マーラー(1860-1911)

CD Sym.9: Boulez / Cso

Sym.9: Boulez / Cso

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    宗仲 克己  |  東京都  |  不明  |  2024年01月01日

     過ぎ去った希望の反射光として美が照らしている・・・。第九交響曲についてのテオドール・アドルノの哲学的言辞は、マーラーが完成した最後の交響曲の性格をよく表している。アドルノは、「マーラーはウィーン楽派の原点」と考えた。ブーレーズは、このアドルノの考えに影響をうけて、「私はシェーンベルク、ウェーベルン、ベルクを“発見”したのちに、彼らの音楽との連続性からマーラーを発見した。」と語っている。  ブーレーズは、1950年代にバーデン・バーデンで、ハンス・ロスバウトから「この交響曲を聴きなさい」と、彼が南西ドイツ放送交響楽団を指揮した第九のレコードを勧められた。このときブーレーズは第九を初めて聴き、大変印象深かったと回想している。  マーラーの交響曲はテンポの設定が重要であり、特に第九は両端の重要な緩徐楽章のテンポの設定に、指揮者の姿勢が顕著に表れる。ロスバウトの1954年1月7日の演奏は、第1楽章が23分06秒、第4楽章が21分38秒である。1950年のヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン交響楽団の「超速」の演奏には及ばないが、最速の演奏の範疇に属する。ロスバウトの1960年の演奏も、この速さを維持している。  ブーレーズは、彼が首席指揮者を務めていたBBC交響楽団と第九を取り上げ、1971年と1972年にライヴ録音をしている。1971年6月6日の演奏は、第1楽章が32分16秒、第4楽章が23分20秒である。 1972年10月22日の演奏は、第1楽章が26分57秒、第4楽章が21分37秒である。この当時、ブーレーズは第九の演奏の実験をしていた感がある。ブーレーズは、1990年代からドイツ・グラモフォンでの録音が多くなり、1995年12月に、DG・マーラー・チクルスの第4弾としてシカゴ交響楽団とともにセッション録音に臨んだのが本ディスクである。演奏時間は、第1楽章が29分17秒、第4楽章が21分25秒、全曲は79分23秒である。純音楽的に最も重要な第1楽章をじっくり、第4楽章は比較的あっさり、全曲を1枚のCDに収めてしまうテンポ設定に落ち着いた。第1楽章をより重視する指揮者の代表例は、ブーレーズの他にはワルター(コロンビア響)やジュリーニをあげることができる。一方、第4楽章をより重視する指揮者の代表例としては、バーンスタインやベルティーニをあげることができる。この指揮者の姿勢の違いは聴き手の好みが分かれるところであるが、私は第九交響曲については第1楽章をより重視する演奏を好む。ブーレーズの演奏は、前打音やポルタメントなどの細かな指示は強調しないが、全楽章で総譜に忠実に音楽を奏でている。ごく一例をあげると、第1楽章冒頭の第4~5小節のヴィオラのトレモロにも曖昧さがない。オーケストラ全体が奏でる音楽には、厳格な構成美があり、各パートの音量のバランスも的確である。第九の総譜を実際の音で認識するためにも、最も適した演奏である。怜悧な解釈と表現でありながら情熱もある。マーラーの伝記を排し、純粋に音楽の美を追求した理想的な演奏の一つと言うことができる。  シカゴ交響楽団による第九の正規録音は意外に少なく、現時点においても、1976年のジュリーニ、1982年のショルティ、そして1995年のブーレーズの3つのみである。時が流れてオーケストラのメンバーも変遷しているが、いずれもシカゴ交響楽団の圧倒的な実力を遺憾なく発揮した超弩級の名演奏である。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2011年06月05日

