Top 100 Albums - No.64

2004年3月21日 (日)

1970年1月22日、 ポール・マッカートニーは自身初となるソロ・アルバム『ポール・マッカートニー』の制作を開始した。そしてアルバム発売日の1週間前にあたる同年4月10日、ポールはビートルズ脱退を表明し、そのニュースは「デイリー・ミラー」紙の一面トップを飾った。・・・ジョン・レノンはこのポールの脱退劇について、アルバムのプロモーションに使われたと強く非難。ポールの真意は定かではないが、このアルバムはアメリカでは発売後2週間でプラチナ・ディスクに輝く大ヒットを記録している。

ソロ・ミュージシャンとして華々しいスタートきったポールであるが、ポールが目指したものはビートルズ後期には実現されずに終わったライヴ活動の再開であり、気のあった仲間と作品を作り上げることだった。1stソロ『ポール・マッカートニー』はポール独りでレコーディングに臨んだものであり、次のアルバムがは、バンド形式でのレコーディングを決意していた。そこでポールはニューヨークのセッション・ミュージシャンを起用しようと思い立ち、家族と共にニューヨークへと渡った。そしてそこで選んだメンバーがドラマーのデニー・シーウェル、ギタリストのデヴィッド・スピノザ、ヒュー・マクラッケンだった。こうして3人のセッション・ミュージシャンと共にニューヨークのA&Mスタジオでのレコーディングが開始されることになった。そうして出来上がったアルバムが、1971年5月に発売された2ndアルバム『ラム』である。

ビートルズのメンバーのなかでも、グループの将来について一番の情熱を持っていたとされるポールだが、結果的には一番最初にビートルズを脱退してしまうという何とも皮肉な結果を迎えてしまった。1970年の12月にはロンドンの高等裁判所にビートルズのとアップルの解散を要求する勝訴を起こすなど、他のメンバーとの確執は相当のものであったようだ。実際、羊と戯れる『ラム』のアルバム・ジャケットはジョンの『イマジン』のおまけについていたポストカードでパロディにされていたし、ジョージ・ハリスンリンゴ・スター『ラム』を酷評した。ジョージに至っては「あんな曲を演奏させられなくてよかった」とまで言い放っている。

・・・となんだが、いきなりこのアルバムを貶しているようだが、『ラム』は紛れもなくポール・マッカートニー、ソロ名義での最高傑作である。前述のように、レコーディングはニューヨークで行われたものだが、コノアルバムからは都会的な匂いは感じられない。逆にアルバム・カヴァーの示すようなスコットランドの田舎の風景が感じ取れる。ポールはスコットランドに自分の農場を持っており、そのでの家族水入らずの生活が本作の曲作りに大きなな影を落としているのだろう。

ポップスからロックンロール、ジャズ、ブルースまで、ポールの幅広く、柔軟性に富んだ作品でありながらも、取り散らかすことなく、自分のものに咀嚼するセンスとバランス感覚は流石の一言。M1“トゥー・メニー・ピープル”は曲自体はよく出来たポスト後期ビートルズ的ナンバー。メロディが変化する部分はサイケっぽいとも言える。ウクレレも印象的なM3、11の“ラム・オン”。前者は今のミッチェル・フルーム&チャド・ブレイク的とも言える斬新な音像。他ポール特有の美メロが楽しめるM4“ディア・ボーイ”、M5“アンクル・アルバート〜ハルセイ提督”の前半などなど、突出した曲はないものの、それぞれに味わいある佳曲がギッシリ! ドタバタしつつ落ち着いたサウンドを聴かせる音作りなどは今聴くとかえってモダン?な印象を残す。

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Paul McCartney

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発売日:1993年03月31日

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