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SS さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/04/08

    先に出た10枚組のセットでは、録音の安定しているはずの「ばらの騎士」に難があったが、初出のシュヴァルツコップとの「カプリチョ」が嬉しい贈り物だった。今回のPartUでは、既出の「エレクトラ」「影なき女」が打って変わって良好な録音。とりわけ、インゲ・ボルクが絶唱を持続し、ベームの燃焼度がめっぽう高い「エレクトラ」には、ひたすら圧倒され尽くした。ドレスデンのやや硬質の音色も無調に近づこうとするこの曲想にぴったり。その後、シュトラウスは時計を逆に回す愚に出て、反動的な甘い甘い「ばら」に舵を切る。それでも、ホーフマンスタールの香り高い脚本のおかげでレベルを保てた。「影なき女」には少し録音に怪しい箇所があるが、演奏は素晴らしい。55年ころのヴィーンフィルがローカルな美音をふりまきつつ、ベームのストレートな指示に応えるさまは聴きどころの最たるもの。このセットでの贈り物は、初出の「ダフネ」。「アリアドネ」はかつてDGから出たもの。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/11/03

    カール・リヒターのバッハ・カンタータ選集は、バッハを愛する者にとって、いちばんの宝物である。峻厳な表現のなかに清冽な叙情性をたたえた演奏は、唯一無二の素晴らしさで、ピリオド奏法・楽器全盛の今にあっても色褪せるどころか、存在感を増しているかにみえる。もちろん、レオンハルト、アーノンクール、クイケン、ガーディナー、鈴木雅明らの演奏も高く評価しての話である。リヒターの演奏をLP時代から愛聴してきたが、最初に選集がまとめてセットでCD化(国内盤、高価だった)されたものを入手したものの、とくにコーラスに混濁がみられ、全体に鈍重な演奏に聴かれたので、音質改善を首を長くして待ったものであった。今回のイタリア・ユニヴァーサル盤は、ことさら新マルタリングしたものではないようであるが(ドイツ盤と同一マスターか)、少なくとも前述の混濁は少なく、ソロ、合奏でもクリアな音質を齎してくれ、大いに満足に思うものである。もはや「古い録音」に属する本選集ではあるが、とにかく、かれらの真価を知るには十分な音質のCDが、最初の国内盤の五分の一の値段で手に入るのは実に有難く、リヒターに馴染みの少ない人も含め、大方に薦める所以である。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/01/09

