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黒熊怪 さんのレビュー一覧 

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/09/08

    非常に見事な演奏。この頃のシカゴ響との関係はこの指揮者の絶頂期だったのだろう。冒頭から極めて緊迫感にあふれた推進で、緩急のつけ方もうまく、嘗てのカール・ショウとのワーグナーに見る、スポーツジムのトレナーのような姿は影を潜め、意外なほど繊細で微妙な表現、美しい曲想を聞くことができる。この理解の難しい偉大な曲は、初演時に第一楽章が省略され演奏されたと云うが、戦時中のフルトベングラーが奇しくもその形で残した、生涯一回のみの演奏とされるBPOとのマグネットフォン録音を今も聞くことができる。フルトベングラーはショルティを後継者に希望したとの噂があるが、その後任はカラヤンだった。カラヤンも実演では取り上げなかった第6番をほぼ同時期に録音した。カラヤンの悲劇性は第二楽章の葬送行進曲を自然に映し出しているが、ショルティの解釈は、これまでの溜飲を下げるかのような力動感のある雄壮な仕上がりとなっている。この曲では極めて深いブルックナー音楽の全貌を捉えることに成功し、今も不動の地位を誇るEMIのクレンペラーの巨大なスケールの演奏が残されているが、ショルティの録音も音楽の歴史に輝く業物だと想う。

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     2016/11/22

    戦後フルトベングラーの第九の比較的に早い時期、ウィーンでのVPOとの演奏。この演奏より前の48年にVPOと英国ロイヤル・アルバートホールでシリーズ演奏の第9が残っているらしいが、それに比べてもかなり若々しい推進力がある。48年当時の写真を見ると、なんと英国の演奏会場では(ワーナー・ベートーベン全集、ブックレットP29)テレビカメラのようなものが映っており、テレビ中継されたのではと思いたくなる。このウィーンの演奏は、音質が随分と改善され聞きやすくなったが、LPの初版に比べて雑音が減った分、会場の雰囲気を伝える情報量がやや少なくなり寂しい気がするが、ただ演奏はさすがに求心的で素晴らしく、VPO内では、フルトベングラーの解釈を外そうとすると諍いが起きたと伝えられたことがよくわかる。かっての一連のチェトラ・シリーズのテープの音は素晴らしかった。史上有名なスカラ座のリングがステレオ録音として紹介され、一部にそのようなフレッシュな音盤が残っており、多くの人の心を高鳴らせたが、こうなると戦後スカラ座でのパルシファルのテープ録音の出現を心から期待したい。エジプト・カイロでの素晴らしいパルシファルの聖金曜日が残っているので、さらに期待は大きくなる。

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     2016/06/04

    NY時代までの彼は、正に破竹の勢いで、驚くべき柔軟性があった。恐らく、春の祭典でこのようなリズム細胞を生き返らせたストラビンスキーの解釈を実現できたのは、この人が最初だろう。しかしクレンペラーが心配したように、あまりに音楽家としての人生を急ぎ過ぎた。実際フランス国立との演奏は稀代の名演として知られ、一般頒布されていないにもかかわらず、世界中の先鋭的な愛好家の間に広まっていった。最高の技術力を誇った米国の楽団とのこの盤は、最も優れた記念碑的的なストラビンスキーの演奏だと思う。また火の鳥は、BBCの見事な切れ味のザックリとした質感のある、それでいて実に若々しい推進力のある演奏。後のNYPとの音響のポタージュ―のような濃厚な演奏と比較しても、当時のブーレーズの斬新な手法は、ストラビンスキーの音楽が映し出す作曲された当時の人々の息吹き、生き生きとした雰囲気が時代を超えて自然に湧き出し、誠に心が躍る。あたかも深遠なソシュールの言語学が、最後のゼミに参加したリードランジェやコンスタンタンの若々しい知的興奮にあふれた講義ノートで、永遠に伝えられたのと同じ感動がある。ペトルーシュカも含めて、これらを凌駕する演奏は当分あらわれないだろう。

