【インタビュー】TRIBULATION

2018年02月05日 (月) 19:30

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 北欧はスウェーデンより、ゴスでデカダンなブラック/デス・メタラー、TRIBULATIONが本邦デビュー! 元ENFORCERのアダム・ザース(g)を擁するこの4人組は、実は前身バンドも含めると、今年で活動18年と意外に長いキャリアを誇る。その歴史とメンバーの変遷、そしてニュー・アルバム『DOWN BELOW』について、アダムとツイン・ギター・チームを組むヨナタン・フルテンに話を訊いた…!

──TRIBULATIONの母体となったのはスラッシュ・メタル・バンドのHAZARDだそうですが、このバンドはどのようにして結成されたのですか?

ヨナタン・フルテン:HAZARDは俺達のホームタウン(アルヴィーカ)でスタートしたんだ。確か、みんな13歳とかそれぐらいだったと思う。結成は'04年…いや、'01年だったよ。ただ、デモを幾つかレコーディングして、ラインナップの変更もあって、最終的には解散した。それが'04年で、その年にTRIBULATIONが始動したのさ。

──HAZARDが分裂して、TRIBULATIONとENFORCERになったそうですが…?

ヨナタン:うん。TRIBULATIONはHAZARDから誕生した。一方、HAZARDのヴォーカルとドラム担当だったウーロフとユナスのヴィクストランド兄弟が、数年後にENFORCERを始めたんだ。確か、ウーロフが19歳ぐらいの時だったんじゃないかな。分裂の理由は、音楽性の違いだったと思う。やりたいことが違ってきて、どちらに進むというのが決められなくてさ。俺達はよりハードでエクストリームな方向に進みたいと思っていて、彼等(ヴィクストランド兄弟)はスラッシュ・メタルやスピード・メタルをやり続けたいと思っていたからね。

──当初、ギターのアダム(・ザース)は両バンドを掛け持ちしていましたね?

ヨナタン:ああ。アダムは3年ぐらいENFORCERにいたのかな? もしかしたら、5年だったかもしれない。結局は(HAZARD分裂と)同じことが起きたんだよ。音楽性の違いが生じたのさ。ただ、俺にも正確なところは分からない。想像で話すしかないけど、きっとアダムは、TRIBULATIONこそ自分が本当にやりたいことだと感じ、専念しようと考えたんだと思う。

──初期のTRIBULATIONには、ウーロフ・ヴィクストランドがベーシスト兼シンガーとして在籍していたとか?

ヨナタン:最初、ウーロフがベースをプレイしていたんだけど、その後ヨハンネス(・アンデション)がベーシストとして加入し、ウーロフはヴォーカルに専念するようになった。でも、みんなも知っての通り、結局はヨハンネスがTRIBULATIONのシンガーを務めることになったんだ。

──ヨハンネスもHAZARDのメンバーでしたよね?

ヨナタン:そうだよ。彼の加入は1〜2年遅かった。俺達がまだ13〜14歳の頃だよ。さらに混乱させてしまうかもしれないけど(笑)、HAZARDを始めて、スウェーデンの音楽コンテストに出る話なんかをしていた時、俺とユナスとアダムの他に、後にENFORCERでプレイするヨセフ(・トール)もいたんだよ。でも、彼はTRIBULATIONには加わらなかった。ともあれ、そんな感じで、両方のメンバーがいつも行ったり来たりしていたんだ。

──最初のドラマー、ジミー・フローディンはどのようにして見つけましたか?

ヨナタン:彼はリハーサルで1回プレイしただけだよ。トライアウトに来ただけで、正式にはバンドに加入しなかった。誰かが[www.metal-archives]にジミーが元ドラマーと書き込んだことで、そういうことになってしまったんだろうな。

──では、最初の正式なドラマーはヤコブ・ユアンソンなのですね?

ヨナタン:その通り。彼はロックン・ロール志向のバックグラウンドの持ち主でね。スウェディッシュ・パンクというか、“アクション・ロック”のTHE HELLACOPTERSなんかに入れ込んでいたよ。ただ、このバンドでプレイし始めた頃はデス・メタルに夢中で、その手のプレイを得意としていた。高速のブラスト・ビートとか、ツー・バスの連打とか…。彼(のドラミング)は本当に本当に速くて、とてつもなくパワフルで、このバンドにピッタリだったんだ。

──最初のデモ『THE ASCENDING DEAD』('05)の頃はどんな音楽性でしたか?

