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ブルックナー (1824-1896)

CD 交響曲第8番 フルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1949)

交響曲第8番 フルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1949)

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  • ★★★★★ 

    masato  |  新潟県  |  不明  |  2012年12月24日

     これって音質改善なのだろうか…? おまけに相当高額の出費を我々に強いての…である。残念ながら私の耳には普通のCDの方がよく聴こえたりもする…。  そもそもフルトヴェングラーの作り出す音楽は,音質云々を超えたところにある。勿論この第8もその例外じゃない。この音質改善(?)によってフルトヴェングラーのブルックナーの魅力に改めて開眼した…という人は,恐らく本当のフルトヴェングラーの魅力に気づけない人なのではないだろうか…。

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  • ★★★★★ 

    拝一刀  |  千葉県  |  不明  |  2012年10月24日

    演奏そのものは第二次大戦中の壮絶な演奏を彷彿とさせる凄まじいものだが、リマスタリング、エンジニアの手腕によって演奏は別物にもなる。個人的には、今は亡きあの過激な「ブルックナー大嫌い」熱狂的フルトヴェングラー支持者、指揮者兼音楽評論家福永陽一郎氏に「ブルックナーに開眼した」と言わせたアナログLP時代のカナダROCOCOレーベル盤、米ワルター協会レーベル盤の音質が最高のものだと思うが、リマスタリングは誰が担当しているのか?また平林がしゃしゃり出てきているが、もし平林がリマスタリングを担当しているなら、絶対買わない。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2012年12月01日

    フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の演奏については、必ずしも評価が高いとは言い難い。一部の熱心なフルトヴェングラーの愛好者はともかくとして、フルトヴェングラーの演奏を聴く場合には、独墺系の作曲家による交響曲については、先ずはベートーヴェン、次いでブラームスというのが相場ではないかと思われるところだ。とりわけ、1990年代に入って、ヴァントや朝比奈がいわゆるインテンポを基調とする崇高な名演の数々を成し遂げるようになってからは、テンポの振幅を大胆に駆使したフルトヴェングラーによる演奏は、音質の劣悪さも相まって、時代遅れの演奏としてますます影の薄い存在となっていったところである。しかしながら、EMIが1949年の演奏(ライヴ録音)をSACD化するに及んで、とりわけブルックナーの交響曲演奏の生命線でもある低弦の重量感溢れる響きや、ブラスセクションのブリリアントな響きなどが、決して団子状態にならず、かなり鮮明に再現されるようになったことにより、フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の演奏が再び脚光を浴びることになったのは記憶に新しい。そして、今般、優秀な音源として知られるRIASのマスターテープから、シングルレイヤーによるSACD化が行われる運びとなり、ついに当該演奏が決定的とも評価し得る圧倒的な高音質に生まれ変わったと言える。今般のシングルレイヤーによるSACD盤の登場は、フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲演奏の再評価への決定打になるのではないかとさえ考えられるところだ。それにしても、こうして良好な音質で聴くと、演奏はさすがに素晴らしい。徹頭徹尾、アッチェレランドを随所に用いるなどテンポの思い切った緩急を駆使したいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな名演だ。もっとも、第1楽章におけるトゥッティに向けての猛烈なアッチェレランドや、第2楽章の快速のテンポと中間部のスローテンポの極端な対比など、現代においては殆ど聴かれない大時代的なアプローチとも言えるが、1949年においては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。現代でも文句なく通用するのは第3楽章及び終楽章であり、これは圧倒的な超名演である。第3楽章におけるいつ果てるとも知れない滔々とした調べは美しさの極みであり、かの歴史的な名演であるベートーヴェンの交響曲第9番のバイロイト盤(1951年ライヴ録音)の第3楽章にも比肩し得る至高・至純の高みに達していると言える。終楽章も、ハース版にはないシンバルを加えたり、終結部の猛烈なアッチェレランドなど、いささか違和感を感じさせる箇所がないわけではないが、全体としては雄渾なスケール感を感じさせる彫の深い名演に仕上がっていると高く評価したい。

