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てつ さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/04/14

    この演奏は聞いた方が良いと思います。クルレンツィスは彼自身がインタビューで言っている様に「スコアから人と違うことを読み取ることが出来る」のであり、それを具現化しています。その意味で既存概念とは違うものを常に求めており、この演奏もそうです。いつもの通り、繰り返されるパッセージには必ず違うニュアンスを与え、デュナミークには細心の注意を払います。なるほど、と思わせる第一楽章第一主題とか、あれ、電源落ちたかな、と思わせる様な第二楽章冒頭とか。今回も彼の想いが詰まっています。私は好き嫌いではなく、こういうクルレンツィスの姿勢を支持します。クラシック音楽も常に新しい可能性にチャレンジしないといけない。スコアから限りない可能性を読み取り、表現する演奏者を心から支持します。だからこの演奏に対して、従来の尺度で批評することは適当ではないと思います。クルレンツィスとムジカエテルナの挑戦についてどう思うか、という観点のみで批評するべきと思います。この演奏は「好き嫌い」だけではなく、そのものの価値について考えるよう、我々に要求する、そういう演奏です。その上であえて言いますが、彼らの既存の演奏よりも「おおっ!」と思わせるところが多くない。ベートーヴェンの7番については他にもスコアを読み込んでこの曲の真価に迫ろうとした演奏が少なくない。私の知る限りアダム・フィッシャーの方が「そうだったのか」と思わせる部分が多い。ヨッフムも、もっと立体的に構造しようとしたと思います。それにクルレンツィスの演奏は今回やや神経質的ですが、フィッシャーもヨッフムも、こだわりながら従来的「聞かせる」演奏にも寄り添っています。この曲にのみ関して言えば、クルレンツィスも最大限頑張った、と思えるもの、唯一無比の表現を提供してくれた、とは言い難い。それでも若い指揮者はこのディスクを聞いて「世界は広い」ということ知って欲しいと(ちょっと偉そうに)言いたくなる、そういう演奏です。だから、やっぱり、このディスクは聞いた方が良いですよ。

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     2021/04/08

    ブルックナーの合唱曲は全て、ブルックナーの世界そのものである。特にモテットは交響曲のような構造上の問題がないこともあり、ブルックナーの和声に身を浸すことのできる至福の瞬間である。日本には早くからペータース版の楽譜が輸入されており1970年代には既にアマチュア合唱団のレパートリーだった。WAB11,23,30,51あたりは大名曲だが,
    特にWAB52のVerga Jesseはブルックナー合唱曲の白眉とも言える。これほどの名曲揃いだが、録音となると1966年のヨッフム、85年のフレーミヒ、98年のガーディナーあたりが国内盤で入手出来たものの、ミサと併録が多こともあり、録音に恵まれていた曲とは言えないだろう。そんな中登場したこのディスクだが、とにかく上手い。ヨッフム盤ではオールドスタイルでヴィブラートかけまくりのヴェルディのような合唱だったが、ここでは恐るべきノンヴィブラートで静謐かつ至純のハーモニーが聴ける。これは本当にありがたい。また最高傑作のVirga Jesseはブルックナーの指定がallabreveであるものの、これで演奏するとフレージングがせせこましくなるため、4/4が望ましいのだが、この辺りもしっかり押さえてくれている。クラーヴァは決して大袈裟にならず、節度を保った指揮であり、それがモテットにはふさわしい。重箱の隅をつつくと少しバスが弱いが、逆にそれがハーモニーの純度をあげているとも言えるし、ブルックナーのモテット集の名盤の誕生を喜びたい。ブルックナーはカトリックだったので宗教曲が多いが、自身がリンツで男声合唱団にいたこともあり、男声合唱の世俗曲も多い。ところが録音はほとんどない。あと3年で生誕200年だし、どこぞで録音してくれないものだろうか。

