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松浦博道 さんのレビュー一覧 

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     2021/02/17

     改めて言うに及ばず、新年という1年に1度だけ訪れる祝賀の会の雰囲気が

    存分に楽しめる豪華なコンサートでした。無聴衆かつ無拍手という異例の厳

    しい事態下で実施されたのは疫病の世界的蔓延という情勢を鑑みれば、仕方

    なかった話でしょうが、これで6度目の登板となったニューイヤー常連のイ

    タリアの巨匠ムーティの迫力ある指揮姿と、それに機敏に応じるウイーンフ

    ィル団員の自由な呼吸の合った融通の利く演奏とによって、コロナ禍の沈滞

    した憂いを一掃せんとばかりに、壮大でこれ以上に無い、比類の無き演奏

    と質感とによって、過去のニューイヤーの伝統が大きく覆され打破されたと

    感じる瞬間もあったと錯覚するほど、絢爛豪華な宵であったと感じました。

    とりわけ、耳に印象に残った演目に、ワルツ王晩延期傑作の一つとして知ら

    ぬ者はいない<皇帝円舞曲>や、1869年の夏に避暑地ロシアはパブロフ

    スクで誕生した賑やかなムードなポルカ・フランセーズ<クラップフェンの

    森で>、同年の1869年夏に体調の優れない健康不安の募るロシアのパブ

    ロフスクで次兄ヨーゼフ・シュトラウスの手から放たれたポルカ・シュネル

    <憂いも無く(=Ohne Sorgen)!>などの今日まで廃れない伝

    統的な作品たちから受ける印象は、まさに高揚感とスリルに富んだウイーン

    フィルの繊細でクリアーな弦から自然と醸し出されるメロディーの賜物とい

    った感じが聴き手によく伝わってくる圧巻の演奏美でした。ウイーン・ムジ

    ークフェラインザールからの同時衛星中継のテレビ画像では、<皇帝円舞曲

    >の演奏の際に、ウイーン旧市内に今でも偉容を放ち残るハプスブルク家の

    かつての象徴「ホーフブルク宮殿」の屋根に飾り立つ、同家の家紋「双頭の

    鷲」が映っていましたが、これも最高のカメラワークだったと今でもその時

    の余韻がビジュアルに鮮明と焼き付いています。50年くらい前のボスコフ

    スキーの演奏がなんだか、こじんまりとくすんで地味な印象に思えてしまう

    のも無理はないと思いますが、この事実によってみても、ウイーンフィルの

    演奏は年を増す度に、精度が高く奥行き・立体感が増して、響きの音量が昔

    よりも豊かでパワフルな輝きへと向上している様に感じられます。ウイーン

    の伝統は、ますます汚れの無い次元へと時代の求めに呼応するかの如く発

    展してきている、そんな印象にさらされたコンサート内容でした。来年20

    22年に通算3度目の登場が予定されている巨匠バレンボイムの動向と、次

    はどんな選曲で、世界中の聴き手の心を満たしてくれるかに大きく期待した

    い心境です。期待は増す一方です。来年もガンバレ、天下の名門ウイーンフ

    ィル!ブラヴォー!!!

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     2019/07/11

     19世紀ウイーン音楽の代名詞であった高名なワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の作品を中核に、その他の作曲家の定番曲・代表作品や知られざる音楽にも、体系的に触れられる、ウイーンフィルによるニューイヤーコンサートの過去の歴史が展望できる便利な内容のセット物です。

     当コンサートで過去に1回でも演奏された履歴のある作品はもとより、聴き馴染みある有名作品や、マイナーな希少曲から珍曲まで、ほぼ全てがカバー・網羅されており、このコンサートの定義と伝統がよく理解できる充実さが自慢の売りだと思います。

     ウイーン音楽入門者の方や、もっともっとシュトラウス・ファミリーの音楽が楽しみたいと嗜好するマニアの方も含め、本家本元ウイーンの長き伝統ある由緒正しき、真正なウイーンの生の音が楽しめる価値の高いセットだと思います。

     マルコポーロおよびナクソスでリリースされたヨハン・シュトラウス2世の作品全集のCDボックスセットと併せて、一家に1セット、コレクションにしておきたい歴史的なプレミアがある究極のお宝物でもあると思います。

