シュトラウス、リヒャルト(1864-1949)

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CD

R.シュトラウス:ツァラトゥストラはかく語りき、モーツァルト:協奏交響曲 K.297b ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィル(1970年ステレオ)(日本語解説付)

シュトラウス、リヒャルト(1864-1949)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
KKC6073
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
CD

商品説明


1970 年ザルツブルク音楽祭でのライヴ
全盛期のカラヤンと最強メンバーを擁したベルリン・フィルによる
「銀細工」のような精緻モーツァルトと大熱演シュトラウス
R.シュトラウス:ツァラトゥストラ、モーツァルト:協奏交響曲
カラヤン&ベルリン・フィル
1970 年ザルツブルク ステレオ・ライヴ


シリーズ概要
★歴史的録音の復刻で有名なイギリスの名門レーベル、テスタメント。1990年にスチュアート・ブラウン氏により設立され、正規音源にもとづく、高品質の音質でファンから絶大な支持を集めてきました。ここ数年日本への窓口が途絶えていましたが、このほど国内販売権をキングインターナショナルが獲得。400に近いタイトルのなかから、歴史的名盤はもとより最近話題の新盤までえりすぐって、全20タイトル、国内仕様にして発売。
★日本語解説=オリジナル・ライナーノーツの和訳+ 曲目解説+ 歌詞対訳(声楽曲のみ)

このアルバムについて
★前半のプログラムはモーツァルトの協奏交響曲。カラヤンとベルリン・フィル(BPO)は1 年後にEMIに録音していますが、このライヴではローター・コッホ(オーボエ)、カール・ライスター(クラリネット)、ゲルト・ザイフェルト(ホルン)、ギュンター・ピースク(ファゴット)−楽団史上最強ともいえる豪華メンバーによる共演が披露されています。
★後半のプログラムは「ツァラトゥストラはかく語りき」。カラヤンとBPOは1973年イエス・キリスト教会(DG)、1983年フィルハーモニー(DG),1987年フィルハーモニー(Telemondial, 映像)と3度にわたり録音していますが、これらに先立つ1970年の録音です。精緻さということでは、1973年セッション録音に一歩ゆずるとしても、この70 年ライヴの” 熱“は最高!当時のBPO の技量たるや、凄まじいの一言。各人のソロも生き生きとしており、「踊りの歌」でのシュヴァルベ(ヴァイオリン)など、名人芸を堪能できます。
★「片方は、繊細な銀細工のようなモーツァルト、もう片方は輝ける金塊のようなリヒャルト・シュトラウス。2作品の音楽的対比のすばらしかったこと!そしてそれらすべての中心にたつ指揮者は最良の演奏家たちがいかに力を発揮するかを完全に掌握していた。この晩のコンサートは永遠に忘れられないだろう。」(ウェルナー・コーベス、Linzer Tagblatt 紙、1970.8.14)
★音も優秀、ステレオ録音。



【収録情報】
1.モーツァルト:協奏交響曲変ホ長調 K.297b
  〜オーボエ、クラリネット、ホルンとファゴットのための〜
2.R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」Op.30

ローター・コッホ(オーボエ)(1)
カール・ライスター(クラリネット)(1)
ゲルト・ザイフェルト(ホルン)(1)
ギュンター・ピースク(ファゴット)(1)
ミシェル・シュヴァルベ(ヴァイオリン)(2) 
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

録音時期:1970年8月12日
録音場所:祝祭大劇場、ザルツブルク
録音方式:ステレオ(ライヴ/アナログ)

【年表(未完)】

1743年
高祖父:ゲオルク・ヨハネス・カラヤニス[1743-1812]誕生。コザニ出身(当時オスマン帝国、現在ギリシャ)、ウィーン(当時神聖ローマ帝国首都)に出た後、ゲオルク・ヨハネス・カラヤンと改名。その後、神聖ローマ帝国のケムニッツで繊維産業に携わり成功を収め、選帝侯から神聖ローマ帝国貴族の称号を授与。ゲオルク・ヨハネス・フォン・カラヤンとなります。

1810年
曾祖父:テオドル・ゲオルク・リッター・フォン・カラヤン[1810-1873]誕生。ウィーン出身(当時オーストリア帝国首都)、ウィーン大学教授、帝国学術アカデミーの会長など歴任。親と同じギリシャ正教徒でしたが、職務制限などからローマ・カトリックに改宗。以後、カラヤン家はローマ・カトリックを信仰。

1835年
祖父:ルートヴィヒ・アントン・フォン・カラヤン[1835-1906]誕生。ウィーン出身(当時オーストリア帝国首都)。医学博士。

1868年
父:エルンスト・テオドール・エマヌエル・フォン・カラヤン[1868-1951]誕生。ウィーン出身(当時オーストリア=ハンガリー帝国首都)、医学を学んで甲状腺腫治療の専門家となり、ザルツブルクで医院を開業。クラリネットも演奏する音楽愛好家でもありました。

1881年
母:マルタ・コスマク[1881-1954]誕生。グラーツ出身(当時オーストリア=ハンガリー帝国第2の都市)。母マルタの父はモイストラナ出身(当時オーストリア帝国、現在スロヴェニア)、グラーツに移り住んで公務員として働きました。

1906年
兄:ヴォルフガング・フォン・カラヤン[1906-1987]誕生。少年時代にピアノとヴァイオリンを学び、のちにオルガン演奏と製作の両面で活動。

1908年(0歳)
●4月5日、カラヤン、ザルツブルクで誕生。18世紀に貴族の称号を得た家系でしたが、1919年、「オーストリア=ハンガリー帝国」が敗戦により崩壊し、「オーストリア共和国」に移行したことで貴族制が廃止となり、貴族の称号も法的に廃止。カラヤンの本名も、「ヘリベルト・リッター・フォン・カラヤン」→「ヘリベルト・カラヤン」→「ヘルベルト・カラヤン」以下のように変遷していますが、芸名は一貫して「ヘルベルト・フォン・カラヤン」でした。また、曾祖父テオドルの代でギリシャ正教からローマ・カトリックに改宗しています。



1911年(3歳)
●ピアノのレッスンを開始。教師はフランツ・レトヴィンカ。

1912年(4歳)
●初めてのピアノの公開演奏。モーツァルトのロンドを演奏。慈善団体によるレストランでの公演。

1916年(8歳)
●モーツァルテウム音楽院に入学。パウムガルトナーから指揮者になるよう助言。

1917年(9歳)
●1月27日、モーツァルテウム音楽院で初のピアノ・リサイタルを開催。

1919年(11歳)
◆4月、オーストリア共和国憲法成立。
●4月3日、新法「貴族、騎士団および貴婦人団ならびに一定の称号および爵位の廃止」により、カラヤンの本名からリッター(騎士)とフォン(貴族称号)が削除。ヘリベルト・カラヤンに。

1923年(15歳)
◆11月、ミュンヘン一揆。ヒトラーらが参加したドイツ闘争連盟によるクーデター未遂事件。ヒトラー逮捕・収監。決起会場となったビュルガーブロイケラーは、1830人収容の巨大なビアホール兼多目的ホールで、当時レーベンブロイが運営。戦後はミュンヘン・フィルやバイエルン国立歌劇場のレコーディングなどにも使用されています。

1924年(16歳)
●カラヤン、兄ヴォルフガングと共にイギリスに行き3ヶ月間滞在。英語を習得。

1926年(18歳)
●3月、ギムナジウムの卒業試験に合格。
●ウィーン工科大学に入学。
●ウィーン音楽アカデミー入学。本格的にピアノを学び始めますが、指導教授だったホフマンから指揮者への転向を示唆され、指揮科にてアレクサンダー・ヴンデラー教授の指導を受けることになります。

1927年(19歳)
●5月22日、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのザルツブルク公演を鑑賞。
●ザルツブルク州立劇場で『フィデリオ』の練習指揮。

1928年(20歳)
●12月17日、ウィーン音楽アカデミーの発表会で、学生オーケストラを相手に『ウィリアム・テル』序曲を指揮。
●ウィーン音楽アカデミー在学中は、ウィーン国立歌劇場の天井桟敷に毎日のように通い、膨大な数のオペラを鑑賞。R.シュトラウスやプッチーニの作品に特に強く惹かれ、指揮者R.シュトラウスとクレメンス・クラウスを特に尊敬するようになります。

1929年(21歳)
●1月22日、カラヤン、モーツァルテウム管弦楽団と契約して指揮者デビュー。曲目はチャイコフスキー5番、R.シュトラウス『ドン・ファン』、モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番。会場には南ドイツのウルムから市立劇場支配人のエルヴィン・ディートリヒが第2楽長を探しに来ており、カラヤンの指揮を聴いて劇場での指揮について打診。
●2月、カラヤン、ウルム市立劇場と契約。ウルム市立劇場は舞台幅6メートルほどの小劇場。ウルムでの公演だけでなく近隣の町村に出かけてオペレッタを上演する機会も多く、オーケストラは固定楽員23名という小さな規模で、よほどのことがなければ増員せずに不足分はピアノで補うという、当時の地方劇場によくみられた方針で運営。カラヤンの月額報酬は楽団員の3分の1ほどの80ライヒスマルクでした。
 第1楽長のオットー・シュルマン[1902-1989]も第2楽長のカラヤンも、指揮のほかに助手の仕事も同時にこなし、合唱のリハーサルから個々の歌手の練習、演出や舞台装置製作の手伝いまでなんでもこなさなければなりませんでした。
 この劇場での5年ほどの経験はカラヤンの各種スキルを大幅にアップし、数多くの作品を上演した中でも、繰り返しとりあげた40曲ほどのオペラについては、得意レパートリーとして身につくことになります。


●3月2日、カラヤン、ウルム市立劇場。『フィガロの結婚』でオペラ・デビュー。
●4月、カラヤン、ザルツブルク州立劇場。『サロメ』を指揮。
●5月、カラヤン、トスカニーニとミラノ・スカラ座のウィーン公演を鑑賞。
◆9月3日、アメリカ、世界恐慌前触れ。しばらく「買い」が蓄積して上昇を続けていたダウ工業株平均が最高値381.17を記録。ほどなく利益確定目的の「売り」が集中したため1か月に渡って株価が下がり続け17%下落。そこで底値と判断した投資家の「買い」が再び蓄積、下落分の半分ほどまで株価が上昇したものの、そこで利益確定の「売り」が大きく入り、再び株価は下落。
◆9月26日、イングランド銀行が5.5%から6.5%に金利を引き上げ。利益確定後に投資先を探していたアメリカの投資資金がイギリスに大きく流れ込みます(FRBは6.0%)。
◆10月24日、ウォール街株価大暴落。シカゴ市場、バッファローの市場は閉鎖。やがて損失確定組は、善後策として投資や預金などの資金を回収、結果的に、銀行や企業の相次ぐ破綻へと繋がって行きます。

