ナッティ インタビュー

2008年12月17日 (水)

Natty Interview




こんな若者、英吉利にいたんですね。
嬉しくなってしまいました。

自身のアイデンティティをたっぷりと詰め込んだ
デビュー・アルバム『Man Like I』。

ボブ・マーリー×サーフ×オーガニック・・・
こんな常套句の3乗で語り尽くせるほど、
ナッティの世界は、ありきたりではないし、
かしこまってもいません。
もっと自由で、もっとナイーヴ。
ポジティヴで朴直な「気の巡り」を感じてください。


12月某日、
ニュートン・フォークナーとのジョイント・ライヴのために
初めて日本を訪れたナッティに
お話を伺うことができました。


12月8日に行われたライヴ・レポートは
こちら>>





Man Like I
4 Natty 『Man Like I』 «New«

ノース・ロンドン出身、24歳の若きシンガー・ソングライター、ナッティのデビュー・アルバム。アコースティカルなレゲエ・サウンドをベースに、フォーキーで、ブルージー、さらには、ヒップホップ・イディオムをも織り交ぜたナチュラル且つグルーヴィーな全14曲。日本盤には、ボーナス・トラックとして「Bedroom Eyes」、「Badman」のアコースティック・ヴァージョン、さらには、同2曲と「Cold Town」のPVを収録したCDエクストラが付属。

「Bedroom Eyes」PV     
「Cold Town」PV


  


   
ボクの音楽は、
レゲエ、フォーク、アフロビート、
そして、ヒップホップ。
これらの要素がミックスされたもの
だと思っているんだ。



--- ご出身は、ノース・ロンドンだそうですが、幼少の頃は、音楽的な面も含めてどのような環境で育ったのでしょうか?


ナッティ  ボクが育ったところは、文化的にとてもミックスされた場所だったんだ。ノース・ロンドンというのは基本的に、同じブロックだったり通りだったりに、金持ち、貧困者、黒人、白人・・・色々な人が住んでいるって感じの地域なんだ。実際、想像し難いかもしれないけど、通りひとつ挟んで、弁護士や医者が住んでいるブロックと、ノース・ロンドンでも一番危険な区域が混在してるっていうね。まぁ、そこがいいところでもあって、そういう意味でも、ボク自身は、文化的には多種多様で幅広い影響を受けてるって言ってもいいかもね。


  音楽的な部分で言うと・・・例えば、ボクの両親は、ビートルズ、ボブ・ディラン、ピンク・フロイドのような60年代のクラシックをずっと聴いていて、同時にレゲエもよく聴いていたんだ。厳密には、60年代、70年代のロック全般は、父親からの影響で、レゲエ、ソウル、モータウンなんかは、母親からの影響なんじゃないかな。幼い頃はそういった感じだったんだけど、思春期ぐらいになると、ヒップホップ、ガレージ、ジャングル・・・何でも聴くようになったんだ。あと、ジャズなんかもね。


--- 10代の頃は、ヒップホップ・トラックの制作に勤しんでいたそうですね。そういう意味では、ご自身の音楽的バックグラウンドには、ヒップホップから吸収/昇華したものが色濃く反映されていると言えそうでしょうか?


ナッティ  う〜ん、それについては、イエスとも言えるし、ノーとも言えるかな。リリックの面から言えば、ボク自身のリリックの書き方っていうのは、ヒップホップ・アーティストからの影響は大きいんだけど、それと同時に、ボブ・ディランやニール・ヤングみたいなフォーク系のアーティストからの影響も大きくて、その両方の要素がバランスよく含まれているって感じだと思っているよ。


  逆に、サウンド面では、あまりヒップホップ的な要素は強くないと思うよ。やっぱりボクの音楽っていうのは、コンピューターやサンプリングを駆使したものではなく、生音で、全部アナログで録っているからね。途中でミスをしても、止めずにそのまま録り続けているんだ。ライヴのフィーリングを大事にするためにね。ただやっぱり、リリックの面では、ヒップホップからの影響はすごく大きいけどね。


  要するに、ボクの音楽は、レゲエ、フォーク、アフロビート、そして、ヒップホップ。これらの要素がミックスされたものだと思っているんだ。ロンドンでは、ボクらがやっているようなタイプの音楽を「バック・スカンク」って呼んでいるんだ。ロックなんかの「バック・ビート」と、レゲエの「スカンク」とを合わせたって意味でね。


Natty


--- 今、お話しに出てきたボブ・ディラン、ニール・ヤングのような、所謂、シンガー・ソングライター系の作品を普段から好んで聴いているのでしょうか?