    ブーレーズはDGに相当に長い年数をかけてマーラーの交響曲全集を録音したが、本盤におさめられたマーラーの第9は、その最初期の録音である。演奏は、あらゆる意味でバーンスタインやテンシュテットなどによる濃厚でドラマティックな演奏とは対極にある純音楽的なものと言えるだろう。ブーレーズは、特に1970年代までは、聴き手の度肝を抜くような前衛的なアプローチによる怪演を行っていた。ところが、1990年代にも入ってDGに様々な演奏を録音するようになった頃には、すっかりと好々爺になり、かつての前衛的なアプローチは影を潜めてしまった。もっとも、必ずしもノーマルな演奏をするようになったわけではなく、そこはブーレーズであり、むしろスコアを徹底的に分析し、スコアに記されたすべての音符を完璧に音化するように腐心しているようにさえ感じられるようになった。もちろん、スコアの音符の背後にあるものまでを徹底的に追及した上での演奏であることから、単にスコアの音符のうわべだけを音化しただけの薄味の演奏にはいささかも陥っておらず、常に内容の濃さ、音楽性の豊かさを感じさせてくれるのが、近年のブーレーズの演奏の素晴らしさと言えるだろう。本演奏においても、そうした近年のブーレーズのアプローチに沿ったものとなっており、複雑なスコアで知られるマーラーの第9を明晰に紐解き、すべての楽想を明瞭に浮かび上がらせるようにつとめているように感じられる。それ故に、他の演奏では殆ど聴き取ることが困難な旋律や音型を聴くことができるのも、本演奏の大きな特徴と言えるだろう。さらに、ブーレーズの楽曲への徹底した分析は、マーラーが同曲に込めた死への恐怖や生への妄執と憧憬にまで及んでおり、演奏の表層においてはスコアの忠実な音化であっても、その各音型の中に、かかる楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを感じることが可能であると言える。これは、ブーレーズが晩年に至って漸く可能となった円熟の至芸とも言えるだろう。いずれにしても本演奏は、バーンスタイン&COAによる名演(1985年)とあらゆる意味で対極にあるとともに、カラヤン&ベルリン・フィル(1982年)の名演から一切の耽美的な要素を拭い去った、徹底して純音楽的に特化された名演と評価したい。このようなブーレーズの徹底した純音楽的なアプローチに対して、最高のパフォーマンスで応えたシカゴ交響楽団の卓越した演奏にも大きな拍手を送りたい。録音は、本盤でも十分に満足できる音質ではあるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質に鮮明さが増すとともに、音場が広がることになった。いまだ未購入の方で、ブーレーズによるこのような純音楽的な名演をよりよい音質で味わいたいという方には、是非ともSHM−CD盤の方の購入をお奨めしておきたい。

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  • ★★★★★ 

    candi  |  金沢市  |  不明  |  2009年03月31日

    マラ9を聞いて響きと旋律の交錯により初めて感動した。ただ、きれいなだけでなく、シカゴ交響楽団が指揮者を尊敬し、集中して最高の力で演奏していると感じられる。弦も管もアンサンブルがきわめて精密なのにも関わらず、機械的ではなく、盛り上がる部分では一糸乱れぬ演奏で極めて奥深いシカゴならではの青白い炎を発するような音が出ており絶頂期のベルリンフィルにも勝るとも劣らないオーケストラだと認識させられる。20世紀の大音楽家たち(シェーンベルク等)につながる道がはっきり見え、そういった面からもさらに感動させられる演奏。

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  • ★★★★★ 

    とら  |  とうほく  |  不明  |  2008年02月08日

    全く期待していなかったが、ブラボー!!私もブーレーズ自身と同じ?!で全集を集める気がなかったが、8番が良かったので、不足分を買い足したが、これも良かった。ブーレーズにしては、ブラスの響きも豊満で、これはCSOだからの技か・・・!

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    ラジオデイズ  |  九島  |  不明  |  2007年01月05日

    もしブーレーズが今でも以前のような表層をキチキチに締め上げる表現法を取るならば、メジャーの思惑と合致し、スター指揮者になっていただろう。彼は避けている。表層に溺れ、通俗化した音楽に、厳しい視点を向けているようにすら思える。事実最近の現代音楽の演奏家達は、表層のデコレーション化を避け、作曲家の語法を聴かせようとする。ブーレースはこの曲を二重主題の二重変奏曲のように演奏する。表層は徹底的に整理されている。CSOの響きもプラスに作用している。静かに深くこの交響曲の仕組みを考察したい人にお薦め。水準は極めて高い。

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