1930年(22歳)
●7月、カラヤン、トスカニーニのバイロイト・デビュー公演を鑑賞。
●7月、カラヤン、ウィーン交響楽団の野外演奏会で指揮。

1931年(23歳)
◆フランスがオーストリアから資本を引き揚げたこともあって、ロスチャイルド(ロートシルト)家創業のウィーンの大銀行「クレディート・アンシュタルト」が倒産、取引先のドレスデン銀行なども破綻するなど経済が連鎖的に悪化。

1932年(24歳)
◆5月、キリスト教社会党党首のエンゲルベルト・ドルフース[1892-1934]がオーストリア首相に選出。教権ファシズム化を進めてウィーンも統治するようになり、オーストリア社会民主党、オーストリア・ナチス(ナチ党オーストリア支部)と対立、政情が不安定になって行きます。

1933年(25歳)
◆1月30日、ドイツでヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命。「ドイツ国(Deutsches Reich)」の体制は、14年間続いた「ヴァイマル共和政」(通称:ヴァイマル共和国)から「国家社会主義ドイツ労働者党独裁体制」(通称:ナチス・ドイツ)に移行(1945年まで)。
◆2月20日、 ヒトラーとゲーリングがドイツ経済界首脳陣と会合、大恐慌で経済の悪化する中、300万ライヒスマルクの政治献金を獲得。
◆2月27日、ベルリンの国会議事堂が放火され炎上。これを受けて、「国民と国家の保護のための大統領令」と「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」が発令され、犯人がオランダ共産党員だったことから、ドイツ共産党・社会民主党も活動禁止措置。
◆3月5日、ドイツ総選挙でナチ党が43.9%を獲得。
◆3月、ドイツの国民啓蒙・宣伝省大臣にヨーゼフ・ゲッベルスが就任。プロパガンダのほか、新聞・雑誌・放送・音楽・映画・演劇・文学・絵画・観光・旅行などの「管理・検閲」を実施。当初の予算は1,400万ライヒスマルクでしたが、1944年には13倍以上の1億8700万ライヒスマルクにまで規模を拡大、下部組織に「帝国文化院」も設置して各分野への統制をおこなっていました。
◆3月23日、ドイツで全権委任法が成立。
◆3月、オーストリア、キリスト教社会党のドルフース首相が、警察を動員して議会を閉鎖。緊急令により独裁的な運営を開始。
◆4月7日、ドイツ政府により600万人近い失業者の就業対策の目玉として「職業官吏再建法」が施行。公務員から非アーリア人を追放する法律で、ドイツの全公務員、および新政権により新たに「国有化」された膨大な数の企業・団体の職員が対象。同時に国外に出るユダヤ人の財産を奪って国庫に収める政策も実施され、公共事業財源などに利用されます。
●4月8日、カラヤン、ザルツブルクでナチ党(オーストリア支部)に入党。党員番号は1,607,525。
◆4月19日、ナチ党、新規の入党希望者の制限を開始。1月末の内閣成立、3月の総選挙という人気過熱イベントを経て、4月7日には、失業対策の目玉ともいわれる「職業官吏再建法」が施行され、爆発的な数の失業者が、求職目的、あるいは待遇向上目的で入党手続きに殺到したため、新規の入党希望者の制限を実施。以後、1939年5月10日に新規入党制限が完全に撤廃されるまでの6年間は、再入党や縁故のほか、数回の例外期間を除いて新規入党を基本的に受け付けませんでした。
●4月、ウルム市立劇場の第1楽長で、カラヤンと仲の良かったオットー・シュルマンがユダヤ系のためドイツを去り、オーストリアのクラーゲンフルトの劇場で指揮者の職を得ます。その後、シュルマンは1938年のオーストリア併合によりミラノに行きますが、イタリアがドイツの同盟国になったことで、1939年にアメリカに向けて船出。しかし渡航者が殺到していたため、キューバの難民キャンプにしばらく滞在、その後は1989年に亡くなるまでアメリカで主に声楽系の教育者として活躍、カラヤンとは晩年まで文通する間柄でした。
●4月、ウルム市立劇場支配人のディートリヒは、シュルマンの後任としてカラヤンを第1楽長とし、第2楽長にはカラヤンより2歳年上でウィーン生まれの指揮者マクシミリアン・コイェティンスキー[1906-1996]を任命。コイェティンスキーもカラヤンと仲が良く、戦後のバイロイトではカラヤンと一緒にピアノを弾いてクナッパーツブッシュのリハーサルに付き合ったりもしていました。


●5月1日、カラヤン、ウルム地方支部でナチ党に再入党手続き。新たに割り振られた党員番号は3,430,914で、約3週間で党員数が200万人近く増加したことになります。再入党手続きに至った経緯は不明ですが、最初の入党手続きの際の仮党員証の交付予定が5月30日とされていたので、それまでにオーストリア支部の受付分が無効になった場合に備えたのかもしれません。当時のオーストリアでは、ナチに敵対する「オーストリア・ファシズム」が優勢で(たとえばウィーン・フィルでも当時はオーストリア・ファシズム側の楽員が権力を持っていましたが併合後はナチ党に転向)、オーストリア・ファシズム政権も誕生しており、オーストリア・ナチ党の立場が大幅に悪化していました(実際に7週間後に非合法化)。ちなみにナチ党の党員数は1933年中に約390万人に達しており、1945年には約850万人まで増えています。
◆5月10日、ドイツ学生協会の主宰で、大規模な「焚書」が実施。以後、6月末までに大量の「非ドイツ的」な書物を焼却。ドイツの34の大学都市で、学生たちによって実施された「非ドイツ的精神への抵抗」は成功し、新聞や放送を通じて全ドイツ国民に向けて成果を報道。なお、ナチは、教員・役人・劇場人などの公務員のほか、学生など若年層に特に人気がありました。
◆5月26日、ドルフース政権、オーストリア共産党を非合法政党と認定し活動禁止措置。
◆5月26日、ドイツで共産主義者の財産没収に関する法律が成立。
◆6月19日、ドルフース政権、オーストリア・ナチ党を非合法政党と認定し活動禁止措置。これによりオーストリア・ファシズム政権による独裁体制が確立し、ローマ・カトリックを国教として認定。
◆6〜7月、ドイツで社会民主党活動禁止措置。続いてドイツ国家人民党・ドイツ国家党・中央党・バイエルン人民党・ドイツ人民党が自主解散。
◆7月14日、ドイツで政党新設禁止法が成立。
●8月、カラヤン、ザルツブルク音楽祭デビュー。ユダヤ系のマックス・ラインハルトが演出する戯曲『ファウスト』の上演で、師のパウムガルトナーが付曲した劇音楽を指揮。
◆9月、オーストリア・ファシズム政権の支援団体として「祖国戦線」を組織し、キリスト教社会党と護国団を統合。
◆11月、ドイツ国会選挙。ナチ党への反対票(と無効票)が3,398,249票(7.89%)で、賛成票が39,655,224票(92.11%)と賛成が圧倒的多数でした。投票率も非常に高く95.3%の有権者が選挙に参加。

1934年(26歳)
◆1934年のオーストリアの実質賃金は1929年に較べて44%も減少、失業率も1928年の8.3%に対し、1934年は38.5%と凄まじい景気の悪化ぶりで、政治・社会も大きく混乱。
◆2月、ウィーンで内戦が勃発。オーストリア・ファシズム政権と、オーストリア社会民主党の支援する「防衛同盟」戦闘員が衝突、4日間で2,000人前後の死傷者が出て戒厳令も布告。
◆7月、ドルフース首相が、敵対するオーストリア・ナチスのメンバーにより殺害。オーストリア・ナチスは、クーデターにより政権奪取を果たすべくオーストリア各地で暴動を引き起こすものの、隣国イタリアのムッソリーニ率いるイタリア・ファシズム政権が国境線まで軍隊を進めたためオーストリア・ファシズム政権はなんとか事態を鎮圧。
 以後、1936年に政権がドイツに屈服するまで、オーストリア・ナチスは地下活動を展開。当時のオーストリアは、「オーストリア・ファシズム政権と支持者たち(護国団など)」、「オーストリア社会民主党の支援する全国で8万人規模の活動員とその支持者たち(共和国保護同盟など)」、「オーストリア・ナチスとその支持者たち」という、「ファシスト vs 社会主義者 vs ナチス」というみつどもえ闘争という状態で、国中で小競り合いが多発。
 加えて欧州では、世界恐慌等の影響もあって、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル、ルーマニア、ギリシャ、ハンガリー、ポーランドがすでに独裁政権下にあり、かつ大多数がファシズム支配となっていました。こうした社会状況は、税金で運営される組織に勤めるケースの多いクラシックの音楽家にとっては大変なものがありました。
●4月、カラヤン、ウルム市立歌劇場楽長を退任。支配人は契約更新をおこないませんでした。原因としては、カラヤンの要求水準が田舎の小劇場には厳しすぎるものだったことや、23名のオーケストラに臨時楽員を70人近く雇って『英雄の生涯』などのリヒャルト・シュトラウス・コンサートを開催するなど、不況下の田舎には本格的過ぎて無茶な企画が多かったことなどが考えられます。
●5月、カラヤン、ベルリンに出て本格的に職探し開始。ちなみに当時はかなりの不況で、ベルリン・フィルも財政難のために実質的に国営のオーケストラに転身しているほどでした。
●6月8日、カラヤン、アーヘン市立歌劇場の指揮者募集に応募し、オーディションに合格、1年間の試用契約を結びます。
●8月21日、カラヤン、ザルツブルク。アメリカの資産家が開催したパーティーで、ウィーン・フィルを初めて指揮。ドビュッシー、ラヴェルなど演奏。
●9月18日、カラヤン、アーヘン市立劇場。『フィデリオ』でデビュー。
●10月、カラヤン、アーヘン市立劇場。『ワルキューレ』。
●12月、カラヤン、アーヘン市立劇場。『ばらの騎士』、オーケストラ演奏会で成功。

1935年(27歳)
●1月、カラヤン、カールスルーエ国立劇場。『タンホイザー』。
◆3月、ドイツ、再軍備宣言と共に徴兵制も復活。
●4月13日、カラヤン、アーヘン市の音楽総監督に就任。ドイツでもっとも若い音楽総監督として注目を集めます。アーヘン市立劇場は座席数730席の中規模オペラハウスですが、年俸は14,000ライヒスマルクで、ウルム着任時の14倍以上もありました。もっとも、アーヘンの場合は、「市」の音楽総監督という立場だったので、オペラのほかにオーケストラ・コンサート、合唱コンサートでの指揮も仕事に含まれていました。
 合唱コンサートでは、ナチ党が宗教音楽、特にカトリック系の宗教音楽の指揮に難色を示していたにも関わらず、管区長とやりあって、バッハのロ短調ミサ、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスなどをとりあげています。ちなみに300人の大所帯をトレーニングしていた合唱指揮者は、後年バイロイトなどで有名になるヴィルヘルム・ピッツでした。