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     2016/05/01

    クナー生誕128年なのに、まるで今も生きているかのような新譜が発売予告されるたびに、ただ事ではない反響が音楽愛好家の間で巻き起こる。この人の音楽芸術は正真正銘の業物で、それが高音質で甦る度に、復刻技術の進歩と音楽業界で尽力されている方々に衷心から感謝の念を禁じ得ない。LP時代は細部の像はほとんど分らなかった。最初期のCDもフィルターカット主義の堅い音で、それでも発売と同時に売り切れだった。第7番は、あのターラが最後にオリジナルから復刻した曲だが、クナーとVPOの第7番となると全く別格のCDとなる。師匠の大指揮者ハンスリヒターが、この曲ではテンポの緩急が殆どなく一本調子だったというが、直弟子クナーも同様で、まるでよいとまけの歌のようだ。しかしその説得力は極めて大きい。第2楽章不滅のアルグレットは誠に感動的でフルトベングラー級の演奏となっている。62年エロイカの演奏は、ブルーノワルターが薨去した日で、クナーとVPOは第2楽章をワルターに捧げた。クナーの重たい足取りが葬送行進曲の深層を余すところなく描き切っている。これだけの深い響きはもう聞けないだろう。レッグが人の心を心底から突き動かす演奏と激賞し、カラヤンも驚愕したというクレンペラーPOとのモノラール録音が双璧として想い出される。協奏曲の方は、クナー、バックハウス、VPOという、夢のような組み合わせと云われたものだが、60年代のビデオで見ても、2人の緊張関係は、誰が好意的に聞いても曲の進行が譜面上で合っていない状況で、別々のところを異なるスピードで演奏している、クナーのみに許される度肝を抜かれる芸術となっていた。マインレッカーの弟子で、若いころクナーに推挙されたVPOコンサートマスターのボスコフスキーが、困り抜いている場面が残されているが。いずれにしてもクナーの人間性は尋常では計り知れないところがあり、その雑事を超えた巨大なスケールの芸術は没後半世紀たっても、今またウィーンで新録音が行われたかのように甦り、多くの人の心の中に生き続け実に深い感動を与える。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2016/03/06

    大ワーグナー指揮者クナーとハルトマンの伝統的な演出によるローエングリンがとうとう日の目を見た。ミュンヘン・プリンツレゲント劇場の実況録音に共通した音のバランスと解像度の偏りはあるが、ともかく、ワーグナーの楽劇を演奏するように作られた特別の環境で、ロマン的な特質と劇的な要素が融合した、手作りのドイツ音楽を堪能できる見事な演奏となっている。クナーお気に入りの有名な白鳥を囲んで、ハルトマンとユルゲンスとご満悦という写真が載っている。いつもの非常にゆっくりとした演奏とは異なり、楽しみの演奏後のトランプの打ち興じに間に合わせるため、あれよあれよと終り、早めのテンポで一気加勢に進む、淡泊な演奏という感じを覚える。クナパーツブッシュという巨匠は、聞く人がそのような錯覚に陥るほど、伸縮自在に時間を引き延ばしたり、早めたりできる魔法のような力を持っていた。ワーグナー自身は移行の達人と称していたが、その特質を受け継いでいる。アットホームな内輪の集まりの演奏のような親しみがあり、それでいて広大な音楽の拡がりを随所に感じさせる、幻想的な夢のような印象。あとはこれでいよいよ、タンホイザーを残すのみとなった。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/08/10

    専門家の間でバトンテクニックで右に出る指揮者はいないといわれた名匠ライナーの、75歳で亡くなる1カ月前の最後の録音となったハイドンの時計は、まさに人生の時計が永遠に時を刻み続けるような素晴らしい傑作となった。特異なのは、当時、百万ドルの歌劇場オーケストラと目されていたメトの楽団を主体に、NYPとCSOの混成の楽団を編成したことだった。それまでのCSOとの鋭角の鋭い演奏とは異なり、驚くほど柔軟で、音楽の核心にはパッションが渦巻いていながら、そこからしなやかに流れ出る極めて美しい演奏となっている。当時からこの録音は全く別格の演奏と目されていた。不思議なことにライナーのウィンナワルツは極めて評価が高いが、過剰な表現を抑制し、整然と折り目正しく演奏することにかけてはプロに徹している。最晩年のバルトークとの共演で、バルトークが即興的な演奏状態に陥り指揮者も楽団も驚き困惑して、演奏後ライナーが「べーラ、何であんな危ないことをするのか」と言って非常に心配したという。バルトークは、木管が僅かに音をはずし始めたので、元に戻そうとしている間に瞑想状態に入ったと言っているが、20世紀最大の作曲家の即興曲が生まれるような、創造的な芸術の想い出がライナーからは感じられる。オーケストラのための協奏曲も、作者と親しくなければ出来ない歴史的録音が残されている。その厳格なライナーが、この時計ではまるで若い音楽家に戻ったように、自由な音楽の生命を感じさせる演奏を成し遂げている。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/08/09