    カール・リヒターのバッハは、ひたすらロゴスティックではあるが、染み入るような強い叙情性を併せ持つ。これはまさしくバッハ自身の特質と同一である。感受性の高い時期に聴き込んだかれらのバッハ演奏の記録は、私にとっていつまでも基本であって、古楽全盛の今でも磐石な支柱になっている。翻って「マタイ受難曲」は、やはり大バッハの最高傑作であることは間違いなく、リヒターの特質が最も生かされやすい楽曲といえる。リヒターは、実にありがたいことに、かれの音楽人生の劃期に「マタイ」の録音を残してくれている。最初の録音(58年)が名演の誉れ高い、しかも歌手も適材でかつ豪華な陣容で、追求度のきわめて大きい、シャープな演奏。叙情性も強く打ち出され、受ける感銘の度合いは計り知れない。最後の録音(78年)は、あまりにロマン的な演奏で戸惑うこと甚だしいが、すでに賛否両論が行われ、リヒターの取柄の鋭敏度が小さく、したがって否定的な意見が多いのは致し方ない。この両極端の録音の中間点で、東京でのライブ録音(69年)と、このスタジオで収録された映像作品(71年)が存在する。これらの演奏を上述二点の過渡期とみるか、智情意のバランスがとれた最円熟期に当たるとみるか、の二通りの見方があるが、私は断然後者であるとしたい。さて、リヒターに啓蒙された私としては、リヒターがバッハそのもので、また「神」でもあった。VHDでリヒターのマタイとブランデンブルグ協奏曲が出ていて、早速求めた。神格化されたリヒターが指揮をして、あの峻厳なバッハを編み出していく現場を目の当たりにして、いたく感動したものであった。DVDでようやく出た、リヒターのマタイは、まず絵が見事な綺麗さ。フィルム撮りのお蔭で高精細で色の乗りがよい。しかもマスターの保存状態もよく、ユニテルのコンサートのライブにありがちな画像の不安定さ(テイクごとの画質のバラツキ)がほとんどない。音質は、今まで聞こえなかった通奏低音が明瞭になり、管弦楽のパートの分離が良くなるなど大きく向上。オルガンの強奏などにはっとさせられることも度々であった。リマスタリングはエミール・ベルリナーでOIBP並みに行われている。さて、肝心の演奏であるが、リヒターの統率ぶりは58年盤ほどではないが、圧倒的な部類と言ってよいであろう。それが映像でも確認されるが、リヒター演奏の緊張感の秘密はフレーズの切り上げ方にあるように思われる。事実指揮ぶりを見ていると、叙情的なカンタービレさえ、終点においては腕全体を使って止めのサインをしっかり送っているのが印象的である。それにより音楽に重厚な緊張感、メリハリが付与されるのである。管弦楽と合唱のいずれにもリヒターの絶妙なコントロールの効果がみられる。最初から終曲まで高い緊張を維持して一気呵成に進む58年盤に対し、多少の遊びというか、余裕をもって進められるのである。劈頭を飾る合唱は、ゆっくりで、気分が乗っていないのではと不審がるほどであるが、ペーター・シュライヤーの実直でメリハリのある語りが入ると俄然緊張感が出てきてコラールも生き生きしてくるのが興味深い。映像作品なので、ライブとは最も遠い位置にありながら、即興的な要素が多いのにも驚かされる。基本的には、後半に向けてうなぎのぼりによくなって、ライブのような興奮を覚える。しかし、テンポは最初のようにゆっくりになっている。そして、後半に頻出するヴァルター・ベリーのバスアリアが素晴らしく、熱のこもり方も尋常ではない。ヴィオラ・ダ・ガンバのソロにリヒターのモダンチェンバロの通奏低音が伴奏するベリーのアリアはインティメートこのうえなく、ベリーの芸の幅の広さを感じる。シュライヤーのエヴァンゲリストは、前述のようなメリハリによりドラマの進行にも確かな力がこもり、それがリヒターの特質との相乗効果で独特の劇性が生まれる。音程も安定していて、その点では名手エルンスト・ヘフリガーをしのぐ。いっぽう、エルンスト・シュラムのイエスは穏当で、エヴァンゲリストに負けているような状況もあるが、映像の演出にも助けられ悪くない。女声は、当時としては若手に委ねた形であるが、これもすぐれた映像と相俟って好演である。ユリア・ハマリのアルトは、資質としてヘルタ・テッパーやマルガ・ヘフゲンの後継者として申しぶんない。アメリカ人ソプラノのヘレン・ドナートは明るい声であるが、リヒターのマタイにはこれが合っているのだ。緊張の中に花を添える58年盤のイルムガルト・ゼーフリートと傾向が似ていることに気がついた。映像の演出は、シンプルにも十字架だけの舞台にも、合唱、管弦楽の組み合わせによっていくつかのパターンがあるが、独唱者に焦点を絞った個々のカメラワークはなかなかに丹念で手が込んでいる。エヴァンゲリストは真正面から、イエスはやや後ろもしくは横から、アリアもその詩の内容に応じて、ハマリやドナートでは、顔の輪郭の特徴に応じて、それを生かしたカメラワークを注意深く決めている。いずれにせよ、映像の方は何度も観ると目に付く部分もないではないが、頻繁に観るものではないので、問題なかろう。今回は高画質、高音質になって初めて味わって強い感銘を受けた。バッハの使徒としてのリヒターの厳しさはもちろんのこと、かれの美しい眼差し(目の色)も印象的で、その姿はまさにカントールそのものであった。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/11/23