◆9月15日、ドイツの国旗がハーケンクロイツ旗に変更。

1936年(28歳)
◆ドイツ経済が大恐慌前の水準に回復。
●カラヤン、ベルリン国立歌劇場。『マイスタージンガー』。これが同劇場へのデビュー。

1937年(29歳)
●6月1日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トリスタンとイゾルデ』。急な客演要請で、3回のリハーサルの約束にも関わらずリハーサル無しで本番に臨むことになりますが、成功を収めています。
◆ゲッベルスにより「批評禁止令」布告。
●カラヤン、ベルリン・フィル総裁ハンス・フォン・ベンダより客演の要請を受けます。
1938年(30歳)
◆3月、オーストリア併合。当時のドイツは失業率が劇的に改善し、国民の貯蓄額も急伸、公債も大規模に運営されて景気も過熱気味となる一方、アメリカなどへの莫大な負債も抱える債務国でもありました。オーストリア併合の理由も、国境線拡大に加え、オーストリアの保有していた金資産や外貨、鉱物資源、そして何よりもユダヤ人の財産などが目当てだったとされています。実際、ドイツが手にしたオーストリアの金・外貨・財産は14億ライヒスマルクに達し、これはドイツのライヒスバンクの資産7,600万ライヒスマルクの実に18倍以上という凄いものでした。
 しかし、景気回復の途上だった人口約650万人のオーストリアの一般市民の生活水準はまだ満足な状態には無く、約60万人も失業者がおり、自国経済の改善に期待する市民の思いは、併合に関して4月10日に行われた国民投票の結果にも反映、賛成99.75%という数字にも表れていました。
 併合後は、1925年に「クローネ」から変更されたばかりのオーストリア通貨「シリング」を廃止してライヒスマルクを導入。ライヒスバンクは当初、オーストリア経済の実態に即して「2シリング=1ライヒスマルク」という交換レートを想定していたものの、市民感情にも配慮し、「1.5シリング=1ライヒスマルク」という交換レートを設定、民間組織の国有化など経済再建を進めます。
●4月8日、カラヤン、ベルリン・フィルを初めて指揮。モーツァルト『ハフナー』、ラヴェル『ダフニスとクロエ』組曲、ブラームス4番、を演奏。
 カラヤンはこの客演に際して、弦楽器と管楽器のパートごとの練習などを申し入れ、それまでそうした経験の無かったベルリン・フィル側から強く抵抗されるもののなんとか押し切り、結果的に楽員たちも納得の輝かしい成果を上げます。新聞評も「演奏会は爆弾が炸裂したかのようだった」「聴衆の拍手の嵐に包まれた」「オーケストラ側もまだ30歳にもなっていないこの男が本物だと認識したようだった」と絶賛、フルトヴェングラーもカラヤンの実力を評価し、自分が出演できないときに代役としてカラヤンの名を挙げるほどでした。
●7月、カラヤン、声帯にできた腫瘍を切除するため手術を受けます。
●7月26日、カラヤン、結婚。相手はアーヘン市立歌劇場所属のソプラノ歌手エルミー・ホルガーレーフ[1906-1983]で、3年で破局。
●プロイセン国立劇場連盟総裁で、策士としても知られるハインツ・ティーティエン[1881-1967]からカラヤンにベルリン国立歌劇場への客演要請。最初はヴァーグナー=レーゲニー『カレーの市民』初演の依頼で、カラヤンはそれに対して、初演の前に自分の得意演目の『フィデリオ』か『トリスタンとイゾルデ』か『マイスタージンガー』を振らせて欲しいと返答、ティーティエンの返事は「最高のキャスティングによる『カルメン』ではどうか」というもので、それに対してカラヤンは最高のキャスティングの内訳について質問。出演者リストを受け取ったカラヤンは、自分のイメージとは違うので指揮できないと返答。若手指揮者の強気に驚いたティーティエンは改めて『タンホイザー』ではどうかと質問。しかしカラヤンはかたくなに『フィデリオ』か『トリスタンとイゾルデ』か『マイスタージンガー』でなければ客演できないと返答、ティーティエンはカラヤンの覇気に興味を示し、『フィデリオ』の指揮を許可します。
●9月30日、カラヤン、ベルリン国立歌劇場。『フィデリオ』。
●10月21日、カラヤン、ベルリン国立歌劇場。『トリスタンとイゾルデ』。新聞で「奇跡のカラヤン(Das Wunder Karajan)」と報道。前年にゲッベルスにより「批評禁止令」が布告され、根拠のない誹謗などが禁じられている中、文中でフルトヴェングラーを馬鹿にし、カラヤンだけでなく、なぜか総監督のティーティエンを賛美するようなことまで書かれていてヤラセ感がみえみえだったため、フルトヴェングラーは激怒。
 半年前にはその実力を高く評価した若者が、自分に害をなす権力と結びついてしまったと思いこんでしまったがゆえの憎悪も加わり、フルトヴェングラーに一生消えない心の傷を負わすことになってしまいます。そしてそれが、亡くなるまで16年間に渡って繰り返されたカラヤンへの執拗な妨害行為の火種となったことは明らかでした。
 記事は実際にはティーティエンが、カラヤンをフルトヴェングラーの対抗馬に仕立てるべく批評家に書かせたものでしたが、内容に問題があったため結果的に逆効果になってしまっています。
 ティーティエンはバイロイトの盟主ヴィニフレートと深い仲だったので、ヒトラー信奉者でもあった彼女のことが1932年の喧嘩以来苦手だったフルトヴェングラーが、この年のバイロイトに出演せずザルツブルク音楽祭で『マイスタージンガー』を3回指揮したことが逆鱗に触れたのかもしれません(この件がきっかけで棲み分けが徹底することになったのか、以後、ザルツブルク音楽祭では1998年のゲルギエフのパルジファルまで60年間もワーグナーのオペラが取り上げられませんでした)。
 単に指揮をしていただけのカラヤンにとっては、ティーティエンの陰謀に無理やり巻き込まれてしまった形で迷惑きわまりない話でした。しかし、カラヤンもフルトヴェングラーの妨害に屈してばかりいたわけではなく、随所で対抗姿勢を打ち出したりもしていたので、それが却ってフルトヴェングラーの怨念の持続に繋がってしまった可能性もあります。とはいえ、カラヤンにとってみれば理不尽な話には違いありませんが。
 記事を書いた批評家のエトヴィン・フォン・デア・ニュル[1905-1945]は、バルトーク研究などをおこなう音楽学者でもあり、2年後の1940年にドイツ空軍の音楽部門に配属され、音楽研究の仕事を継続、除隊後の1943年には著作の出版などもおこないますが、戦争末期にベルリンに隣接するポツダムで死去。


◆11月7日、パリでユダヤ人によるドイツ外交官暗殺事件発生。
◆11月9日、「水晶の夜」事件発生。ドイツ各地でユダヤ人への一連の弾圧行為へと発展。
●12月9日、カラヤン、ベルリン国立歌劇場管弦楽団。『魔笛』序曲を録音。初めてのレコーディング。
●12月18日、カラヤン、ベルリン国立歌劇場。『魔笛』。

1939年(31歳)
●1月28日、カラヤン、ベルリン国立歌劇場。『カレーの市民』。初演。
◆2月17日、ユダヤ人に対し貴金属拠出令。
●11月、カラヤン、ベルリン国立歌劇場から国家指揮者の称号を授与され、シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)によるオーケストラ演奏会を復活させて指揮者に就任。コンサートのほかレコーディング・セッションも増加。
 高給を得ているアーヘン市の音楽総監督と兼務になるため、「2週間ごとにアーヘンとベルリンを往復、アーヘン交響楽団のコンサートは全部自分が指揮をし、重要なオペラについては練習も自分が行う」と宣言、しかし、当初は良かったものの次第にベルリンでの仕事が増えて、本来の職場であるアーヘンを留守にしがちになり、不満の声が高まっていきます。
●4月、カラヤン、BPO。『悲愴』を録音。ベルリン・フィルとの初めての録音。
◆9月、第2次世界大戦開戦。
◆9月17日、ソ連がポーランドに侵攻。

1940年(32歳)
◆4月9日、午前4時、ドイツ軍が不可侵条約を破ってデンマークに侵攻。国王は午前6時に降伏を決定。占領統治は3年後の1943年8月に開始されます。
◆6月、フランス、ドイツと46日間戦ったのち休戦協定を締結。大枠で見るとフランス北部がドイツの占領統治、南部が「ヴィシー政権」による統治で、例外が長年の係争地であるエルザス=ロートリンゲン(アルザス=ロレーヌ)地方となります。
 同地方はドイツに割譲という形になったため、1938年に併合したオーストリアと同様、ドイツ政府による統治とし、他のドイツ・オーストリア地域と同じく「大管区」に組み込まれ、徴兵なども実施されることとなります(エルザス=ロートリンゲン地域からの徴兵数は約10万人)。

1941年(33歳)
●フルトヴェングラーがベルリン国立歌劇場に復帰。カラヤンはオペラの指揮から締め出され、オーケストラ演奏会のみを指揮するようになりますが、翌1942年には、その回数も年間6回にまで制限されます。
◆3月27日、ドイツ国防会議により法令布告。闇取引および買い溜めに関する取り締まりを強化。最高刑は死刑。
◆3月29日、ドイツ財務省が法人税増税について発表。前年度利益が3万ライヒスマルクを超えた場合、利益の25〜30%を徴税。
◆6月、独ソ戦開戦。
●カラヤン、エルミーと離婚。

1942年(34歳)
●カラヤン、EIARトリノ交響楽団。モーツァルト35,40,41番等録音。EIARはRAI(イタリア放送)の前身です。
◆イギリス空軍、リューベック空爆により民間人約320人を殺害。
●4月22日、カラヤン、アーヘン交響楽団&合唱団。『マタイ受難曲』。アーヘンでの最後の仕事。
◆5月30〜31日、イギリス空軍、ケルン空爆により民間人約480人を殺害。。
●10月22日、カラヤン、9歳年下の美貌の大柄な女性アニータ・ギューターマン[1917-2015]と結婚。再婚同士でした。アニータの実家はユダヤ系ですが、「ギューターマン絹織物会社」を経営し、政府に制服用布地を納入していたため人種法適用外となっており、また、アニータ自身は4分の1ユダヤ人ということで法的にドイツ人でした。ということで、当時の体制でもこの結婚に特に問題はなく、戦後の非ナチ化裁判でも、特にカラヤンにとって有利な案件とは認められませんでした。



1943年(35歳)
●コンセルトヘボウ管弦楽団とブラームスの1番そのほかをレコーディング、以降、カラヤンは戦後も同オケとのレコーディングはもちろん、客演もおこないませんでした。
◆5月16〜17日、イギリス空軍、ドイツのダムを空爆する洪水作戦を展開し、約1,300人を殺害。
◆6月19日、ベルリンでユダヤ人ゼロ宣言。
◆7月27〜28日、連合国軍、ハンブルク空爆により民間人約41,000人を殺害。
◆8月、連合国軍、ベルリン空爆開始。翌年3月までに民間人約9,400人を殺害。
◆11月1日、モスクワ宣言。3回モスクワ会議でのソ連・アメリカ・イギリスの外相らにより取り決められた内容で、オーストリアについては、ヒトラーの侵略政策の犠牲となった最初の国であるとされる一方、ドイツへの戦争協力にも言及し、今後、オーストリアそのものがドイツからの解放にどのくらい関与したかで戦争責任の追及が変わってくるなどと指摘。以後、オーストリア国内でのレジスタンスは数を増すこととなり、1944年の終わりには、臨時オーストリア国民委員会も結成して抵抗運動を本格化していました。