     値段も手頃でそう高くはなく、ウイーンフィルのファンやマニア、ウイーン音楽が大好きでたまらない方にはウケるはずの内容と質だと評価できます。

     このセットがあれば、一年中、自宅にいて、本場ウイーンの音色が気軽・手軽に楽しめる、毎日が正月気分にひたれる文句なしの構成力と演奏水準の魅力にハマることでしょう。

     また、これまでに一度も市場に出回ったことのない古い貴重な音源も多数含まれている点も高く評価できる価値があると思います。

     なお、アンコールの定番曲として知らない方はいないはずのワルツ<美しく青きドナウ>の音源は、このセットが出された2015年度のズービン・メータ指揮による最新の演奏で収録されております。

     その他、1992年のカルロス・クライバー指揮のポルカ<雷鳴と電光>など、往年の名演奏も聴くことができる有意義なセット物です。

     添付のハードカバーのブックレットも巻末に作曲家別にアルファベット順に作品の索引機能が付いており、重宝します。
     
     いささか大袈裟な表現ですが、このセットを全て聴けば、ウイーンフィルとウイーン音楽の通になれることでしょう。毎日聴いていても飽きの来ない、明日を生きる人のための知恵と活力が沸くヒントとなる大切な栄養源になると思います。
     
     よってこの贅沢な充実内容ならば、評価の決め手となる星数は、最高の5つとしてなんらの迷い・異論はないでしょう。廃盤にならない内に、見付けたら、即購入すべきヴィンテージ・アイテムだと言い切れるでしょう。

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     2019/07/01

    今から20年以上前の1997年に英国のシャンドスよりリリースされた魅力的な1枚。この1枚で、あの「ピアノの詩人」ショパン以前の「夜想曲(=ノクターン)の創始者}でもあった作曲家・ピアニストのジョン・フィールド(1782〜1837)の知られざる実力の姿・世界が再発見・堪能できる充実の豊かなコンテンツによっている、いかにもクラシック音楽らしいユニークな秘曲たちが寄せ集められており、まとめてそれらに触れられ聴くことができる重宝する手軽なアルバムだ。この作曲家最後のピアノ協奏曲第7番ハ長調(orハ短調?)も素晴らしい劇的なインパクトの強い音楽だが、特に、ピアノ独奏付きの管弦楽伴奏による協奏的作品が旋律の美しさと言い、ピアノとオケのかけあいと言い素晴らしい新鮮な効果を生んでいるのが多く目につく。それらのどれもが、当盤による演奏・収録が世界初となる試みであったのも嬉しい当アルバムならではの特典を特徴付けているだろう。澄んだ快晴の秋空の様にすがすがしいさわやかな音楽ばかりだ。起床後の静かな朝にでも肩の力を抜いてリラックスしたムードで一気に聴き通せる。とりわけ、ピアノ、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの編成によるピアノ五重奏曲より<アンダンテ・コン・エスプレッシオーネ変イ長調>の存在だ。演奏時間に11分も要する長め単一楽章作品として当アルバムに収録されているが、牧歌的・抒情的な美しい室内楽であり、イギリスor ロシア音楽というよりかはドイツ・ロマン主義的な傾向と要素・響きを留めた隠された楽章となっている。弦の響きに溶け合うピアノ独奏の響きの調和の妙味がなんとも言えない絶妙な空間を描出してもいる。この<アンダンテ・コン・エスプレッシオーネ変イ長調>の楽譜だけは単独で出版されており、日本のアマゾン・ジャパンのサイト上でも販売されているのが検索で確認できたことがある。ただし、肝心のピアノ五重奏曲全体の方のCD録音源や楽譜はまだ市場には出回っておらず、未知の知られざる秘曲扱いの作品となっている。故に、このピアノ五重奏曲全曲のCD・ディスクのリリースと楽譜の出版を併せて希望したいと願わざるをえない近況だ。その他、<ディヴェルティスマン第1番ホ長調>や<同第2番イ長調>なども素晴らしい魅力的で穏やかな情緒がにじみ出た人間的ぬくもりのある名作として、もっと一般に知られて聴かれるべき価値と内容をもったものと推奨できる。なお<ディヴェルティスマン第2番イ長調>は2つの楽章から構成されており、第1楽章とも言うべきパストラレ・アンダンテの冒頭に聴かれるピアノ主題は、後の1821年頃に書かれ、ロシアのペテルブルクにおいて楽譜出版されたピアノ独奏のための<夜想曲第7番ハ長調>に再使用・転用されてもいる。この

