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ストラヴィンスキー(1882-1971)

CD 『春の祭典』 クルレンツィス&ムジカエテルナ

『春の祭典』 クルレンツィス&ムジカエテルナ

商品ユーザレビュー

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    mari夫  |  東京都  |  不明  |  2018年05月01日

    暴風雨みたいな「春祭」。古楽器でこんな鳴り方をするのだろうか?ライブでも?ど迫力と言えばど迫力。聞いたことがなかったくらい。煽る、煽る。ただ、二度三度と聞きたいかと言われると、一度で良いかな?一緒に買ったロトの方はすぐに二度目を聞いたけど。どぎつくした以外は意外と従来の路線とそんなに変わらないような気がしなくもない。

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  • ★★★★★ 

    あんどれす せごびあ  |  愛知県  |  不明  |  2017年11月19日

    非常に速いテンポで試聴では爽快な魅力に聞こえましたが、聴き通すと軽さと裏腹でもろ手を挙げて・・・というわけにはいきませんでした。が、一聴の価値ありです。

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  • ★★★★☆ 

    zap  |  東京都  |  不明  |  2015年12月10日

    ムジカ・エテルナって古楽器オーケストラだったよな。聴いててまず思うのは、そうした同時代楽器的な響きがほとんど感じられないことだ。現代楽器の演奏と言ってもたぶんそう思えてしまうほどで、その点楽器のもつ音色を意識したロト盤とは全く方向性が違う。楽譜が1948年版を用いているのも関係してるかもしれないが、解釈的にはロトよりもずっとオーソドックスだ。「春の祭典」は、若い指揮者がとにかく勢いにまかせて演奏するというアプローチは好ましく、この演奏もそれに叶っている。しかし、これ一曲のみというのは、強気というかなんというか。対照されるもう一曲、例えば「アポロ」くらいあってほしい。

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  • ★★★★☆ 

    MISPRISIONER  |  東京都  |  不明  |  2015年11月02日

    ブーレーズ(DG盤)やカンブルラン、エトヴェシュ、ズヴェーデン、ノットといった、現代音楽を得意とする指揮者や若手指揮者をはじめ、オリジナル初稿版を使用したことで話題となったジンマン盤など、近年、バーバリズム(原始主義)を全面に押し出すよりも、どちらかといえば禁欲的でグロテスクさを抑制した「大人」の表現が好まれている《春の祭典》。しかしこの演奏は、アバドやバーンスタイン、メータやムーティ、そしてショルティやMTTといった、1970年代(メータの旧盤は69年録音だが)的な、鋭角的で即物的な力強い前進性が前面に出ている。しかし、バーンスタインのようなハチャメチャさは皆無だし、ゲルギエフのような土俗的でデモーニッシュな雰囲気は全くなく、あくまでもスマートでクリアであり、音楽的に痛快に割り切った感覚は現代的であるのかもしれない。■とはいえ、クルレンツィスの演奏は、どことなく表層的効果主義で、いろいろ工夫して「変わった」表現をしようとすればするほど換骨奪胎、効果音楽の世界へと陥っていくきらいがある。例えば「敵対する街の人々の戯れ」前半部、練習番号59の木管の八分音符をテヌートにしたり(音符の指示は“デタッシュ”だから短めにしなければいけない)、同後半部(練習番号63以降)のホルン群と木管群の動きの中で、特定の四分音符だけをテヌートにしている(スタッカーティシモが付いている四分音符までテヌートにしている)のは、ちょっと擁護できない「改変」だ。また、「春のきざし」ではホルンやトランペットの旋律を、「賢人の行列」ではテナー・ホルンの旋律を必要以上に抑えているのだが、これはどういう論理的判断に基づいているのだろうか。それに、第1部ではティンパニやカッサをこれでもかと強調していながら、第2部(特に「生贄の踊り)では、重要な部分でもオーケストラの遥か後方で微かに鳴っているだけになっている(タム・タムに至っては全く聴こえない)。こういったことは、録音陣の責任も少なくないのだろが、それは、テンポや音色の技術すべてを統括する人間的能力の領域に属することであり、何よりも話題先行、虚仮(コケ)威し的に表層的な面だけを追求した音楽に、微塵の説得力もないのである。■なお、盤の表記には「1947年版」とあるが、演奏に実際に使用されているのは1967年版の楽譜(ただし、「春の踊り」のアルト・フルートとピッコロ・クラリネット、バス・クラリネットの装飾音符は付けられ、最後の「生贄の踊り」の練習番号192以降、弦はpizz.している)。これは、戦後、ブージー&ホークス社がストラヴィンスキーの版権をロシア出版社から全て買取り、若干の改訂の後出版した版(これが1947年版)以降、著作権をアサイン(再割り当て)していない為で、《火の鳥》や《ペトルーシュカ》のように編成や楽曲構成が大きく変わっていない《春の祭典》は、ブージー&ホークス社にとって、以降の版は全て版権的には1947年版なのである。

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  • ★★★★★ 

    sunny  |  兵庫県  |  不明  |  2015年10月29日

    この時代ハルサイ一曲だけでCDを発売、パッケージとして出すだけでも勇気がある。クルレンツィスは、発売される盤、どれも、新鮮で、熱意充分、時間も掛けて、今生まれたかのような、でも20世紀あっての21世紀の音楽を理解している強力盤。音が立っている(今回も弦楽器は、本当に立って演奏しているのかな?)、鳴らすべき音を確実に迫力をもって、明確に遠慮なく鳴らしている。得にティンパニをはじめとする打楽器は力強く捉えられていて、管楽器、弦も濃く、静かな処も緊張感に満ちている。MusicAEterna恐るべし。クルレンツィスは、指揮姿は様にならんけど、リズム感、曲の把握、計算、情念籠った見事な若い指揮者だ。次は、火の鳥か。長年、私の座右のハルサイは、ムーティ・フィラデルフィアの力と技の演奏が筆頭だったけれど、この盤に変わりそうだ。請う来日公演。

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