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     2021/03/24

    ベビーフェイスと早熟の天才性、屈託のない美音。陽光のヴァイオリニスト、ギル・シャハム。DGへのデビューアルバムが16歳の時だった彼ももう50歳。白髪は増えたものの、その美音と伸びやかさは健在。2018年の来日公演がBSで放映されているが、クライスラーなどシャハムの美音と音楽性がマッチすると、もう無双状態である。そのシャハムが初のベートーヴェンの協奏曲を録音した。彼のディスコグラフィーを見ると、ベートーヴェンはソナタの録音がなくロマンス2曲だけだった。冒頭のティンパニを聞けばわかるがパートナーはHIPオケ。プロデューサーは実質シャハム自身ではないかと思われ、その意向が大きく反映されている。ベートーヴェンは一言で言うとシャハムの美音とHIPスタイルの融合。シャハムは決してノンヴィブラートじゃない。このスタイルなら、HIPじゃなくて、グランドスタイルでやって欲しかった、と思ってしまう。第三楽章の前にティンパニ必要なの?それならこれだけの音を朗々と響かせて、横綱相撲を取って欲しかった。スタイルが噛み合わないと思えてしまう。しかし、そんな私のようなゲスの考えは当然シャハムの想定内。聞き手のこういう固定概念こそが、彼の音楽の敵ではないのか。同じスタイルでの演奏こそ、自己模倣に陥ることになり、音楽家の敵ではないのか。このベートーヴェンはそういうシャハムの声が聞こえる。良し悪しではなくシャハムの「現在」を聞かなければならないのである。ブラームスは手を加えておらず、カデンツァもヨアヒムなので、意外と大人しい。シャハムの基本的アプローチはアバド盤と変わらないが、今回フレージングに伸びやかさが加わっており、再録音らしさが出ている。でも、アバド盤をもう一度よく聞いたら、アバドが結構リズムをたたみ込んだり工夫しているのがわかった。そうなるとやはりBPOとザ・ナイツでは格の違いが出てしまうのは仕方ない事だ。ベートーヴェンでは冒険するのにブラームスではしないのか。もしかしたら、シャハムはベートーヴェンに対して特別な意識を持ってるのかもしれない。満を持しての録音と思うが、それは過去の名盤、いやシャハム自身の過去とは一線を画したものだった。これがシャハムの矜恃なのだろう。そうだ、そもそもシャハムは「FOR TWO」シリーズとか、ちょっと違う路線が好きだったのだから。シャハムは協奏曲よりも室内楽が良いのかもしれない。また、来日してくれたら絶対に行きたい。ピアノは長年の盟友、江口玲氏でお願いします。

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     2021/03/06

    一聴して「ホーネックってこんな凄い指揮者だったっけ」とビックリした。既出のエロイカ、5番、7番は現代オケにおける従来アプローチにHIP的要素を加えて見通しの良さ狙いだったと思うが、この9番は現代の大オケに自らの読みとHIPアプローチを徹底させたものであり、あくまでHIPありきな点が無比と言っても良いのではないだろうか。ホーネックの深い読みについては村井先生がご指摘いただいているので、是非そちらを参照いただきたいが、この結果「彫りの深いHIPアプローチ」演奏がここにある。インテンポには拘らず、じっくり歌うところは歌う従来型アプローチでHIP演奏しているのだ。これを聞くと、あんなに良かったと思うパブロ・エラス=カサドの演奏が「ちょっとキツすぎる」と思えてしまうほどだ。それにしても、ピッツバーグ交響楽団もよくここまでやってくれたと思う。例えば村井先生ご指摘の第一楽章コーダにおける弦のスル・ボンティチェロなんて、どことは言わないが日本のオケでやろうとしたら総スカン食いそうな気がするけど、よく応じていると思う。ホーネックへの信頼の証ではないだろうか。この路線で突き進めば、このコンビは無双状態だと思うが、これだけの演奏を実現するための努力をしている事に心から敬意を表したい。