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     2019/05/21

    18世紀という時代において、極めて時代の先を行く先見的で多彩な才能を開花させ、当時のヨーロッパ人を、そして、死後の後世の作曲家たちにも、多大な影響力を持った天才モーツァルト。彼の音楽を聴くと、言いようのない深い人間的親しみと、感動を覚えることが多々ある。わけても、彼の才能は、純粋な管弦楽作品としてのシンフォニーや、ピアノ・コンチェルトといった形式の中において、その生き生きとした活力の古典的躍動美と、その自由奔放で永遠なる時間が流れる空間に包まれた、誰が聴いても飽きることのない、深い詩情味・ポエジーを感じるのだ。彼の繊細でいて多彩な交響曲やピアノ協奏曲を聴く時、その生前、ウォルフガング・アマデウスなる人物は、どの様な生活を送り、後年、ウイーンという音楽の聖地で呼吸・思考し創造したのか、という大きな疑問を投げかけているようでならない。特に、彼が生誕の地ザルツブルクを追われて後にし、ウイーンへ活動の拠点を移すことになった晩年期の円熟の極みにあった頃に生れ出た珠玉の賜物揃いである作品たちの数々の世界をいろいろと聴き進めていく中で、小生は、この普通ではない非凡な才能、それも、当時世界最高の創造力・クリエイションを持っていたと言っても大袈裟ではない、その傑出した明晰な頭脳と知恵から生れ出た高度な音楽からは、「孤独だが自由に(=frei,aber einsam )という19世紀的思想哲学と、精神性の愉悦感や悲哀感、喜怒哀楽の表現の過不足のなさといった我々、人間ならば誰しもが毎日の単調な生活を送る上で考える理性・知性や、その対極にある要素である感情の自由な呼吸を身に染みて深く一考させられるファンタジー・幻想美に満ちた音楽なのだという、限りなく神に近い存在でありながらも、所詮は一人の人間・男にすぎなかったモーツァルトという個性的創造主、楽園のミューズの18世紀的美学の世界を真に追体験・再現させられるのを、この巨匠アーノンクールの描く1枚のアルバムに収められた、交響曲第38番ニ長調<プラーハ>と、それに続くトリプテークである三大交響曲を形成する第一作目に当たる交響曲第39番変ホ長調の名演奏から、深く学び感じ取ったのである。
     ここまでの表現力の豊かさ、想像力の才気煥発さを見せる内容的にも充実した交響曲、いうなれば「管弦楽のための自由なソナタ」とも言うべき世界の魅力ある光彩美と陶酔力、さらには18世紀という過去の一時代という枠と規模を超えて、現代の我々の時代にまでも普遍的に相通ずる音楽作品を書きえたモーツァルトの和声・響きには、ハイドンやベートーヴェンとは似ている様で全く性格の異なるキャラクターのユニークな創意工夫性・オリジナリティの光の彩を感じるのだ。そう思うのも決して小生一個人だけではあるまい。
     彼モーツァルトの最も円熟した作曲語法の真骨頂とそこから生まれる驚くべきの想像力の爆発の拡散力といった普遍性や、古典的な均整美は、聴くものをしてヨーロッパ史以前の太古のギリシア時代の太陽神アポロンや最高神ゼウスの神々しい理想・イデアや、様々なエロスを生んでいるのを聴くたびに、その深い造形力とバランスの取れたプロポーション、決して音楽の自由な表現という次元にとらわれない、発想転換力の機敏性、21世紀の我々にも不足している生きる上でのエネルギーの活力みなぎる響きの鮮烈さに深く魅せられるのである。ハイドンでは少々暗く趣味が悪く、ベートーヴェンの音楽世界では余りにも巨大・長大すぎる、といった不満やバランス感覚の不均衡さを指摘し、抱く向きの音楽ファンには聴いていて肩に力の入らない、理想的な響きを構築している音楽世界の英知を知るに違いない。基本的に、モーツァルトは永遠の子供・神童であったという従来から言われてきた考え方・伝説に横槍を刺す様なことはしたくないが、あえて言うのならば、彼モーツァルトにしか書けない超個性的名旋律の轟を聴くことができる点に変わり映えはないわけだと言いたいものだ。