トップ > 音楽CD・DVD > クラシック > ベートーヴェン(1770-1827) > 交響曲第7番 テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ

ベートーヴェン(1770-1827)

CD 交響曲第7番 テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ

交響曲第7番 テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ

商品ユーザレビュー

  • ★★★★★ 
    (0 件)
  • ★★★★☆ 
    (5 件)
  • ★★★☆☆ 
    (1 件)
  • ★★☆☆☆ 
    (0 件)
  • ★☆☆☆☆ 
    (0 件)

レビューを書いてみませんか?

レビューを書く

検索結果:6件中1件から6件まで表示

  • ★★★★☆ 

    ひまらやすぎ  |  神奈川県  |  不明  |  2021年04月28日

    悲しいかな、古楽器演奏や楽譜の洗い直しや 従来の批判版(ベレンライター新原典版など)に慣れてしまった耳には、「平凡な」演奏に聞こえてしまいます。  でも、決して悪い演奏ではありません。密度の濃い「クルレンツィス流に料理された」ものになりました。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに 共感する

  • ★★★☆☆ 

    フォアグラ  |  愛知県  |  不明  |  2021年04月23日

    メータ/LAPボックスの7番を聴いた後にクルレンツィスを聴いたのだが、メータのほうがよかった。メータはヴァイオリンを両翼配置にしているがクルレンツィスはやっていない。クルレンツィスは第1楽章で内声の弦の刻みを強調しはっとさせるが、実はメータもやっている。そしてメータにある興奮がクルレンツィスにはないのだ。結局クルレンツィスは表情をどぎつくやっているだけという疑問が湧く。ピリオドでこれだけの精度は瞠目すべきものであるが、徹底的な作りこみがベートーヴェンの音楽が本来持つ爆発力を減退させたのではないか。その点ではロトやエラス=カサドのほうが上だと思う。まあ、こんなことを言って毎回CDを買っている段階でクルレンツィスの術中に嵌っているのだが。彼は元々聴き手を感動させようなどとは考えていない。その手口を検分して議論にしてもらうことが目的なのだ。もしかすると21世紀のクラシックはこうしたものかもしれない。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに 共感する

  • ★★★★☆ 

    Amadeo  |  神奈川県  |  不明  |  2021年04月15日

     コロナ禍がなければ、去年のちょうど今ごろに生で聴いていたはずの曲。発売も延び延びになり、首を長〜くして、待ちに待って、ついに聴くことができた。  いつものように、細部までおろそかにすることなく、演奏意図がオケの隅々にまで行き届き、驚異的な合奏力でしか為し得ないクルレンツィスワールドを感じることができる。  簡単には実現しえない高水準の演奏であることには、全く疑いがない。  だがしかし。どうにも満足しきれない。ある意味、整いすぎているというか、この曲に不可欠な高揚が十分に感じられないのだ。さあ来るか、もう来るかと待ちながら聴き進むと、爆発することなく終わってしまう。この演奏に圧倒されたいという欲求、圧倒してくれるだろうという期待が、満たされない。  クルレンツィスという人は、デフォルメはあっても楽譜に忠実な指向を持っている音楽家だと思うが、今回は、スコアを見ながら聴いても音価のとりかたに疑問が残るところもある。なんだかもやもやするのだ。  期待値がダントツに高いせいだろうか。CDというメディアをはさんでいるからなのかもしれない。  ああ、やっぱり生で聴きたいな。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに 共感する

  • ★★★★☆ 

    てつ  |  東京都  |  不明  |  2021年04月14日

    この演奏は聞いた方が良いと思います。クルレンツィスは彼自身がインタビューで言っている様に「スコアから人と違うことを読み取ることが出来る」のであり、それを具現化しています。その意味で既存概念とは違うものを常に求めており、この演奏もそうです。いつもの通り、繰り返されるパッセージには必ず違うニュアンスを与え、デュナミークには細心の注意を払います。なるほど、と思わせる第一楽章第一主題とか、あれ、電源落ちたかな、と思わせる様な第二楽章冒頭とか。今回も彼の想いが詰まっています。私は好き嫌いではなく、こういうクルレンツィスの姿勢を支持します。クラシック音楽も常に新しい可能性にチャレンジしないといけない。スコアから限りない可能性を読み取り、表現する演奏者を心から支持します。だからこの演奏に対して、従来の尺度で批評することは適当ではないと思います。クルレンツィスとムジカエテルナの挑戦についてどう思うか、という観点のみで批評するべきと思います。この演奏は「好き嫌い」だけではなく、そのものの価値について考えるよう、我々に要求する、そういう演奏です。その上であえて言いますが、彼らの既存の演奏よりも「おおっ!」と思わせるところが多くない。ベートーヴェンの7番については他にもスコアを読み込んでこの曲の真価に迫ろうとした演奏が少なくない。私の知る限りアダム・フィッシャーの方が「そうだったのか」と思わせる部分が多い。ヨッフムも、もっと立体的に構造しようとしたと思います。それにクルレンツィスの演奏は今回やや神経質的ですが、フィッシャーもヨッフムも、こだわりながら従来的「聞かせる」演奏にも寄り添っています。この曲にのみ関して言えば、クルレンツィスも最大限頑張った、と思えるもの、唯一無比の表現を提供してくれた、とは言い難い。それでも若い指揮者はこのディスクを聞いて「世界は広い」ということ知って欲しいと(ちょっと偉そうに)言いたくなる、そういう演奏です。だから、やっぱり、このディスクは聞いた方が良いですよ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに 共感する

  • ★★★★☆ 

    カニさん  |  兵庫県  |  不明  |  2021年04月11日

     一般的な演奏のようだが、少し違う。演奏の端々に妙な癖がある。アクセントではない。まさに、癖としか言いようのない妙な表現が出る。さらに、第2楽章を極端に静かに演奏するのも個性的な表現である。そういう意味で、珍しい表現である。面白い。こういう演奏もあると一度、聞いて欲しい。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに 共感する

  • ★★★★☆ 

    ハッチ  |  愛知県  |  不明  |  2021年02月23日

    クルレンツィスのバッカス。 1年遅れでようやく近づいてきた。 ベートーベンの交響曲では最も好きな作品。 のだめカンタービレで千秋のテーマとなった7番に期待。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに 共感する

検索結果:6件中1件から6件まで表示