Top 100 Japanese pops Artists - No.38

2003年10月24日 (金)

「フェンダー・ムスタング」。友人は突然Charに憧れ、一週間もしない内に同じ型のものを買った。いつの時代でも、彼は永遠のギターヒーローであり、かっこいい男である。そしてチョーキング一発でロック・ギターの醍醐味を表現する天才的センスの持ち主でもある。
類稀なる音楽センスと熟練された(彼は若いときから熟練されていた)テクニックにより、76年のデビュー以来、幅広い活動を通して数々の名演を残している。それはストーンズのキースと同じ、いやそれ以上に彼にしか出せない音として、いまなお活躍している。

Char(本名:竹中尚人)が生まれたのは1955年6月16日。東京で生まれ、ギターを弾き始めたのは5〜6歳と、かなり早い。早ければいいというものではないが、やはりそこには資質と親の影響というものも見え隠れする。すでにピアノを習い音楽的素養は培われていたが、エレクトリックギターへの憧れは、先にギターを手にしていた5歳上の兄の影響が大きかったらしい。
初期の彼のレパートリーは当時のエレキブームの中心的存在でもあった、ベンチャーズ。間もなくヤードバーズドアーズにも興味を向け始め、11歳の頃にクラスメイトと共にロックバンド「フォックス/FOX」を結成。コンテストに入賞するなど、すでに早熟な彼の資質が開花し始めているといえる。その後も、クリームフリーレッド・ツェッペリンマウンテンなどから影響を受けながら、バンド遍歴を重ねることで腕に磨きを懸けてきた。

中学生にしてスタジオ・ミュージシャンとなりまさに順風満帆に時代を重ねる。そして転換期ともなる伝説のバンド、スモーキー・メディスンへと繋がる。スリー・ドック・ナイトジェフベック・グループのカバーを十八番にしながら、15ビートのリズムやテンション・コードを効果的に配したファンキーなロックサウンドを打ち出して、黎明期にあった日本のロック・シーンのなかでは独自の個性をアピールした。

そんなスモーキー・メディスン解散後、Charは新たなるバンドメンバーを求めて、渡米する。そこで見つけてきた3人と、フリー・メディスンの佐藤準を加えた日米混合編成で、Charの柔軟な音楽性をきっちり具現化するテクニックを兼ね備えたメンバーを遂に揃えた。Charの持つそれまでの日本にはないスター性と実力、常に何か新しい感覚を与えてくれる彼の存在は、すでにファーストアルバムCharから開花しているといえる。SmokyやShinin'You,Shinin Dayといった代表曲を含む今作は、その後のHAVE A WINE(77年) THRILL(78年) といったコーマシャリズムも含んだ名作に繋がりながらも、その実、芸能界化されてきた自分の存在への違和感から、休養期間を必要としてしまう。
その闇から立ち上がった彼が再び姿を見せたのが、79年の日比谷野外音楽堂で開催された伝説的フリーコンサート”FREE SPIRIT"だった。ジョニー吉永、ルイズ・ルイス加部と結成したトリオバンド:
ジョニールイス&チャーの誕生である。その後同メンバーで活動しながらKUTKLOUD(82年)を境にバンド名をピンククラウドに改名する。
さらに87年には自身の江戸屋レーベルを設立し、同レーベルからソロアルバムPsyche(88年)Psycho2(88年)をリリース。さらにそれに伴うツアー時に集めたバンドを母体に、外国人プレイヤーを揃えたサイケデリックスを結成。さらに石田長生とのアコースティック・デュオBAHOを始動させる。94年ピンククラウドを解散してからは、サイケデリックスでの活動がメインになるが、96年11月に実現した武道館でのデビュー20周年記念ライブ以降はソロ名義が中心になっている。

そして近年、98年のソロシングルTodayLet it Blowでも変わることのない彼のスピリットを提示し、01年の楽器屋で偶然見つけたというアコースティックのシタールギターにインスパイアされて創られたBAMBOO JOINTSをリリースするなど、いまなお現役で活躍する。
そこには、完璧にクールに決めたギターワークを披露する彼がいるし、一段とエモーショナルな歌声を聴かすせてくれる姿もみることができる。とにかく小賢いテクニックには頼らず、あくまでロックギター本来のかっこよさを表現しようとするCharのプレイは、時を経ても失わない普遍的なかっこよさに満ち溢れている。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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