麗しの皇妃エリザベト オーストリア帝国の黄昏 中公文庫BIBLIO

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784122042001
ISBN 10 : 4122042003
フォーマット
出版社
発行年月
2003年04月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
16cm,555p 図版12p

内容詳細

ヨーロッパ随一の美貌を謳われ、世の讃美を一身に集めたエリザベト。しかし、妹の焼死、幼なじみのバイエルン王ルートヴィヒの狂死、マイヤーリンクでの息子の情死、そして自らも凶刃に―時代に先んじた自意識を持ち、宮廷生活を厭う皇妃に悲劇はふりかかる。

目次 : 野性の王女/ 囚われの鳥/ 嘲られた皇妃/ 穏やかな和合/ ハンガリー王妃/ 女性君主/ 騎乗の王妃/ 鷲とかもめ/ 傷ついた皇妃/ さまよえる皇妃/ 忘れえぬ人

【著者紹介】
ジャン・デ・カール : 1943‐。貴族の称号を持つフランスのノンフィクション作家。『狂王ルートヴィヒ―夢の王国の黄昏』でアカデミー・フランセーズ“バカンス2000”賞受賞

三保元 : 1932年生まれ。1952年から56年までパリ大学留学。元国際基督教大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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  • i-miya さん

    2014.02.08(01/21)(つづき)ジェン・デ・カール著、三保元訳。 02/05 (P024) 1848、オーストリアにも革命の波が押し寄せた。 メッテルニヒは暴動でウィーンを追われた。 宮廷も流血の惨事のあとウィーンを捨て王政派のチロルの首都、インスブルックの居を移した。 更に避難した。 この暑い夏、オーストリアは2つに分断。 ドイツか、オーストリアか。ドイツ=プロイセン側に。言語をともにする。 オーストリア=ハプスブルクにゆかりのドナウ流域の全民族とともにある。 

  • i-miya さん

    2013.12.29(12/21)(つづき)ジェン・デ・カール著、三保元訳。 12/29 (p024) (野性の王女、つづき) 1847、ビスマルクの言葉「メッテルニヒの政治手腕について」。 革命運動を防止するため、オーストリアのフェルディナント皇帝、ロシア皇帝、プロイセン王との間で神聖同盟を結び、防衛条約を画策したほどであった。 

  • i-miya さん

    2013.11.21(11/21)(つづき)ジェン・デ・カール著、三保元訳。 11/21 (p022) 父、マクシミリアンは早い時期からシシの密かな友は風であ、花であり、星であることを悟っていた。 シシは、初めて打ち明け話を聞いたのは馬であり、最初の愛撫を受けたのは犬だったことを父は知っていた。 シシには全く枷をかけないことに決めていた。 ナポレオン旋風はさまざまな形でオーストリアで吹き荒れていた。 1804、フランツU世は神聖ローマ帝国皇帝位を退き、フランツT世となった。 

  • i-miya さん

    2013.06.20(つづき)ジェン・デ・カール著、三保元訳。 2013.06.18 (野性の王女、つづき) 先ほどの馬車の客は誰だ。 湯池客ではない。 アルプス越えする馬車。 それは、マクシミリアン公爵だった。 バイエルン公マクシミリアン。 著者はジャン・デ・カール。 (ここで訳者あとがき) (三保元=みほもと) 1932生まれ、1952-1956、パリ大学留学。 元国際基督大学教授。 (あとがき) 昨夏、『狂王ルートヴィヒ』を訳し終わり、パリへ。 

  • i-miya さん

    2013.03.20(つづき)ジェン・デ・カール著、三保元訳。 2013.03.20 ヒロイン、シシ。 事実関係では、新発見はあい、では、なぜ、書くのか。 ウィンナ・ワルツ。 5年間にわたる私の調査。 一見奇矯と思える行動の謎を解く資料もあった。 エリザベト皇后を徹底的に追及して解明することが私の目的だった。 1916、エリザベトに続いて、ハンガリア王妃となったチタ皇后に心からの感謝をしたい。 1982.11.13(土)、ウィーンに戻られた。 

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