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CD ディアベリ・プロジェクト〜ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲、ディアベリ新変奏曲(2020)、ディアベリ変奏曲(1824)より ルドルフ・ブッフビンダー(2CD)

ディアベリ・プロジェクト〜ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲、ディアベリ新変奏曲(2020)、ディアベリ変奏曲(1824)より ルドルフ・ブッフビンダー(2CD)

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    leonin  |  AUSTRIA  |  不明  |  2021年03月09日

    ベートーヴェン生誕250年の記念イヤーに対して、様々な録音が発表されたが、ディアベリ変奏曲に重点を置いて製作されたこのCDは、一聞の価値がある。ディスク1のベートーヴェンの作品のみならず、2枚目の現代作曲家によるディアベリのテーマによる楽曲は、まさに、現代のディアベリ変奏曲として、後世に残るものであると期待したい。

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    mimia  |  石川県  |  不明  |  2020年08月23日

    ディアベリ・プロジェクト。ベートーヴェンのプロジェクト。 ディアベリ変奏曲が作られたいきさつは、よく知られている。ベートーヴェン以外の作曲家によるディアベリ変奏曲は、これまでも録音はあったが、聴く事はなかった。 このアルバムの2枚目には、8人の作品がおさめられている。モーツァルトの息子や、10歳前後だったリストの名もあり、興味を惹かれるが、通して聴いてみると、同じような印象を残す曲が多く、案外つまらない。 中では、シューベルトがさすがだ、と思わせる。 もし、ディアベリが出版した50人の変奏曲を全部並べても、ベートーヴェンが一人で作った33の変奏曲には、その多彩さに於いてもかなわないのではないか、と想像できる。 しかし、ディアベリの意図を無視して、ベートーヴェンが破格の曲を作ったおかげで、(ベートーヴェンの曲は別枠で出版された)ディアベリの名が音楽史に残ったわけで、この人もほねをおった甲斐があったというものだ。 ディアベリの目論みから200年、ピアニストのブッフビンダーが、現代の幾人かの作曲家に同じ主題で変奏曲を委嘱する。 現代の作曲家は当然、ベートーヴェンの曲を知っているので、ディアベリに委嘱された作曲家たちとは心構えがちがう、はずだ。 こちらはなかなか聴きごたえがある。同時に、この200年の間にたどった音楽の進化、変遷というものを端的に感じさせてくれる。ブラームスもワーグナーもこの中には無いが、それらを経てきた果ての音楽なのだと思える。 多様性、構成の瓦解、哲学の混入あるいは排除。良い、悪いということではなく、そうならざるを得なかったのだ。そうなってしまったのだ。 それはまた、ベートーヴェン自身が作曲活動の中で見通したいくつかの方向の先にあった可能性だった。  ベートーヴェンのディアベリ変奏曲は、最後の三つのソナタとミサソレムニスの完成後、第九に取り掛かっていた頃に書かれている。ベートーヴェンの創作活動の中でも非常に重要な時期だ。「エロイカ」の時期に匹敵すると思う。 その生涯を重ねてみると、(あくまで私見です)三つのソナタとミサソレムニスは、それまでの生き様を引きずりながら、答えを見いだせない魂の放浪者の音楽である。 ベートーヴェンは第九の作曲の過程で、晩年の思想を探しあてたのではないか。 そういう時期に書かれた。 この曲は、ベートーヴェンの中では、私にはとっつき難いものだった。ベートーヴェンの曲にはストーリーがある。もちろんそれは、言葉で、事象を語れるというものではなく、感情が時間の流れに乗って波打ち続けるという類のものだ。 この曲にはそれを感じなかったが、今は違う。 まず、変奏の数、33を考えてみる。 音律、音階はピタゴラスまで遡れるように、音楽と数学は関係が深い。 バッハをはじめ、作曲家が数字に無関心ではありえない。特に意識的に作曲したベートーヴェンが、30も超える変奏を作り、その総数に無頓着だったと考えられるだろうか。 この33の意味についての解説を読んだことは(私は)無いので、私の推量である事をお断りしておきます。 一つの仮説は、フリーメイソンにおける最高位の数が33であり、それにならったというもの。 フリーメイソンというと現在では秘密結社というオドロオドロしたイメージがあるけれど、当時は新しい哲学を信奉する知識人たちの開かれたクラブのようなものだったのではないかと思う。ベートーヴェンに影響を及ぼしたひとたちのなかにも、この人もこの人もと、たくさん名を連ねている。 