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ブルックナー (1824-1896)

CD 【中古:盤質A】 交響曲第8番 ジョルジュ・プレートル&ウィーン交響楽団(2008)

【中古:盤質A】 交響曲第8番 ジョルジュ・プレートル&ウィーン交響楽団(2008)

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  • ★★★★★ 

    のんじょんれ  |  神奈川県  |  不明  |  2012年01月10日

    ウィーン交響楽団は、ウィーン・フィルがあるせいで、いわれのない差別を受けている(?)が、機能的にはウィーン・フィルを凌ぐ柔軟性を持っている。 そのために指揮者が変わるとオケも音ががらりと変わるという器用さが災いしてウィーン交響楽団独特のトーンというのを持たずにこんにちまで来たような印象がある。 換言すれば個性を持たないことでウィーンフィルに対抗できるレパートリーに対応してきた、ということになろう。 ここで聴かれるプレートルのブルックナー8番もおよそ、ウィーン・フィルという役者でいえば大御所では、ここまで大胆に今までのイメージを変える演技をしてはくれなかっただろう。 ウィーン交響楽団の音色は無個性だが、弦には中音域から低音域がマッシブなイメージがある。 決してシルキーではない。 『武骨』と言ったらいいだろうか。 それが、このプレートルの見事な『演出』による大芝居に見事に適応しているのだ。 なぜか?それはオケに強烈な個性があったら、このプレートルの解釈とは両立しないだろうから。 それほど、プレートルの解釈が≪個性的≫なのだ。 しかし、ここでいう個性的とは、≪恣意的≫とは明らかに違う。 個性とは、内面から必然的ににじみ出てくるもの。 恣意とは、勝手気ままな個人的な考えだから、似て非なる、というよりは実は正反対の結果の場合もある。 第一楽章からまるで、カタストロフィーのど真ん中にいきなりわが身が放り出されたような感じがする。 いま音楽が始まったのではなく、すでに会場もオケも聴衆も熱しきっているところに≪途中参加≫したような、半ば≪置いていかれる≫不安を感じるほどの、考える余裕すら与えられない、音の洪水に襲われる。 こんな第一楽章は初めてだ。 ブルックナーの第8を個性的に振った好例はレーグナーが筆頭だが、レーグナーはブルックナーの楽章内の音楽の段落を見事に把握しているので、段落ごとにギヤーチェンジをすることで、かつてないスピード感を獲得している。 それが、カラヤンのような、フレージングの上滑りに終わっていないのは、全体のリズム感に推進力を持たせていたからで、カラヤンのように低音部は弾きづるようにしておいて、≪歌≫をレガートで歌わせるという、手練手管は使わない。 プレートルはレーグナーがそのスピード感を持ってしてもなしえなかった抽象的な悲劇性を聴き手に与えることに成功している。 一方スケルツォは実に柔軟に各部を描き分けている。 ふつうは音楽が止まってしまいそうになるほど、じっくりとテンポを落として歌う場面があったりと、とても一筋縄ではいかない。 アダージョは反対にドラマ性を極力抑え、しかも美音に走ることなく、(このあたり、ウィーン交響楽団が美音を持ち合わせていないことが皮肉にも幸いしているのかプレートルの計算なのかは判然としないが) この結果どうなるかというと、俄然ブルックナーのこのアダージョが自ら決して弛緩することなく聳え立つことになるのである。 後半の堂々たるフォルテシモは絶対に耳障りになることがなく、どうだろう、このあたりまで聴いてくると、音楽が始まったばかりのころにはプレートルの名前が頭をよぎっていたのが、すっかり消え失せて、ブルックナーの音楽だけが大気を覆い尽くしているではないか。 天才ブルックナーの完成された最後のフィナーレは下手をすると楽想の多様さの乱立になるのだが、プレートルは各楽想を一つ一つへの≪共感≫を味わうかのように確かめていく。 第四楽章の演奏時間は22分強と比較的短いほうだ。 しかし、まったく拙速な印象はない 音楽が共鳴仕切っているからだろう。 ウィーン交響楽団がこの楽章になって、格段に色彩を増しているのも、エンジンの違いを感じさせる。 演奏行為というもののエンディングに向かってのエネルギーの増大加減が一流のオケだとこうも違うものか、と痛感する貴重な体験だ。 演奏に対する緊張感とリラックス加減と、体力とテクニック、それらすべてのバランスを最終楽章に向けてピークにもっていく指揮者とオーケストラ。 この8番は一つの結論だ。

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  • ★★★★★ 

    毛無  |  茨城県  |  不明  |  2011年04月18日

    2月23日、ウィーンで実演を聴いた。素晴らしい演奏、その場に居合わせた全ての人が、幸福感を共有したと思えた。最後の一音のあと、長い静寂(この録音はそうではないが)。この指揮者の素敵なところは、自ら冗談めかした一言を放ってそんな静寂を破るところだ。もう終わってるよ、そんな風に。終演後はSehr schoen!の言葉がそこかしこから聞かれた。

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  • ★★★★★ 

    ushio  |  東京都  |  不明  |  2011年02月16日

    個人的にはマーラーよりも、こちらの方がいいと思う。マーラー「5番」は、マイクの位置のせいで金管が強すぎ、時に弦の動きが消えてしまう。惜しい。「フランスの指揮者のブルックナー?」とすぐ指揮者の国籍で演奏を判断する方こそ聴くべし。ティーレマンやメストでは相手にならない。これに匹敵するのは、ヴァントのベルリン芸術週間ライブ盤(MR)か朝比奈のN響盤(Fon)。第4楽章冒頭は、なんといってもプレートルがカッコイイ!

