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マーラー(1860-1911)

SACD 『大地の歌』 インバル&東京都交響楽団、フェルミリオン、ギャンビル

『大地の歌』 インバル&東京都交響楽団、フェルミリオン、ギャンビル

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    mari夫  |  東京都  |  不明  |  2017年07月28日

    先日のライブがあまりに素晴らしかったのですぐに購入しました。インバルのマーラーはフランクフルトとの全集をもっていて、ライブでも同じ組み合わせでの5番、フィルハーモニアとの1番、日フィルとの「復活」と聞いたのですが、それ以降随分間が開きましたが、先日のはそれらと比べても格段に素晴らしかった。オケも、とくに当日は冴えなかったフィルハーモニアよりずっと素晴らしくて、最近の日本のオケのシンポには目を見張る思いがしました。フランクフルトと比べても少なくとも遜色はない(はず)。こちらは5年前の演奏ですが、この欄などでの評価も大変高く期待は大きかった‥‥のですが、実はそれほどには聞こえなかった。それが演奏のせいなのか、録音のせいなのかは良くわかりませんが、出だしからどうもメリハリが不足気味で、ライブでは細部のそれと全体のマッスとしての響きが共に見事だったのに、これは音の解像度が今イチ。シューリヒトとかベイヌムのコンセルトへボウ録音など、古いかなり音の悪い演奏でもへボウのメリハリは分るので、ライブを知らない人たちにはオケの限界と感じさせてしまうかも知れません。フェルミリオンと先日のラーションはどちらも見事ですが、ラーションはかなりコントラルトぎみの声でスケールは上で、フェルミリオンは歌唱部が優れているという感じ。テノールはどちらも物足りず、これは宿命みたいですね。文句なしに☆5つの積もりでしたが、ライブとの落差のために4つに留めておきます。

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  • ★★★★★ 

    clajaztaro  |  岡山県  |  不明  |  2013年01月07日

    東京都響の演奏は素晴らしい。特に管楽器のソロは秀逸だった。インバルの指揮も含め申し分ない名演と思う。マーラの第6番・第9番あたりも是非東京都響で録音して欲しいと思います。

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  • ★★★★★ 

    銀盤の狼  |  千葉県  |  不明  |  2012年12月19日

    この演奏を聴くと、インバルと黄金期を過ぎたチェコ・フィルとの駄演が残念である。是非、5番、7番、1番を都響で再録を希望する!それにしても、近年の都響の成長は素晴らしい

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  • ★★★★☆ 

    HT  |  東京都  |  不明  |  2012年12月14日

    ギャンビルは実演を聴いたときは力んでばかりで声量もなく、全然駄目だったが、この録音ではオンマイクでそこそこ聴ける。フェルミリオンの声は若干細めに録れている印象だが、その歌唱は大変素晴らしく実演を聴いたときの感動が蘇る。都響は精度が高く、ニュアンスにも富んでアメリカの一流オケに匹敵する出来栄え。特に本間さんのオーボエ、西條さんのホルンが印象的。長年都響の顔だった本間さんの引退公演でもあった。

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  • ★★★★☆ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2012年12月10日

    指揮とオケ、メゾ・ソプラノ独唱者に関しては、文句の付けようがない。指揮はとても純音楽的にきっちりと、精妙に振っていて、かつてのような「死の想念」に浸された解釈とは、はっきり距離を置いている。この曲ではウィーン・フィルの耽美的な響きが忘れがたいが(特にワルターとバーンスタインのDECCA録音)、都響の繊細さも大いに賞賛に値する。フェルミリオンも決して「深い」声の持ち主ではないが、柔軟かつ知性的な歌いぶりで、きれいだけど「冷感症的」なクリスタ・ルートヴィヒより、むしろ好ましい。ただ一つだけ、ギャンビルの声は私には「許容範囲外」だった。もちろん楽譜通りちゃんと歌えているし、ドイツ語の発音も申し分ない。でも、歌手という生身の楽器の場合、その声が生理的に受け入れられぬということもまた起こりうるのだ。この曲のテノール・パート、私はヘルデンテノールよりもむしろリート歌手の繊細さが必要だと思うし(その点でインバルの前回録音でのペーター・シュライアーは良い選択だった)、ギャンビルも以前ほど無理に力まなくなったのは良い傾向。それでも第1楽章はまあ何とか我慢できるとしても、第3、第5楽章では、もっと伸びやかな本物のテノールの声が欲しかった。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2012年10月28日