1944年(36歳)
◆4月、連合国軍、ベルギーとフランスの交通機関へ空爆開始。11月までに民間人など約15,000人を殺害。
●6月&9月、カラヤン、ベルリン国立歌劇場管。ブルックナー8番。
◆9月1日、ゲッベルスにより、全ドイツの劇場(歌劇場)閉鎖令が布告。これは7月20日に発生したヒトラー暗殺未遂事件とクーデーターを収拾させたゲッベルスが、国家総力戦総監に任命され、国家総力戦の一環として劇場を閉鎖することを策定したもの。立案は7月末におこなわれ、一部の劇場では早期の運用がおこなわれていました。
◆9月11〜12日、連合国軍、ダルムシュタット空爆により約12,300人を殺害。
◆9月25日、総統命令により、民兵組織「国民突撃隊」の編成が開始。対象者は16歳から60歳の一般市民。約600万人の組織を目指したものの、兵器や軍服の極端な不足や、様々な理由による拒否などにより計画にはまったく満たない状態で、戦果の方も限定的でした。
◆10月18日、連合国軍、ドイツに対して24時間体制で空爆を開始。

1945年(37歳)
◆2月13〜14日、連合国軍、ドレスデン空爆により3万人から15万人を殺害。
●2月18〜19日、カラヤン、ベルリン国立歌劇場管。
◆2月23〜24日、連合国軍、プフォルツハイム空爆により2万人以上を殺害。
◆4月16日、赤軍のジューコフ元帥によりベルリン砲撃開始。ベルリンの戦いは3週間続き、ドイツ側死者約32万人、ソ連側死者約8万人という激戦となります。
◆4月30日、ヒトラー自殺。ヒトラーはデーニッツ元帥を後継に指名していたため。同日、臨時政府「フレンスブルク政府」が発足。デーニッツが大統領に就任して降伏のための準備を進めます。また、1月からデーニッツの指示で実施中の海軍による市民と兵士の搬送作戦も5月中旬まで継続され約200万人を救出。
◆5月9日、ドイツ降伏。2週間後、デーニッツ逮捕により臨時政府解散。
●4月30日、カラヤン、スカラ座管。
●4〜5月、カラヤン、トリエステ・ヴェルディ劇場管。
●9〜10月、カラヤン、トリエステ・ヴェルディ劇場管。

1946年(38歳)
●1月12、13、19日、カラヤン、VPO。『ドン・ファン』、ハイドン104番、ブラームス1番。ウィーン・フィル理事長セドラックの要請による演奏会。
●1月19日、カラヤン宅をウォルター・レッグが訪問。レッグはEMIでのレコーディング計画についてカラヤンに申し入れ。
◆1月、占領軍政府による非ナチ化裁判が開始(1949年まで)。10万人以上のドイツ人が裁判にかけられ、音楽界でもナチ関連疑惑のあった人物が続々と法廷に送られることになったため、連合国軍側の作成したブラックリストに載っていなかった(=知名度が高くない)音楽家たちや、外国人、ユダヤ人たちには大きなチャンスが訪れることになります。
 なお、この各国占領軍政府によって実施された非ナチ化裁判については、アメリカが熱心で、ソ連やイギリス、フランスの占領軍政府ではあまりおこなっていないなど、国によって温度差が大きかったのですが、その後のアメリカ人やユダヤ人音楽家のドイツでの躍進ぶりを考えると、最初からそれが目的だったとも考えられます。
 実際、外国人が入り込めないような公的機関などについては、アメリカによる非ナチ化の追求はほとんどおこなわれなかったようで、裁きようがないために処罰を免れた約800万人以上の元ナチ党員や、党友が普通に生活、占領統治下ながら、行政機構も戦時中からほぼそのまま継続していたため、役人はほとんどが元ナチ党員で、たとえば性的マイノリティの作曲家・指揮者のヘンツェが、西側にも関わらず自殺未遂寸前まで追い込まれたりもしていました。1957年の調査でも、西ドイツ司法省上級職員の元ナチ党員率が約77%、裁判長で約70%となっています。
 ちなみに、ソ連はまず占領地行政の抜本的な変更を最優先し、行政機関の主要な役職は共産主義者に総入れ替えしていました。
●3月、予定されていたカラヤン指揮ウィーン・フィルの演奏会が、ウィーンを分割統治していたソ連占領軍政府により命令により中止。駐留ソ連軍兵士がムジークフェラインザールを封鎖。
●5月、カラヤン、EMIとのレコーディング契約に署名。期間は暫定で3年間。
●6月21日、アメリカ占領軍政府は、オーストリア国内での指揮者カラヤンの公的出演禁止を通告。ザルツブルク音楽祭での『ばらの騎士』と『フィガロの結婚』の指揮も禁じられ、前者はスワロフスキー、後者はプロハスカが代役として指揮。
●ザルツブルク音楽祭理事長のプートン男爵は、禁止通告を拡大解釈して、指揮者ではなく舞台監督なら問題ないとしてカラヤンをリハーサルに参加させます。
●8月6日、アメリカ占領軍政府は、カラヤンが舞台監督および音楽顧問として公的活動することも禁ずると通告。
●以後、カラヤンはプロンプターとして歌手を指揮したほか、舞台裏のスタッフとしてリハーサルに関わります。
●9月13〜15日、カラヤン、ウィーン・フィルとEMIへの録音を開始。会場はムジークフェラインザール、曲目はベートーヴェンの8番。裁判が終っていないため、公的活動は禁じられていましたが、レコーディングはあくまでも私的な活動であるとして、イギリスの会社がスペインのエージェントと契約することで戦後問題もクリアし、SP盤3枚組での発売もまずイギリスでおこなうということでトラブルを回避。
●9月、カラヤン、VPO。EMI。シューベルト『グレート』。SP盤6枚組。
●10月、カラヤン、VPO。EMI。モーツァルト、チャイコフスキー、J.シュトラウス等小品プログラム。

1947年(39歳)
●1月、エゴン・ヒルベルトがカラヤンの出演許可を交渉するものの却下。
●3月、アメリカ占領軍政府の将校が、ザルツブルク音楽祭へのカラヤン出演に向けて動きますが、今度はフランス占領軍政府が出演許可に反対。
●EMIと正式に録音契約。ウィーンでの録音に続き、イギリスでのフィルハーモニア管(PO)との録音も含む長期契約。
●10月、カラヤン、公的出演禁止の解除。
●10月25〜26日、カラヤン、VPO。復帰コンサート。ブルックナー8番。
●10月20〜29日、カラヤン、VPO。『ドイツ・レクイエム』。EMI。SP盤10枚組。トスカニーニのお気に入りと伝えられる録音。このレコーディングに際して、カラヤンは初めてウィーン楽友協会合唱団と共演。楽友協会総裁のフリンチャクと事務総長ガムスイェーガーはカラヤンを気に入り、楽友協会終身監督に選ぶと宣言。1949年に任命。
●10月〜11月、カラヤン、VPO。『メタモルフォーゼン』。EMI。SP盤4枚組。
●11月〜12月、カラヤン、VPO。ベートーヴェン9番『合唱』。EMI。SP盤9枚組。
●12月、カラヤン、VPO。EMI。モーツァルト『フリーメイソンのための葬送音楽』等小品プログラム。
●12月20、21日、カラヤン、VPO。ベートーヴェン9番『合唱』。

1948年(40歳)
●1月、カラヤン、VPO。チャイコフスキー5番、モーツァルト33番、ほか。
●2月、カラヤン、VPO。『タリス幻想曲』、『古典交響曲』、ブラームス4番。ヴェルディ:レクィエム。
●2月、カラヤン、ウィーン交響楽団(VSO)。初共演。レーガー『モーツァルト変奏曲』、シベリウス7番、『フィンランディア』。
●3月、カラヤン、VPO。『パルジファル』第3幕演奏会形式上演。
●3月、カラヤン、VSO。『マタイ受難曲』。
●4月、カラヤン、PO。リパッティ。EMI。シューマン。
●4月、カラヤン、PO。初共演。イギリス・デビュー。
●4月、カラヤン、VPO。ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(ヌヴー)、シューマン4番。クーベリックの代役としてカラヤンが指揮。
●4〜5月、カラヤン、ローマ聖チェチーリア管。
●5月、カラヤン、VPO。バルトーク『弦チェレ』、シューベルト『グレート』。
●5月、カラヤン、トリノ・イタリア放送響。
●6月、カラヤン、ウィーン交響楽団。ウォルトン『ベルシャザールの饗宴』ほか。首席指揮者就任。
●8月、カラヤン、VPO。ザルツブルク音楽祭。『オルフェオとエウリディーチェ』、『フィガロの結婚』、オーケストラ・コンサート。
●8月、レッグがザルツブルクのホテルに、カラヤン夫妻とフルトヴェングラー夫妻を招いて会食。打ち解けたディナーになったとレッグは回想するものの、翌日、フルトヴェングラーは、エゴン・ヒルベルト[1899-1968]を呼び出し、自分をザルツブルク音楽祭に出演させたいならカラヤンを締め出すよう強く指示。
●8月、カラヤン、ルツェルン祝祭管弦楽団。
●10月、カラヤン、VSO。『ドイツ・レクィエム』。
●10月、カラヤン、スカラ座管。
●11月、カラヤン、VSO。『悲愴』、『海』、『アナクレオン』序曲。
●11月、カラヤン、VPO。EMI。チャイコフスキー『悲愴』。翌年1月にも録音。SP盤6枚組。ベートーヴェン『運命』。SP盤4枚組。オペラ・アリア集。小品集。
●12月、カラヤン、VSO、楽友協会合唱団。ブルックナー9番、『テ・デウム』。
●カラヤン、ウィーン楽友協会終身演奏会監督に就任。楽友協会合唱団、ウィーン交響楽団に大きな影響力を持ちます。1960年に辞任。
●12月、カラヤン、VPO、ウィーン国立歌劇場合唱団&バレエ団、歌手陣。スカラ座に引っ越し公演。『フィガロの結婚』。当時の引っ越し公演は声楽陣だけが基本で、オーケストラも含めて全部というのは特例。