ヨナタン:当時の俺達が影響を受けていたのは、言うなれば“オールドスクールのデス・メタル”だね。具体的に言うと、初期のENTOMBEDとか、フロリダ産のデス・メタル──例えば初期のMORBID ANGELとか。いや、MORBID ANGELは初期に限らないか。('03年作)『HERETIC』が出た頃にハマっていたから。かなり夢中になったよ。テーマとしては、ゾンビやホラーかな。(『THE ASCENDING DEAD』は)俺達がホラーの世界に踏み込んだ最初の作品だったんだ。かなり青臭かった。まぁ、全員がまだ10代だったからね。

──'06年のシングル「PUTRID REBIRTH」は7インチ・レコードでリリースされました。この時、アナログ盤にこだわった理由は?

ヨナタン:別に特別なことではなかったよ。当時のシーンの標準というか、当然のことだった。限定盤のアナログで出すというのは、普通に行なわれていることだったんだ。アンダーグラウンドのデス・メタル、エクストリーム・メタルのシーンでは、慣習のひとつという感じだったね。スウェーデンだけじゃなく、ヨーロッパ全土でそうだったんじゃないかな。俺達は、スウェーデン国内でも南部のストックホルム以外に、他にもウプサラとか、あらゆる地域に連絡を取り合っている仲間がいて、そのシーンではかなりノスタルジアに浸っていたと言える。全てがアナログで、レコード盤が普通だった時代をロマンティックに懐古していたのさ。デモ・テープを交換し合ったり、アナログ盤を手紙と共に送り合ったりといったこともやっていたよ。

──「PUTRID REBIRTH」のメンバー・クレジットは、Bob Gentle、 D.D. Sars…といった具合に、本名ではなくステージネームを採用していましたね?

ヨナタン:うん。それもまた慣例みたいなのがあって、デモだろうとEPだろうと、アナログ盤でステージネームを使うというのがよく行なわれていたんだ。しかも、ちょっとダークでユーモラスな名前が必須だった。例えば、初期のREPUGNANTのようにね。彼等はメアリー・ゴアとか、シド・E・バーンズといったステージネームを名乗っていた。後者は“sideburns(もみあげ)”をもじったモノだし、前者(Mary Goore)は勿論、ゲイリー・ムーア(Gary Moore)のパロディだ。そういうことがよく行なわれていて、俺達もそれに影響を受けたのさ。

──続くファースト・アルバム『THE HORROR』('09)は、シンガポールのPulverised Recordsからリリースされました。

ヨナタン:俺の記憶によれば、先方からコンタクトしてきて、契約のオファーがあったんだよ。MySpaceで1曲公開して、レーベルを探していたところ、俺達の曲をリリースしたいと言ってきたのさ。最高だと思ったよ。それが俺達の夢だったからね。それで、そのオファーを受けることにした。

──この『THE HORROR』から次のアルバムまで4年ほど期間が空きますが、その間はひたすらライヴをやっていたのですか?

ヨナタン:ライヴは沢山やったよ。でも、その期間は俺達にとって大切な時期でさ…。学業を終え、みんなで育った町を出ることを決め、大都会のストックホルムに拠点を置こうとしていたんだ。だから、自分達の生活も見直さなくてはいけなかった。やりたいことに専念出来るようにするためにね。例えば、初代ドラマーのヤコブは、「ストックホルムには引っ越したくない」「他のことをやる人生を送りたい」と、地元に残ることにした。そのため最初のうちは、2年ぐらいドラマー抜きでリハーサルしていたんだよ。それが再び活動を始めるのに時間を要した理由のひとつだった。リハーサル場所を見つけることも含め、何もかも新たに始めないといけなかったんでね。

──そのヤコブの後任として、ヤコブ・ユングベリが迎えられています。

ヨナタン:そうだ。彼がバンドに加入したのは、俺達が『THE FORMULAS OF DEATH』('13)のレコーディングを始めようとしていて、収録曲のリハーサルに取り掛かった頃だから、その年の夏だったと思う。彼はまだストックホルム在住じゃなくて、それもちょっと厄介だったんだ。ストックホルムからかなり遠い、スウェーデンの南に位置するマルメの在住で、いつも2時間ぐらいかけて行き来していたよ。でも、何とかウマくやれたんだ。レコーディングは全てアルヴィーカで行ない、そこで1ヵ月ぐらい過ごした。実は、このヤコブもアルヴィーカの出身でね。彼もENFORCERにしばらくいたことがある(笑)。同じクラスになったこともあったし、俺は彼と一緒に別のバンドもやっていたんだ。

──長年の友人のひとりだったのですね?