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     2021/03/04

    人は追憶には抗うことができない。追憶の中で生きている。そして、その追憶は、リマスターに弱い。1994年、私は広島で彼の演奏会を聞くことができた。曲目はグリーク 。アンコールはラヴェルの鏡から。グリークというのがなんとなくリヒテルのイメージと合わなかったのもあり、どうしようかな、と悩んだが一度は聞いておきたいと言うのが演奏会に行った動機だった。いつもの通り舞台を暗くしてヤマハを弾くリヒテル 。しかしその音は想像を超えていた。彼のピアノは打楽器であり、フレームの鋼鉄が唸りを上げていた。トロルドハウゲン婚礼の日の凄まじい音は今でも脳裏に残っている。リヒテル以降こういうピアノの音に出会ったことがない。キーシンが少し近かったくらいである。そのリヒテルが残したディスクがこれ。私は旧STR33353を所持しているが、故宇野功芳氏が「本当にすごい演奏はレコードに入りきらない」と言っていたのが残念ながら実感できた。しかし、リマスターされたと聞けば、ああ、もしかしたら少しでも私の追憶に近づくことができるのではないか、と思ってしまい、ポチってしまった。さて、追憶はさておき、このディスク自体は、少し録音が遠いが、リヒテルの叙情は十二分に伝わる。夜警の歌がじっくり聞かせるし、蝶々はリヒテルのピアニズムの発露。どんな曲にもリヒテルの想いが詰まっている。この曲集のディスクとしては全集を除けば最も良いと思う。有名なギレリスのDG盤は、残念ながら夜警の歌とか、トロルドハウゲンや、佳曲のOP54-2のGANGERとかが入っていないのが痛い。このリヒテルに並ぶのはアンスネスだが、ディスクがばらけているので、まとめて欲しい。グリークのこの曲集、彼の一生の友のような曲集だし、名曲の多さと、始まりと終わりが輪のようにまとまる良さも相まって、もっと多くのピアニストに取り上げてもらいたい。ところで、今回のリマスターはレンジが広がり一聴して「よくなった」とわかるものだったが、リマスターに劇的向上なんて言葉は似合わない。それにしても、それがいつも期待以上の劇的効果をもたらすことはない、とわかっていても、追憶はリマスターに弱いことを思い知った。これを思い知ってもなぜまた繰り返してしまうのだろうか。リマスター自体が既に追憶なのかもしれない。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/03/01

    うむ〜、全部持っているのに、リマスターでセット化ですかぁ。おそらく良くなっているのは間違い無いけれど、買い直すかと言うと即決できないなぁ。でも、Altusは、通常盤→HQ盤→SACD→アナログレコードという四変化が得意だから、ここは冷静に見送るか。いや、でも欲しいなぁ・・と二転三転のファン心理なのでした。我が祖国はもう説明の必要がない大名盤だけど、1965年の3枚がイケてます。筋肉質のクーベリックとバイエルン、これを聞いた当時の方は、「すごい」としか思えなかったでしょう。私はヒンデミットはサロネンと並ぶ名演だと思うし、フランクももっと注目されてしかるべきだと思っております。あーでもものディスク買うなら、NHKのDVD買えるんだよなぁ。でも欲しいなぁ。レビューでもなんでも無い独り言になってるなぁ。このリマスター盤は所持していないけど、レビューに書き込みしてしまいました。スミマセン。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/01/05

    良い演奏は冒頭を聞けばわかる。29番第一楽章を聞いたら「マッケラスってこんなに凄かったのか」と本当に瞠目した。マッケラスと言えば、今でも”ウィーンフィルとのヤナーチェクだよね”と私も思っていたし、ブレンデルがマッケラスをパートナーに選び、再録音したモーツァルトの協奏曲がリリースされた時に購入したが、「なんでマッケラスだったんだろう」と言うことが私には当時全くわからなかった。ところがマッケラスは1992年から始まったECOとの関係の中で、早くからこのモダンオケにピリオド奏法とナチュラルホルン、トランペット、ティンパニを導入、新しい表現を目指していた(これはライナーに書いてあったから事実だろう)。その終着点とも言えるのが2007年と9年に録音されたこのディスクである(レクイエムは2002年)。特に最晩年の29、31、32番とハフナーとリンツは物凄い名演。29番は優しい響きの中にも立体的な響きと、細かいニュアンスの両立が奇跡に近い。これを聞いてしまうと、勢いが良い29番の冒頭とかもう聞きたくなくなる。また、ハフナーはピリオド奏法でありながら推進力と暖かみが両立し、また各声部の音量調整が見事。第一楽章の終結部とかたまらない。特に第二楽章がここまで心に染みる演奏は他では聞けない。三楽章はリズム処理が見事だし、終楽章もしっかり鳴らしてくれる。リンツに至ってはこの美点にスケール感が加わるのだから鬼に金棒とはこう言うことを言うのだろう。従来のピリオド演奏では曲の構成感とインテンポのためにモーツァルトの持つ慈愛が失われていたんだなぁと改めて気付くことになった。38−41も悪かろうはずがない。プラハは演奏の難しい曲だが、対位法の良さを引き出しながら、細かいニュアンスに心がこもる。それがジュビターになるともう一つギアを上げて曲にふさわしくボリュームアップする。やはりこの曲は別格なんだなと思わせる。このディスクの素晴らしさについてはいくらでも書けるが、従来のSACDから通常CDになったがボックス化して求めやすくなったし、これを機に多くの方にマッケラスの至芸を聞いて欲しいと願わずにいられない。なお、ブックレットに記載されたSCOのドナルド・マクドナルド総裁(なんちゅうお名前じゃー)の「Some reflections and reminiscences」と言う寄稿は、2020年の8月に書かれたもので、没後10年経ってもなお、マッケラスへの敬愛をはじめ、ブレンデルやラトルとのエピソードやこのディスクに対する誇りが記載されており、心に残る。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/12/26

