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カベソン、アントニオ・デ(1510-1566)

CD 『作品集〜カベソン、ヴェルドロ、クレキヨン、ラッソ、セルミジ、ヴィラールト』 ドゥルス・メモワール、クララ・クートゥリー

『作品集〜カベソン、ヴェルドロ、クレキヨン、ラッソ、セルミジ、ヴィラールト』 ドゥルス・メモワール、クララ・クートゥリー

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    遊悠音詩人  |  埼玉県  |  不明  |  2014年01月19日

    僕は20代の人間だが、おおよそアイドル濫立状態のJ-POPには全くといっていい程、関心がない。だから音楽の話が合う同世代に恵まれないが、それでも、J-POPを自ら好んで聴こうとは思えない。 何故か。一言でいえば、雑音でしかないからだ。本来、音とは物理的には空気の振動であり、微細な振動が幾重にも折り重なって玄妙なる響きを創造するものなのだ。そんな“響き”というのが、イマドキの贋物音楽には皆無なのである。やたら電気的に増幅したノイズの塊をバックに、金切り声で踊り騒いでいるとしか思えないのだ。 本当にいい音楽には、豊かな響きがある。空気を微風のように優しく振動させるものがあり、それが、愛撫するかのように鼓膜を伝うのである。僕はこれこそ音楽の真髄であり、“癒し”の正体であると思っている。 ここに聴く音楽は、カベソンを中心に、彼と同世代の作品が並ぶが、何て優しい風が流れていることか……。古楽器は倍音の成分が現代楽器より複雑であり、扱いが難しいというが、それらを何の過不足もなく自然のままに奏でることによって醸される響きの美しさ、繊細さに心奪われる。何より、ゆったりとしたテンポは、忙しない日常に流れている時間軸とは真逆の、悠久の時を感じさせる。 とりわけ美しいのが歌声だ。清らかで、ビブラートを抑えた、透明感溢れる歌声……。人間の声は、かくも流麗に響くものか。 我々は、一体いつから、自らの手で雑音を作り上げ、また雑音に躍らされるようになったのだろうか……。いにしえの音楽が、静かに現代に疑問符を投げかけている。

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