところだ。マルティノンも、持ち味である力強さ、メリハリのついた明快さ、そして繊細な抒情などを全て併せ持つ多種多彩な表現力を駆使した剛柔のバランスのとれた演奏ぶりが際立っており、そうした指揮芸術が、ラヴェルの華麗にして精緻な極上のオーケストレーションの魅力をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。また、各楽曲の細部における入念な表情づけも抜かりなく行われており、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの浅薄な演奏にはいささかも陥っていない。そして、それら細やかな表情づけが施された各旋律の端々からほのかに漂ってくる独特の瀟洒な味わいは、これぞフランス風のエスプリと評しうるものであり、その何とも言えない美しさには抗し難い魅力が満ち溢れていると言える。いずれにしても、本盤のマルティノン&パリ管弦楽団によるラヴェルの管弦楽曲全集は、クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による全集と並んで、古今東西の指揮者による多種多様なラヴェルの管弦楽曲全集に冠絶する至高の名全集と高く評価したいと考える。音質は、長年にわたって国内盤が廃盤であり、かつて発売されていた従来CD盤は今一つと言えるものであった。このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、マルティノンによる最大の遺産の一つでもある至高の超名演、名全集を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2013/03/09

    テンシュテットの最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集であることは論を待たないと言えるのではないだろうか。テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る交響曲第8番の録音(1986年)の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。したがって、1986年以降の演奏は、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開することになるのであるが、それ以前の演奏についても、いささかも妥協を許さない全力投球の極めて燃焼度の高い渾身の演奏を繰り広げた。そうしたテンシュテットの指揮芸術は、最も得意としたマーラーの交響曲の演奏において如実に反映されていると言えるであろう。テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施していると言える。かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない。)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。
    テンシュテットは、マーラーの交響曲第1番を1990年にもシカゴ交響楽団とともにライヴ録音しており、当該演奏の方がオーケストラの優秀さも相まって最高峰に君臨する名演であるというのは自明の理ではあるが、本盤におさめられた交響曲第1番の演奏も圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。オーケストラは必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本演奏を超名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、1977年のスタジオ録音ではあるが、数年前にリマスタリングの上でHQCD化がなされたこともあり、比較的良好な音質であると言えたところだ。このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、テンシュテットによる圧倒的な超名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2013/03/03

    本盤には即興曲全曲を軸として、舟歌や子守歌、ボレロ、新練習曲、タランテラ、そしてアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズなどがおさめられているが、いずれもルービンシュタインならではの素晴らしい名演と高く評価したいと考える。古今東西の数多くのピアニストの中でも、ショパン弾きとして名を馳せた者は数多く存在しているが、その中でも最も安心してその演奏を味わうことができるのは、ルービンシュタインを置いて他にはいないのではないだろうか。というのも、他のピアニストだと、古くはコルトーにしても、ホロヴィッツにしても、フランソワにしても、演奏自体は素晴らしい名演ではあるが、ショパンの楽曲の魅力よりもピアニストの個性を感じてしまうからである。もちろん、そのように断言したからと言って、ルービンシュタインが没個性的などと言うつもりは毛頭ない。ルービンシュタインにも、卓越したテクニックをベースとしつつ、豊かな音楽性や大家としての風格などが備わっており、そのスケールの雄渾さにおいては、他のピアニストの追随を許さないものがあると言えるだろう。そして、ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、ショパンと同じポーランド人であるということやショパンへの深い愛着に起因すると考えられるが、ルービンシュタイン自身がショパンと同化していると言えるのではないだろうか。ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているような趣きがあるとさえ言える。何か特別な個性を発揮したり解釈を施さなくても、ごく自然にピアノを弾くだけで立派なショパンの音楽の名演に繋がると言えるところであり、ここにルービンシュタインの演奏の魅力があると言える。本盤におさめられた即興曲全曲や舟歌、子守歌、ボレロ、新練習曲、タランテラ、そしてアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズなどについても、そうしたルービンシュタインならではの情感豊かでスケール雄大な名演だ。もちろん、これらの楽曲には、様々な個性的な名演が多く存在してはいるが、楽曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、本盤の演奏の右に出る演奏は皆無であると言えるのではないだろうか。また、演奏全体を貫いている格調の高さは比類がなく、これぞまさしく大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。これだけの素晴らしい名演であるだけに、高音質化への不断の取組が行われてきたところであるが、今般発売されたBlu-spec-CD2盤は、これまでで最も良好な音質であると言える。もっとも、ルービンシュタインによる素晴らしい名演でもあり、メーカー側の段階的な高音質化という悪質な金儲け主義を助長するわけではないが、今後は、シングルレイヤーによるSACD盤で発売していただくことをこの場を借りて強く要望しておきたい。

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