1949年(41歳)
●1月、カラヤン、VPO、ウィーン国立歌劇場合唱団&バレエ団、歌手陣。スカラ座に引っ越し公演。『フィガロの結婚』。当時の引っ越し公演は声楽陣だけが基本で、オーケストラも含めて全部というのは特例。
●1月、カラヤン、VPO。EMI。小品集。
●1月、カラヤン、VSO、楽友協会合唱団。『新世界より』、『ピーターと狼』、『ボレロ』、『ミサ・ソレムニス』。
●2月、カラヤン、スイス・ロマンド管。
●3月、カラヤン、4カ月に及ぶ南米ツアーに出発。キューバ(ハバナ)、アルゼンチン(ブエノスアイレス)、ブラジル(リオデジャネイロ)、チリ(サンチャゴ)の4カ国を、アニタ夫人と共に訪れています。
●3〜4月、カラヤン、ハバナ・フィル。ベートーヴェン9番、ブラームス1番、ほか。
●4〜5月、カラヤン、コロン劇場管弦楽団。ベートーヴェン3番、『タリス幻想曲』、ほか。
●6〜7月、カラヤン、チリ交響楽団。6/10、6/17、6/24、7/1という1週間おきのゆったりしたスケジュールで、『マイスタージンガー』前奏曲、『タリス幻想曲』、『ハフナー』、『死と変容』、ベートーヴェン7番、バルトーク:ピアノ協奏曲第3番、チャイコフスキー5番、ブラームス3番、『画家マティス』、『古典交響曲』などを演奏。その間、世界的に有名なスキー場のファレジョネスでスキーを楽しんだほか、飛行機の操縦を学んで飛行時間を蓄積(1952年に免許取得)。カラヤンは生涯に、ダッソー・ファルコン、ビーチクラフトなど通算6機の自家用機を所有。
●8月、ザルツブルク音楽祭。フルトヴェングラーの強い要望により、カラヤンのオペラの指揮契約が解除。カラヤンはウィーン・フィルとのヴェルディのレクィエムと、ベートーヴェンの第9のみ指揮。以後、フルトヴェングラーの圧力(カラヤンを出すなら自分は出ない)と、宿敵アイネムの陰謀が原因で、カラヤンはザルツブルク音楽祭から7年間締め出されることになります。
●9月8日、R.シュトラウス死去。
●10月、カラヤン、ストックホルム・フィル。
●10〜11月、カラヤン、VSO、楽友協会合唱団。ベートーヴェン3番、『画家マティス』、『天地創造』、ブラームス3番、『ティル』、、チャイコフスキー4番、ほか。
●11月、カラヤン、PO。
●10〜11月、カラヤン、VPO。EMI。ブラームス2番、モーツァルト39番、クラリネット協奏曲、バルトーク:弦チェレ、ルーセル4番、バラキレフ1番、ワーグナー名曲集、J.シュトラウス名曲集、オペラ・アリア集ほかを録音。
●12月、カラヤン、VPO。ブラームス2番、『ダフニス』、モーツァルト39番。
●12月、カラヤン、ローマ聖チェチーリア管。

1950年(42歳)
●1〜2月、カラヤン、VSO。ブルックナー5番、パレストリーナ、ヴィクトリア、ほか。ウィーン楽友協会合唱団と共に戦後初のドイツ・ツアーも実施。


●2月、カラヤン、スイス・ロマンド管。
●3月、クレメンス・クラウスがカラヤンの代役としてウィーン・フィルの『グレート』などを指揮。
●3月、カラヤン、ローマ・イタリア放送響。
●5月、カラヤン、スイス・ロマンド管。
●5月、カラヤン、VSO。バイロイト祝祭劇場公演。ブルックナー8番、ワーグナー管弦楽曲集。
●6月、カラヤン、VPO、ウィーン楽友協会合唱団。モーツァルト:戴冠ミサ、バッハ:カンタータ50番、ブランデンブルク2番、ほか。
●6月、カラヤン、VSO、ウィーン楽友協会合唱団。『マタイ受難曲』『ロ短調ミサ』。バッハ没後300周年を記念した国際バッハ音楽祭での演奏。
●6月、カラヤン、VPO。EMI。モーツァルト『フィガロの結婚』。SP盤16枚組。カラヤン初のオペラ全曲セッション録音。10月にも追加セッション。
●6〜7月、カラヤン、VSO。ミラノ・スカラ座公演。
●夏、バイロイト友好協会の総会で、翌年に再開の決まったバイロイト祝祭劇場に招かれることが決定。担当演目は『ニーベルングの指環』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』。
●8月、カラヤン、ルツェルン祝祭管弦楽団。
●9〜11月、カラヤン、VSO、ウィーン楽友協会合唱団。ブルックナー8番、『幻想交響曲』、『展覧会の絵』、ベートーヴェン2番、シベリウス5番、ヴェルディ:レクィエム、ほか。
●9月、カラヤン、VSO。イタリア・ツアー。
●10月、カラヤン、スカラ座管。ミュンヘン公演。
●11月、カラヤン、VPO。EMI。モーツァルト『魔笛』。SP盤19枚組。
●12月、カラヤン、ローマ聖チェチーリア管。
●12月、カラヤン、スカラ座。『タンホイザー』プレミエ。

1951年(43歳)
●1月、カラヤン、スカラ座。『タンホイザー』、『ドン・ジョヴァンニ』プレミエ。
●2〜6月、カラヤン、VSO、ウィーン楽友協会合唱団。『アイーダ』演奏会形式上演、バッハ:ロ短調ミサ、ほか。
●6月、カラヤン、スカラ座管。『運命』『ドン・キホーテ』、ほか。
●6〜7月、カラヤン、PO、ギーゼキング。EMI。グリーグ、フランク、ベートーヴェン4,5、モーツァルト23番。
●8月、カラヤン、バイロイト。『ニーベルンクの指輪』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』。初出演でいきなり『リング』を指揮。バイロイトには妻のアニタと共に、当時の愛車、「オースティン A90 アトランティック・スポーツ」で訪れています。


●9月、カラヤン、VSO。ルツェルン祝祭。
●9月、カラヤン、VSO。イタリア・ツアー。
●10月、カラヤン、スカラ座管。シベリウス5番、ハイドン104番、ほか。
●10〜12月、カラヤン、VSO。ブルックナー9番、ヴェルディ:テ・デウム、ほか。
●11月、カラヤン、PO。EMI。ベートーヴェン7番。交響曲全集の第1弾。
●12月、カラヤン、PO。EMI。シベリウス5番、バルトーク:管弦楽のための協奏曲、『ドン・ファン』、『ティル』。

1952年(44歳)
●1〜2月、カラヤン、スカラ座。『フィデリオ』プレミエ、『ばらの騎士』プレミエ。
●2月、カラヤン、ローマ聖チェチーリア管。
●5月、カラヤン、PO。ヨーロッパ・ツアー。途中、ベルリン公演の際には、ベルリン・フィル運営陣と会談、今後についての話し合いがおこなわれました。
●5月、カラヤン、PO。EMI。チャイコフスキー5番、ブラームス1番、ストラヴィンスキー『カルタ遊び』。
●7月、カラヤン、PO。EMI。『フィンランディア』、『くるみ割り人形』。
●8月、カラヤン、バイロイト。『トリスタンとイゾルデ』。演出をめぐりヴィーラント・ワーグナーと衝突、以後、カラヤンはバイロイトに出演しませんでした。
●8月、カラヤン、ルツェルン祝祭管。
●9月、カラヤン、VSO。イタリア・ツアー。
●9月、カラヤン、VSO。ドイツ・ツアー。
●10〜11月、カラヤン、VSO。
●11月、カラヤン、ウィーン楽友協会管弦楽団&合唱団。EMI。バッハ:ミサ曲ロ短調。器楽奏者にパリキアン、モリス、ブレイン、サトクリフなどフィルハーモニアの名手が参加した録音。
●11月、カラヤン、VSO。ベートーヴェン・ツィクルス。
●11〜12月、カラヤン、PO。EMI。『英雄』、『白鳥の湖』、『眠れる森の美女』、『ハフナー』。
●12月、カラヤン、ローマ・イタリア放送響。

1953年(45歳)
●1〜2月、カラヤン、スカラ座。『ローエングリン』プレミエ、『ドン・ジョヴァンニ』プレミエ。
●2月、カラヤン、スカラ座管。コンサート。
●3〜4月、カラヤン、トリノ・イタリア放送響。
●6月、カラヤン、VSO。
◆6月16日、東ベルリン暴動発生。きっかけはアメリカ占領軍政府の放送局である「RIAS」が東ドイツの賃金カット政策と食料価格引き上げ政策を大々的に放送したのがきっかけとも言われており、4万人以上が抗議行動に参加、ドイツ駐留ソ連軍兵士2万人と東ドイツ軍の前身である兵営人民警察官8千人によって鎮圧、383人が死亡、1,838人が負傷、約5,100人が逮捕という悲惨な結果を招いています。当時はベルリンの壁もなく、この暴動が西ベルリン市民に与えた影響は深刻でした。
 これにより、「RIAS」は関連演奏団体への資金援助を打ち切ることとなり、カール・リステンパルトのもと素晴らしいバッハを聴かせていた「RIAS室内管弦楽団」も解散(リステンパルトと団員は西ドイツ最西部の都市ザールブリュッケンに移って活動再開)、「RIAS交響楽団」と「RIAS室内合唱団」はベルリンでのクラシック音楽放送番組を担う存在となり、他のオーケストラや合唱団の放送番組はほとんど無くなることとなります。


●6〜7月、カラヤン、PO。EMI。『ヘンゼルとグレーテル』、『死と変容』チャイコフスキー4番、シベリウス4番、『タピオラ』、ベートーヴェン6番、序曲集、『海』、『スペイン狂詩曲』ほか。
●夏、スイスのアスコーナで飛行機を操縦免許を取得。
●7月、カラヤン、PO。
●8月、カラヤン、ルツェルン祝祭管。
●8月、カラヤン、PO、ギーゼキング。EMI。シューマン、モーツァルト24番。
●8月、カラヤン、スカラ座管。ミュンヘン・フェスティヴァル。
●9月、カラヤン、PO。エディンバラ音楽祭。
●9月、カラヤン、BPO。ベルリン芸術週間。『英雄』、『管弦楽のための協奏曲』。戦後初めての共演。


●9月、カラヤン、トリノ・イタリア放送響。
●10月、カラヤン、VSO。ヨーロッパ・ツアー。
●11月、カラヤン、VSO。
●11月、カラヤン、PO。
●11月、カラヤン、PO。EMI。『ブリッジ変奏曲』、『タリス幻想曲』、モーツァルト:ホルン協奏曲、ベートーヴェン1・2・4・8番、ほか。
●12月、カラヤン、ローマ・イタリア放送響。『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』演奏会形式上演、ほか。