ナッティ  そうだね。シンガー・ソングライターの作品はかなり聴いてるね。「何か意味のあることを言わなければならない」みたいな使命感や責任感を持っている人たちだよね。それから、人がいて、ギターがあって、歌があるっていう、そのシンプルさが何より魅力的で、ボク自身が音楽を始めたきっかけでもあるんだ。今現在のボクの音楽っていうのは、そういったシンプルなシンガー・ソングライター・スタイルに、レゲエやヒップホップの要素をミックスして、新しいスタイルのものを作り上げる。でも、プリンシパル的なところは、オールド・スタイルっていう感じになっているんだ。


--- ちなみに、オールタイム・フェイヴァリット・アルバムを2、3枚挙げるとしたら、どのような作品をセレクトしますか?難しい質問かも知れませんが・・・


ナッティ  フェラ・クティ、ニール・ヤング、それから・・・バーニング・スピアかな。彼らのアルバムはどれも最高だよ。いま実は、バーニング・スピアと、もう1組別にヒップホップのアーティストの名前を出そうとしたんだけど、いや、やっぱり違うなぁって(笑)。しかも、バーニング・スピアの名前を出してから、やばい!ボブ・マーリーもあったなって(笑)。とりあえずは、この3組の作品全般だね。


--- ケイト・ナッシュやアデルらとツアーを回っていたそうですね。比較的年齢の近い彼女たちと行動を共にするというのは、ある意味、有意義であったのではないでしょうか?


ナッティ  たしかに、彼女たちと世代は一緒なんだけれどね。アデルは、素晴らしい曲が何曲かあるよね。彼女の声は本当にスペシャルだよ。ケイト・ナッシュも、アデルとは少し違ったタイプのシンガーだけど、彼女自身のパーソナリティには特別なものがあるよ。


  ただ、彼女たちの楽曲が、自分にインスピレーションを与えてくれるかどうかは全く別の話で、単純に好きではあるけどね。お互いに敬意を払ってはいるものの、自分の音楽観を変えるほどの影響力まではないというか、インスピレーションという部分では、ちょっと違う存在かな。


  ボク自身、イギリスにいようがどこにいようが、音楽に対するスタンスは一緒なんだ。要するに、今時のものをそんなに聴いてはいないんだ。地元にいる時でも、流行りものがかかるようなクラブに行くよりは、いつも仲間とつるんでたりって、今時なものとはほとんど無縁なところにいるんだよね。


Natty


--- 学校卒業後は、ロンドンのSphereスタジオでエンジニアとして働いていたそうですが、その当時はそちらの道を志していたのでしょうか?


ナッティ  そうだね。エンジニアというかプロデューサー志望だったんだけどね。あくまでエンジニアは、他の人の音楽制作の手助けになるっていう部分でやっていたところもあって。仕事で他の人の音楽をサポートして、余った時間で自分の音楽を作ったりして、ある意味、大学に通ってるぐらい、このスタジオで多くのことを学ぶことができたんだ。


--- リー・ペリーのサポート・アクトを務めたこともあるそうですが、その際、同じスタジオ・エンジニア/プロデューサーからパフォーマーへの転身者として、ナッティさんご自身「彼の歩んできた道のりは、今まさにボク自身が進もうとしている道なんだ」とおっしゃっていました。


ナッティ  リー・ペリーは、本当にすごいことをやってる人だからね。自分と比較するなんてホントは恐れ多いんだけど・・・ただ、そのコメントっていうのは、リー・ペリー自身の中に「音楽のヴィジョン」というものを感じることができるっていう意味で言ったものだと思うんだ。テクニックや音・曲作り云々のレベルじゃなくてね。


  例えば、エンジニア時代なんかもそうだったんだけど、他の人の音楽を聴いてたりすると、音のヴィジョンが見えてきたりすることがあるんだ。その当時は、ミュージシャンに対して、「ああしろ、こうしろ」って指図する立場にいなかったから、そのヴィジョンを伝えることはできなかったんだけどね。