    ベームの最も優れた時期の遺産。この極みまで芸術的な高さを登りつめることは他の指揮者には期待できない。ベームとVPOはこの時代の正統的ドイツ音楽の芸風を伝える決定的な規範であった。特に優れているのが、シューベルトゆかりのホーエンエムスの音楽祭での未完成だと思う。ディモーニッシュな音楽の深淵が余すところなく描かれ、炎のように燃え上がる音楽を内包しながら、流れ出る音楽の知情意の均衡を決して失うことがない。法学博士を持つベームの厳格な思想性の強さであろう。シューベルトとは対極にあるワーグナーのトリスタンは、生涯付き添ったベーム夫人を失った直後の演奏だった。その想いが生き続けるかのようなワーグナーの時代の極限を超えた愛の死を、このように深い瞑想の中で哲学的に構築出来た演奏はないと思う。ベームはトリスタン指揮者としてバイロイトで記念碑的な演奏を成し遂げ決定的な評価を受けていたが、VPOの力は正に偉大で、この演奏を取り巻く世界の巨大なスケールを創り出すことに成功している。ドボルザークの新世界は虚飾を全く離れ、なお生き生きとしたスケール感の大きい極めて美しい演奏。黄金のようなモーツアルトは言葉では表現できない。素晴らしい演奏が残っているので、今後VPOとの36番リンツを是非加えてほしい。チャイコフスキーの悲愴は、その響きが最早彼岸の世界を映し出しているように深い。嘗てセルもロンドン響と4番でとても魅力的な演奏を成し遂げたが、曲自体の過剰な顕示感が解消され、曲本来の美しさが際立った実に立派な演奏。とにかくこのBoxはクオリティーが極めて高い。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/04/29

    このセットは極めて価値の高い逸品だと思う。メンゲルベルグの芸術の最も優れた演奏会がほぼ理想的な形で全集になっている。これだけ強力なベートーベンの演奏を残せる人は、フルトベングラーとクレンペラーの新発見の録音以外、最早望みえない。特に5番の終楽章の力動感は、他に求めることができない。6番も非常に優れた演奏で、第2楽章の美しさは比類がない。最も価値が高いのは第9だ。ベートーベンのオリジナルのメトロノーム指定ぱ非常に早かったらしいが、この演奏はベートーベンその人の演奏にかなり似ているのではないかと思う。特に第1楽章は、ワーグナーの演奏を起源とするフルトベングラーの解釈が規範となった感が強いが、むしろメンゲルベルグの演奏の気迫、速いテンポと力点の入れ方、圧倒的な推進力、これがベートーベンその人が心に描いた姿ではと思いたくなるような、素晴らしい実況の録音。有名なバッハの受難曲は、54年のフルトベングラーVPOと双璧の演奏で、途中、ご婦人か、その慟哭がオンマイクで聞こえてくる壮絶な内容、涙なくしては聞けない非常に感動的な演奏会であったことが判る。ブラームスのレクリエムも、最初の出だしからして異常に美しい響きで、この曲の持っている何か特異な輪廻の世界を表したような超自然的な力を感じる。録音は確かアセテート盤かガラス盤でありながら、演奏内容は実にフレッシュで、真の音楽芸術とはこういうものかと思う。その後、今日まで、長い間語り草になったヨーロッパ・オランダの伝説的演奏会。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/02/18

    驚くべきことにクナーのベートーベンの交響曲全集は未だに完結していない。今回やっと1番が発掘され全貌が浮かび上がってきた。曲の構想は巨大にして豪放磊落、その一語に尽きる。56年のBPOとの第5番もようやく解像度の高い録音で聞くことができた。素晴らしいのは第8番で、細部まで非常に克明にパートの動きが復刻されれている。未だ空白の第4番、第9番は、50年代のVPOとの演奏会の記録があり、その録音が残されていることを願うばかりだ。但し田園は記録には見当たらない。ドイツ音楽を継承するこの大指揮者が第6番を演奏しなかったとは、にわかには信じがたい。嘗て最晩年のグスタフ・マーラーが米国で得た最大の成果は、ベートーベンの田園を演奏出来たことだと若きクレンペラーに語り、この世紀末の最大の音楽家が、生涯それまで田園を演奏する機会を与えられなかったことをクレンペラーは心から悔やんでいるが、一体クナーはどうなっているのか。ブラームス全集も欠番の1番が、47年のブラームスの生誕記念演奏会のVPOとの記録など生涯数回しか演奏されなかった。残された第3番が圧倒的に素晴らしいだけに実に気になる。今回の第9合唱の断片は、ベートーベンの深い音楽を随所にうかがわせる新録音のような演奏で、没後も益々名声が高まるクナーとVPOの第九にかかる期待は極めて大きい。