メヌエットなしの交響曲第38番<プラーハ>の持つ18世紀古典世界の洗練された響きと、それをさらに追い求め試行錯誤した結果できあがったであろう南ドイツのバイエルン風な響きを持つ交響曲第39番のカップリング・アルバムとしては、これまで市場に出た音源の中でも優れた秀演に属するべき、古楽の大家アーノンクールの解釈で酔わされる大人の魅力をたたえた至福でいて飽きの来ない「決定盤」と言うべき価値・バリューと、音楽をすることの無類のない楽しさが溢れているのが聴いていてよく琴線の様に伝わってくる親しみやすさを覚えるのだ。これまでに数えきれないほど演奏・録音されてきた既存で周知の作品だが、古楽の権威として名をはせたアーノンクール流の解釈を通して聴くとまた全く違った魅力ある響きを生んでいるのに気付かさせられるのだ。演奏・解釈とは、この様な指揮者や、オケによっても全く千変万化して違ってくるという無限のヴァリエーションが効く相違性にも気付かさせられるものがある。生前、アーノンクールは当音源を含め、3種ものモーツァルト最晩年期の交響曲群の録音を遺したが、その記念すべき最初を飾った当アルバムの内容は、最初とは言えども、最初からちゃんと天才モーツァルトの本質像を突く革新的な名演が実現しているのを聴き直すたびに勉強させられる不思議と嫌味のないが、古楽演奏らしく、鮮烈でいて、モダン楽器演奏と一味も二味も違った絶妙な加減と抑制の効いた充実の内容味を帯びていて堂々と誇ってもいる究極と呼んでさしつかえのない文句なき自由でいて、自然体なよくまとまりのあるモーツァルトに仕上がっている。交響曲第38番<プラーハ>第1楽章アレグロに流れ込む前に置かれた堂々とした意表を突く序奏部分アダージョの響きは、この作品が書かれた頃の作曲者モーツァルトの円熟の晩年期特有の特徴がよく表れてもいる。続く第2楽章のアンダンテの美しいロマン主義的明暗を秘めた豊な響き、メヌエット楽章を欠いているが、それは当時のプラーハの人々の趣味に合わせて、あえて書かなかったとも伝えられる。そして終楽章フィナーレの活力あふれる楽想展開の爆発は、思わず息をのむ緊張感に満ちている。この時期のモーツァルトにしか書けない最上・最高の開放的音楽だ。続いて交響曲第39番変ホ長調の演奏に入るが、これもまたアーノンクールの学術的解釈の鋭さが前面・前景に強く押し出された力演であり、この作品でも、古代ギリシャの遺跡を見んばかりの、崇高でいて、モーツァルトの最晩年期特有の鋭さが如実に表れている意欲作だ。第1楽章冒頭のアダージョのティンパニを伴う力強いオーケストラの大胆な響き、そこから派生して流れ込むアレグロの自由闊達な躍動する世界の響きの妙には、聴いていて、思わず息をのむ緊張感が支配している。第2楽章のアンダンテ・コン・モートのやるせない官能的なエロスを描写したともおぼしき旋律の陰影美は筆舌に表しがたい複雑な心理状態にさせられる、なにかそれまでのモーツァルト作品にはない新たな次元域に到達したと言わんばかりの陶酔的情緒に心を奪われる。第3楽章のバイエルン風な雄渾なメヌエット主部と、一転してクラリネットによるのどかで田園的・牧歌的なトリオ部分の対比による響きは聴いていて心地よい。そしていよいよフィナーレの第4楽章アレグロ。この楽章も無窮動風な楽想に一貫して貫かれており、アーノンクールは途中の展開部と再現部分をリピートして演奏しており、この辺りも指揮者の腕の見せ所、およびオケの実力の聴かせ所といった内容にもなって、響きの自在な奥行きを生んでいる。
     総じてみるに、このアルバムは単なるモーツァルト晩年期のオーケストラ音楽と呼ぶべき軽い意味合いのものではなく、そこには深いえもいわれぬ最晩年の円熟でいて孤高の境地・心情下におかれていたであろう、紛れもなき天才モーツァルトその人の心の分身を見るような魂の響きが詰まった聴き所の多い重厚でいて意味深長な有意義な労作となってもいる。当アルバムの演奏でも、指揮者として古楽の権威として実力をふるったアーノンクールの解釈が従来の指揮者の解釈にはない特別でいて新鮮なモーツァルト演奏であることかを、よく捉え、体現しえた決定的な代表名盤と言ってよいだろう。。ここまでの豊かで尽きることのない魅力に富んだオケの色鮮やかな世界・底力を見せつけた演奏もそう世界に多くはない希少な名演がこうして実現したのを改めて知ったのだ。
     