    アルフレート・コルトーといえば、超ロマン主義から表現主義に至る時代区分に属し、フランス人ながら、大変なヴァグネリアンで、「トリスタン」を上演したこともある。すぐれて表現主義的で、ミクロ的に見ると、テンポルバートが頻出し、あいまいさとミスタッチの連続ながら、全体像は実に音楽的なものである。アドルフ・ブッシュ、エドヴィン・フィッシャーのような精神性ではなく感覚的なところに大変な魅力をもっており、麻薬のような妖しい常習性を伴う。コルトーの演奏は聴き込むと夢にも出てくるようなところがあり、まさに熱病にうなされるが如くで、 トリスタンを聴いた後の得も言われぬ疲労感と類似の症状が認められる。また、コルトーのショパンが絶品なのは言うまでもないが、ポエジーが主体のシューマンも得意で、実際素晴らしい録音を残している。それでは、古典はどうか、といえば、ジャック・ティボー、パブロ・カザルスと組んだハイドンやベートーヴェンの三重奏など、表現主義丸出し(とくにカザルスが)であるにもかかわらず、古典的清澄さを併せ持ったすぐれた演奏が繰り広げられる。
    コルトーのショパンは早くから選集としてEMIからCD化されていて、音質に生々しさはないが、コルトーの特質は何とか掴めた。ティボー、カザルスと組んだトリオはナクソスからも出ていて、これも同じ傾向であった。生々しい音質を誇るオーパス蔵での復刻を期待していたが、コルトーのショパンは出ておらず、上述のトリオやティボーとのフランクのソナタがようやく出て、ピアノの音が美しく、時折、カザルスの大きなうねりを聴いて満足するのであった。そのような状況の中、今回EMIから1919年から戦後にわたるコルトーの録音を集大成したCDが発売された。初めて世に出る録音も多いようで、すべてリマスターされているのがポイント。40枚組を制覇すべく、毎日1〜2枚を聴いている。音質を30年代のエチュード、プレリュード、ワルツで旧盤と比較すれば、ピアノの音が一音一音洗われて粒立ちがよくなったことが第一印象。ただ、かなり現代的な姿になってしまい、ポエジーは明らかに後退しているが、テンポルバートは、あいまいさが排除され、より客観的な観照ができるのはありがたい。針音はごくわずかで、尖がった部分は削られた可能性が懸念されるが、常聴にはノイズが少ないほうが疲れが少ないというメリットもある。最近のリマスタリングはターラのフルトヴェングラー「ウラニアのエロイカ」のようにまったく装いを新たにする例が多く、デモーニッシュな雰囲気が減じられているようだ。19年あたりの録音は小曲集であるが、本来ならノイズに覆い隠されるところが、よく聴くことができる。バハマンもかくや、と思わせる超ロマン的演奏だが、しつこさがなく、どちらかと言えば、新古典主義的な気配すらただよう。23年のウエーバー「舞踏への誘い」は快速ながら崩れのない演奏であり、こうしてテクニックを磨いていたのであろう。20年代後半は、例のトリオが録音されたが、コルトー芸術もその頃がピークであったようだ。ショパンも即興が光る。とりわけ、26年のプレリュードは絶品。そして、ショパンを系統的かつ網羅的に録音したのが、30年代で、かれとしてはオーソドックスそのもの、40年代に入ると魅力は少しずつ減じられていく。
    以上要するに、本セットは愛好家の至宝というにふさわしく、ひろく薦めたい。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/03/21

