【中古:盤質AB】 ウラディミール・ホロヴィッツ・イン・モスクワ(1986)
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せごびあ | 愛知県 | 不明 | 2020年12月28日
当時のホロヴィッツに何を期待するかということだと思います。音楽の内面的な感動という点では、彼、しかもその時の彼にしかできないものを表現していると思う。また、技術的なものが気になる方もいらっしゃるでしょうが、レコードなので記録としてあるだけでも十分ではないでしょうか。なんでも批評の対象にしなければいけないのは演奏家にも聴衆にとっても不幸というもの。1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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としちゃん | 宮城県 | 不明 | 2014年01月03日
●私は最晩年のホロヴィッツの、いくつかの録音がたいへん好きです。筆頭はこの、『モスクワライブ』です。学生の時に初めて聴き、スカルラッティからモーツァルト、ラフマニノフに続くスクリャービンの凄まじい美しさに感動を覚えたものです。その後のショパンからは「おや調子を落としたのかな」と感じ、前半ばかり聴いていたものです。●もう一つはソニーから出ている『ラストレコーディング』というアルバムです。誰がなんと言おうと、ショパンの幻想即興曲の私的ナンバーワンはこのアルバムの録音です。曲と演奏者の感性と技量が、ぎりぎりのところで折り合って見事だと思うからです。スタジオ(自宅)で何度も録音し直すことができたことはファンにとっては本当に嬉しいことです。●年齢をとるのは人間ですから当然で、指・体のコントロールがきかなくなっていきます。モスクワライブもCDではカットされた曲目がいくつかありますね。それでも、その人の積み重ねてきた年月を聴き手は自分の人生と重ね、若手のぴちぴちした切れの良い演奏とは違う楽しみ方ができます。ですから、涙を浮かべて「トロイメライ」を聴くロシアの聴衆の姿は、多くの人の胸を打つのでしょうね。3人の方が、このレビューに「共感」しています。
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ヒヒ | 愛知県 | 不明 | 2010年08月07日
日本公演での体たらくがウソのような演奏。流石に指周りを要求する曲では多少残念な部分がある(スクリャービン練習曲8-12では一部簡便化しているように思われる部分がある)が、それ以外はホロヴィッツ特有の硬質な音をもって、極上の音楽に浸らせてくる。3人の方が、このレビューに「共感」しています。
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遊悠音詩人 | 埼玉県 | 不明 | 2010年07月05日
騏麟も老いては駑馬にも劣る。名ヴィルトゥオーゾも老いぬれば、悪趣味な誇張と煩雑なミスタッチばかりの駄目な演奏しか出来なくなる。晩年のホロヴィッツといえば、かの大御所、吉田秀和が「罅割れた骨董品」とボロクソに酷評したことでも知られているが、ともかく、久々の里帰りという歴史的一大事を勘定に入れても、どうしても推薦出来ない。バーンスタインのベルリンの壁崩壊記念の第九同様、史実以外に全く取り柄がない演奏の代表格。聴衆のブラヴォーが多いのは、演奏そのものに感銘を受けたというより、カリスマ的教祖的人格が目の前にいるということだけに酔わされているのだ。このことは、12年の沈黙を破ってカーネギーで行われた1965年の“ヒストリック・リターン”(因みに知り合いに、“ヒステリック・リターン”と皮肉った人がいる)にしても同じようなことが言えるだろうが、1986年モスクワ・ライヴはホロヴィッツ自身の老衰も手伝って深刻な状況だ。得意曲のスクリャービンやラフマニノフ、スカルラッティやモシュコフスキなど、プログラム自体は面白いので、最悪の“だめ!”評価にはしないが、厳しい批評になることには変わらない。1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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