    ユーリ・エゴロフは「意志をピアノに込める」ことができるピアニストだったと私は思っている。彼にはロシアピアニズムの系譜とも言える、力強い打鍵はない。しかし、彼の出す音には彼の感情とか意志が詰まっている。どうしてエゴロフがこう言う音を出せるようになったのか、私は知らない。でも、カーネーギーホールライブのショパンの幻想曲を聞けば、リリシズムの上に強い意思が聞こえてくる。冒頭などはまるでシベリアのツンドラのようだ。何もない寂寥の世界。こう言う表現が出来るのがエゴロフだ。だからエゴロフは短調の曲が似合う。皇帝よりモーツアルトの20番が似合うのだ。このアルバムのジャケの屈託のない笑顔の奥底に、エゴロフ自身だけが知る世界があった。このアルバムは、そう言う孤高のピアニストのエッセンスが詰まっている。エゴロフは走り去ってしまったが、もし、彼を聞いたことがない方がいれば、是非聞いて欲しいと願わずにいられない。死後32年、でも彼の音楽はこうやって聞き継がれている。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/12/10

    僭越ではあるが、「よくぞ大賞に選んだ」と思う。交響曲部門での大賞受賞なので、第九について述べさせて頂くと、この演奏は新たな地平を描いたもので価値が高い。何が凄いのかというと、一言で言うと「出したい音にとことん拘った」ことだ。最近の瞠目するべき演奏は、クルレンツィス然り、アダムフィッシャー然り、スコアをよく読み、主としてアゴーギグ中心の表現により、我々に新たな発見をもたらしてくれた。しかしこの演奏は徹底的にデュナミークである。ほとんどインテンポだが、とにかく各声部のバランスに徹底的に拘っている。快速テンポでパワフル的評価が並ぶが、小生から見れば、それよりもこの音のバランス感覚が、いや感覚ではなく計算が凄すぎる。とにかく第一楽章を聞くとわかる。冒頭の6連符から明晰で、第一主題もスケール感を持ちつつ過不足なく全ての音が鳴り響く。展開部のフーガもこれ以上ないバランス。特にホルンの音量調整が細かい。また終結部の木管の扱いも見事。この調子で最後まで計算され尽くす。もちろん声楽も曲の構成の一部だから、綿密にバランスをコントロールされている。こういう演奏だから、一発勝負大感動的ではなく、繰り返し聞くことにより発見できるものが増えてくる。その意味で再現芸術としての「CD」である必然性があり、大賞に選出されたのは、その要素も評価されたのだと思う。

    ところで、この演奏、ライバルがいる。対象に選んだ雑誌の名盤投票でわずかにこれを上回ったアントニーニである。アントニーニの方が録音が早い。第一楽章の終結部などブラインドされたらどっちがどっちかわかないほど同じ路線を模索している。どこが違うかというと、演奏に対する努力の総量を同じと仮定すれば、カサドの方が精緻であり、その分アントニーニは歌に少し振れている。これはもう好みの世界です。

