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モーツァルト(1756-1791)

CD ピアノ協奏曲第19&23番、他 グリモー&バイエルン放送室内管、エルトマン(CD+DVD限定盤)

ピアノ協奏曲第19&23番、他 グリモー&バイエルン放送室内管、エルトマン(CD+DVD限定盤)

商品ユーザレビュー

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    ウロウロ  |  東京都  |  不明  |  2012年02月19日

    私はこの実演をミュンヘンで聴いている。会場はデッドな響きで、バイエルンの弦も5,4,3,2,1人という少人数だったから、ずいぶん全体としては淡白な印象を与えられた。また、グリモーはサントリーでのK.310も聴いているが、もともとブラームスなどのロマン派を得意としているだけあって、モーツァルトにもそういうロマンティックな志向を持っていて、モーツァルトのエッセンスを引き出すところまではいっていなかったように思う。表現はとても淡白なところと妙にロマンティックな箇所が共存していて、まだ研鑽の余地があるように思われた。指揮者がいなかったことも災いして、またグリモーが弾き振りしているわけではないので、テンポが安定しないという箇所も散見された。しかしながら、彼女がK.505をカップリングした気持ちはよくわかる。この曲はモーツァルトが協奏曲とオペラの要素を盛り込んだ素晴らしい作品だからだ。エルトマンもよく歌っていると思うが、グリモーが左手で煽る場面もあり、この曲にそんな強靭な表現はいかがかとは思った。そういう意味ではシェーファー、ピリス、アバド盤の方がやはりエッセンスをよくつかんでいると思う。実演で「音楽」が出てきたのはK.488の2楽章あたりからで、それまではサラサラ流れるところが多かった。モーツァルトを熟知した指揮者がいれば、もっとエッセンスを引き出せたと思う。ただ、繰り返し聴くのに耐える演奏であることは確かである。それはいろいろ留保はつくが、基本的には耳に心地よい演奏となっているからだ。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • ★★★★★ 

    TKOクラシック  |  神奈川県  |  不明  |  2012年01月28日

    ハードカヴァーブック仕様が豪華な感じてよいです。今までのモーツァルトのイメージで聴くとだめです。グリモーワールドです。19番・23番とも最後に拍手が入れます。23番の方が美しく気に入りました。DVDはプロモーションビデオ、予告編のようで、グリモーのインタビュー(字幕はなしです)や森林の風景、演奏の一部のようすが映っています。おまけ程度です。 美しいジャケに負け?★5としました。

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  • ★★★★☆ 

    アンフォルタス  |  東京都  |  不明  |  2012年01月05日

    レコード芸術によればグリモーはホロヴィッツとジュリーニが協演した23番を聴いて感銘を受け、自分もブゾーニ作曲のカデンツァを弾き録音したが、協演のアバドがこれに難色を示し、直前になってモーツァルトのカデンツァを練習して別に録音をしたらしい。その後カデンツァの差し替えをアバドが要求したのに対してグリモーは「どのカデンツァを選ぶかはソリストに権限があるはずだ」と譲らずにアバドとの録音はお蔵入り。そこで自身気に入っていたミュンヘンでのライブ録音、当然カデンツァはブゾーニ版、が収録されたらしい。1986年にホロヴィッツが来日したときに「好きな指揮者はどなたですか?」と質問したのだがその時に「トスカニーニ、、、それにジュリーニ」と答えてくれたことを今でも覚えているが、そのジュリーニとの23番のディスクを初めて聴いたときには、ホロヴィッツの「遊び(過ぎ)」もあってブゾーニ版のカデンツァにやや拒否反応を示したのだが、ここでのグリモーは至極まじめに弾いていて、それほど奇異には思えず「これもありだな」と感じている。ブゾーニ版のカデンツァを頑なに拒んだアバドに彼のモーツァルトに対する、良い意味でも悪い意味でもだが、特性(限界)を感じると言えば言い過ぎだろうか?ホロヴィッツは第3楽章のある部分のリズム・メロディーの歌わせ方にも一家言あったらしく、映像の中で「ターラリララ、、、」と自ら口ずさみながら、モーツァルトは間違えて書いているというようなことを言っていたが、もし手元にホロヴィッツ盤をお持ちならばこの部分をグリモー盤と聴き比べるのも楽しい。ホロヴィッツ盤では第3楽章の4:01〜4:05の演奏でグリモー盤では3:50〜3:54の部分の演奏である。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2011年12月30日

