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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

CD 交響曲第5番 クルト・ザンデルリング&ベルリン交響楽団

交響曲第5番 クルト・ザンデルリング&ベルリン交響楽団

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    一人のクラシックオールドファン  |  兵庫県  |  不明  |  2011年11月25日

    先々月2011年9月、99歳の誕生日を翌日に控えて亡くなったザンデルリンクのBSOを指揮しての1982年まだ70歳と若かりし頃録音したショスタコーヴィチ交響曲第5番で他のレビューの方も述べられている様に正にドイツ風の演奏でタイムは@17’37A5’30B15’34C11’50と全体充分時間をかけての進め具合であります。周知の様にザンデルリンクは亡命先のソ連で1940〜1950年代旧LPSOの指揮を担当しあのムラビンスキーの下で研鑽も積みショスタコーヴィチとも面識があったわけですから本盤仕上がりもその本質は中々大したものなのでしょう。1960年代に戻って来たドイツでの活動でもかつてのソ連での経験も生きた演奏も多い様ですね。さて、本盤演奏第1楽章、ファッとした感じの出だしでややユトリを持った・・・ギスギスせず鋭い感じも抑え気味の運びが暫く続きます。中ほどマーチ風の処はテンポアップさせたり詰めは隈取りながら再びスローダウンさせ起伏メリハリをつけます。ピーク後更にスローになりやがて後日談の様にヴァイオリン・ソロが美しく添いながら落ち着いたクロージングであります。第2楽章・・・スタートは少しブチ切り的ですがゆっくりリズムを刻みつつ伴奏的管弦楽はなだらかな流れで対照を強調します。締めくくりはやはり落ち着いたものです。コントラストを抑制したこれまでのアプローチの延長戦上では一番似合いの第3楽章はやはり弦中心に穏やかに進みますが時として「凄み」もチラつかせます。緊張感が疑問視される寸前様相一点しピークでは厚い弦を軸に攻めて執拗さも加わりはち切れます。静まった後はハープ等主導でやはり落ち着いた〆め。いよいよ最終楽章、例のスタートはかなり速く全楽章とのこれも対比感を出して行きます。中間部への突入はスローダウンからクライマックスへの準備体制に入ってマーチへはゆっくりとティンパニーも踏みしめる如くで管楽器の咆哮と弦楽器側もどっしり、ゆっくり・・・最後のティンパニーも実に堂々と勝利感に結び付けます。ムラビンスキー流に初め速く終わり遅くの配分なのですがかなり異なりはしておりました。この「革命」交響曲は正直な処ある程度のレベルの演奏ならどんな演奏でもその効果があげられるそれこそ名曲なのですが本盤演奏の後半二楽章は特に印象深く説得力あるものと思います。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2011年09月19日