    モーツアルトの弦楽四重奏曲のピークをなす「ハイドンセット」は、多くの録音があるものの、決定打に乏しい。ひとつには、ヴィオラ2本の五重奏曲の数々を知ってしまうと、その充実した曲想と安定感に較べ、四重奏曲の方が頼りないと感じてしまうことが前提としてある。そこで、聴き応えのする演奏には、まずは四重奏としての中・低弦の充実が必須条件となる。アマデウス四重奏団は、50年代にヴィーン風の雅びた、よい意味での簡素なスタイルから始まり、60年代ころには古典的な清澄さを美点に、ロマン的な傾向に発展していったようだ。かれらがブラームスやドヴォルザークに名演奏を繰り広げたことは、ゆえなきことではないのである。一般にアマデウス四重奏団といえば中庸の美を連想させるが、モーツアルトの四重奏では、古典的な清澄さの枠組みのなか、低弦をおおらかに充実させた結果、優雅なメリハリをもたらしていて、決して凡庸に墜することなく、たいへん聴き応えのする演奏に仕上がっている。五重奏のほうは、さらに掘り下げが深く、しかもブダペスト四重奏団にみられる線的で神経質なところを、構成力や緊張感は損なわず、潤いに満ちた表現に置き換えたような演奏が達成されている。ブダペストが素晴らしい演奏であることは認めるが、残念ながら四重奏のほうは、いずれもモノラルで音質自体も冴えないように思われる。ジュリアード四重奏団も、先鋭さにおいて、かれらにしてはいまひとつだし、大好きなバリリ四重奏団は全部揃っておらず、世評の高いアルバン・ベルクやハーゲン四重奏団に至っては、結局のところ馴染めなかったという経緯もあり、このアマデウス四重奏団の全集は、私にとって甘露の水となったわけである。とりわけ「ハイドンセット」ではKv464が圧倒的名演。彫琢を極めた結果獲得した大きな立体性と、同時にのどかな詩情もあわせもった表現が忘れられない。さらにKv575の緩除楽章は、モーツアルト晩年の簡素な高みがよく引き出されていて、その美しさといったら筆舌に尽くしがたい。単にスタンダードというにとどまらない、楽曲の解釈にみる高い見識とアグレッシブさ、それに美しい響きと音色、安定した録音を併せ持った稀有の全集ということができる。モーツアルト、室内楽を愛する人にひろく薦めたい。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/03/08

    ほんの数えるほどの歌曲と管弦楽曲しか残さなかった、しかもそれらすら一般に知られることの少ない、英国の作曲家、ジョージ・バタワースの音楽世界は、聴くものに真の心の平安を齎してくれる。何とも控えめな表現ながら、自然発生的な歌謡性に満ちており、純粋で、しかも同時代のヴォーン・ウイリアムスにみられるような曖昧さや微温性をよく克服していて、このような特質が、わが琴線をよく共鳴させる。このCDは、英国の演奏家による、かれの歌曲と管弦楽曲の珠玉の作品を一枚にまとめたもので、近来の私の愛聴盤となっている。どれもバタワースの姿をよく伝える名演奏といえる。これらの作品は、いずれも20歳台のものながら、大作曲家の晩年にままみられるような簡素さと深い精神性をあわせ持っていることに気付かされる。然るにバタワースは、第一次大戦に従軍し、ソンムの激戦により31歳で戦死した。不慮の死であったにもかかわらず「晩年の様式」とでもいうべきものが作品に現れた珍しい例として、生物学の岡田節人氏が指摘していたことを思い出す。それにしても20世紀初頭のヨーロッパは、伝統と革新が上手くバランスした実のある芸術運動が数多くなされ、それらに呼応して若き逸材を多く排出した。このタイミングで勃発した第一次大戦は、多くの有能な若き芸術家の命を奪った。あまりにも時代の巡り合わせが悪かったというべきか。カンディンスキーらが主宰したミュンヘンの「青騎士」を舞台に独特の感受性を示した画家、フランツ・マルクやアウグスト・マッケもそうであって、かれらの作品たちも、若いひたむきさが看取されるものの、バタワースと同様に簡素さと、眼差しの純粋さ、永遠性が際立っている。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/03/04

    いずれの演奏も確固たる主張を持った躍動感と愉悦感あふれるもので、すぐれた録音と相まって大いに楽しめた。オーソドックスな流れの中に、古雅ながらしゃれた装飾音が覗くところなど絶妙な塩梅だ。古楽演奏の一つの到達点として高く評価できる。とりわけ、祝祭的気分の横溢したヘンデルは、広く聴いていただきたい演奏。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/02/12