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     2014/09/15

    バッハ無伴奏Vnの最高峰に君臨する演奏。同年齢で録音したミルシテインの絹の布に書かれた楽譜から響いてくるような演奏と比べると、音色・技術とも全く別の世界を感じるが、この巨大な曲ではそれを超える。シゲッティのバイオリンに透徹する世界観とその解釈は圧倒的に強い。これは、聞く演奏というよりも、観念でとらえた演奏のように想える。最晩年のヨァヒムがこのような無伴奏を演奏したらしい。古代のヘラクレイトスは、万物が煙になったら,鼻がすべてを識別するであろうという哲理を残した。この演奏は、万物がバイオリンの音になったら、かく響くのではないかという演奏。このバイオリンの背後に拡がるバッハの広大な精神世界と永遠に生き続ける心の鼓動は、人を惹きつけてやまない。おそらく人は、バッハの音楽を通して、自分自身と対峙し、自分の真の姿をその曲の中に見るのであろう。若い人には耐えられないかもしれない。しかし、これは人類の真の遺産といわざるおえない、バッハの人間的な高潔さを感じさせる実に壮大な演奏だと思う。

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     2014/04/27

    カラヤンは、毀誉褒貶の激しい指揮者であった。今になって思えば、カラヤンを取り巻く大げさな世界や派手なパフォーマンスとは全く裏腹に、内実は相当に孤独な指揮者だった。不思議なことに、悲劇性の強い暗い曲ほど、曲そのものを映し出し語るこの人の本質が融合して大変優れた演奏になっている。若い頃のカラヤンは、華麗に音を磨き上げ、整然と正確に曲を構築する点で、相当の才能が在ったらしく、度し難い嫉妬心を燃やすフルトベングラーが最大の脅威と見なしていた。どこの劇場に行っても手を回され職にあぶれ、鉄道の軌道は、自分に悪意を持っていると見えたという。文化的背景の異なる二人の確執は、やがてカラヤンを封印するトラウマとなった。気の毒なほど自らを隠し思考が停止してしまう。だがそのフルトベングラーが没して、カラヤンの気概も止まってしまった感が強い。しかし唯一フルトベングラーが苦手としたオペラの世界では、その後も水を得た魚のようであったという。深い心の傷を負ったハンス・フォン・ビュローが好んだと云われるバッハの2番は、他の大指揮者が自己主張が強すぎるのに比べ、驚くほど自然に作品の偉容が浮かび上がり、この人の悲劇性が共鳴した、壮大にして極めて美しい仕上がりとなっている。

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     2014/02/15

    非常に魅力のある演奏、戦後間もないころの緊迫した雰囲気をよく反映している。これだけ古い、この劣悪な技術的環境の時代の音を非常によく拾っていて、平林氏の復刻の技術の高さは実に見事なものだと思う。演奏の本質は、冒頭から強靭な気合が入り、誠に勇壮でスケールの大きい芯の確かなブラームスだと想う。かって特典版としてザルツブルグの全集で出た時以来、再販されるのを長い間待っていた。そして今聞いてみると期待にたがわず、素晴らしい出来だと感じる。但し、正直に言って、この演奏はいつものフルトベングラーとはだいぶ違う、そのことは事実だ。やはり相当違うような気がする。瞑想的というか、この曲で見せるいつもの猪突猛進性というか、そうゆうものは影を潜め、一音一音、まるでたった今、創り出された手作りの曲のように、ゆっくりと丹念に曲を構築してゆく。フルトベングラーが弁証法的な曲の哲学的構築を得意としており、演奏ごとに新たな発見をすることのできる巨匠であったことはよく知られているが、その意味でも、極めてフレッシュな演奏だと思う。第四楽章になってやっといつもの曲想にもどってくる。それ位特異な演奏といえる。当初、この録音は同じ時代、47年の4月に、クナッパーツブッシュがVPOと共にこの曲を演奏していて、一瞬クナーではないかと錯覚するほど演奏の振幅を感じた。しかし、響きは、VPOそのもので、やはりこれだけ大きな展望、彫りの深さは、稀にみる天才の手になる演奏だと思う。演奏の録音データを議論する必要は全く感じない。フルトベングラーという人は、人々にそれだけの夢を与える偉大な演奏家だった。ドイツの巨匠達はやはり同じ領域に到達していると言わざるお得ない。特に第一楽章の開始部の響きは、実に見事な圧倒的な意志の強さを感じる。

