ピアノ協奏曲第3・4・5番 アラウ、クレンペラー(1957)
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lightnin | 青森県 | 不明 | 2012年11月17日
どういういきさつで協演することになったのだろうと疑問を持つくらい個性が離れている二人と思っていたが,演奏を聴くとそんなでもなかった。クレンペラーの厳格なテンポの進行は,アラウの演奏をむしろ自由なものにしているのではとさえ感じる。特に3番,4番はアラウのロマン性が十分に現れた演奏になっている。5番については,私の感覚では二人の曲想がずれたりする部分が多いように感じた。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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黒熊怪 | 兵庫県 | 不明 | 2011年01月14日
Bethoven晩年の31番の心の澄み切ったこの演奏は、驚くほど出来がよい。ビアノ録音が技術的に手強いのは解るが、この頃のレッグのプロデュースの慧眼には全く感服する。ドイツ流のアプローチとやや距離を感じるが、アラウのBethovenは本国ドイツで極めて高く評価された。この曲を作曲した作者の年齢と奏者の年齢が同じ頃で、技術的にも解釈的にも均衡がとれ、響きは美しく透明。もう耳の全く聞こえなかったBethovenの、若い頃から人生を生きる心の糧であった、ピアノにかける深い想いと、それでもなお、ピアノ演奏の極限を超えるような作品に立ち向かう、純粋思弁の世界で永遠に鳴り響く、壮大な哲学が伝わってくる。1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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黒熊怪 | 神戸 | 不明 | 2008年12月20日
Bethoven晩年の31番の心の澄み切ったこの演奏は、驚くほど出来がよい。ビアノ録音が手強いのは解るが、この頃のレッグのプロデュースの慧眼には全く感服する。ドイツ流のアプローチとやや距離を感じるが、アラウのBethovenは本国ドイツで極めて高く評価された。この曲を作曲した作者の年齢と、奏者の年齢が同じ頃で技術的にも解釈的にも均衡がとれ、響きは美しく透明。もう耳の聞こえなかったBethovenの、若い頃から人生を生きる心の糧であった、ピアノにかける深い想いと、それでもなお、ピアノ演奏の極限を超えるような作品に立ち向かう、壮大な哲学が伝わってくる。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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京山菜 | 京王線 | 不明 | 2007年03月17日
終始強固な構造物を作る渋い指揮者と深い味わいを持つピアノ。まさにピアノ協奏曲の最高の記録の一つだと思う。クレンペラーもアラウ級のピアニストと協奏曲全集を作って欲しかった。これは文化にとっての、もはや取り返しのつかない多大なる損失を穴埋めする偉大な記録だ。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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karajan fan | sapporo | 不明 | 2005年06月08日
実に堂々とした皇帝だ。クレンペラーの構築するベートーヴェンの中でアラウの個性が光り輝いているお互いにとっての名演と言える。不思議なことクレンペラーという指揮者は楽曲の解釈と構築力には頑なな姿勢があるにもかかわらず、その共演者の持ち味を最大限に引き出している。後年にバレンボイムと録音を行っているが、まさしく共演者の違いが、そのまま演奏に現れている。クレンペラーのベートーヴェンに対する解釈は何も変わっていないのに・・・・。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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