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マーラー(1860-1911)

SACD 交響曲第1番『巨人』 インバル&東京都交響楽団(2012)

交響曲第1番『巨人』 インバル&東京都交響楽団(2012)

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  • ★★★★☆ 

    shef  |  栃木県  |  不明  |  2014年05月15日

    数年前、東京で聴いたフィルハーモニア/インバルの巨人は鮮烈な印象を残し、いまだに心に焼き付いてる。パステルカラーのステンドグラスのように柔らかな光彩と原色の如きアクセントを散りばめた鮮烈で幸福感に満ちた時間が。 あの時のときめきが蘇るような演奏だ。都響も大きく成長したものだ。音の濁りも少なく、透明感を維持する。2楽章のリズムの良さ。3楽章の憂鬱な気分の漂うなか木管群のモノローグのような呟きと歌。 美麗な演奏で幸福感させ味わうのだが、聴き終えると一抹の不満を覚えるのも事実。それは表面的は綺麗に研磨され、表象がみごとに映し出されるのだが、どこか虚像のような実体感の薄さを味わってしまうこと。 あるいは作為的,人工的香りを嗅いでしまうこと。 とはいっても、それは美しさゆえのサイドエフェクトというべき作用かもしれない。 美しいマーラーを優れた音質と臨場感で素直に楽しむ、楽しめること異存はないのだが・・・。

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  • ★★★☆☆ 

    銀盤の狼  |  千葉県  |  不明  |  2013年08月25日

    値上げ反対。異なるホールでの録音継ぎ接ぎ反対、デジパック反対。こんな商売してるから売れなくなるんだよ。都響(クラシック)ファンを増やすためにも、国内メーカーは価格設定等見直すべきだ

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  • ★★★★★ 

    七海耀  |  埼玉県  |  不明  |  2013年07月25日

    細部まで練られた、見事な演奏。録音レベルが低いというより、演奏のダイナミクスの幅が広く、普通のオーディオだと、ピアニシモは繊細過ぎて、聞き取りにくく、音量を上げると、今度はど迫力となる。かと言ってうるさいかということそんなことはない。金管など、いくら咆哮しても、あくまで音楽的に鳴る。スケルツォには特に感心したが、なかでも、トリオである。繊細でありながら、詩情があり、トリオをがこれほどまでに美しく響いた例はそうないのでは。弦のルバートも自然で、上品である。最終楽章は、盛り上がるところは十分に盛り上がるが、そこはインバルらしく、知性でコントロールしているようなところがある。しかし、インバルは、小林研一郎ほどとはいかないが、彼に匹敵するほど、唸り声がよく聞こえる指揮者だ。小林みたいなだみ声じゃなくって、オケと一緒に歌っているような感じで、第三楽章など、それがちと邪魔くさいが、まあ、許容範囲内か。日本のオケが技術的なレベルを超えて、音色のパレットでも、国際的レベルになりつつあることを確信する録音である。

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  • ★★★★★ 

    norry  |  東京都  |  不明  |  2013年07月20日

    とうとうインバル・都響マーラーチクルスの録音リリースが開始された。番号順で、毎月発売されるようだ。おそらく今年のうちに前半(今年1月まで)の5番までが発売されるのであろう。ファンとしては、デンオンでの85年からのあの記念碑的な全集発売を思い起こさせる幸福な期間の始まりである。しかも、あのときと同じく番号順である。インバルのマーラーに関しては、これまで発売された、2008年にインバルがシェフに就任してからの都響での演奏(2,3,4,8番)の評として、晩年になって一気に円熟したとか、深化したとかいうものが多く、特にそういった路線を代表する宇野功芳氏の近年のレコ芸等におけるレビューはこの指揮者の声望を高からしめるのに大いに貢献していただいており、長年のファンとしてありがたい次第である。近年インバルが円熟、深化した巨匠になったこと自体、全くそのとおりである。しかしながら、それにも増して重要なのは、マーラーを含め、インバルの音楽の本質は、全く変わっていないということである。それは、徹底して、音楽を「言葉」として、テクストとして把握しようとする態度であり、精神である、という点である。インバルの音楽、ことにマーラーに対するこのような態度は、本当に徹頭徹尾一貫していて、以前のFRSOとのチクルスのころから今回の都響にいたるまで全くブレがない。今回の第1も、円熟と深化は、特にこの曲に顕著な歌謡的な主題の展開に、本当に神経の行き届いた、ルバートの多用を含めたテンポの急な変化とか表情付けや、超弱音の極めて効果的な使い方をもたらしているのだが、重要なのはこのような非常に豊かな音楽的効果が、単に後期ロマン派的な感覚性・官能性のみに訴求するのではなくて、個々の音価の差異の認識、つまりは「言葉の世界」に還元されていくことだ。要するに、インバルの演奏は、どんなに音楽的感興に没入していようとも(あるいはそうであればあるほど)、同時にその音響の世界全体を差異の体系としてみようとする覚醒した意識が常に随伴していて、一つの瞬間に没入と覚醒・反省を繰り返すような精神活動であるといってよい。そしてそれは、交響曲というクラシックの最も正統的なジャンルを内から解体、ないし再構成したマーラーのような作曲家を解釈するに最も相応しいものである。例えばブーレーズも、同じ分析的傾向の高い演奏をするが、彼の演奏は静的な分析結果の提示にとどまっており、インバルのような、あえていえば動的な構造は持たない。第1は、その後のマーラーの音楽のすべての萌芽があるという指摘(インバル自身もそう語っている)はそのとおりであると思うが、やはりこれは青春の曲であって、後年の大曲のような精神的・構造的な複雑性はない。それでも、ここに聴くインバル・都響の新たな演奏は、世界的に見ても追随するところのない高度で精妙なアンサンブルにより、深く楽想に没入・沈潜しつつも常に全体の音響を差異の体系として認識することを忘れない高度なアプローチによって、第1の世界を徹底的に描ききった名演と言えるだろう。ここには、この曲によくある(そしてマーラーの曲では例外的にそのようなアプローチでも成功することがある)、後期ロマン派的な厚ぼったい音響を追求するアプローチは全くない。あらゆる瞬間の音楽が充実し、マーラーの言葉を語っている。やはり、今の都響は、インバルとマーラーの音楽を最も忠実に伝える、最高の楽器であるといってよいだろう。

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