交響曲第4番、悲劇的序曲 カルロ・マリア・ジュリーニ&ウィーン・フィル
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ジャン=ルイ | 千葉県 | 不明 | 2021年03月12日
ホルンや弦の響きが美しい。全体的にウィーン・フィルの美感を活かした演奏だが、テンポ設定が恣意的に感じられる。細部に凝った表情付けが見られるが、第4楽章の終盤にはとても演出臭い部分があって、引いてしまう。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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mari夫 | 東京都 | 不明 | 2015年02月21日
晩年になるとぐっとテンポが遅くなる演奏家(とくに指揮者)がいる。チェリビダッケ然り、ベーム然り、ジュリーニ然り。ひょっとするとクレンペラーもそうだったのかもしれない。理由はまちまち、必ずしも運動神経を衰えのせいともいい難いけれども、ジュリーニは若い頃からリズムの固い、流れない指揮者だった。ここはクレンペラ―に似ている。けれども、クレンペラーが最初から情動的ではなかったのに対して、ジュリーニは遅いテンポで表情が濃くなっていった。そこがどうなんだろう、と私なんかは思う。下の評でもいわれているが、四番ではとくに後半の楽章にそれが著しい。ただ、それがいい方に作用しているかというと、どうもあんまり首肯出来ないなぁ。四番はフルトヴェングラーのように一気呵成なフィナーレでも、もうちょっとじっくりやってほしいという気がするのだけれども、こんなにしんねりむっつり「固練り」でやられても、音楽としては如何なものかと思う。好みと言われたらそうかもしれないけれど。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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sunny | 兵庫県 | 不明 | 2014年01月06日
そうですか、ジュリーニ様も生誕100年となってしまうのですか。音楽の奉仕者、名匠、’88年、ウィーンフィルとのライヴより、当然ながら名盤です。例によって、じっくりと、冒頭から、終結まで交感を持って、歌われ、咽び泣いています。この曲の代表的演奏、と、言っていいでしょう。ブラームスの”悲”と対峙し、冷静かつ、劇的に表現せしめた、ジュリーニとウィーンフィルの、見事な4番。バーンスタインも熱く濃くて好きですが、ジュリーニの方が、曲に合っている、と言うか、より正直、自然に立ち向かっている、深い情感が、弦管打楽器、奏者に籠められ、結果もいいものになっていると、思います。これ以上の、正攻法的演奏は、無い、不要じゃないでしょうか、とまで思ってしまう。最近、死後に発売された北欧オケとの盤については、興味は沸いても、これさえあれば、私は、必要を、感じません…。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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つよしくん | 東京都 | 不明 | 2009年09月02日
第1楽章や第2楽章は、ジュリーニとしては普通の出来。もちろん、決して凡演というわけではなく、ゆったりとした堂々たるインテンポの下、歌心溢れる優美な演奏を繰り広げている。晩年のジュリーニらしさが出てくるのは第3楽章。他のどの指揮者よりもゆったりとしたテンポで、あたかも巨象が進軍するかのような重量感溢れる演奏。そして、ジュリーニの真骨頂は終楽章。これまた誰よりもゆったりとしたテンポで、パッサカリアによる表情が目まぐるしく各変奏を巧みに描き分け、巨匠ならではの老獪な至芸を感じさせる。何よりもジュリーニが素晴らしいのは、これほど遅いテンポをとっても、全体の造型にいささかの揺るぎもなく、決して違和感を感じさせないこと。同様のテンポをとったバーンスタインの演奏では、あまりの遅さに辟易させられたが、ジュリーニの場合には全くそのようなことがないのはさすがと言うべきであろう。悲劇的序曲も、ジュリーニならではの、ゆったりとしたテンポの下、重厚さと優美さの双方を兼ね備えた名演。ウィーン・フィルの演奏は、両曲とも美しくかつ重厚でジュリーニの要求に見事に応えており、オーケストラの指揮者への畏敬の念を感じさせる。3人の方が、このレビューに「共感」しています。
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