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     2019/05/13

     19世紀ウイーンのビーダーマイヤー時代(*1814〜15年のウイーン会議以降、1848年の3月革命での保守的なメッテルニヒ体制・ウイーン体制の崩壊まで続いた当時の時代様式・パラダイムの呼称名)に、主としてドイツ語歌曲(=Deutsche Lieder)の天才作家として先輩格の崇拝する偉人作曲家ベートーヴェンを凌ぐ才能と独特で伸びやかな抒情性あるメロディストとしてにわかにウイーンの街のサロンで活躍をしていた才人シューベルトが書いたわずか4曲のヴァイオリンとクラヴィーア(=ピアノ)のためのソナタ全曲を1枚におさめた持っていて損はしないレアーなお宝物アルバム。
     20〜21世紀ヨーロッパ古楽界の大家・確かな解釈者としての実力を誇るオランダ出身のフォルテピアノの名手インマーゼルと、ベルリン古楽アカデミーやアニマ・エテルナのコンマスとして有能な日系の混血女流ヴァイオリニストであるミドリ・ザイラーのコンビネーション・組み合わせで演奏・収録したビーダーマイヤー時代の典型的な軽快で優美なサロン的室内楽としてしばし演奏されるシューベルトのヴァイオリン・ソナタの通念を覆した金字塔的アルバム内容で楽しむ大人の魅力が詰まった確かな1枚となっているのが当盤の他の盤にはない特別な香りが漂う希少な1枚だ。
     ザイラーの弾く1814年製のフランツ・ガイセンホーフ(1753〜1821)のウイーン・オールド・ヴァイオリンの歴史的な響きと、インマーゼルの弾く、こちらはレプリカだが、1814年製のウイーンのヨハン・フリッツによるフォルテピアノの響きの組み合わせで、19世紀初頭の楽都ウイーンのカンマームジーク(=室内楽)の世界が堪能できる、いわゆるピリオド楽器・古楽器使用による鮮烈で耳に違和感なく響くシューベルトの世界も、この様な意表を突く時代楽器の使用によって聴き直すと、これまでのモダン楽器使用によるありきたりの演奏・録音などのアルバムでは味わうことのできなかったユニークさが当アルバムが普通ではない、従来にはない魅力をアピールしていることは一聴瞭然の内容だ。
     今日「ウイーンのストラディバリ」として楽器マニアの間では有名なドイツのフュッセン出身のフランツ・ガイセンホーフの手による1814年制作のヴァイオリンの響きは、イタリアン・オールドの最高峰ストラディバリウスや、オーストリアのヤーコブ・シュタイナーの影響を受けつつも、あまりイタリア製のオールドやモダンの力強いコンサートホール全体を包み込む様な奥底まで響くヴァイオリンの世界とは異なり、やや貧弱でクリアーな音色を出すには厳しい難点があることをシューベルトの4作のソナタを通して耳で確認できる点はユニークで斬新なアイデア・発想だと言えようが、ガイセンホーフを含め、ウイーンやドイツ、チェコなどの18〜19世紀の中欧・東欧の楽器は、当たりはずれはあろうが、総じてあまり鳴らない個体が多いのがイタリアンやフレンチなどの弦楽器と比べた時、19世紀当時の音楽習慣に合わせるためにガット弦を使用している点などもあり、ややもくすんでいて、音の響きが落ちるのが実際の話だろう。18〜19世紀にかけてウイーンで制作されたヴァイオリンは、ガイセンホーフ以前では、これまでに、ライドルフ王朝やティーア(=ティール)王朝の他、ベートーヴェンも愛用・使用したとされるゼバスティアン・ダーリンガーや、ポッシュ、レープなどの多数の個体が市場に出回ってきたが、それらの多くが歴史的および資料的価値という点では、名器の部類に入るだろうが、肝心な音の方が、貧弱でパワーに欠けるという相反する特性があるため、なかなか、今日、実際にウイーン製のヴァイオリンやビオラ、チェロをファースト楽器として使用しているプロは数少ないだろうと言えるものがある。