    ここ数年のインバルの新譜はいずれも素晴らしい。指揮者がかつてと比較して小粒になったと言われる現代において、なお巨匠指揮者時代の残滓を感じさせるだけの存在感を有していると言えるところであるが、それはインバルのここ数年の偉大なる新譜によるところが大きいと思われるところだ。インバルの名声を確固たるものとしたのは、かつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音したマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)であるというのは論を待たないところだ。この全集は、現在でもなお、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集であるが、インバルは、数年前より、東京都交響楽団とチェコ・フィルを起用して、新しいマーラーの交響曲チクルスを開始している。既に、チェコ・フィルと第1番、第5番、第7番、東京都交響楽団と第2番、第3番、第4番、第8番を録音しており、「大地の歌」は第8弾ということになる(フォンテックレーベルにも第6番を録音していることから、再録音するかどうかは予断を許さないが、それを加えると第9弾ということになる。フォンテックレーベルには、他に第5番を録音している。)。 インバルは、前述の全集において「大地の歌」をスタジオ録音(1988年)していることから、今般の演奏は24年ぶりの録音ということになる。前回の演奏もインバルの名声をいささかも傷つけることのない名演であったが、今般の演奏は、それをはるかに凌駕する圧倒的な超名演であると言えるのではないだろうか。かつてのインバルによるマーラーへの交響曲演奏の際のアプローチは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションを抑制して、可能な限り踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。1988年録音の「大地の歌」についても例外ではなく、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な名演奏ではあるが、今一つの踏み外しというか、胸襟を開いた思い切った表現が欲しいと思われることも否めない事実である。ところが、本演奏においては、かつての自己抑制的なインバルはどこにも存在していない。インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、どこをとっても気迫と情熱、そして心を込め抜いた濃密な表現を施しているのが素晴らしい。それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的かつロマンティックな表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがなく、骨太の音楽作りが行われているというのは、さすがの至芸と言うべきであろう。いずれにしても、テンポの効果的な振幅を大胆に駆使した本演奏のような密度の濃い表現を行うようになったインバルによる超名演を聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニなどの累代のマーラー指揮者が鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられないところだ。メゾ・ソプラノのイリス・フェルミリオン、そして、テノールのロバート・ギャンビル、そして東京都交響楽団も、インバルの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。音質は、SACDによる極上の超高音質録音であり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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  • ★★★★★ 

    norry  |  東京都  |  不明  |  2012年10月27日

    「最高峰」のマーラーという看板に偽りなし、である。実演でもそうであったが、録音を聞いて、改めて、この演奏の比類のないレベルの高さを再確認した。「大地の歌」や第9は、中期の第5〜7に比べて、必ずしも「マーラー指揮者」ではない巨匠も名演を残している曲である。その典型としては、カラヤンとジュリーニ(いずれもBPO)が挙げられるが、その理由は、これら最後期のマーラーの作品が、中期の第5〜第7のような、マーラーの個人的に複雑かつ重層的な精神構造を音化したものでなく、より普遍的な世界観、思想を内容としていることによるといえるだろう。そのため、特にこの「大地の歌」は、東洋趣味に彩られた泰西名画のような位置づけとして、80年代に「マーラー・ブーム」が起こる遥か以前から、(第1、第2、第4と並んで)日本のクラシック音楽愛好家に受け入れられ、愛されてきた。しかし、インバルの生み出す「大地の歌」は、当然ながら、全くそのような東洋趣味の泰西名画的な位置づけとはかけ離れたものである。マーラーは、中期の3曲で、その独特のポリフォニーを作曲書法としても徹底的に突き詰めたと言ってよいが、インバルは、「大地の歌」においても、そのマーラー独特のポリフォニーに対する、他の指揮者の追随を許さない鋭敏な感覚をフルに駆使し、耽美的な旋律美は存分に発揮しつつもそれにいささかも淫することなく、あらゆるパートの音色の対比を際立たせ、極めて立体的な響きを作り出している。とにかく、この演奏は、どの部分を切り取っても、声楽を含むすべてのパートが絶妙なバランスで鳴っていて、我々に、世紀末的耽美性の流れは汲みつつもそれを超越した音楽自体の純粋な喜びを最初から最後まで感じさせてくれる。それとともに、この最後期のマーラーの先に、シェーンベルクらの音楽が控えていることをこれ以上なく実感させてくれる。まさに、「最高峰」のマーラーたる所以である。比較的新世代のマーラー指揮者(と言われている指揮者)と比較すると、例えばシノーポリ/SKDなど、非常に美しい名演(アルトは同じフェルミリオン)なのだが、アプローチとしては、若干ポリフォニーを犠牲にしても嫋嫋と旋律を歌わせ、ゴージャスな響きを作り上げるカラヤンやジュリーニにむしろ近いといってよい(私は実はシノーポリは余りポリフォニックではなくてマーラーには向いていないように感じている)。いずれにしても、このインバルの解釈のレベルの高さは、容易に他の追随を許さない。88年のFRSOとの録音は、この曲の素晴らしさを私に教えてくれた名演であるが、アプローチ自体はそう変わっていないし、ノイネッカー女史のホルンなどやはり凄いとしか言い様がないが、各楽器のバランスに対する高度な感覚、つまりは音楽的なレベルの高さは、こちらの都響との盤が一日の長があると感じる。声楽の話が後回しになってしまったが、フェルミリオンの素晴らしさはいまさらいうまでもないが、録音を聞いて感じたのは、ギャンビルもそれに劣らず素晴らしいということである。実は、実演の際は、P席に座っていたこともあって、1楽章の出だしでテノールの声が全く聞こえなかったことに面食らってしまった。その後もテノールは非常に聞こえにくく、これはこの演奏に限らず、そもそもこの曲のテノール楽章は実演上はそういう問題を抱えているらしいが、録音だとそういう問題がなく、ギャンビルの、ヘルデンテノールの美声を発揮しながらもこの曲の東洋的な情趣も十分含んだ、誠実かつ知的な歌いぶりは非常に好感が持てる。クレンペラー盤のヴンダーリヒやカラヤン盤のコロのような凄さはなくても、むしろインバルの純音楽的アプローチには非常に相性がよいと感じる。都響の話題が最後になってしまったが、この音源の演奏会(2日)は、数名のベテラン楽員の「卒業」演奏会で、今名前が出てくるのはオーボエの本間氏(「ジェモー」はじめ、一連の武満作品の録音での独奏は本当に素晴らしい)だが、そういったメモリアルな要素も加わって、演奏後の聴衆と楽員、そして指揮者も一体になった熱狂は凄いものがあった。まさに、日本のマーラー演奏史に残る名演である。

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