贅沢な「乞食オペラ」

2021年08月02日 (月) 16:00 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第292回


 この前、車の中でラジオをつけていたら、NHKが「ベガーズ・オペラ」と言っていたのである。聞き流してからちょっとして、え? あれ? 「乞食オペラ」と言わないのかと思った。「乞食オペラ」は作品名として定着している。だけど、言い換えちゃったのか。言い換えちゃったというか、英語をカタカナにしただけですけどね。で、ウィキペディアを見たら、こちらには「ベガーズ・オペラ」または「乞食オペラ」と書いてあった。併記するならするで、順番が逆じゃん。
 そういえば、オリンピックが始まってからは、ニュース番組も放り出してまるでスポーツテレビのようになっているNHKは、カルメンのこともだいぶ前からロマと言っている。さすがに「ツィゴイネルワイゼン」はそのままだけど。では、昔日本にもたびたび来たプロレスラーのジプシー・ジョーは何と呼ぶのでしょう? 
 さてそれはともかく、ちゃんと「乞食オペラ」のタイトルで発売になっているウィリアム・クリスティのブルーレイがすばらしい。ちょうど2時間かかるが、ほんとにあっという間に見終わる。
 そもそもこの作品は、時代的にはバロック盛期、つまりバッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディあたりの時代にイギリスで作られた。つまりはバロック・オペラの時代。神話や歴史がオペラの題材になっていた時代。オペラの内容は、高級でなければならなかった。ところが、「乞食オペラ」ではそれとは正反対の、金のことばかり考える強欲の俗物たち、それどころか泥棒が主たる登場人物だ。きれいごとではない、醜い人間が織りなすおぞましい人間模様。それが当時の客を大いに喜ばせた。
それから約二百年後の後世になって、ヴァイルとブレヒトがこれをもとに「三文オペラ」を作った。こちらは日本でもたびたび上演されている。名作とされている。いくつかの歌は、いろいろな歌手が歌って有名になっている。昔は、先ごろ没したミルバ(ミルヴァと書きたいですね)が強いイタリアなまりのドイツ語、カンツォーネみたいな強烈なカンタービレで得意曲にしていた。だが、実は私は「三文オペラ」が嫌いなのである。ブレヒトが苦手なのである。説教臭い。大衆を啓蒙してあげようという、上から目線がうっとうしい。偉い連中や金持ちは、こんなに腐っているんだ、だから叩かねばというメッセージがあからさますぎ。
ところが、その元になっている「乞食オペラ」は、そうではない。どうせ人間は醜いんだ、愚かなんだ、上から下まで救いようがないんだ、とはなから認めている。その態度が清い。潔い。この辛口のぐあいは、オッフェンバックに似ている。現代の政治家は平気で嘘をつくとお嘆きのあなた、昔から人間なんてそんなものですよ。
どうしてこんな作品を、よりによってクリスティとレザール・フロリサンが演奏するのか、数年前、彼らのスケジュールを見た私には不可解だった。もっとも繊細で耽美的な古楽の演奏をする人たちが、よりによってこの作品? しかも、世界各地でものすごい上演回数が予定されていた。残念ながら、日本は含まれていなかったわけですが。この先が長いとは思えない老クリスティ、ほかにやりたい作品はないのか。時間がもったいない。そう思った。


なので、まあ、これはナマを見ておかなくてもいいかと判断したのだが・・・間違いだった。浅はかだった。このブルーレイを見て、どうにもミスマッチでしかない作品と演奏者の組み合わせが、まさに本質のどまんなかを射抜くことになっていることに気付かされ、一発強烈なパンチを食らった気分。
つまり、こういうことなのだ。人間は汚い。拝金主義者は、家族だろうと、命だろうと、平気で金のために売る。こういう人間が悔い改める可能性はゼロだ。それどころか、出世してますます強欲になる。政治も法律も、こういう連中をどうすることもできない。
なのだが・・・見渡すばかり汚らわしさが満ち溢れたこの風景の中に、ごくところどころ、可憐な花が咲いている。小さくて、弱くて、素朴な、それは愛。ズルい男にだまされている女たちの、あまりにも愚かしい愛。その愛の歌が、クリスティとレザール・フロリサンの手にかかると、まことに儚く美しく鳴り響くのだ。全体の風景が醜ければ醜いほど、そこだけが別世界になるのだ。神話的な神々しさを帯びるのだ。
強欲とは、俺が俺が、ということ。だけど、それを捨てているのが、嘘つきのどうしようもない男を愛してしまった女たち。よりによってカス野郎のために自分を犠牲にしようとまでする女たち。その心情が類まれな美しさで際立つ。本来は、こうした女たちもあくまで滑稽な笑う対象として、原作は構想されたのだろうとは思う。が、この演奏はそうではない。そこにわずかばかりの救いを見る。この世をバカバカしいものとして描こうとしていた原作者たちの、心の奥底に隠されていたであろう気持ちに光を当てる。
そうか、ヘンデルだって同じことではないか。たとえば、「ジュリアス・シーザー」だって登場人物たちはクレオパトラをはじめ、欲望ではち切れそうな連中。けれど、その欲望とは真逆の恐ろしく美しい愛や悲しみの歌がはさまれている。
演出はロバート・カーセン。この人はものすごい仕事量で、はっきり言って、大半は退屈。なんだかどこかで見たことがあるな、みたいな舞台作りが多い。だけど、ときたま実に巧みに舞台を仕切って感心させるときがある。この「乞食オペラ」は成功例だ。演劇的な基本がちゃんとしている。取って付けたアイデアみたいな薄っぺらさが皆無。で、歌手たちがきちんと芝居をしている。マクヒース役はかっこいい。こうでないと、物語にならない。
カメラワークもいい。だいたいにおいて、舞台の収録は、カメラに制約が多いし、案外いいかげんな仕事であることも多いのだが、これは隔靴掻痒がゼロ。違う写し方をしてくれよとまったく思わせない。画面で見るハンディを感じさせない。
この上演は、パリの場末みたいなところにある小さな劇場でのもの。私も一度行ったことがあるけれど、華やかなパリではない場所。界隈には清潔さなど求めるべくもなく、犯罪も多そうな場所。この作品を上演するにはうってつけ。
 映像を見る場合、幕が下りると、拍手が続いていようが、さっさと再生を止めてしまいたくなるものだが、これはそうではなかった。余韻を味わいつつ、観客の喝采の気分を共有できた。まことにまれなことである。実にすてきな、すばらしい舞台の貴重な記録。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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