Top 100 Albums - No.13

2004年5月11日 (火)

とにもかくにも、まずはこの音を体感してほしい。この得体の知れなさは体験してみなければ決して分からない。スライ・ストーン率いるスライ&ザ・ファミリー・ストーン1971年の、ブラック・ミュージックの、いやポップ・ミュージックの歴史に燦然と輝く(というにはあまりにも暗いが)大名盤『暴動』である。

スライ・ストーンことシルヴェスター・ステュワートは、1944年3月15日、テキサス州ダラスに生まれた。父親はギターを弾き、母親はゴスペル・グループで歌っていたという音楽一家で、彼もまた幼少時には教会でゴスペルを歌っていた。彼が9歳の頃、ステュワート一家はサンフランシスコへと移住。その後、彼は大学で作曲、音楽理論などを学ぶかたわら、友人たちとドゥー・ワップ・グループを組み、地元周辺のクラブなどで歌っていたという。スライはさらに、ティーンエイジャーの頃からDJとしても活動しており、“トップ・R&B・コメンテイター”として人気を博していたとのこと。その後スライはその知識を買われ、オータム・レコードという新興レーベルの専属プロデューサー/ソングライターとして働くことになり、同レーベルのほぼ全ての作品に関わることになる。

そんなスライは1966年、それまでのバンド、ザ・ストーナーズを解散し、新しいバンドを結成する。妹のローズ・ストーンがキーボード/シンガー、ギターに弟のフレディ・ストーン、シンシア・ロビンソンのトランペット、サックスにジェリー・マルティニ、ジェリーのいとこのグレッグ・エリコがドラム、そして、後にチョッパー奏法を編み出すラリー・グラハムのベース──スライ&ザ・ファミリー・ストーンの誕生である。

白人黒人混成、男女混成という当時稀に見る編成のこのバンドは、1967年にエピック・レコードからファースト・アルバム、『新しい世界』をリリース。このアルバムこそ、たいした成功を収めることもできずじまいだったものの、翌68年、セカンド・アルバムのタイトル・チューン「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」が全米チャート8位まで上るヒットを記録。サード・アルバム『ライフ』を経て、68年暮れにリリースされたシングル「エヴリデイ・ピープル」が翌69年にかけて全米チャート1位の特大ヒットとなり、同曲を含む第4作『スタンド!』もバカ売れ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンは一躍、時代の寵児となる。1960年代末のサンフランシスコというフラワー・ムーヴメントのまっただ中において、サイケデリックでポップ/ロック感覚溢れるファンキーなサウンドで音楽も人種の壁も越えた彼らは、まさに時代を象徴する存在だった。そして、ウッドストック。映画にもなった同フェスでの強烈なライヴ・パフォーマンスは、彼らの名を世界中に知らしめることになる。

70年のシングル「サンキュー」で、ラリー・グラハムが史上初のチョッパー・ベースを披露し、新時代のファンク・サウンドを生み出し、その影響はブラック・ミュージックの世界のみに留まらず、ロック、そしてマイルス・デイヴィスにまで及んだ。時代はまさにスライだった。

そして1971年、間に『グレイテスト・ヒッツ』をはさんでの約2年半ぶりのオリジナル・アルバムが本作、『暴動』である。シングル「ファミリー・アフェア」はポップ、R&Bの両チャートでナンバー・ワンに輝き、リズム・ボックスの導入も大きな話題となった。が、ほとんどスライひとりの手で作られたというこのアルバム全体に漂う陰鬱さ、絶望感はどうだろう。前作『スタンド!』での、自信に満ち溢れたポジティヴなスライの姿はここにはない。ヴェトナム戦争の泥沼化、公民権運動……揺れ動く時代を背景にしたこのアルバムで、スライはかつての開放的で高揚感に満ちたサウンドを捨て去ってしまった。ここにあるのは、全てに絶望したスライの諦念である。怪しく蠢くベースとシュコシュコというリズム・ボックス、ワウ・ギターで幕を開けるオープニング・トラック、「ラヴン・ヘイト」から、クロージング・ナンバー「サンキュー・フォー・トーキング・トゥ・ミー・アフリカ」(「サンキュー」のリメイク)まで、徹頭徹尾、重く、暗い。アルバム全体に、なにやら得体の知れないものがウニョウニョと蠢いている。この頃のスライがかなりの麻薬中毒だったことはよく知られた事実で、「ファミリー・アフェア」や「ランニング・アウェイ」といったポップなメロディを備えた楽曲にもかつての明るさはなく、アシッドと言ってもいい雰囲気が濃厚に漂っている。このアルバムにおいては全てが内へ内へと、下へ下へと向かっている(それこそが真の高揚感なのかもしれない)。バッド・トリップのような、質の悪い酔いのような……。古井由吉の小説のようだ。だが、この閉塞感溢れる(?)密室ファンクからは決して耳をそらすことができないのだ。1971年という時代にしか生まれ得なかった、しかし時代を超越してしまった暗黒の大傑作が、この『暴動』である。

スライはその後、『暴動』と並ぶ大傑作『フレッシュ』を1973年にリリース。以降、ドラッグが原因なのか、ポツポツとアルバムを発表はするものの、82年の『エイント・バット・ザ・ワン・ウェイ』を最後に、後輩アーティストの作品にたまに顔を見せる(個人的には、後にブランディのデビュー作にも一役買うキッパー・ジョーンズをリード・シンガーに擁したティーズの88年作、『Remember』への参加が忘れがたい)くらいで、ほぼ完全に沈黙してしまう。

『暴動』の陰性ファンクの遺伝子は、プリンス『サイン・オブ・ザ・タイムズ』、そしてそのプリンスに大きな影響を受けているディアンジェロ『ヴードゥー』に受け継がれている。
※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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Theres A Riot Goin On 暴動

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Theres A Riot Goin On 暴動

Sly & The Family Stone

ユーザー評価 : 5点 (27件のレビュー) ★★★★★

価格(税込) : ¥1,708
会員価格(税込) : ¥1,572

発売日:1997年01月22日

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