    キャスリン・フェリアーの、器用さとは対極にある、温かみのある、本当に心のこもったコントラルトの歌唱の数々は、私にとって取っておきの宝物である。今回出たデッカによる彼女の集大成は、何枚も重複してはいるが、発売がとても待ち遠しかった。ようやく、手にとって、いくつか聴いてみて、まったくもって感無量で、言葉にならない。しかも演奏については、古くから多くの賛辞が捧げられているので、もう繰り返さない。特記すべきは、すべての録音が、このセットのためにリマスタリングされて聴きやすくなっていること。上質なフェリアの写真(実に魅力的!珍しいものも多数)が、ふんだんにCDケース(15枚)やブックレットを飾っていること。さらに、すべての資料に対するクレジットの記載など、誠意ある編集方針が光るし、ウイリアム・モリス風の模様を上品に配したケースなどのデザインも秀逸。簡単な箇条書きの伝記も要を得ていて、他では得難い資料である。没後60年になろうとするが、いかに英国人のフェリアに対する思い入れが大きいかを、こんなところからも窺い知ることができる。大方に薦めたい。

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     2011/08/22

    何よりも腕利きの職人であったシュトラウスとベームの組み合わせは、ときに圧倒的な芸術的相乗効果を示すことがある。この公演がその例証のひとつ。グルヴェローヴァらによる新盤にくらべ、一見地味なキャステイングにみえるが、セーナ・ユリナッチ、パウル・シェフラー、ジェス・トーマスの至芸と、レリ・グリストの健闘はすばらしい。しかし、なにより、壮年期と言ってもよいベームの、即興性あふれた、きびきびとした音楽に強く魅せられる。まことに実演で大きな力を見せるベームならではで、新盤とは比較にならない。さらに60年代ヴィーン・フィル(ヴァルター・ヴェラーがトップ)の優婉な音色には抗しがたい魅力があり、いっそうの華を添えていた。大方の愛好家にひろく奨める所以である。

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     2011/05/31

    滋味あふれる94番が実に素晴らしい。ベイヌムの真骨頂だ。そして、まろやかなコンセルトフェボーサウンドが実によく採れている。ジョン・カルショー初期のデッカの制作ポリシーのお陰であろうか。

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     2011/05/31

    オルフェオのザルツブルクライブでは、69年のベームのモーツアルト(シンフォニーコンセルタントと33番)と並ぶ、最高の演奏記録で、私の愛聴盤である。オイストラフという人は、高い音楽性を持った真にすぐれた芸術家だと、この演奏を聴いてつくづく思う。この5番は、チャイコフスキーの交響曲の中でもっともヴィーンフィルに適している曲想であるが、他の指揮者ではただ美しいだけで魂が入らない。その点、オイストラフは、実に品格のあるロシア魂を注いで、オケも共感を以て応えているのがよくわかる。千載一遇のチャンスをとらえた貴重極まりない記録である。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/04/06

    ハイドンのシンフォニーは、古楽では満足できる演奏に出会うことはなかった。一方、コンヴェンショナルなオケでは、セルの引き締まった演奏をはじめとして、ヨッフム、ベイヌム、クレンペラー、ベーム等々、名演奏に事欠かない。このビーチャム卿の演奏は、厚手のオケながら、厚化粧では決してなく、上品で軽妙洒脱なもので、とことん楽しく一気に聴かせてくれた。ヘンデルとハイドンは英国勢がよい、とはよく言われることだが、言い得て妙だ、と今回再認識した次第。「四季」も見事な演奏。モーツアルトもなかなかよかった。他のセットだが、フランスもののセットで、グノーの「ファウスト」のバレー音楽が絶品!

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/17

    広く薦めたい。あらゆるジャンルで平均点以上の演奏を聴かせるレヴァインだが、このマーラーは若き日の格別の記念碑で、とりわけ強い感銘と、何より感性に訴えて、聴く歓びを与えてくれる。とくに9番と5番が名演奏で、ネガティヴに語られることの多いフィラデルフィアサウンドが、見事な引き出され方をされ、やや官能性を帯びた弦や金管など、マーラーの世紀末の装いにまことにふさわしい。それに全体の見通しがきいた演奏で、一気に聴かせてくれて、情念による疲労は少ないが、満足感も十分だ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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