    昨今においてますます進境著しいエレーヌ・グリモーであるが、意外にもモーツァルトの楽曲については殆ど録音を行っていない。ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番を2度も録音していることなどに鑑みれば、実に不思議なことであると言えるだろう。本盤におさめられたモーツァルトのピアノ協奏曲第19番及び第23番についても、グリモーによるモーツァルトのピアノ協奏曲初の録音であるのみならず、モーツァルトの楽曲としても、ピアノ・ソナタ第8番の演奏(2010年)以来、2度目の録音ということになる。ピアノ・ソナタ第8番については、モーツァルトを殆ど演奏していないグルモーだけに、他のピアニストによる演奏とはまるで異なる、いわゆる崩した個性的な演奏を繰り広げていたが、グリモーの心の込め方が尋常ならざるレベルに達しているため、非常に説得力のある名演に仕上がっていたところだ。それだけに、本盤のピアノ協奏曲においても、前述のピアノ・ソナタ第8番の演奏で聴かれたような超個性的な表現を期待したのであるが、見事に肩透かしを喰わされてしまった。カデンツァにおける即興性溢れる演奏には、そうした個性の片鱗は感じさせるものの、演奏全体の基本的なアプローチとしては、グリモーはオーソドックスな演奏に徹しているとさえ言えるところだ。グリモーのピアノ演奏は、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番を得意のレパートリーとしていることからも伺い知ることができるように、力強い打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の起伏の幅が桁外れに広いスケールの大きさを特徴としていると言える。とりわけ、力強い打鍵は、男性ピアニスト顔負けの強靭さを誇っているとさえ言えるところである。ところが、本演奏においては、モーツァルトのピアノ協奏曲だけに、むしろ、楽曲の随所に盛り込まれた繊細な抒情に満ち溢れた名旋律の数々を、女流ピアニストならではの清澄な美しさを保ちつつ心を込めて歌い抜くことに主眼を置いているように思われる。そして、モーツァルトの楽曲に特有の、各旋律の端々から滲み出してくる独特の寂寥感の描出についてもいささかも不足はないと言える。加えて、グリモーが素晴らしいのは、これは濃厚な表情づけを行ったピアノ・ソナタ第8番の演奏の場合と同様であるが、感情移入のあまり感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥るということは薬にしたくもなく、どこをとっても格調の高さを失っていない点であると考えられる。このように、本盤の演奏は総じてオーソドックスな様相の演奏であるとは言えるが、前述のような繊細にして清澄な美しさ、そしていささかも格調の高さを失うことがない心の込め方など、グリモーならではの美質も随所に盛り込まれており、バイエルン放送室内管弦楽団による好パフォーマンスも相まって、正に珠玉の名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。併録のレチタティーヴォ「どうしてあなたが忘れられるでしょうか?」とアリア「心配しなくともよいのです、愛する人よ」については、グリモーの透明感溢れる美しいピアノ演奏と、モイツァ・エルトマンの美声が相まった美しさの極みとも言うべき素晴らしい名演だ。音質についても、2011年のライヴ録音であるとともに、ピアノとの相性抜群のSHM−CD盤での発売であることから、グリモーのピアノタッチがより鮮明に再現されるなど、申し分のないものであると高く評価したい。

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  • ★★★★☆ 

    ビジー  |  兵庫県  |  不明  |  2011年12月30日

    グリモーの強烈なエロチズムが隠されたMozart。このCDの彼女の硬質な打鍵はなぜか清楚ではない。Mozartの表現のために意図された硬質な打鍵。しかし、その打鍵の裏には強烈なエロチズムが・・・。

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  • ★★★★★ 

    アーノンクール  |  岡山県  |  不明  |  2011年11月18日

    強靭な左手で立体的に造形されるピアノによって今までに聴き慣れていた協奏曲に新しい光が当てられています。K488では、センチメンタリズムのかけらもないアダージョの沈潜と続くアレグロ・アッサイの躍動感の対比が見事で、モーツァルトの音楽の広がりを堪能できます。K505はテレサ・ベルガンサ(華麗!)とキリ・テ・カナワ(優雅!)の名演がありますが、エルトマンの若く輝く声は、グリモ―の水晶のようなピアノとあいまって、実に魅力的です。このコンサートアリアの最高傑作(の一つ)に新たな名演が誕生したと言えるでしょう。

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  • ★★★★☆ 

    eroicka  |  不明  |  不明  |  2011年11月13日

    真ん中の緩徐楽章は遅いテンポで歌い上げ、最終楽章だけは軽やかに疾走する。20人程度の小編成のオケの伴奏のようだが、奏者個々の力量が高く、ピアノに決して埋没して負けてはいない。ピアノの音色と知的な解釈、現代楽器の小編成オケの純化された響きが実に美しい。(ついでに言えば、グリモーも四十路を迎えたのに相変わらず容色は衰えない)2曲の協奏曲に挟まれたアリアにはアルバムの構成上、若干違和感を覚えた。が、グリモーの思い出の曲なのだそうだから致し方あるまい。今後のシリーズ化への発展を期待したい。

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  • ★★★★★ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2011年11月07日

    DG移籍後、意欲的なアルバムを次々に出しているグリモー。リストのロ短調ソナタほかによる「レゾナンス」も良かったが、聴き手をねじふせるような技巧の持ち主ではないだけに、この種の超絶技巧曲ではいまひとつ、食い足りなさが残った。しかし今回のモーツァルト・ピアノ協奏曲集は文句なしの出来ばえ。非常に編成の小さなオケ(限定盤のオマケDVDで見ると十数名であることが分かる)を弾き振りしているが、繊細かつ自発性の高い、生気あふれる演奏になっている。オケも含めてピリオド・スタイルを踏まえているのは明らかだが、緩徐楽章での旋律装飾は行わず、楽器はもちろんモダンだし、必要とあれば弦楽器もたっぷりヴィブラートをかける。特に第23番の第2楽章はかなり遅めのテンポで非常にロマンティックな音楽になっている。終わり近くの弦の伴奏も旧全集版通りのピツィカート。一方、両協奏曲とも終楽章は速いテンポで溌剌たる演奏(2曲とも最後に拍手あり)。第23番第1楽章では、ホロヴィッツが弾いていたのと同じブゾーニのカデンツァを採用。協奏曲の間にはさまれたk.505のコンサート・アリアも実にいいコントラストになっている。

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