    最後に、私はこの演奏を、素晴らしいとしか言いようがないと思うが、前述の通り往年の名盤と比して、また実演で聞いたら感動するのだろうか。あまりに精緻に描かれた絵よりも、そうでない絵の方に名画が多い。素晴らしいと言いつつ自分の感性に自信が持てなくなる。カサドが本当に来日するのかどうか心配なので、年末のN響との第九チケットの購入を躊躇っていたが、早急に決断しないといけなくなった。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/11/27

    もしかしたら、私たち日本人はこういう演奏が好きなのではないだろうか。オーケストラの雄大な響きを基本としつつ、引き締まったテンポの中で、各声部を際立たせる演奏。基本的に楽譜通りであり、インテンポで、反復もないがしろにしない。巨匠ヤノフスキ、何度も来日してくれていて、私たちにもお馴染みの存在。ベートーヴェンやブルックナーが得意という王道路線。ん?こういう方他にもいなかったっけ。・・スキ?そうだ、スクロヴァチェフスキだ。この演奏を聞いて、ミスターSを思い出し、ああ、この系統の演奏が私は好きなんだと心から思った。おそらくこれを突き詰めるとヴァントに行き着き、方向性としてはクーベリックも見えてくる。このディスクは繰り返すが少し早めのテンポで雄大さと見通しの良さの両立を狙うものなので、スケール感のある奇数番が良い。特にエロイカは、テンポ感を守りつつ、締まった造形美で透徹された名演と思う。5番は既出であり、その素晴らしさについてご存知の方も多いだろうし、7番は昨年の来日時でも低弦をしっかり鳴らしながらも響きはクリアで、聞いていて充実感が半端ない。この系統の指揮者はヴァントもそうだったが1番が精緻で良い。9番はあえてこのスタイルを貫徹し、明晰さの中にこそ、この曲の真価があると思わせる。
    最近のクラシック界はこのような演奏、自分の目指すものを徹底した演奏が引っ張っている気がする。私たちはヴァントやスクロヴァチェフスキを愛してきた。ヤノフスキはその路線を引き継ぎ発展させた。これこそ日本人の琴線に触れる演奏である、と言いたくなる。あながち間違っていないのではないだろうか。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/11/16

    私は、この演奏会をウィーンで聴いている。初めてのムジークフェラインだったのでもう聴きながら心臓バクバクだったことを思い出す。1楽章の最後とか、ティーレマンの身振りは小さいものの、ウィーンフィルが良く鳴っており、指揮者の腕の振りが小さくてもオーケストラはこんな音出すんだなぁって、昔のクナみたいなことを感じていた。細かい部分の作り込みもあって、ティーレマンって本当に巨匠っぽくなってきたなぁと変に上から目線で感心していたものだった。ということで思い入れもあるこの演奏、先日BSを見たら、どうも私の聴いた10/5ではなくて10/13の方を使っていたので、この演奏自体も13日の演奏中心なのかもしれない。もう一度ディスクで聴き込んでみると、やはり冷静になれたのか良し悪しが見えてきた。良いのはなんといってもこの完成度とウィーンフィルの鳴りっぷり。この音を聞いたら誰でも、惚れてまうがな〜という感じ。一方で、そうなんだよなぁ、この演奏ってウィーンフィルのための演奏なんだよなってところが気になる。ティーレマンはピッチャーに良い球投げさせるために乗せまくるキャッチャーみたい、そんな気がする。自分の配球よりもピッチャーを乗せる事が優先なのだ。ピッチャーが首を縦に振るまで、サインは変更される。力関係は明確にピッチャーが上なのだ。このディスクのジャケだって、クレジットはウィーンフィルが先。だから、この演奏には新しい発見とかそういうものはない。細部の隈取りの濃さも、ウィーンフィルにとっての許容範囲内。ウィーンフィルの魅力全開が主目的だから、超の付く名演とは言えないのではないだろうか。極めてレベルの高い予定調和、それがこのディスクなのではないか。これってネルソンスのベートーヴェンの全集でも同じ感じがした。このコンビならもっとすごい事ができるのかもしれないが、それをしちゃおしまいなのよ、というなんとももどかしい感じ。20世紀なら、毎月のように新譜が出ていた。スタジオ録音は、ほぼこの演奏のように高いレベルの完成度を目指していたが、爆演や超名演ではなかった。そんな中でたまに出たライブ盤の中にはものすごい演奏があった。カラヤンや一連のAltusの録音がその代表だ。ところが21世紀になるとメジャーオケの新譜はほとんど演奏会ライブだ。スタジオ録音なんてほとんどない。そうなるとライブ自体が以前のスタジオ録音同様失敗が許されないものになった。だから現在望みうるのはこのディスクのような演奏なのだ。それでもやっぱり、ライブって緊張感と燃焼度の高い物であり、一期一会を望んでしまう。しかしウィーンの聴衆は本当に熱狂していた。そうなのだ。現在これだけのブルックナーをウィーンフィルから引き出せる指揮者って他にいない。ウィーンフィルがやり易い指揮者を選ぶ、なんてたまに言われるが、それを求めているのは実はウィーンという街なのだ。無い物ねだりしてはいけないのかもしれない。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2020/11/07