ヨナタン:うん。俺達全員が、彼と一緒にプレイしたことがあったよ。

──そのセカンド・アルバム『THE FORMULAS OF DEATH』は、アイルランドのInvictus Productionsからリリースされましたが、どのようにして契約に到ったのでしょう?

ヨナタン:NEGATIVE PLANEと一緒にヨーロッパ・ツアーを行なったんだ。確か、'11年のことだったと思う。それがヤコブ・ユアンソンとの最後のツアーだった。その時、俺達はツアー・マネージャーと意気投合してね。2週間ほど小さなワゴン車で一緒に過ごしたんだけど、彼はNEGATIVE PLANEのリリースを手掛けていたから、それがキッカケとなり、「君のレーベルがイイな」「よし、Invictusからリリースしよう」「最高だ!」ということになったのさ。


──『THE FORMULAS OF DEATH』では、初期のブルータルな路線から一気にアトモスフェリックでプログレッシヴなサウンドに移行しましたね?

ヨナタン:4年の間に色々なことが起こって、俺達はティーンエイジャーの頃にやりたいと思っていたことは、もうやりたくなくなっていたんだ。実を言うと、『THE HORROR』のリリースは'09年だけど、レコーディングは'07年に行なわれていてね。だから、5〜6年も間隔が空いていたんだよ。それだけの年月を経れば、音楽の好みも変わる。それで、以前と同じようなことはやりたいと思えなくなり、他に表現したいモノが色々と出てきたのさ。

──'15年には、新たにCentury Media Recordsと契約を交わします。

ヨナタン:'11年のツアーに、Century Mediaの(A&R)イェンス・プルーターがやって来て──俺達は誰だか分らなかったけど、「君達の音楽が好きだ」「契約しないか?」と言ってくれてね。でも、俺達は当時、大手レーベルと組むには、まだ準備が整っていないと感じていたから、その時は小さなレーベルとディールを結ぶことにした。それに、待った方が俺達にとって有利だという風にも思ったんだ。つまり、大きなレーベルで末端の見習いみたいな存在になるよりも、まずは自分達を成長させ、しっかりシーンに根を張ることが先決だと考えたのさ。そして、3枚目のアルバムを制作する段になって、以前よりも自信をつけていた俺達は、いよいよ本格的に挑む時がきたと感じた。あの時、Century MediaかSeason Of Mistか…という選択肢があったけど、俺達は既につながりがあったCentury Mediaのイェンスと仕事をすることにしたんだよ。

──Century Mediaからの初リリースを、アナログ盤の7インチ・シングル「THE DEATH & REBIRTH OF…」('15)にした理由は?

ヨナタン:新しいレーベルからの最初のリリースで、これから始まる新たな時代の幕開けというのもあって、(アルバムを発売する前に)まず何か出しておきたいと考えたんだ。ただ、レコーディングは『THE CHILDREN OF THE NIGHT』('15)と同じ時期に行なったんだよ。「THE DEATH & REBIRTH OF…」というタイトルには象徴的な意味が込められている。若かった時の古い時代が終わって、これからもっとシリアスに、暇な時に楽しむのではなく、本気でバンドに取り組む段階に入る…ということを示しているのさ。

──そして、サード『THE CHILDREN OF THE NIGHT』では、さらに音楽性が広がると同時に、深みも増したように感じました。

ヨナタン:あのサードは、俺達にとって“初めてのリアルなアルバム”だった。その前の2枚は、まだ発展途上のバンドが作ったというのがよく分かる。事実、俺達は10代だったし、何がやりたいのかちゃんと分かっていなかったよ。例えばファーストは、当時の俺達から“ただ出てきたモノ”だったと言えるんじゃない? その後、より実験的でアトモスフェリックなセカンドにおいて、俺達は暗闇の中を手探りで前に進もうとした。何か確かな手掛かりを見つけ、より強固な地盤を築いていこうとしたのさ。だからあれは“探求のアルバム”だった。前へ進むための道を見つけようとしていたんだ。そしてサードで、俺達は遂に“何か”を見つけ、本物のバンドになった。基盤を見つけて、今やそこにしっかり立っている。そんな風に考えているよ。

──'15年9月には、WATAINらと共に初来日公演を行ないました。いま振り返ってみて、日本でプレイしてみていかがでしたか?

