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ラヴェル(1875-1937)

CD 管弦楽曲集 チェリビダッケ&スウェーデン放送交響楽団(1967〜70年ステレオ)(2CD)

管弦楽曲集 チェリビダッケ&スウェーデン放送交響楽団(1967〜70年ステレオ)(2CD)

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    遊悠音詩人  |  埼玉県  |  不明  |  2015年03月30日

    ラヴェルは矛盾を孕んだ作曲家だと思う。軽妙洒脱でありながら、古典的造形美にも事欠かない。人一倍感性が豊かなのに、計算づくで曲を書く。オーケストレイションは極めて精緻な癖に、そこはかとなくデカダンやペシニズムの香りが漂う。 思えば、チェリビダッケもまた、矛盾に満ちた人間である。親の仇のように録音を嫌い抜いていたにも拘わらず、メディアと無縁でいられない放送局お抱えの楽団を振りまくる。厳格極まりない暴君のようでいて、意外なほど人懐こい。ブルックナーで大伽藍を築くかと思えば、近代音楽ではユーモアの限りを尽くす。 そうしたことからも、チェリビダッケの芸風とラヴェルの作風は、意外なほどにマッチしているのだろう。現に何種類かの録音が知られている。 しかし、またしても、チェリビダッケ壮年期の《ボレロ》がお預けだ。シュトゥットガルト放送響盤にもフランス国立放送響盤にも、そして当盤にも、おおよそ“ラヴェル管弦楽曲集”と銘打つ盤には必ず入っているはずの《ボレロ》がない。 現在CDで聴けるチェリビダッケの《ボレロ》は、1993年収録のミュンヘン・フィル盤しかない。チェリビダッケ晩年特有の激遅テンポ(18分11秒!)で、スペイン舞曲的な昂揚やフランス的なエレガンスとは無縁の、息詰まるほどに緻密な演奏だった。壮年期のチェリビダッケは晩年ほど精緻に固執することなく、さりとて細部のニュアンスの妙は驚くべきもので、そこに晩年にはない前進性が乗っている絶妙なものだった。その時期の《ボレロ》は、どうやら映像なら残っているらしいのだが、CD化に適うだけの音質ではないのだろうか。何とも残念である。 しかしながら、ここに残された演奏は何れも秀逸だ。もっとも、曲目は既出盤と丸被りだが、ここでは音質の良さとオケの機能美において、一日の長がある。シュトゥットガルト放送響盤は、中音域が強く出過ぎて。相対的に高音域の抜けが悪い。オケの反応もいささかおっかなびっくりな感じである。フランス国立放送響盤は、低音域がモコモコとしているが、その分中高音域は割と豊かで、特に管楽器が浮かび上がるように聴こえるのが面白い。対して、このスウェーデン放送響盤は、北欧オケらしいひんやりとした質感で、録音もやや余韻が短く響きも硬いが、バランスはよい。特に、チェリビダッケの魔術的な弱音が、ノイズに埋もれることなく明瞭に聞き取れるのが嬉しい。もっとも、観客の咳ばらいが多いのはご愛嬌だろう。 欲を言えば、《ダフニスとクロエ》は合唱付きで演奏して欲しかった。フランス国立放送響盤には合唱が付くが、肉感的で切れば血の出るようなパッションがほとばしった名演だっただけに残念。 しかし、《クープランの墓》や《マ・メール・ロワ》では、より繊細な響きとなっており、聴き物である。何より、余韻を掻き消すブラボー合戦ではない、マナーある観客の反応も有り難い。 それにしても、コストパフォーマンスの悪さは、何とかならないかしら。《ボレロ》復活の期待も込めて、その分減点だ。

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