    これはバレンボイムのみに許された贅沢ではないだろうか。そもそも、ベートーヴェンの全集を5回もリリースする演奏家なんて空前絶後である。長いキャリア、演奏のクオリティ、そして市場価値の3つが揃わないとこんな事ありえないし、それだけでもバレンボイムは称賛に値する素晴らしいピアニストである。さて、このディスク、最近の彼の指揮同様にややゆっくり目のテンポで細部を浮き彫りにする演奏と思う。特に重視しているのは弱音と中低音域。弱音については例え楽譜がp→f→pという指定であっても、音楽の流れ上pで通したり、バレンボイムなりの解釈を徹底している。また熱情の冒頭などは、中低音を重視して、沈み込むような独特の世界を構築しているし、テレーゼの冒頭など、その丁寧な慈愛溢れる音に惹かれた。このアプローチが全曲を通し味わい深さを醸し出している。私は現在のバレンボイムの境地が感じられてとても好ましく思える。ところが、これを機に彼の過去の録音を聞いたところ、このディスクは過去の演奏と決別している事に気付いた。彼の録音、60年台のEMIは「若気の表現意欲」80年代のDGは「類稀な明晰さ」そして2000年代のデッカは「雄大なスケール感」がウリであり、その年代に応じてバレンボイムの表現が変遷していたことがよくわかる(もう一つのDVDからの全集は未聴)。それらを聞いた上で今回の全集を聞くと、明らかに粒立ちの良い高音域を捨て、中低域中心の表現にシフトしている。特に80年代の全集と比較するとそれは歴然である。ハンマークラヴィーアの冒頭など落ち着きすぎているような感がある。極端な言い方をすると超高域カットの録音を聞いているような気になる。その意味で本当に今回の全集は「いぶし銀」というべきものであり、このピアニズムの是非については正直私にはよくわからない。こういう表現が「アリ」なのか専門家の意見を聞きたいとすら思う。それでも私はこの全集が好きだが、賛否はあるやもしれない。もし私がピアニストで、生涯に一度の全集録音しか許されないなら、今回のような演奏はしないだろう。もっと自分の技巧と曲の良さを両立するさせるために努力を払う。でも、バレンボイム はとっくにそんな事やり尽くしている。だからこの全集は、この表現を目指した段階で、バレンボイムにしかできない演奏である。過去があるから、明確にそれとは違うものを目指したのである。やはり私は、その割り切りができる事自体が贅沢ではないか、と思っている。

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     2020/11/01

    クラリネットソナタ第2番はブラームスの最高傑作ではないか、と思うことがある。生涯愛用したテーマで始まる第一楽章は、ブラームスの曲の中で最も優しく沁みる音楽で、特にコーダはほとんどブラームスじゃない。突き抜けた天上の音楽だ。第二楽章は得意のスケルッツオで、短調の曲想がソナタ全体を引き締める。終楽章は素敵な変奏曲。いかにもブラームスっぽいのが堪らない。これだけの名曲なのに名盤となるとウラッハかライスター(オピッツとのオルフェオ盤)かと言ったところ。そこに登場したのがこのディスク。ヴィトマンは初めて聞くが、うーつんさんご指摘のように弱音が素晴らしい。特に終楽章での、sotto voceの音色が沁みる。フレーズの最後の音が綺麗に減衰する。これって相当レベルが高いのではないだろうか。いつもの通りシフの読みの深さも健在。ピアノの音量に細心の集中が図られている。もちろん第一番も名演で、この名曲に新たな名盤が誕生しことを心から喜びたい。ヴィトマンの間奏曲は曲名からしてブラームスへのオマージュであり、作品117の間奏曲が常に聞こえてくる音楽。ヴィトマンは会心の演奏に加えて、シフに自作を演奏してもらえて、音楽家冥利に尽きるだろうなぁ。良かった。