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     2013/09/07

    このCDは、傑作と言って差し支えない。選曲と歌手のマッチングが実に面白く、見事な効果を上げている。別れの歌を世良バンドが演奏しているが、この頃のリードギターの音に強い芯と切り込みがあって、非常な迫力がある。日本のロックバンドが、この難しい名曲をここまで掘り下げたのは、世良公則の大きな功績と実力だと思う。そして鉄爪を坂本冬美が歌っている。彼女の時に声が裏返る、花も実もある歌い方で、愛する男の弱い心をなじる女性を見事に演じている。この人は、驚くべきじゃじゃ馬娘の激しい心の持ち主なのではないかと想った。しかし、さすがに歌はうまい。そしてこのたった数分の短い俳句のような曲の中で、人の世の永遠に彩なす、男女の神秘的な心の世界を創り出すことに成功している。日本の演歌の世界が、彼女の大成に大きな期待をかけるのがよくわかる。スローモーションも、鈴木トオルのボーイソプラノのような透明な声が、2人の出会いの瞬間をよく捉え、実に美しい曲に仕上がっている。そして有名な美人画。すばらしいノエビアの企画だと思う。

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     2013/06/09

    ブッシュ最高のシューベルト解釈がD929であることは、古くから知られていた。シューベルトの悲劇的崇高さを誰も匹敵できない名演として成し遂げた歴史的演奏、HMVの1935年ロンドンでの録音も素晴らしかった。そしてこのブッシュ最晩年の米国バーモントでの録音は、緩徐楽章の比類のない美しさと深さを、大きな広がりの中にとらえることに成功した傑作となった。最晩年のシューベルトが成し遂げた決定的な精神のスケールと偉大さ感じさせる。対位法の大家ジーモン・ゼヒターに師事し、倒れる最後の日まで前進しようとしていた。シューベルトが没して、ゼヒターの下で学んだのがブルックナーだった。彼の人生が、ほぼベートーベンの人生の中に含まれていたことが不思議であり、後期SQ.14番を聞いたシューベルトが、友人が心配するほどの衝撃をうけたという深層に到達していた。それにしても音楽の世界はあまりにも多くの希望を失うことになった。高品質のこの録音は、ブッシュの比類のない深いバイオリンの解釈とともに、ゼルキンの演奏が既に伴奏者の演奏から、世界に名だたる大家に至る風格を備え始めており、さらに演奏の真価を高めている。実に大きな精神的スケールでシューベルトの真の天才を観念する演奏だと思う。

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     2013/03/22

    没後50年近く経って、やっと聞けるようになった4番は、さすがに大家の風格がある。この指揮者のブラームスに対する想い入れは、特別のものがあり、他の指揮者からは聞くことができない、85歳の人の解釈でありながら、その演奏は永遠の若さを保っている。嘗て、18歳の若きビオラ奏者モントゥーは、最晩年のブラームスに演奏会で一度会ったことがあるらしい。その時、どんなにドイツ語が話せたらよかっただろうと思ったという。ブラームスその人の悲しげな目が非常に印象的だったという。モントゥーは、貴族的な音楽というよりも、より普遍的で、それでいてそのコアーの部分に、非常に高潔で気高い音楽の心を感じさせる。実に立派な演奏だと思う。米国第一の歴史と伝統を誇るボストン交響楽団の響きは重厚で、特に第1番の演奏の伸びやかさとそのスケールは、ニキッシュをはじめとする歴代の大指揮者の薫陶の賜だろう。この2曲は、夏の音楽祭の実況録音なので、次々と涼風が流れ去っていくようなオーケストラの自発的な美しい躍動を享受することができる。一期一会、ブラームスとともに生きた巨匠の手になる第一級の演奏会。

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