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100人の偉大なアーティスト - No. 76

2003年4月7日 (月)

最高のエンターテイメント・ロックを約束してくれるロック・バンドそれはキッス

キッスの始まりはまずポール・スタンレー(g,vo)とジーン・シモンズ(b,vo)が在籍していたバンドWicked Lesterというグループにあった。70年頃にコロンビア・レコードとの契約を取り付けアルバムを録音するが、作品発表前にバンドは解散してしまう。72年頭ポールとジーンは「ステージ映え」するグループを目差し、マンハッタン23番街にロフトを借り今後の綿密な計画を立て始めた。その年の春、ポールとジーンがローリング・ストーン誌に寄せたメンバー募集を見たドラマー、ピーター・クリスが加入。晴れてバンド編成が調った彼らはキッスと名乗るようになる。

3人でバンド練習を続けてきた彼らだが、リード・ギタリストの必要を感じヴィレッジ・ヴォイス誌に「ギタリスト募集」の広告を出し、50人ほどの候補者が名乗りをあげオーディションの結果エース・フレーリーを4人目のメンバーに選出(ギターのテクは半端ではなかったエースだが、自慢の(?)無精髭を綺麗に剃ってくる事がバンド加入の条件だった)。こうして記念すべきキッスのオリジナル・ライナップが完成したのであった。

73年、ライヴ活動を開始するもいまいち評判が上がらず、ギャラも3日で30ドル程度。必然的に働く事を迫られた4人は昼は仕事に精を出し、夜は夜でバンド練習に明け暮れる毎日を送っていった。同時期に活躍していたアリス・クーパーニューヨーク・ドールズといったアーティストたち同様キッスもメイクを施し、ライヴを行っていたがキッスのそれはお世辞にも綺麗とはいえないもので、自分達のキャラと照らし合わせた結果、素顔すら判別できないピエロをさらに醜悪にしたかのような強烈なメイクをする事に決定。この決断でその後バンドは大きく前進する事になる。

73年8月11日ディプロマットでのショーにて当時人気TV番組のプロデューサーであったビル・オーコインと出会う。彼は後にキッスのマネージメント会社を設立する重要な人物で、キッスに将来性を見出したオーコインは正式にバンドのマネージメントを申し出て、その約10日後の8月24日レコード会社との契約書を契約金1万ドルと共に8月24日にキッスの4人の前にもってくるという粋な計らいをみせた。そして74年2月遂に記念すべきデビュー・アルバムとなる『地獄からの使者』を発表するのであった。

しかし万事が上手くいっていた訳ではなかった。ライヴの評判ほどにレコードのセールスがあがらず、1年間の間に3枚ものアルバムを連発するが鳴かず飛ばずの状況に変化は見られなかった。キッスのために設立したようなカサブランカ・レコードは財政危機に陥り、マネージャーであるオーコインも同様で自らのクレジット・カードでツアー費用などをまかなうまでに状況は切迫していた。誰もが自暴自棄になり、全てのツキの神様に見放されたかたと思っていた75年、偶然か必然か幸運は突然やって来た。3rdアルバム『地獄への接吻』に収録された“ロックン・ロール・オール・ナイト”がデトロイトのラジオで頻繁にオンエアされるようになったのだ。これに閃いたオーコインはその後のツアー・スケジュールを全てキャンセルしてまで、5月の16、17日の2日間、デトロイトのコーボ・ホールでライヴ・レコーディングを行う事を決定。この時の模様が有名な『地獄の狂獣 - アライヴ』である。予約だけで40万セットをトッパしたこのアルバムでキッスはその人気を不動のものにした。

それからのキッスは正に向かうところ敵なし状態で76年『地獄の軍団』『地獄のロック・ファイアー』『ラヴ・ガン』と続けざまに作品を発表。そのいずれもがプラチナム・アルバムに輝くなど、黄金時代へと突入する。その後は各自ソロ・アルバムのリリース、幾度かのメンバー・チェンジ、ジーンの役者としての活動、素顔の公表など・・・紆余曲折を経て30年間もの間ロック・バンドとしてトップの座に君臨し続けている。2001年の来日公演当時、解散声明を発表したたが何だかんだでバンドは継続。2003年にも来日公演を行い日本を熱狂の渦へと巻き込んでいった。

一般的にはハード・ロック/ヘヴィ・メタル・バンドのイメージが強いキッスであるが、彼らの音楽的ルーツは言うまでもなくビートルズにある。そのイメージに囚われてもしキッスを敬遠しているとしたら、それは音楽を聴く楽しみを一つ損していると言っても過言ではない。それほどまでにキッスは音楽的に優れたグループなのである。例をあげて説明しよう。一番分かり易い例では」アルバム『地獄の軍団』だ。このアルバムは明らかに『SGTペパーズ』を青写真としている。機会があれば聴き比べてみて欲しい。導入部からラストまでいくつものオマージュが散りばめられている事がお分かりいただけるだろう。メンバー4人全員が楽器を演奏しつつヴォーカルもとれるというバンド・スタイル、揃いの衣装という点もまた然り。ジーンがキッス結成以前に組んでいたバンドではモロにビートルズ風の恰好(想像し難いかもしれないがマッシュルーム・カットの時代もあった)をして音楽的にもビートルズをかなり意識的に模写していた感がある。筆者はキッスを今から10年以上前、中学生当時に初めて耳にしたのだが、こんなおどろおどろしいメイクをしているのに曲はなんてポップなんだ!と妙な肩透かしをくらった覚えがある。それはセックス・ピストルズを初めて聴いた時の感覚と同じものだった。しかしその肩透かし感こそがキッス最大の魅力とも言えるだろう。

最後にキッスがその後の音楽シーンに与えた影響について触れたいと思う。キッスは当時(もちろん今もそうではあるが)のロック・ファンのヒーロー的存在であった。日本ではそんなにいないかも知れないが幼少時代にキッス・メイクのコスプレをしていたというミュージシャンは意外に多い。先ほども触れた事であるがキッスの楽曲はポップな曲が多く音楽的にも素晴らしいものであるのだが、いち個人の音楽的衝動を突き動かすということは少なかったのかも知れない。しかし普遍的な音楽体験として多くの人々の記憶に深くそして大切なものとして残っているはずだ。音楽的なことは差し置いてバンドとしての立ち位置や在り方、としてのキッスぼ影響と言えばやはりマリリン・マンソンスリップノットがその最もたる例だろう。いまやメイクの面でも音楽的な面でもキッスより刺激的なバンドは山ほど存在する。しかしライヴ・ステージでの炎や血糊が飛び交うあの一大ロックンロール・パーティーは他の誰にも真似の出来ないキッス、オリジナルのものである。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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