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     2020/10/28

    このディスクは五嶋みどり会心の一枚ではないだろうか。正直私にとって彼女は天才少女のイメージが強く、2013年のバッハ以降、エトヴェシュの協奏曲が出ていたらしいがノーマーク。そもそもワーナーに移籍したことすら知らなかったのだから、申し訳ないと言う感じ。そこに出たこのディスク、コロナ禍中の今年3月の録音!3月だったら日本では学校がもう休みになっており、欧州ではもっと凄い話になっていただろう。そんな時期の録音である。なんと言うか録音してくれたこと自体に感謝するしかない。まずは録音がとてもよく、冒頭のティンパニを聞けばわかる。オーケストラ部分については、分離も定位も良く、理想に近いバランスである。その中で五嶋みどりが格式高いベートーヴェンを奏でる。そう、この録音私からみると「格式が高い」正攻法ど真ん中。他の奏者に失礼かもしれないが余計な装飾一切なく深い音を朗々と響かせる。この曲は皆さんご存知の通りダブルストップとか凝った奏法が少なく、まさに「ヴァイオリンの音と表現そのもの」が勝負の曲だけに五嶋みどりのこの気高さが身に沁みる。特に第3楽章コーダに至っては後光が差すような突き抜け方である。こんな抽象的なレヴューで恐縮だが、五嶋みどりの凄さを改めて知らしめる名盤と思う。次回来日時には必ず行かねばなるまい。よく見るとジャケ写も気高い。まるで巫女のようだ。

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     2020/10/18

    内田光子は現在世界最高峰のピアニストであるから当然素晴らしいが、この演奏を聴いて小生はラトルが何をしたかったのかなんとなく理解できた。このベートヴェン、ラトルは明晰さを志向しており、室内楽的見通し良い演奏である。小生はバーミンガム時代の録音をそう多くは聞いていないが、当然ベルリンフィルより響きは薄かっただろう。そうなるとラトルとしては当然のことながら各声部を生かしたクリアな方向に向かわざるを得ない。この方向性がもっとも結実するのがマーラーだからラトルの名盤にはマーラーが多い。特にベルリンフィルにおいては、オケが従来持つ重厚さとラトルの指向する明晰さが合致するのがマーラーだった。その意味でラトルが演奏したかったベートーヴェンがこのディスクではなかっただろうか。ラトルとベルリンフィルが交響曲でここまで見通しが良い演奏をしたら、賛否両論になる。でも協奏曲ならメインはソリスト。ソリストを生かすという大義名分ができる。だからこういう伴奏が可能になった、と私は勝手に推測している。以前ブレンデルと共演したウィーンフィル との演奏とは大違いである。小生はラトルの本質はこの演奏だと確信している。さて、内田光子はとにかく徹頭徹尾、ピアノの響きを計算し尽くして、高い技術のもと、それを表現する。各声部はどこでもクリアである。一言で言うと「血が通った完璧さ」である。このベートヴェンでもそれは顕著。特に第一番とかは、どこをどう聞かせるという細かい読みが全曲を通じて展開されるすごい名演。第3楽章の冒頭を聴くだけで、どれだけ凄いかはわかると思う。ザンデルリンクとの旧盤は、巨匠の芸風に合わせて内田自身の演奏もスケール感に振れているが、ここではとにかく内田自身の考えるベートーヴェン像を作ることに没頭しているような気がする。そしてラトルにも内田光子にも共通するのは、絶対にダレない、手を抜かない、やり通すという強い意志。一切の綻びを許さない断固とした姿勢である。世の中の録音には「あれ」と気がつくミスがたまに聞かれる。メジャーレーベルでも良くある。でもここにはそんなことは全くない。それはそうだ、ラトルも内田光子も目指す方向性が同じだから。ということで、明晰と完璧が強い意志の下、結託し共演したこのディスク、間違いなく内田光子の代表作としてこれからも輝き続ける名盤である。

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