1954年(46歳)
●1〜2月、カラヤン、スカラ座。『ランメルモールのルチア』プレミエ、『フィガロの結婚』プレミエ。『ルチア』はカラスの出演で大成功。
●2月、カラヤン、ローマ・イタリア放送響。『ヘンゼルとグレーテル』演奏会形式上演。
●2月、カラヤン、トリノ・イタリア放送響。
●4〜5月、カラヤン、NHK交響楽団。初来日。
●6月、カラヤン、PO。
●6〜7月、カラヤン、PO。EMI。『ナクソス島のアリアドネ』、『幻想交響曲』、『コジ・ファン・トゥッテ』ほか。
●7月、カラヤン、PO。エクサン・プロヴァンス音楽祭。
●8月、カラヤン、PO。ルツェルン祝祭。8月4日と12日に指揮。10日後の22日にはフルトヴェングラーが第9を指揮。
●9月23日、カラヤン、BPO。ベルリン芸術週間。19日と20日にはフルトヴェングラーが指揮。
●10月、カラヤン、VSO。ブルックナー5番、『カルメン』演奏会形式上演、ほか。
●10〜11月、カラヤン、PO。ヨーロッパ・ツアー。
●11月、カラヤン、PO。EMI。ベートーヴェン5番、ライマー:ピアノ協奏曲、小品集。
●11月、カラヤン、VSO。
●11月12日、フルトヴェングラー、肺炎にかかり、自分で車を運転してバーデン=バーデン近郊のエバーシュタインブルク病院まで行き入院。
●11月21〜22日、カラヤン、BPO。ヴォーン=ウィリアムズ『タリス幻想曲』、ブルックナー9番。
●11月26〜28日、カラヤン、VSO。
●11月30日、フルトヴェングラー、エバーシュタインブルク病院で、肺炎により死去。
●12月13日、ベルリン・フィル総会で、ベルリン・フィルの主要なコンサートと翌年のアメリカ・ツアーの指揮をカラヤンに依頼するよう全員一致で可決。総裁のヴェスターマンが交渉にあたることになります。
●12月、カラヤン、ローマ・イタリア放送響。ベートーヴェン9番。『ヘンゼルとグレーテル』演奏会形式上演、ブラームス:ピアノ協奏曲第2番、モーツァルト39番、オネゲル3番、ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』演奏会形式上演、ほか。

1955年(47歳)
●1月、カラヤン、トリノ・イタリア放送響。
●1〜2月、カラヤン、スカラ座。『カルメン』プレミエ。
●2月13〜15日、カラヤン、BPO。ドイツ・ツアー。
●2月21〜22日、カラヤン、BPO。『運命』、『時計』、『トリスタン』前奏曲と愛の死。
●2月27日〜4月1日、カラヤン、BPO。アメリカ・ツアー。『運命』、ブラームス1番、『ハフナー』、チャイコフスキー5番、バーバー『アダージョ』ほか。
●4月4、5日、カラヤン、BPO。ブラームス2番、『ティル』、『ハフナー』。
●4月5日、カラヤン、ベルリン・フィル第4代芸術監督および常任指揮者に任命。カラヤンの47歳の誕生日でもありました。
●4月、カラヤン、PO。EMI。『こうもり』全曲。
●5月1日、カラヤン、PO。『ハフナー』、シベリウス4番、チャイコフスキー4番。
●5月、カラヤン、PO。EMI。『未完成』、『悲愴』、ブラームス2・4番でステレオ録音実施。
●5月31日、カラヤン、VSO。ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(シュナイダーハン)、ブラームス4番、ほか。
●6月7、25、26日、カラヤン、VSO、ウィーン楽友協会合唱団。ベートーヴェン9番。もともとは7〜9日の3日連続公演の予定でしたが、8日と9日の公演については25日と26日に延期になっていたもの。
●7月、カラヤン、PO。EMI。ベートーヴェン9番、モーツァルト39番をステレオ録音。シベリウス6・7番はモノラル録音。
●8月、カラヤン、スカラ座。EMI。『蝶々夫人』全曲。
●8月10日、カラヤン、ルツェルン祝祭管。ブラームス2番、オネゲル3番、ほか。
●9月29日、カラヤン、ミラノ・スカラ座歌手陣と合唱団、ベルリンRIAS響。『ランメルモールのルチア』。ベルリン市立歌劇場(ベルリン・ドイツ・オペラ)で上演。ベルリン芸術週間。スカラ座で演出と指揮を兼ねて大成功を収めていたカラスとの『ルチア』の引っ越し公演。
●9月30日、10月1日、カラヤン、BPO。ベートーヴェン7番、『皇帝』(ギーゼキング)、『コリオラン』。
●10月2日、カラヤン、ミラノ・スカラ座歌手陣と合唱団、ベルリンRIAS響。『ランメルモールのルチア』。カラスとの『ルチア』の引っ越し公演2日目。
●10月8、9日、カラヤン、VSO、ウィーン楽友協会合唱団。モーツァルト:3台のピアノのための協奏曲(バドゥラ=スコダ、デムス、カラヤン)、ベートーヴェン2番、コダーイ『ハンガリー詩篇』。
●10月11、12日、カラヤン、PO。EMI。『展覧会の絵』(翌年6月18日に修正セッション)。
●10月14、18日、カラヤン、PO。『タリス幻想曲』、『ブリッジ変奏曲』、バルトーク:管弦楽のための協奏曲、『幻想交響曲』、『スペイン狂詩曲』、シベリウス5番。
●10月23日〜11月19日、カラヤン、PO。アメリカ・ツアー。『海』、『水上の音楽』、『タリス幻想曲』、『ブリッジ変奏曲』、バルトーク:管弦楽のための協奏曲、『幻想交響曲』、『スペイン狂詩曲』、シベリウス5番、ベートーヴェン6番、チャイコフスキー4番、ほか。
●12月10、13日、カラヤン、スカラ座。『魔笛』。
●12月16日、カラヤン、トリノ・イタリア放送響。
●12月18、20日、カラヤン、スカラ座。『魔笛』。
●12月21日、カラヤン、トリノ・イタリア放送響。
●12月22日、カラヤン、スカラ座。『魔笛』。

1956年(48歳)
●1月4〜6日、カラヤン、BPO。
●1月8、9、10日、カラヤン、マイナルディ、VSO。モーツァルト38番、R.シュトラウス『ドン・キホーテ』、ハイドン:チェロ協奏曲。
●1月21日、カラヤン、ケンプ、BPO。ベルリン市内ツェーレンドルフのパウロ派教区信徒会館で放送用スタジオ録音。モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、交響曲第41番。
●1月22、23日、カラヤン、ケンプ、BPO。モーツァルト:ディヴェルティメント17番、ピアノ協奏曲第20番、交響曲第41番『ジュピター』。ティタニア・パラストでの演奏会。
●1月25、26、27日、カラヤン、ハスキル、VSO。ピアノ協奏曲第20番、交響曲第40、41番。
●1月28日〜2月6日、カラヤン、ハスキル、PO。ヨーロッパ・ツアー。モーツァルト:ディヴェルティメント15番、ピアノ協奏曲第20番、交響曲第35、39、40、41番、ほか。
●2月19、20日、カラヤン、BPO。『エディプス王』。
●2月25、26日、カラヤン、VSO。プロコフィエフ5番、ほか。
●3月、カラヤン、ザルツブルク音楽祭芸術監督就任予定について発表。
●3月、カラヤン、スカラ座。『サロメ』。


●3月、ベーム、ウィーン国立歌劇場総監督を辞任。
●4月25日、カラヤン、ベルリン・フィル第4代芸術監督および常任指揮者としての契約書に、ベルリン市文化大臣ティブルティウスと共に署名。終身指揮者。


●4月27、28、29日、カラヤン、BPO。オネゲル3番、チャイコフスキー6番、ほか。
●5月1日〜5月19日、カラヤン、BPO。ヨーロッパ・ツアー。
●5月21日、カラヤン、BPO。ベートーヴェン7番、『ティル』、ほか。
●6月4〜8日、カラヤン、BPO。ドイツ・オーストリア・ツアー。ベートーヴェン3番、ブラームス2番、ほか。
●6月12、14、16日、カラヤン、スカラ座歌手陣と合唱団。ウィーン国立歌劇場管。『ランメルモールのルチア』。ウィーン国立歌劇場で上演。
●6月16日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場芸術監督に就任。
●6月18、21、22、23、25、26、27、28、29日、7月24日、カラヤン、PO。EMI。ヴェルディ『ファルスタッフ』全曲。
●6月20日、カラヤン、PO。ベートーヴェン2番、R.シュトラウス『4つの最後の歌』、ブラームス4番。
●8月3、4、6、7、8、9日、カラヤン、スカラ座。EMI。『トロヴァトーレ』全曲。
●8月15日、カラヤン、ルツェルン祝祭管。
●9月6日、カラヤン、PO。ルツェルン祝祭。ベートーヴェン6番、ブラームス4番。
●9月23、24、25日、カラヤン、アンダ、BPO。ブラームス:ピアノ協奏曲第2番、交響曲第4番。
●10月1日、カラヤン、ザルツブルク音楽祭芸術監督就任。1960年9月30日までの4年契約。以降、随時更新。
●10月7日〜11月19日、カラヤン、BPO。北米ツアー。ベートーヴェン5番、ハイドン104番、ブラームス2番、ほか。
●11月22、23、24日、カラヤン、BPO。『ドン・ファン』、ハイドン101番、シューマン4番。
●12月1、2日、カラヤン、VSO、ウィーン楽友協会合唱団。『ドイツ・レクィエム』
●12月8、9、10日、カラヤン、BPO。チャイコフスキー5番、ほか。
●12月10、11、12、13、14、15、17、18、19、20、21、22日、カラヤン、PO。EMI。『ばらの騎士』全曲。
●12月22日、カラヤン、PO。EMI。『ピーターと狼』(翌年4月28日に修正セッション)。