ヨナタン:最高だったよ! 俺はずっと日本に行きたいと思っていたから、長年の夢が叶ったんだ。それに、WATAINと一緒に旅が出来たのも良かった。彼等とはその前にアメリカを一緒にツアーしたことがあったからね。とにかく、日本に行ったことに関しては、良い思い出しかないよ。

──'16年には、米『Decibel』誌の付録として、MISFITSのカヴァー2曲を収めたソノシートを発表しました。この企画はバンドの発案ですか?

ヨナタン:雑誌の方からやってくれと頼まれたんだけど、選曲は自分達でやった。俺達は昔からMISFITSのファンで、ルックス面でも影響を受けているんだ。ホラーとロックン・ロールとパンクのフィーリングは、正に俺達のバックグラウンドの一部なんだ。

──そして'17年5月には、またドラマーが交代しました。

ヨナタン:初代ドラマーのヤコブと同じ理由で、次のヤコブも辞めてしまったよ…。また“転機”が訪れたんだ。最初の転機は、俺達が育った町を離れ、ライフスタイルを変えなくてはいけない時期に訪れた。学校を辞めたり、卒業したりして、俺達は大人になる必要があったのさ。仕事を見つけて、自分の人生を歩んでいかなくてならなかった。次の転機は、20代の終わりに差し掛かった頃。今度は、「人生を賭けてバンドをやり続けたいのか?」「それとも、他にやりたいことがあるのか?」──そう問われることになった。人生は一度きりだし、その時間は限られている。だから、本当に自分がやりたいことをやって、みんな幸せにならなくちゃいけない。ヤコブはそう自分に問いかけ、「これは一生やり続けたいことではない」と気付いたんだ。「もっと自分を磨きたい」「勉強がしたい」「もうツアー生活はゴメンだ」「もっと安定していて、穏やかな生活が送りたい」…と思い、「バンドで活動することは今の自分には向いていない」との決断に到ったのさ。勿論、俺達はみんなその質問を自分に投げかけたよ。その結果、ヤコブ以外の全員が「音楽こそ俺の人生だ」「俺がずっとやりたいのはバンドだ」と確信したんだよ。

──後任のドラマー、オスカル・レアンデルはどのようにして見つけましたか?

ヨナタン:オスカルもやはり、共通の知り合いがいて、ずっと顔見知りだったんだ。そして、あるパーティでヨハンネスが彼に「俺達のバンドを試してみないか?」と誘ったのさ。最初、オスカルは「ああ、やってみよう」なんて、凄く気楽に構えていたよ。でも、一緒にプレイしてみたら凄くイイ感じだったから、このまま続けようということになった。

──オスカルは元DEATHSTARSで、TRIBULATIONとはかなり音楽性が異なる、インダストリアル・バンドでプレイしていましたが、それは問題ではなかった…?

ヨナタン:彼もまた、どちらかというとロックン・ロール寄りのドラマーなんだ。俺が知る限り、DEEP PURPLE、QUEENS OF THE STONE AGEといったところが彼の好みだね。確かに、メタル・オリエンテッドなドラマーではないし、殊にエクストリーム・メタルに関しては、ちょっと違うかもしれない。でも、彼のスタイルはとてもダイナミックで、スキルも非常に優れているし、言わば“ロック・ドラマー”だけど、凄くウマくいったんだ。

──昨年末、ニュー・アルバム『DOWN BELOW』の先行シングルとして、まず7インチ・シングル「LADY DEATH」をリリースしましたね?

ヨナタン:ああ。正に先行でリリースされたけど、表題曲はアルバムにも入る。カップリングの「Skarselden」は入らないけどね。「Skarselden」には、アナ・フォン・ハウスヴォルフというスウェーデン人アーティストがフィーチュアされているよ。ゴスでダークなスタイルのシンガー・ソングライターで、俺達は彼女の大ファンなんだ。それで、「アルバムに参加してくれないか? メロディを歌うだけでもイイし、とにかく何でもイイから…」と頼んでみたところ、彼女はアトモスフェリックなトラックを作ってくれてね。それで俺達は、「Skarselden」ともう1曲、インストゥルメンタルの「Purgatorio」で、彼女のアトモスフェリックなトラックを使うことにしたのさ。“skarselden”とは、スウェーデン語で「煉獄」「苦難」という意味だよ。