現地ウイーンの大御所ウイーンフィルの団員も、かつてはガイセンホーフを使用してきたらしいが、近年では、ガイセンホーフ以後にウイーンで弦楽器制作家として知られた、ニコラウス・ザビッキやガブリエル・レンベックなどの個体や、東ドイツ(=サクセン)の町で、音楽の母ヘンデルの生誕地ハレのモダン制作家ヨアヒム・シャーデの個体を使用する様に変ってきているらしい。さらに言えば、弓・ボウ(=bow)は、当時のウイーンの制作家の手によるものではなく、フランスのトルテ・ファミリーや、イギリスのドット・ファミリーのものがウイーンに輸入されて使用されていたのではと、このアルバムのライナーノートの中で、古楽器研究家のルドルフ・ホップフナーは指摘・言及している。
     まあ、楽器の話になってしまったが、それはともかく、シューベルト音楽の持つサロン的・女性的魅力と、シューベルトにとって最も身近で親しみのある楽器であったクラビーア(=フォルテピアノ)によるやや、アクションの弱い音色の出るヨハン・フリッツ鳴る人物の忠実な復元・レプリカを使用したことは単なる偶然ではなく、19世紀往時の響きの歴史的再現という意義においては、大変有意義で、合理的な判断および選択であったと高評価できる魅力と付加価値が認められる。
     あまり芳香で大胆な男性的な音色ではないが、ガイセンホーフとヨハン・フリッツの組み合わせによる楽器で、限りなくシューベルトが生きていた頃に近い音色の世界が相応に再現されていることは、プレミア価値という意味合いも込めて持たせる意味で、5つ星評価を与えたく思った次第である。楽器に関心のない無教養なクラシック入門者が聴くのであれば、当アルバムの価値の利点(=virtue)はいくぶんにも強調できないだろうが、楽器に詳しい方やクラシック上級者が聴くのであれば、このアルバムは画期的で、超お宝物的な1枚として愛蔵盤として家宝にできる大人の魅力を生んでいる充実なコンテンツ内容で上出来の1枚でもある。
     ガイセンホーフとはこんな音色の個体かという点を確認したい方や、当時のオリジナル楽器の響きで、シューベルトに室内楽の世界にはまりたい方、従来の解釈にはない学術成果を時代の考証をもとに反映させて企画から演奏・収録への実現に至ったという事の経緯と独自のコンセプトを受け入れ、それを高く買う方には、当アルバムはきっと耳に有益な情報源をもたらしてくれるエスプリの効いた上質でいて退屈にはさせない、熱心な音楽マニアの期待感を裏切らない内容のアルバムとして持っていたいと親しみを感じることだろう。
     シューベルトの書いた4作のヴァイオリン・ソナタは同時代のベートーヴェンの10作もの芸術的な完成度を誇るヴァイオリン・ソナタの存在感の重さ・大きさに比べれば、内容や質、魅力の点で大きく落ちるものだが、ベートーヴェンにはない、シューベルトという歌曲作曲家のビーダーマイヤー風ピアノ書法の魅力や、ベートーヴェンでは少し堅苦しいとストレスを感じる方は、耳に心地よく入り込んでくる柔軟・フレキシブルで、ウイーン風に言えば「ゲミュートリヒ」な居心地の良さとしての軽やかな愛らしさを求める方には、大きく受け入れられるに間違いないだろう。
     見苦しい長文レビューになってしまったが、肩の力を抜いて、何も考えずにリラックスしてウイーン音楽を、という向きの方には無条件でおススメできる至福のアルバム内容である。星評価も、もっと一般に広く聴かれるべき価値あるものとしての、いっそうの需要と流布を見込んで、5つ星としてみたまでである。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタに関心のある音楽ファンにもおススメしたい1枚だ。

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