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  • ★★★★★ 

    たくぽん  |  東京都  |  不明  |  2010年02月14日

    こちらは先ほどのマラ8とは正反対で、2008年にプレートルがウィーン・フィルのニューイヤーを振った約3ヶ月後の、録りたてほやほやのライヴであります。 流石に大変質感のある超優秀デジタル録音(これに比べると今のDGなどは情けない限り)で、豊満なホールの響きを良くとらえており、特に低弦は運弓が見えそうな質感です。 演奏は、巨匠プレートルの独特の芸風がはっきりと刻印されたもので、通常の質実剛健なブルックナー演奏とは間逆のスタイルで大成功しているといえるでしょう。 第1楽章から快速に進め、ドイツの暗い森というよりは、巨大な宇宙空間に漂っているのようなスケールであります。死すら感じる強奏と穏やかなフレーズが、入れ替わり立ち代りします。第2楽章はブルックナー自身が「ドイツの野人」と呼んだと言われており、ウィーン響の素朴な響きがぴったりです(ウィーン・フィルはこの点、洗練されすぎているかもしれません)。 第3楽章:アダージョには、安らぎと苦悩の狭間にいる一人の人間がいます。この楽章では、プレートル一音一音を慈しむかのような遅いテンポで、粘り気のある演奏を繰り広げていきます。マーラー演奏でも確固たる評価を確立した巨匠は、その干満の激しい、官能的な音楽に、マーラーとの共通点を見出したのかもしれません。これは、好みが分かれるかもしれませんね。深遠なアダージョに続き、元々がビッグバン的爆発力を持った第4楽章でも、プレートルはやってくれました。冒頭のファンファーレから尋常でなく、金管が叩きつけるような迫力で、荒々しいティンパニがそれに続きます。嵐のように曲は進み、ティンパニの細かな連打とかなり長めの休止(よく言われる『ブルックナー休止』とはこのこと?)の後、いよいよ待ち焦がれた終結です。全弦楽の祈りのような旋律に乗せられて、金管が荘厳に響く様(そしてティンパニの強打が凄い)は、世界の創造を目の当たりにし、ひれ伏すような威圧感を誇りますが、この威圧感こそがブルックナーを聴く醍醐味であり、何事にも変えがたい光悦の瞬間なのであります。テンポはどんどんと加速され、三音の下降旋律にいたる最後の「ソ」の最強音を一際長く伸ばし、崩れ落ちるように曲は閉じられるのです!オルガン的響きがホールに充満し、消えるとともにウィーンの聴衆が超熱狂し(国立歌劇場次期音楽監督のウェルザー=メスト指揮ロンドン・フィルのウィーン・ライヴのブル5を以前聴きましたが、これほどでは・・・良い演奏ではありましたが)ている様子が克明に捉えられています。             ――何という超名演でありましょうか。現代に、これほどまでロマンティックにこの曲を指揮し、またこれほどの成功を収めている指揮者がいようとは・・・。個人的には、ヴァントの北ドイツ、ベルリンの録音すら凌駕する、同曲の新決定盤の誕生を確信しているところであります。ウィーン交響楽団は、ウィーン・フィルより劣る、と思っておりましたが、この盤を聴く限りでは、少なくともプレートルを指揮に迎えたときは恐ろしいほどの実力を発揮するようです。これからも、プレートルのCDは出来る限り入手し、出来れば実演を耳にしたいところであります。そうしなければ、我々は世紀の超名演を耳にする機会を失ってしまうかもしれないのですから・・・。この盤には、☆100を献上したい思いですね。

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  • ★★★☆☆ 

    ほんず内閣総理大臣  |  北海道  |  不明  |  2009年12月29日

    マーラーに比べて、出来は今一歩かな。特に、前半、1〜2楽章では指揮者の意向とオケとがうまく合わなかったのか、乱れもやや気になります。巨大な後半で持ち直し、ライブならではの感興のある、立派な出来となりました。プレートルのこの手のレパートリーはもっとたくさん聞きたいものです。

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  • ★★★★★ 

    ヤクルトファン  |  埼玉県  |  不明  |  2009年12月18日

    気合い十分、オケも白熱!異色かもしれないが飽きさせずに一気に大曲を聞かせるプレートルはさすが!ウィーン響もプレートルの指揮だと音が変わる!プレートルとの相性抜群だ。ラストのトランペットのクリアな響きは必聴!

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  • ★★★★☆ 

    絢音  |  千葉県柏市  |  不明  |  2009年07月10日

    今までのブルックナーの第8の名盤と比較すると、シューリヒトを更にロマンチックに自由奔放にした感じの名演。さすがにシューリヒト盤のウィーンフィルの魅力はないが、強弱やテンポの動きは自由自在で、ティンパニの強打も凄い。ブルックナーファンは必聴の名盤。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2009年05月24日

    プレートルの快進撃はとどまるところを知らない。このブルックナーも名演だ。冒頭から早いテンポで開始されるが、要所ではテンポを微妙に変化させてゆったりとした表情を見せるなど一筋縄ではいかない。第3楽章になると一転して、一音一音をいとおしむように情感溢れる演奏を行う。終楽章は、最強奏の金管やティンパ二が印象的だが、決して無機的になっていない。これだけテンポが目まぐるしく変化する個性溢れる演奏をしても、全体としての造型にいささかの狂いもないのは、プレートルがブルックナーの本質を掴み取っているからに他ならない。

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