  それと、リー・ペリーの実験的なところにもシンパシーを感じているよ。ボク自身も実験的なことをやりたいと常に思っている人間だからね。そういう意味でも、敬意を払っているし、本当に偉大なアーティストのひとりだよ。


--- Sphereスタジオで学んだことというのは、やはり、今回のアルバム『Man Like I』でもしっかり反映することができたと言えそうですよね。


ナッティ  間違いなくそう言えるね。クレイグ・ドッズとジョニー・ダラーとの共同プロデュースになるんだけど、以前にそうしたスタジオ・ワークの経験がなかったら、今回のようなアルバムは制作できなかったと思うよ。スタジオ作業の中で、自分が何をするべきかっていうのが、きちんと分かっていたからね。ボクにとってスタジオは、第2のホームみたいなものなんだ。







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Expensive Shit / He Miss Road
4 Fela Ransome Kuti & Africa 70
『Expensive Shit / He Miss Road』


 フェラ・クティを麻薬容疑で逮捕したかった警官連中。彼らが隠し持ってきた麻薬を食べてしまったフェラ・クティ。警察は、その排泄物を証拠品にしようとしたが、それもうまく隠滅。その経験から生まれた75年発表『Expensive Shit』と、元クリームのジンジャー・ベイカーのプロデュースによる同年発表の『He Miss Road』とのカップリング盤。




Sugar Mountain: Live At Canterbury House 1968
4 Neil Young
『Sugar Mountain: Live At Canterbury House 1968』


 ニール・ヤングの「ライヴ・アーカイヴ・シリーズ」の第3弾。1968年11月9、10日、ミシガン州アナーバーのカンタベリ・ハウスで行われたライヴ音源。ソロ・デビュー・アルバムのリリース直前ということで、その『Neil Young』からの楽曲を中心に、バッファロー・スプリングフィールド時代のナンバー等も披露。




Jah Is Real
4 Burning Spear 『Jah Is Real』

 『Marcus Garvey』、『Rocking Time』など数多くの傑作を残す超ヴェテラン・シンガー、バーニング・スピアが、自身のレーベル<Burning Music>からリリースした2008年最新アルバム。ブーツィ・コリンズらによるへヴィーなベースと、リヴァーブ/ブラスホーンなども取り入れた、70年代回帰をテーマにしたコンシャス・リリックス作品。今年度第51回グラミー賞レゲエ部門にノミネートされている。

  



Natty Dread
4 Bob Marley & The Wailers 『Natty Dread』

 「Lively Up Yourself」、「No Woman No Cry」を収録した74年作品。このレコードを自宅の日当たりのいい窓辺に置きっ放しにした結果、レコードは歪み、彼は大はしゃぎの友人たちの目の前で母親にしこたま絞られ、悪友たちは、その出来事にちなんで、彼を”ナッティ”と呼ぶようになり・・・というのが、ナッティの名前の由来だそう。

 



Arkology
4 Lee Perry 『Arkology』

 70年代、自身のBlack Arkスタジオ時代における奇才リー・ペリー・ワークスの集大成とも言える3枚組コンピレーション。Trojanでも活躍した腕利きアレンジャー、スティーヴ・バーロウらによる編集。同スタジオは、78年に、誤配線を原因とする漏電によって出火し、全焼したが、当初、リー・ペリー本人は、「自らスタジオに火を放った」と漏らしていた。




John Wesley Harding
4 Bob Dylan 『John Wesley Harding』  紙ジャケット仕様 

 バイク事故で活動停止を余儀なくされたボブ・ディランが、1年半の沈黙の後に発表した、67年の復活作。滑らかな歌声と生ギター主体のフォーク/カントリー・ロック風のシンプルなサウンドは、おそらくナッティの音楽観に大きな影響を与えたに違いないはず。「All Along The Watchtower」、「I'll Be Your Baby Tonight」等を収録。




Ju Ju Music
4 King Sunny Ade 『Ju Ju Music』

 81年に夭折したボブ・マーリーに次ぐカリスマとして、Islandレコードが送り出した、ナイジェリアのジュジュ・サウンドの開祖サニー・アデの82年世界進出初作品。アフリカ音楽古来のポリリズミックな伝統性を受け継ぎつつも、シンセサイザー、デジタル・ビート等斬新なアイデアを導入し、アップデートされたリアル・アフリカン・ミュージックで世界を踊らせた。