──『DOWN BELOW』では、ゴスの要素がさらに強まると同時に、ダークな曲想の中でキャッチーな要素も増していると思いました。

ヨナタン:このアルバムには、これまでのどのアルバムにも共通する要素があると思う。ただ、それは違うアングルからのモノかもしれない。つまり、このアルバムのインスピレーションになったモノの多くは、バンド自身とその歴史からきているのさ。例えば、ファーストを制作していた頃、俺達はホラーのサウンドトラックにかなりインスパイアされていた。'70年代のイタリアのホラー映画だったら、ファビオ・フリッツィが作曲を担当した『サンゲリア』とか『ビヨンド』とか…。(※後者の公開は'81年) デス・メタルのコンテクストの中や、曲と曲の間に、そういったサントラに影響されたメロディやギターを使っていたのさ。今回、そうしたピアノなんかを『DOWN BELOW』の中にも採り込んでいる。また、アトモスフェリックで、ミステリアスで、得体の知れない要素はセカンドにあった。非常にキャッチーなアルバムではあったけど、探求の側面とアトモスフェリックな側面は、もうその頃から存在していたんだよ。一方、サードはロックン・ロールなアルバムで、メタリックなギター・ソロとかツイン・リードもあるけど、ゴスのヴァイブが前面に出てくるようになった。そういったモノ全部が『DOWN BELOW』にはある。どの要素も、より新しい存在に変化しているんじゃないかな。それとも、レヴェルが一段階アップした…と言った方がイイかもしれない。例えば「Here Be Dragons」は、これまで以上にキャッチーで、これまで以上にゴシックで、これまで以上にロックン・ロールで、これまで以上に奇妙になっている。あと、「The World」も俺達が新しい領域に踏み込んだ曲だと思うよ。

──『DOWN BELOW』収録曲は、いつ頃、どのようにして書かれたのでしょうか?

ヨナタン:このアルバムの制作に入るまでの2年間、俺達はずっと忙しくしていた。ショウを沢山やって、ツアーを沢山コナし、新しい生活に慣れなくちゃならなかったからね。それこそが、バンドがプロフェッショナルなレヴェルで活動していくことを意味していたのさ。そうして、色々なことに沢山の時間を費やしていたため、本来'16年の終わりに曲作りを始めるつもりが、'17年2月になるまで始まらず、結果的に、スタジオ入りの時期にかなりバタバタすることになって…。実際、曲を書き始めてすぐに「うわ…時間がない!」となり、相当に集中して曲作りに取り組んだよ。結局、スタジオに入ったのは('17年)8月のことで、前回よりもスタジオで過ごす時間が長くなった。イイことだ。おかげで、曲作りとリハーサルとデモ制作の時に足りなくなっていた時間を取り戻せたし。出来るだけ良いモノにしたかったからね。

──メイン・ソングライターはいますか?

ヨナタン:曲も歌詞も、俺とアダムが50/50という感じで書いた。俺は俺で書いて、彼は彼で書いて、それを持ち寄ってアイディアを試し、リハーサル・スタジオでまとめていく。オスカルとヨハンネスもかなり助けてくれたよ。アダムのデモをレコーディングしたのも、オスカルの家だったしね。彼は本格的なホーム・スタジオを持っていて、そういった分野が大得意なんだ。そうして、('17年の)春と夏はずっとスタジオにこもって、デモ録りを行なっていた。そういう風にやれて、とても良かったよ。


──『DOWN BELOW』にはテーマやコンセプトがありますか?

ヨナタン:「ある」と言えるよ。共通のメッセージ、あるいはテーマは、“悲しみ”“嘆き”“死”だ。文字通りの意味でも、象徴的な意味でもね。それから、“再生/復活”という意味も込められている。これは非常にへヴィで──感情的にもへヴィなアルバムだよ。ハッピーなアルバムではない(笑)。アルバムの・カヴァーにも、そんな雰囲気があるだろ? ジャケットに描かれたグロテスクな生き物──ガーゴイルについて、俺達は石で作られていると考えている。黒い影になっている“それ”は、大聖堂にある彫刻で、ストックホルムの街並みを見下ろしているんだ。いや、ストックホルムである必要はない。ただ、俺達にとっては現実のスカイラインであり、その都市は即ち、俺達の思考の象徴なのかもしれない。非常に内省的なアルバムだよ。これまでのアルバムだって、それぞれに内省的なんだろうけど、今回の作品は本当にエモーショナルなアルバムと言える。

──ガーゴイルが街を見下ろしているから、『DOWN BELOW』というタイトルなのですか?

