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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

CD 【中古:盤質AB】 交響曲第8番 クルト・ザンデルリング&スウェーデン放送交響楽団(1994)

【中古:盤質AB】 交響曲第8番 クルト・ザンデルリング&スウェーデン放送交響楽団(1994)

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    SeaCrow  |  東京都  |  不明  |  2015年06月22日

    第2・3楽章の、遅いテンポによるむせかえるような濃厚さが印象的です。特に第3楽章などは、速いテンポで演奏されるのが当たり前のような印象がありますが、速度指定はアレグロ・ノン・トロッポであり、こうした遅めのテンポを採用する人が今まであまりいなかった方が不思議ではあります。もちろん他の楽章の出来もよく、一発録りライブゆえのわずかな乱れはあるものの、オケはかなり優秀です。録音は、やや低域不足の感はありますが、聴きやすい音になっています。それにしても、偏見に満ちた空疎な長文を撒き散らして嘲笑の対象になっていた方は、今は引退されたようですが、この時点でかなりおかしくなっていたことが分かりますねえ。

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    sunny  |  兵庫県  |  不明  |  2013年03月01日

    私は、この曲を、ザンデルリング、ベルリンフィルの演奏で知った。「戦争交響曲」などとも、言われているが、長く、重苦しく、7番の様な、荒唐無稽、やってられねえ、民に捧げる歌よりは、内性的で、死して、破壊されたものへの追悼、愚かな行為に対する怒り、或る意味、「戦争レクイエム」の、様な曲だと、思う。「強制された平和」、とは、全く感じられない。5番の冒頭の様に、衝撃、怒りで始まるが、祈りを経て、終結は、暗く、深刻、怖ろしく静かな緊張を持って終わる。戦争が終わっても、世は、深夜、音楽など、自らの体面と体制を守る為の道具と考える独裁者が、君臨し、抑圧している、簡単に、反対者を、葬り去ろうとする奴だ。。ショスタコの時代なんて、来ない方が、いいに、決まってる。捻じ曲げられて、本当に言いたい事は、暗喩せざるを、得なかった音楽。ザンデルリングは、その時代を、ショスタコーヴィッチ、ムラヴィンスキーの元で、過ごした。ムラヴィンスキーとは、明らかに違う音楽を、奏する。ムラヴィンスキーの厳しい非人間的と言ってもいいような音楽よりも、人間的。大らかに、厳しいけれど、この真摯な曲を、ショスタコーヴィッチの真意を、捉えて、嘆き、祈りを込めて、実直に演奏している。ライヴと言うのも、良い。

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    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2012年09月15日

    凄い演奏だ。このような凄い演奏が遺されていたということは、ザンデルリングのファンのみならず、クラシック音楽ファンにとっても大朗報と言えるのではないだろうか。東独出身のザンデルリングは、旧ソヴィエト連邦においてムラヴィンスキーにも師事し、ショスタコーヴィチと親交があったこともあって、ショスタコーヴィチの交響曲を得意としていた。すべての交響曲を演奏・録音したわけではないが、第1番、第5番、第6番、第8番、第10番、第15番の6曲についてはスタジオ録音を行っており、いずれ劣らぬ名演に仕上がっていると言える。ショスタコーヴィチの15ある交響曲の中で、どれを最高傑作とするのかは諸説あると思われるが、盟友であったムラヴィンスキーに献呈された第8番を最高傑作と評価する者も多いのではないかとも思われるところだ。ザンデルリングも、前述のようにムラヴィンスキーに師事していたこともあり、同曲にも特別な気持ちを持って演奏に臨んでいたのではないか。前述のベルリン交響楽団とのスタジオ録音(1976年)もそうしたことを窺い知ることが可能な名演に仕上がっていたと言えるが、本盤の演奏は、当該演奏をはるかに凌駕する圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。ザンデルリングによる本演奏は、師匠であるムラヴィンスキーの演奏とはかなり様相が異なるものとなっている。ムラヴィンスキーによる同曲最高の名演とされる1982年のライヴ録音と比較すればその違いは顕著であり、そもそもテンポ設定が随分とゆったりとしたものとなっている(ザンデルリングによる1976年のスタジオ録音よりもさらに遅いテンポをとっている。)。もっとも、スコア・リーディングの厳正さ、演奏全体の堅牢な造型美、そして楽想の彫の深い描き方などは、ムラヴィンスキーの演奏に通底するものと言えるところだ。その意味では、ショスタコーヴィチの本質をしっかりと鷲掴みにした演奏とも言えるだろう。ムラヴィンスキーの演奏がダイレクトに演奏の凄みが伝わってくるのに対して、ザンデルリングによる本演奏は、じわじわと凄みが伝わってくるようなタイプの演奏と言えるのかもしれない。ショスタコーヴィチの交響曲は、最近では数多くの指揮者が演奏を行うようになってきているが、その本質を的確に描き出している演奏はあまりにも少ないと言えるのではないだろうか。ショスタコーヴィチは、旧ソヴィエト連邦という、今で言えば北朝鮮のような独裁者が支配する政治体制の中で、絶えず死と隣り合わせの粛清の恐怖などにさらされながらしたたかに生き抜いてきたところだ。かつて一世を風靡した「ショスタコーヴィチの証言」は現在では偽書とされているが、それでも、ショスタコーヴィチの交響曲(とりわけ第4番以降の交響曲)には、死への恐怖や独裁者への怒り、そして、粛清された者への鎮魂の気持ちが込められていると言っても過言ではあるまい。したがって、ショスタコーヴィチと親交があるとともに、同時代を生き抜いてきたムラヴィンスキーの演奏が感動的な名演であるのは当然のことであり、かかる恐怖などと無縁に平和裏に生きてきた指揮者には、ショスタコーヴィチの交響曲の本質を的確に捉えて演奏することなど到底不可能とも言えるだろう。一般に評判の高いバーンスタインによる演奏など、雄弁ではあるが内容は空虚で能天気な演奏であり、かかる大言壮語だけが取り柄の演奏のどこがいいのかよくわからないところだ。かつてマーラー・ブームが訪れた際に、次はショスタコーヴィチの時代などと言われたところであるが、ショスタコーヴィチ・ブームなどは現在でもなお一向に訪れていないと言える。マーラーの交響曲は、それなりの統率力のある指揮者と、スコアを完璧に音化し得る優秀なオーケストラが揃っていれば、それだけでも十分に名演を成し遂げることが可能とも言えるが、ショスタコーヴィチの交響曲の場合は、それだけでは到底不十分であり、楽曲の本質への深い理解や内容への徹底した追及が必要不可欠である。こうした点が、ショスタコーヴィチ・ブームが一向に訪れない要因と言えるのかもしれない。旧ソヴィエト連邦と同様の警察国家であった東独出身であるだけに、ザンデルリングの演奏も、前述のようにショスタコーヴィチの本質をしっかりと鷲掴みにしたものであり、とりわけ最晩年にも相当する本演奏は、数あるザンデルリングによるショスタコーヴィチの交響曲の名演の中でも最高峰の名演であり、同曲の数ある名演の中でも、ムラヴィンスキーによる1982年の名演と並び立つ至高の超名演と高く評価したいと考える。音質についても、1994年のライヴ録音であるが、文句の付けようのない見事な音質に仕上がっていると評価したい。

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