1957年(49歳)
●1月6、7、8日、カラヤン、BPO。ブルックナー8番。
●1月7、8日、カラヤン、BPO。EMI。『トリスタン』前奏曲と愛の死、『タンホイザー』序曲。
●1月19、20日、カラヤン、VSO。ブルックナー5番。
●2月13、14日、カラヤン、VSO。『画家マティス』、ベートーヴェン7番、ほか。
●2月17、18、19日、カラヤン、BPO。『未完成』、プロコフィエフ5番、ほか。日中にはEMIのワーグナー録音。
●2月18、19日、カラヤン、BPO。EMI。『マイスタージンガー』第1幕前奏曲。
●3月、カラヤン、スカラ座。『ファルスタッフ』。
●4月2、5日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』プレミエ。
●4月15日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』プレミエ。
●4月17日、カラヤン、VPO。ブルックナー8番。7年ぶりの共演。
●4月18日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●4月21日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●4月25、26日、カラヤン、BPO。ベートーヴェン9番。ベルリン・フィル創立75周年記念演奏会。日中にはEMIのシューマン録音。
●4月25、26日、カラヤン、BPO。EMI。シューマン4番。
●4月27日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●4月28、30日、カラヤン、PO。EMI。『おもちゃの交響曲』。
●4月30日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。日中にはロンドンで『おもちゃの交響曲』録音。
●5月1日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●5月3日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●5月4、5日、カラヤン、VSO。ブラームス4番、マルタン、ほか。
●5月6日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●5月23、24、25日、カラヤン、BPO。EMI。ブルックナー8番。ベルリン・フィルとの初めてのステレオ録音。
●5月24、25、26日、カラヤン、グールド、BPO。『画家マティス』、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番、シベリウス5番。24、25日の日中はEMIのブルックナー録音。
●6月2日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●6月5日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●6月7日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『椿姫』。
●6月9日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●6月10日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『椿姫』。
●6月12日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●6月13、15、16、17日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『椿姫』。15、16日の日中はウィーン響とミサ・ソレムニスの公演。
●6月15、16日、カラヤン、VSO、ウィーン楽友協会合唱団。『ミサ・ソレムニス』。
●6月19日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『カルメン』。
●6月20日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『椿姫』。
●7月27日、カラヤン、VPO。『フィデリオ』プレミエ。ザルツブルク音楽祭。
●7月28日、カラヤン、VPO。ブルックナー8番。ザルツブルク音楽祭。
●7月29日、カラヤン、アンダ、BPO。『ジュピター』、『ハフナー』、ピアノ協奏曲第21番。ザルツブルク音楽祭。
●8月6日、カラヤン、VPO。『フィデリオ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月10日、カラヤン、VPO。『ファルスタッフ』プレミエ。ザルツブルク音楽祭。
●8月12日、カラヤン、VPO。『フィデリオ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月13日、カラヤン、ヘルツォーク、BPO。アイネム:ピアノ協奏曲、オネゲル3番、ほか。ザルツブルク音楽祭。
●8月14日、カラヤン、VPO。『ファルスタッフ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月20日、カラヤン、VPO。『フィデリオ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月21日、カラヤン、VPO。『ファルスタッフ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月22、23日、カラヤン、VPO。『ドイツ・レクィエム』。ザルツブルク音楽祭。
●8月26日、カラヤン、VPO。『フィデリオ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月27日、カラヤン、VPO。『ファルスタッフ』。ザルツブルク音楽祭。
●9月、カラヤン、VPO。ルツェルン祝祭。
●9月15、17、20日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ファルスタッフ』プレミエ。
●9月21日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『カルメン』。
●9月23日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ファルスタッフ』。
●9月28、29、30日、カラヤン、BPO。マルタン:管弦楽のためのエチュード、ブルックナー5番。
●10月3日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●10月5、6日、カラヤン、ヘルツォーク、VSO。アイネム:ピアノ協奏曲、ドヴォルザーク9番、ほか。
●10月6日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●10月8、10日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『カルメン』。
●11月3〜22日、カラヤン、BPO。日本ツアー。ベートーヴェン3、5、7番、ブラームス1、2番、ドヴォルザーク9番、モーツァルト35、38番、『画家マティス、『火の鳥』、ほか。22日の『運命』はN響と合同演奏。
●11月27、28、29日、カラヤン、BPO。『火の鳥』、モーツァルト38番、ブラームス1番。28日と29日の日中にはEMIの『画家マティス』と『新世界』の録音。
●11月28、29日、カラヤン、BPO。EMI。『画家マティス』、『新世界』。『新世界』については、翌年1月6、7日と5月18、19、20日の期間中に修正セッション。
●12月8日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●12月11日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●12月15日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場合唱団。パレストリーナ『教皇マルチェルスのミサ』、ほか。ウィーン国立歌劇場合唱団創立30周年を記念した日中の公演。
●12月23日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ジークフリート』プレミエ。
●12月26日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●12月27日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ジークフリート』。

1958年(50歳)
●1月5、6、7日、カラヤン、フェラス、BPO。メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲、『田園』、『ダフニスとクロエ』第2組曲。6日と7日の日中にEMIのレーガー『モーツァルト変奏曲』の録音をおこなうものの未完。
●1月9、10日、カラヤン、PO。EMI。『ハンガリー狂詩曲第2番』、『ローマの謝肉祭』、『ラコッツィ行進曲』(1月18日に修正セッション)、『舞踏への勧誘』(1月18日に修正セッション)、『ローマの松』(1月13日に修正セッション)。
●1月12日、カラヤン、PO。『ブランデンブルク協2番』、『ハイドン変奏曲』、プロコフィエフ5番。
●1月13、14、15、16、17、18日、カラヤン、PO。EMI。『パリの喜び』、『アルルの女』組曲第1、2番、『カルメン』組曲第1番、『悲しきワルツ』、『ウィリアム・テル』バレエ音楽、『ファウスト』バレエ音楽、『レ・プレリュード』、『1812年』(2月6、7日に修正セッション)『天体の音楽』(未発)、『ばらの騎士』組曲(未発)。
●1月22日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●1月25日、カラヤン、VSO。ブルックナー9番。
●1月25日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』プレミエ。日中にVSOとブルックナー9番。
●1月26日、カラヤン、VSO。ブルックナー9番。
●1月27日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』。
●1月31日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『フィデリオ』。
●2月1日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『蝶々夫人』プレミエ。
●2月5日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●2月7日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ジークフリート』。
●2月8、9日、カラヤン、リヒター=ハーザーVSO。チャイコフスキー4番、シューマン:ピアノ協奏曲、ヴェーベルン:パッサカリア。
●2月21、22、23日、カラヤン、BPO。『ドイツ・レクィエム』
●2月24日〜3月9日、カラヤン、BPO。ドイツ&フランス・ツアー。
●3月23日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『蝶々夫人』。
●3月26日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●3月29、30日、カラヤン、VPO。ニコライ・コンサート。ベートーヴェン9番。
●4月3、4日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トスカ』プレミエ。
●4月9日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●4月、カラヤン、スカラ座。『ワルキューレ』。
●4〜5月、カラヤン、VPO。イタリア・ベルギー・ツアー。
●5月18、19、20日、カラヤン、BPO。『弦、打楽器とチェレスタのための音楽』、ベートーヴェン3番。日中はEMIのシューベルトなど録音。
●5月18、19、20日、カラヤン、BPO。EMI。シューベルト5番、『モルダウ』。
●5月22日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ジークフリート』。
●5月24日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『アイーダ』プレミエ。
●5月27日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●5月28日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『アイーダ』。
●6月2、4日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『カルメン』。
●6月8、10日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ファルスタッフ』。
●6月11日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『エディプス王』。
●6月14日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トスカ』。
●6月16、17日、カラヤン、BPO。ブリュッセル公演。
●6月18日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『蝶々夫人』。
●6月21日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トスカ』。
●6月22、23日、カラヤン、VSO、ウィーン楽友協会合唱団。バッハ:ミサ曲ロ短調。
●7月26日、8月2日、カラヤン、VPO。『ドン・カルロ』プレミエ。ザルツブルク音楽祭。
●8月5、9日、カラヤン、VPO。『フィデリオ』プレミエ。ザルツブルク音楽祭。
●8月13日、カラヤン、VPO。『ドン・カルロ』プレミエ。ザルツブルク音楽祭。
●8月15日、カラヤン、VPO。『フィデリオ』プレミエ。ザルツブルク音楽祭。
●8月20日、カラヤン、VPO。『ドン・カルロ』プレミエ。ザルツブルク音楽祭。
●8月21日、カラヤン、VPO。ヴェルディ:レクィエム。ザルツブルク音楽祭。
●8月25日、カラヤン、VPO。『フィデリオ』プレミエ。ザルツブルク音楽祭。
●8月27日、カラヤン、VPO。『ドン・カルロ』プレミエ。ザルツブルク音楽祭。
●8月28日、カラヤン、BPO。ベートーヴェン9番。ミュンヘン・フェスティヴァル。
●8月30、31日、カラヤン、BPO。ベートーヴェン9番。ルツェルン祝祭。
●9月9日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『アイーダ』。
●9月11日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『カルメン』。日中にEMIの『ミサ・ソレムニス』録音。
●9月11、12、13、14、15日、カラヤン、PO、ウィーン楽友協会合唱団。EMI。『ミサ・ソレムニス』。
●9月14日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ファルスタッフ』。日中にEMIの『ミサ・ソレムニス』録音。
●9月16、17日、カラヤン、PO。EMI。『プラハ』。
●9月17日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ファルスタッフ』。日中にEMIの『プラハ』録音。
●9月21、22日、カラヤン、グールド、BPO。フォルトナー:管弦楽のための即興曲、バッハ:ピアノ協奏曲第1番、『運命』。ベルリン芸術週間。

●10月11日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『フィデリオ』。夕方はウィーン・フィル公演。
●10月11、12日、カラヤン、VPO。『コリオラン』、ベートーヴェン1、3番。
●10月13日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トスカ』。
●10月15日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ジークフリート』。
●カラヤン、アニータと離婚。
●10月16日、カラヤン、エリエッテ・ムーレ[1939- ]と結婚。


●10月18、19、20日、カラヤン、フルニエ、BPO。ブランデンブルク協3番、シューマン:チェロ協奏曲、『英雄の生涯』
●10月21日〜11月6日、カラヤン、BPO。ヨーロッパ・ツアー。ブラームス1番、ベートーヴェン3、6番、ほか。
●11月13日〜11月23日、カラヤン、ニューヨーク・フィル。10日間の客演。『ジュピター』、『英雄の生涯』、ベートーヴェン1、9番、ほか。
●12月2、5日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●12月6、7日、カラヤン、VPO。『エグモント』、ベートーヴェン6、5番。
●12月14日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●12月21日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ジークフリート』。
●12月23日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ラインの黄金』プレミエ。
●12月30、31日、カラヤン、リヒター=ハーザー、BPO。EMI。ブラームス:ピアノ協奏曲第2番。
●12月29、30、31日、カラヤン、BPO。ストラヴィンスキー『聖マルコの名を称える聖歌』、ブルックナー7番。30、31日は、日中、EMIのブラームス録音。