    クルト・ザンデルリンクが9月18日(2011年)、ベルリンにて98歳の生涯を終えた。2002年に引退をしてからは指揮活動から遠ざかってはいたが、現役時代に行った演奏の数々には素晴らしい名演も数多く存在しており、その死は誠に残念至極である。この場を借りて、ザンデルリンクの冥福を心からお祈りしたい。東独出身のザンデルリンクは、旧ソヴィエト連邦においてムラヴィンスキーにも師事し、ショスタコーヴィチと親交があったこともあって、ショスタコーヴィチの交響曲を得意としていた。すべての交響曲を演奏・録音したわけではないが、第1番、第5番、第6番、第8番、第10番、第15番の6曲についてはスタジオ録音を行っており、いずれ劣らぬ名演に仕上がっていると言える。ショスタコーヴィチの交響曲は、最近では数多くの指揮者が演奏を行うようになってきているが、その本質を的確に描き出している演奏はあまりにも少ないと言えるのではないだろうか。ショスタコーヴィチは、旧ソヴィエト連邦という、今で言えば北朝鮮のような独裁者が支配する政治体制の中で、絶えず死と隣り合わせの粛清の恐怖などにさらされながらしたたかに生き抜いてきたところだ。かつて一世を風靡した「ショスタコーヴィチの証言」は現在では偽書とされているが、それでも、ショスタコーヴィチの交響曲(とりわけ第4番以降の交響曲)には、死への恐怖や独裁者への怒り、そして、粛清された者への鎮魂の気持ちが込められていると言っても過言ではあるまい。したがって、ショスタコーヴィチと親交があるとともに、同時代を生き抜いてきたムラヴィンスキーの演奏が感動的な名演であるのは当然のことであり、かかる恐怖などと無縁に平和裏に生きてきた指揮者には、ショスタコーヴィチの交響曲の本質を的確に捉えて演奏することなど到底不可能とも言えるだろう。一般に評判の高いバーンスタインによる演奏など、雄弁ではあるが内容は空虚で能天気な演奏であり、かかる大言壮語だけが取り柄の演奏のどこがいいのかよくわからないところだ。かつてマーラー・ブームが訪れた際に、次はショスタコーヴィチの時代などと言われたところであるが、ショスタコーヴィチ・ブームなどは現在でもなお一向に訪れていないと言える。マーラーの交響曲は、それなりの統率力のある指揮者と、スコアを完璧に音化し得る優秀なオーケストラが揃っていれば、それだけでも十分に名演を成し遂げることが可能とも言えるが、ショスタコーヴィチの交響曲の場合は、それだけでは到底不十分であり、楽曲の本質への深い理解や内容への徹底した追及が必要不可欠である。こうした点が、ショスタコーヴィチ・ブームが一向に訪れない要因と言えるのかもしれない。それはさておき、本盤のザンデルリンクの演奏は素晴らしい。さすがに、師匠であるムラヴィンスキーの演奏ほどの深みや凄みには達していないと言えるが、旧ソヴィエト連邦と同様の警察国家であった東独出身のザンデルリンクだけに、ショスタコーヴィチの交響曲の本質への深い理解については、人後に落ちないものがあったと言える。加えて、ドイツ人指揮者ならではの堅固な造型美や重厚な音色が演奏全体を支配しており、その意味では、ムラヴィンスキーによる名演の持つ峻厳さを若干緩和するとともに、ドイツ風の重厚さを付加させた演奏と言えるのかもしれない。いずれにしても、本演奏は、ムラヴィンスキーなどのロシア系の指揮者以外の指揮者による演奏の中では、最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は、ハイブリッドSACD盤とハイパーマスタリング盤、そして本リマスタリング盤がほぼ同格の音質であると言えるだろう。あとは好みの問題であるが、私としては、音質の艶やかな鮮明さや音場の広がりにおいて、若干ではあるがハイブリッドSACD盤の方をより上位に掲げたいと考える。

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  • ★★★★☆ 

    kuzu2001  |  東京都  |  不明  |  2011年09月19日

    今日2011年9月19日未明(18日深夜)ベルリンフィルのデジタルコンサートホールで、ラトルのスピーチを通じてクルト・ザンデルリンクの死を知った。享年98歳。翌日には99歳の誕生日を迎えるはずだった。すでに引退していたとはいえ、最長老指揮者の死には様々な思いが脳裡をよぎる。 長く東ベルリンで活躍した彼の象徴的な活動記録として、コミュニスト音楽の代表と見られていたこのショスタコーヴィチ録音は、非常に印象深い存在だ。演奏そのもので言えばもっと印象的なディスクも数あるが、ベルリンの壁が崩壊して22年、冷戦時代を思い返すのに外すことのできないよすがとして今一度聞き返してみたい。ショスタコーヴィチの真意と言われた「証言」が偽書とわかった今、改めてこの演奏の正統性が評価できるかもしれない。あるいは、時代の暴走を音をもって証言してくれるかもしれない。 偶然にも東の老匠の言わば野辺送りのコンサートになった、西のベルリン・フィルのマーラー第8を生中継で見る。あの奇妙な世界が過去のものとなり、新たな歪みの中で生きている自分をつくづく感じる夜になった。

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