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バッハ(1685-1750)

SACD ヨハネ受難曲 クイケン&ラ・プティット・バンド(2SACD)

ヨハネ受難曲 クイケン&ラ・プティット・バンド(2SACD)

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    mimi  |  兵庫県  |  不明  |  2012年05月22日

    過去自分が聴き得たどの「ヨハネ受難曲」とも次元を異にする演奏で、現在S.Kuijkenがどれ程高いレベルのBach演奏家となっているか、を如実に示す盤ではないでしょうか。自分にとってS.Kuijkenの新盤を聴いて真っ先に浮かぶのは、Kuijkenの旧盤でなく、彼がヴァイオリニストとして参加していたGustav Leonhardtの「マタイ受難曲」。世俗に背を向け、ひたすら過去の音楽をそれが鳴り響いた瞬間に還すことを唯一の目標とし、一切の妥協を拒みつつ生涯を歩み、今年1月にひっそり世を去ったLeonhardtの姿が、このKuijkenの「ヨハネ」新盤には明らかに透けて見えます。昨今特に個性的な演奏に事欠かない「ヨハネ」ですが、Kuijkenの演奏はどこまでも透明で、一切の誇張がありません。特に劇性を強調することもなく、さりとてあくまで宗教的に信仰心を前面に押し出す訳でもない。ただBachの音楽のあるがままに姿を、ひたすら歴史的に忠実に鳴り響かせる以外の意図は一切感じられません。それが顕著に判るのはコラールの演奏で、どんな演奏であっても演奏者が何らかの想いのたけを込めずにはいられないのに、このKuijkenの演奏はまるでつい先程集まってきた群衆が何の打ち合わせもなく歌い始めたかのように、そっけなくまたどこをとっても強調や作為がない、ただ合唱人数もほとんど補強せず限りなく簡素に歌われるからこそ、このコラールには長い年月にドイツの民衆の中で培われてきた想いが、素のままで提示されており、終結合唱の何の人為的作業も経ない簡潔な美しさは例えようがありません。このような演奏者の一切の作為から離れた、ただBachの音楽のありのままの姿にのみ奉仕するBachの受難曲演奏は、それこそLeonhardtのマタイ以外に思い当たりません。そしてそのLeonhardtの晩年の演奏でおそらく歴史上初めて実現した、Bach演奏における完全に至適なテンポとリズム、および声楽と器楽の理想的なバランスが、Kuijkenの演奏においても感じられつつあり、それが前のどこまでも美しかった「マタイ」およびこの「ヨハネ」新盤を限りなく客観的で美しくする基盤になっています。歌手・演奏者一人一人は、おそらくメンバー交代もあり、若手が入り決して全てが名手という訳でないのにも関わらず、この演奏の透明さ、全く夾雑物の欠片もない美しさは驚異的です。S.Kuijkenが現在このような高みにあり、元気で活動しているということは、我々Bach愛好家にとって、またBach演奏史にとって、どれ程幸福なことでしょうか。前の「マタイ」ほど目立たないかも知れませんが、おそらく過去のあらゆる「ヨハネ」と比較しても別次元の、Bachにどこまでも真正であろうとする演奏として、歴史に残る価値のある演奏と思います。

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    Ibsatoshi  |  東京都  |  不明  |  2012年04月07日

    クイケンのマタイは初めて聴いた瞬間から美しさがこぼれ落ちる、満開の桜のような演奏でした。この新しいヨハネは、スルメというとキリストに失礼かもしれませんが、肉厚のハマグリのような早春の歓びに満ちている様が聴くほどに深みを増していくのです。ジャケットの写真は再考してもいいかも。見た目に惑わされないでください。途方もなく美しく、かつ味わい深いヨハネですので。

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