ゲーテ、モーツァルト、ネーフェ。時の神聖ローマ皇帝ヨーゼフ二世はフリーメイソンを容認している。 その自由、平等、友愛の理念は当然ベートーヴェンの理想とするところでもある。 ベートーヴェンは非常な読書家でもあり、インドなど東洋の哲学にも通じていた。仏教に於いても、33は聖数である。西国三十三箇所とか、三十三間堂とか、日本でもお馴染みです。ベートーヴェンは33の数字に世界共通の特別な意味を見たかもしれない。 もう一つの仮説。 ベートーヴェンはそれまでに、作品番号付きのピアノソナタを32曲書いていた。この曲は、それらの総決算であるという意識を込めたのではないか。 ベートーヴェンは、もっと20年近く前に、32の変奏曲をつくっている。これは、自作のテーマで、それも数に入れると33になる。この時までには、ソナタの数は20台なので、この仮説は当たらないのだが、次に書くつもりの別のストーリーから見えてくる視点に立つと、これも捨てがたい。 次にこの曲の中身について、ひとつ。 変奏の最後の三曲、31.32.33に注目してみる。この三つは、ピアノソナタno.31の第三楽章とno.32の第二楽章のダイジェストなコピーであるという仮説。 これは私の発見ではなく、青木やよひさんの著作によっています。また、ロマン・ロランも気づいていたし、このCDの解説にも、「(変奏曲の)コーダが最後のソナタのアリエッタに似ている」という指摘がある。(私の英語力の限りでは、です。間違いがあれば、どなたか訂正してください。) ただ、その事の意味にまで言及しているのは、私の知る範囲では青木さんだけです。 さて、変奏31はソナタno.31の第三楽章の「嘆きの歌」の変奏と言っていい。 変奏32はフーガ。「嘆きの歌」と、それに続くフーガという構成は、ソナタno.31第三楽章そのもの。 変奏33はメヌエットのテンポで、曲想も軽快になっているが、音の形はソナタno.32のアリエッタとほぼ同じだ。 もちろん、ディアベリの主題の中に、この音程の形が含まれているということなのだが、このことに気づいて聴き直すと、もう、そうとしか思えなくなる。偶然なわけがないと思う。 これは何を意味しているのか。 ベートーヴェンの意図は何だったのか。 ディアベリ変奏曲が献呈されたのは、アントーニア・ブレンターノ、「不滅の恋人」である。 ソナタno.31とno.32はもともとアントーニアに献呈される予定の形跡があり、アントーニアの娘マクシミリアーネに献呈されたno.30とともに、ロマン・ロランはブレンターノのソナタとよんでいたそうだ。 結局、no.31は献呈者なしになった。これは、余りに強烈な情感に満ちていることが、隠している献呈者との仲を憶測されることへの恐れからだろう。 no.32は定型のように、ルドルフ大公に献呈された。 この理由としては、約束していたミサ曲の完成が遅れに遅れていたことへの、とりあえずのつなぎだったのかもしれない。しかし、青木本によれば、ロンドンでの出版では、アントーニアへの献呈になっているそうだ。 つまり、ソナタno.30以降はベートーヴェンの密かなLove Letterでもあって、ディアベリ変奏曲は、少しづつ形を変えていった愛情の最後のメッセージだったのだと思う。 そして、ディアベリ変奏曲では、晴れてアントーニアへの献呈になった。 ここにはもう生生しい愛の情感は、昇華され、普遍化されている。それに、この時期、ベートーヴェンはブレンターノ夫妻に多大な経済的支援を受けていて、献呈する表向きの(実は隠みのの)理由ができた。仲を疑われずに済む。なにしろ、ブレンターノ家もベートーヴェンも超有名人だった。 この曲が、ベートーヴェンの作曲技法の限りを尽くした、あらゆる変奏曲の頂点にある作品だという一般的な評価に異存はない。だから、聴く者としては、何も詮索せずに、ただそのすばらしい音の構造物を楽しめばいい。しかし、そんな曲の中にさえ、ベートーヴェンがただ一人だけにわかってもらいたい気持ちを込めたことによって、部外者である私たちにさえ切々と伝わってくる情感が、深みや幅を作品に付加しているのだと思う。  ブッフビンダーの演奏は、テーマが少し急ぎ過ぎではないかというくらいのテンポで始まるが、全体としては堅実で安定している。終曲だけは目立ってゆっくり弾かれる。ソナタno.32のアリエッタとの近似性をいっそう感じさせてくれて嬉しい。  蛇足ですが、私自身のメモリアルのために。 生涯にただ一度ウィーンを訪れた際、ムジークフェライン・ザールでベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番を聴いた。隣の席の、大切だったひとが、第二楽章で涙を流していた。 そのときピアノを弾いていたのが、ブッフビンダーだった。

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