1959年(51歳)
●1月1、2、3、5、6日、カラヤン、PO。EMI。『白鳥の湖』組曲、『眠りの森の美女』組曲、オペラ間奏曲集。


●1月21、22日、カラヤン、BPO。『ドン・ファン』、ベートーヴェン1番、『ローマの松』。
●1月25日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ラインの黄金』。
●1月27、31日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』。31日の夕方はウィーン・フィル公演。
●1月31日、2月1日、カラヤン、VPO。『ドン・ファン』、ヴェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章、ブラームス2番。
●2月2日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『蝶々夫人』。
●2月18日〜2月26日、カラヤン、BPO。ドイツ・ツアー。ベートーヴェン5、7番、他。
●3月、カラヤン、ドイツ・グラモフォンと契約。
●3月1、2、3日、カラヤン、BPO。ショスタコーヴィチ10番、ほか。2日と3日は日中、DGの『英雄の生涯』の録音。
●3月2、3、4日、カラヤン、BPO。DG。『英雄の生涯』。ドイツ・グラモフォンでの初録音。会場はEMIで使用していたグリューネヴァルト教会の近くにあるダーレムのイエス・キリスト教会。
●3月7日、カラヤン、BPO。ロンドン公演。ドヴォルザーク9番、『ダフニスとクロエ』第2組曲、ほか。
●3月、カラヤン、デッカと契約。
●3月9、10日、カラヤン、VPO。DECCA。ベートーヴェン7番。デッカへの初録音。
●3月10日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。日中、デッカに録音。
●3月23、26日、カラヤン、VPO。DECCA。ブラームス1番。
●3月23日、4月9日、カラヤン、VPO。DECCA。『ツァラトゥストラはかく語りき』。
●3月25、26日、カラヤン、VSO、ウィーン楽友協会合唱団。『マタイ受難曲』。26日の日中、デッカにブラームス1番を録音。
●3月27、28日、カラヤン、VPO。DECCA。モーツァルト40番、ハイドン104番。
●3月29日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ラインの黄金』。
●3月30日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●4月5日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ラインの黄金』。
●4月7、8日、カラヤン、VPO。DECCA。『こうもり』序曲、『アンネン・ポルカ』、『うわごと』、『狩り』、『ジプシー男爵』序曲、『ウィーンの森の物語』。
●4月8日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ジークフリート』。
●4月28日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トリスタンとイゾルデ』プレミエ。
●4〜5月、カラヤン、スカラ座。『トリスタンとイゾルデ』。
●5月16、17日、カラヤン、VPO。モーツァルト40番、ブラームス1番。
●5月20日、カラヤン、BPO。『ドン・ファン』、ベートーヴェン1番、『ローマの松』。
●5月21、23、24日、カラヤン、BPO。ヘンツェ:弦楽のためのソナタ、ブラームス2番。
●5月26日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ラインの黄金』。
●5月27日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』。
●5月28日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ワルキューレ』。
●5月30日、カラヤン、VPO、ウィーン国立歌劇場合唱団。ハイドン『ネルソン・ミサ』。オーストリア連邦政府主催、ハイドン生誕150周年記念演奏会。
●5月31日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ジークフリート』。
●6月7日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』。
●6月8日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『カルメン』。
●6月12日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トスカ』。
●6月14日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トリスタンとイゾルデ』。
●6月15日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オテロ』。
●6月18日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トリスタンとイゾルデ』。
●6月20、21日、カラヤン、VSO、ウィーン楽友協会合唱団。ヴェルディ:レクィエム。
●6月22日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『アイーダ』。
●7月2日、カラヤン、ロサンジェルス・フィル。『英雄の生涯』、モーツァルト35番、アイヴズ『答えのない質問』、ほか。
●8月5、10、15日、カラヤン、VPO。『オルフェオとエウリディーチェ』プレミエ。ザルツブルク音楽祭。
●8月19日、カラヤン、VPO、ウィーン楽友協会合唱団。『ミサ・ソレムニス』。ザルツブルク音楽祭。
●8月21日、カラヤン、VPO。ブルックナー8番。ミュンヘン・フェスティヴァル。。
●8月22、27日、カラヤン、VPO。『オルフェオとエウリディーチェ』。ザルツブルク音楽祭。
●8月31日、カラヤン、フルニエ、グールド、PO。『ドン・キホーテ』、バッハ:ピアノ協奏曲第1番、『水上の音楽』。ルツェルン祝祭。
●9月1日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『マイスタージンガー』。
●9月2〜15日、カラヤン、VPO、ウィーン楽友協会合唱団。DECCA。『アイーダ』。
●9月3日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』。
●9月4日、カラヤン、BPO。DG。ブラームス:ハンガリー舞曲集、ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集。
●9月9日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トスカ』。
●9月12日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『トリスタンとイゾルデ』。
●9月13日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『アイーダ』。
●9月20、21日、カラヤン、BPO。シューマン4番、リーバーマン:カプリッチョ、ほか。ベルリン芸術週間。
●9月23、24、25日、カラヤン、BPO。バッハ:管弦楽組曲第2番、メシアン:鳥の目覚め、ベートーヴェン7番。ベルリン芸術週間。
●10月14、15日、カラヤン、VPO。『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』、ブラームス4番、ほか。
●10月18日〜11月23日、カラヤン、VPO。アジア&北米ツアー(日本含む)。ニューデリー、ボンベイ、マニラ、香港、日本、ホノルル、アメリカ、カナダを巡る大規模ツアー。日本公演は伊勢湾台風の直後ということで、コンサートの収益から900万円を義捐金として寄付(同時期に来日していたアンチェル&チェコ・フィルも100万円を寄付)。
●12月5、6日、カラヤン、A.フィッシャー、VSO。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、ショスタコーヴィチ10番。
●12月8日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『フィデリオ』。
●12月11日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『フィガロの結婚』。
●12月12、13日、カラヤン、カーゾン、VPO。バッハ:管弦楽組曲第2番、モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、ベートーヴェン7番。フルトヴェングラー記念コンサート。
●12月15日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オルフェオとエウリディーチェ』プレミエ。
●12月18日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『ラインの黄金』。
●12月20日、カラヤン、ウィーン国立歌劇場。『オルフェオとエウリディーチェ』。
●12月29、30、31日、カラヤン、リヒター=ハーザー、BPO。ブラッハー:ムジカ・ジョコーザ、シューマン:ピアノ協奏曲、ブラームス3番。
●12月30、31日、カラヤン、BPO。EMI。『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』、『水上の音楽』。

内容詳細

テスタメントの国内初出音源となる本作は、1997年のザルツブルク音楽祭でのライヴだ。首席奏者によるソロがオケと緊密な一体感を生み出したモーツァルトに、BPOの合奏力を最大限引き出したR.シュトラウス。完璧。(CDジャーナル データベースより)

収録曲   

  • 01. 協奏交響曲変ホ長調 K.297b~オーボエ、クラリネット、ホルンとファゴットのための~
  • 02. 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」Op.30

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凄い演奏だ。このようなお宝のような音源が...

投稿日:2013/05/12 (日)

凄い演奏だ。このようなお宝のような音源がこれまで眠っていたこと自体がおよそ信じ難い。本盤には、モーツァルトの管楽器のための協奏交響曲とR・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の演奏がおさめられている。両曲ともに、カラヤンは複数の演奏のレコーディングを遺しているが、私としては、本盤の演奏こそは、カラヤンによる両曲演奏の最高峰に掲げられるのではないかと考えるところだ。モーツァルトの管楽器のための協奏曲の演奏は、流麗なレガートを施した優美さと躍動感が際立っている。カラヤンは、後年の演奏になるほど、健康状態の悪化も相まって、躍動感を失ったいささか重いとも感じられる演奏が多くなっていくのであるが、本演奏は60歳を少し過ぎたばかりの心身ともに充実していた時期のもの。シンフォニックな重厚さの中にも、前述のような躍動感と流れるような美しさを秘めた全盛期のカラヤンならではの稀代の名演奏に仕上がっている。ローター・コッホ、カール・ライスター、ゲルト・ザイフェルト、ギュンター・ピースクと言った、ベルリン・フィルの楽団史上での最高峰に掲げられるべきスタープレーヤーが奏でる名演奏は、卓越したヴィルトゥオジティの発揮は当然のこととして、芸術性も豊かであり、カラヤンやベルリン・フィルともども実に楽しげに演奏している様子が伝わってくるのが素晴らしい。R・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の演奏は、先ずは、「序奏」の輝かしいブラスセクションの咆哮に圧倒される。「後の世の人びとについて」に入るとテンポを幾分落として、分厚くも艶やかな音色美を誇る弦楽合奏が伸びやかに曲想を歌い上げていく。その美しさは、この世のものとは思えないような音の桃源郷の世界だ。「大いなる憧れについて」や「歓喜と情熱について」におけるブラスセクションやティンパニの鋭い響きは悪魔的とも言うべき凄まじいまでの迫力を誇っていると言える。「科学について」の低弦の引きずるような響きも凄みがあり、対比する高弦の美しさは天国的とも言えるだろう。「病から回復に向かう者」のトロンボーンやホルンの咆哮は凄まじく、頂点における迫力は壮絶の極み。その後はトランペット、木管楽器、弦楽器などの絡み合いは唖然とするほど上手く、アンサンブルなどいささかも綻びを見せないのは殆ど驚異的だ。「舞踏の歌」のシュヴァルベのヴァイオリン独奏の美しさはこの世のものとは思えないほどであり、木管楽器セクションの合いの手のあまりの上手さは協奏曲のようであり、殆ど反則技とも言いたくなるほどだ。終結部の壮絶な阿鼻叫喚の世界は、カラヤン、ベルリン・フィルの大熱演。それでいて、各楽器セクションが団子状態にならず、鮮明に分離して聴こえるなど整理し尽くされているのは、後述のような音質の良さのみならず、お互いの楽器セクションの音を聴きあうというカラヤン&ベルリン・フィルの卓越した演奏の賜物と言っても過言ではあるまい。「さすらい人の夜の歌」が消え入るように終わった後、少し間をおいてから拍手が徐々に大きくなっていくのは、当日の聴衆の深い感動を伝えるものと言えるだろう。両演奏を聴き終えて思ったのは、何と言う凄い指揮者、凄いオーケストラが存在したのだろうかということである。全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの実演がいかに人間業を超えた凄まじいものであったのかが理解できるところだ。いずれにしても、本演奏は、カラヤンの演奏をスタジオ録音によるものでしか聴いたことがないというクラシック音楽ファンにこそ、是非とも聴いていただきたい名演の前に超をいくつ付けても足りない圧倒的な超絶的名演と高く評価したいと考える。音質も各楽器セクションが分離して明瞭に聴こえるなど、1970年のライヴ録音としては極めて優れたものと評価したい。

つよしくん さん | 東京都 | 不明

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没後10年目にして漸くProf. Lothar Koch...

投稿日:2013/02/13 (水)

没後10年目にして漸くProf. Lothar Kochの幻とも言える演奏が日の目を見ようとは! 同じくソリストと登場しているBPO絶頂期の木管セクションの名を見るだけでも、大いに期待が膨らむ。 本日届いたので早速拝聴した。ピュヒナー(今は無き往年のオーボエメーカー)をあの体格で縦横無尽に吹きこなす姿が目に浮かぶ。細やかなニュアンス、フレージング、敢えて付けると言われたビブラート等々・・・ 高い集中力と音楽性によってのみ到達し得る最高の藝術だ。 「コッホの前にコッホ無し。コッホの後にコッホ無し。」現在も尚言われ続けている名言である。 モーツァルト同様、リヒャルトも絶頂期のKarajan/BPO。スコアが透けて見えてくるような秀逸さで崇高な演奏である。

オオボラ吹き さん | 東京都 | 不明

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 私にとっての『ツァラトゥストラ』はカラ...

投稿日:2013/01/20 (日)

 私にとっての『ツァラトゥストラ』はカラヤンの73年、83年の2枚です。60年のウィーン・フィル盤も“勢い”という点で魅力的ですが、精緻さを極めた73年盤(ティンパニの存在感たるや言葉もなし!)、黄金色の黄昏色とでも言いたくなるような83年盤(迫力と温かみの見事な共存!)には届きません。  そして、この70年のライブ。精緻さという点では、セッションのようにはいかないのは当然のことで、それによるマイナスを覆い隠すに十分な“ライブ感”(『春の祭典』やベートーヴェンの『第7』の“ライブ感”も凄かった!)が何とも新鮮。勿論、「精緻さという点では、セッションのようにはいかないのは当然」とは言っても、当時のベルリン・フィルの技量たるや、凄まじいの一言! 「後の世の人々について」から「歓喜と情熱について」にかけての盛り上がり、そして後半戦に突入し、特に残り15分になってからの弦楽の迫力と美の共存には、正に唖然。  他の曲でも「R.シュトラウスは精緻さこそ命」とセッション録音ばかりを聴いてきましたが、この『ツァラトゥストラ』…73年、83年の両横綱に割って入りそうな、強力な大関になりそうです。

masato さん | 新潟県 | 不明

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