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  • ★★★★☆ 

    norry  |  東京都  |  不明  |  2011年09月23日

    EMI盤のフルトヴェングラー,BPOによるブルックナー8番(1949年3月14日。ダーレムのゲマインデハウス〔公民館〕における放送用録音)は,実は,バイロイトの第9ほどではないにしても,マスターテープのソースに問題を抱えている。それが最初に問題になったのが,TESTAMENTが1998年に発売した同じ演奏のCDである。このCDでは,ライナーの解説に,従来からEMIで発売されていたものは,実は3月14日のダーレムでの演奏と,翌15日のベルリンのティタニア・パラストでのライブとのmixtureであると指摘され,今般TESTAMENTが発売したのが正しく14日の演奏の録音である旨指摘されている。実際にこのTESTAMENT盤と,従前から我々が親しんでいたEMI盤とはだいぶ趣が異なっていて,特に,前者は,第1楽章冒頭で,第1主題がトゥッティで轟然と轟く部分が,余りの大音響のせいか,エンジニアが慌てて録音レベルを落とす様子が手に取るように分かるのが特徴的である。これに対し後者は,もともとブライトクランク(独エレクトローラが開発した人工ステレオ)で発売されたためか,かなり残響が加えられているとともに,上述の録音レベルの問題もうまく処理されており,かえって非常にフルトヴェングラーらしいと言えば語弊があるが,若干モヤモヤ感はあるとは言え,ダイナミックレンジの広い音響に仕上がっている。そして,今回発売のこのSACD盤であるが,一聴する限り,これはTESTAMENT盤と非常に似ているように思う(なぜか表示されている時間は割と違うのだが)。特に,1楽章の録音レベル切り下げの問題は全く同じである。私はいかにも元の放送用録音という感じの音のTESTAMENT盤も嫌いではないのだが,この録音レベル切下げは補正してほしかったと思う。本当にこの部分こそフルトヴェングラーならでは,という音が鳴り響いているからだ。各楽器の分離のよさや音場感の広さはこのSACD盤が優れていると思う。それでも,これを聴いて,やはり従来のEMI盤も手放せないことが分かってしまった。いずれにしてもこういった事情について,CDのライナーでもここのレビューでも他の雑誌等でも誰も触れていないのは残念である。演奏論について述べる余裕がないが,一言で言えば,やはりフルトヴェングラーのブルックナーは,他のあらゆる指揮者の到達しえない高みに達していることは,30年間聴いてきてますます明らかになってきたと思っている。最後になったが,是非リスナーの方には3月15日盤も聴いていただきたい。これは14日の演奏をさらに上回る,鬼神も避けて通るような凄まじい演奏である。このような演奏が可能な人間と団体が本当にいたのか,と思うような。

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  • ★★☆☆☆ 

    yasumin  |  富山県  |  不明  |  2013年09月06日

    当演奏については、エレクトローラのLPをこれまでも又、これからも愛聴することになろう。なぜなら、古いモノラルの音源をSACD化しても所詮はそれ以上でも以下でもないから。私の持っているLPは擬似ステレオであり、これについても異論のあるところだろうが、私は一番気に入っている。いずれにしても演奏そのものは、フルヴェン流の、誰にもまねの出来ない個性的なものであるから、後は気に入るか、気に入らないか だけである。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2011年03月05日