ヨナタン:実は多くの楽曲が、いずれかの過程の時点で“Down Below”と呼ばれていたんだ。それで、タイトルは『DOWN BELOW』にするべきではないかと話したよ。あと「Subterranea」には、サビに“Down below”という歌詞が含まれている。だからあの曲も、元々は「Down Below」というタイトルになるハズだったんだ。でも、アルバム・タイトルはなかなか決まらなかった。それで、そのタイトルを聞いた時にどんな絵が頭に浮かぶのか考え、全員が気に入って、キャッチーで、このアルバムをウマく表現するタイトルは…と思案した結果、『DOWN BELOW』が最適だということになったのさ。

──アルバム・タイトルが決まってから、アートワークを考えたのですか?

ヨナタン:いや…実は、アートワークの方が先に出来上がっていたんだ。まず、このアルバムの見た目はどういう風にすべきか話し合い、「これは赤いアルバムだ」「(ガーゴイルの)素材は石なのか?」…などと進めていったよ。俺達はこれまでも様々なメタファーを用いてきた。セカンドには森の中にいるようなクリーンな感覚があるし、サードには都会の感覚がある。そして今作は、“大聖堂”のアルバムなんだよ。

──この彫刻には名前がありますか?

ヨナタン:そういう風には考えたことがなかったけど…俺は“force”だと思いたい。

──フォース? 映画『スター・ウォーズ』の“May the force be with you”の…?

ヨナタン:ああ、そうだ(笑)。暗黒面のフォースさ。激しい怒りだったり、嘆きだったり、威嚇するようなモノでもあり、とにかく厄介なのは間違いない。もしかすると、俺達自身が持つダークな面なのかもしれない。よく見ると、(ガーゴイルの顎から胸の下に)女性の姿が見えるハズなんだけど、俺にとってその2つの存在は同一なんだ。ただ別の面を表しているだけでね。言わばコインの表裏のようなモノで、そこに強調されているのは、恐怖や凶暴さや闇や重大な脅威。つまり、このクリーチャーはあの世からやって来たのさ。

──『DOWN BELOW』のプロデューサーについて教えてください。

ヨナタン:レコーディングはマッティン・エレンクローナと、ストックホルムにある彼のStudio Cobraで行なった。この組み合わせで、前のアルバムのセッションも何度か行ない、追加のレコーディングもやって、素晴らしい場所だったから、今回はここでもっと長くやろうと決めたのさ。そこら中が楽器だらけだし、とても歴史を感じさせる雰囲気があり、まるでアンティーク・ショップにいるような感覚になれる、凄くクリエイティヴな環境なんだよ。ここで作られたモノは、何もかもスーパー・クールなサウンドに仕上がっている。最高だったね!

──レコーディングでキーボード類を弾いたのは?

ヨナタン:俺がピアノを弾いて、マッティンが他の楽器──チェレスタ、その他のキーボード、シンセサイザーなどを演奏した。

──日本盤には、'15年のシングル「WAITING FOR THE DEATH BLOW」から2曲のカヴァー、THE CUREの「One Hundred Years」とTHE OFFSPRINGの「Pay The Man」が追加収録されます。それぞれ誰のセレクトでカヴァーすることになったのでしょう?

ヨナタン:俺の友人に、セカンドのレビューを書いたヤツがいて、そいつが比較対象として挙げていた曲の中にTHE CUREの「One Hundred Years」があったんだ。それで聴いてみたら、「これはイイぞ!」と思ってね。俺達がやりたいことと「完全に合致している」と感じたよ。だから、カヴァーすることにしたのさ。それからTHE OFFSPRINGは、俺とヨハンネスが大好きなアルバム('98年『AMERICANA』)に入っていた曲で、「これは何かやるべきだ」と感じていたから、カヴァーすることにした。あの実験的でダークな雰囲気が、THE OFFSPRINGが作っていた他の音楽と比べても、非常に親近感を覚える…というか、まるで自分達のモノであるかのように感じられたんだ。

──では最後に、今後のツアー予定を教えてください。

ヨナタン:今のところ決まっているのは、南米、ヨーロッパでのツアーと、夏のヨーロッパでのフェスティヴァル出演などだ。あと、アメリカでも近いうちに何かやることになると思う。多分、秋頃にね。勿論、日本にもまた行きたいと思っているんだけど、まだ具体的な計画はない。もし実現したら、次回は(東京と大阪だけでなく)もっと色々な場所に行きたいな! ありがとう、(日本語で)サヨナ〜ラ!!

取材・文:奥村裕司



日本盤

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