    素晴らしい高音質SACDだ。同時期の録音であるブルックナーの第7とは見違えるような高音質に生まれ変わったのが見事である。何よりも、ブルックナーの交響曲の生命線である低音がしっかりと鳴り切っているのが素晴らしい。また、高弦も極めて艶やかに再現されており、木管楽器の音色も美しさの極みだ。トゥッティにおいて音圧が低くなったり(第1楽章終結部)、音が団子状態になったり(第3楽章や終楽章終結部)にするのが残念であり、ティンパニやホルンの音色がいささか古いのが気になるとは言えるが、今から60年以上も前の録音であることを考えると、決して文句は言えまい。演奏は、徹頭徹尾、アッチェレランドを随所に用いるなどテンポの思い切った緩急を駆使したいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな名演だ。もっとも、第1楽章におけるトゥッティに向けての猛烈なアッチェレランドや、第2楽章の快速のテンポと中間部のスローテンポの極端な対比など、現代においては殆ど聴かれない大時代的な解釈とも言えるが、ライナーノーツにおいて相場ひろ氏が解説されておられるように、当時としては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。現代でも文句なく通用するのは第3楽章及び終楽章であり、これはさすがに素晴らしい名演である。第3楽章におけるいつ果てるとも知れない滔々とした調べは美しさの極みであり、かの歴史的な名演であるベートーヴェンの第9のバイロイトライブの第3楽章にも比肩し得る至高・至純の高みに達していると言える。終楽章も、ハース版にはないシンバルを加えたり、終結部の猛烈なアッチェレランドなど、いささか違和感を感じさせる箇所がないわけではないが、全体としては雄渾なスケール感を感じさせる彫の深い名演に仕上がっていると高く評価したい。

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  • ★★★★★ 

    古き良き時代  |  大阪府  |  不明  |  2020年02月20日

    凄い演奏でした。 第一楽章で、音楽が、一時、止まってしまい、その後、再開するあたりの緊張感は聴いていてぞっとするくらいでした。 あの時代のライブはこんな感じだった、と思わされました。 フルトヴェングラーの全録音でも特筆すべき演奏の一つだと思います。

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  • ★★☆☆☆ 

    カバポチ  |  神奈川県  |  不明  |  2011年02月23日

    音悪いです。フォルテの箇所で音量が絞られたり、人為的に音量を不自然にいじられているのに相当抵抗がある。音質に波がある。聴き通すのが辛い。アーチペル盤の方が格段に音が良い!

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  • ★★★★★ 

    カニさん  |  兵庫県  |  不明  |  2021年01月05日

    音質向上で、やっとフルトヴェングラーのこの曲のとらえ方が分かった。フルトヴェングラーのベートーヴェン好きは、有名だけど、私見だが、この曲を、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」と同じ解釈で捉えているのだと思う。(第4楽章の「合唱」は、ないけれど。)最終章の第4楽章で、「神の前で人類は、平等に兄弟・友人になる。」とフィナーレで、歌い上げているのだと思う。フルトヴェングラーの信仰心(音楽の中心)は、やはり、ベートーヴェンがいるのだと思う。その誠実さに感動した。皆さんも、聞いて色々な感想(妄想)を、膨らませてほしい。そんな、演奏です。

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  • ★★★★★ 

    くまたろ  |  東京都  |  不明  |  2019年07月30日

    20世紀は半ばのブルックナー演奏について考えるとき、この演奏は外すことのできない重要性をもっている。 むろん、ある種の評論家の好みにしたがった評価しかできない人や、流行の演奏しか聞けないという人には、あまり価値はなだろう。ただ、虚心に響きに耳をかたむけようとする者や、演奏史に興味をもつ人たちには、かけがえのない演奏といえる。 音質の向上が満足のいくものかどうかという点については、正直、期待ほどではなかった。

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  • ★★★★★ 

    masato  |  新潟県  |  不明  |  2011年11月27日

    それにしても,この古い録音(だいぶ改善されて,劣悪とまでは言えなくなった)からでさえ伝わってくる熱気・迫力は…! 現代の演奏からはもう聴けなくなった色々なアップ・ダウンが,1つ1つ魅力的に迫ってくる。それらが全て見事につぼにはまっているから,ちっとも嫌味に響かない。フルトヴェングラーは,単に紙に書かれた白黒のおたまじゃくし群を,見事な芸術に変貌させる類まれなる演出家だった。それを実感できる格好の1枚。(ただ,エンディングはゆっくりと堂々としている方が私の好みだなぁ…)。

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