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【追悼】フィル・スペクター 〜「ウォール・オブ・サウンド」で60年代ポピュラー音楽シーンに革命をもたらした天才プロデューサー
2021年01月19日 (火) 13:30
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【追悼】フィル・スペクター
「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる独自の録音技法を確立し、クリスタルズの「ヒーズ・ア・レベル」「ハイ・ロン・ロン」、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」、ライチャス・ブラザーズの「ふられた気持ち」などのヒットで60年代ポピュラー音楽シーンを席巻した世界的な米音楽プロデューサー、フィル・スペクターが、16日カリフォルニア州の刑務医療施設で亡くなったことが報じられた。81歳だった。
スペクターは2003年に自宅で女優のラナ・クラークソンを射殺した容疑で逮捕。2009年に殺人罪で懲役19年の判決を受け収監されており、その功績は影を潜めていた。
◇ ◇ ◇
1940年、ニューヨークのブロンクス地区、ユダヤ系の家庭に生まれたフィル・スペクター (本名:ハーヴェイ・フィリップ・スペクター) は、幼い頃に父親が亡くなったため、53年に家族とロサンゼルスに移り住んだ。少年期は黒人系ラジオ局から流れるジャズ、リズム・アンド・ブルースに合わせてギターを弾いたり、またクラシック音楽なども聴いていたという。高校に入り、ロックンロールの波に刺激された彼は、曲作りを始め、バンド活動を開始する。大学入学後、家庭用レコーダーでスピーカーから鳴らした音をそのままマイクで拾い音を重ねるという録音方法を実際のプロ用スタジオで試みる、という夢を抱くようになった。
その後57年5月に高校時代の仲間ハーヴェィ・ゴールドスタインと紅一点アネット・クレインバード、スペクターとでお金を出し合い、シングルを自主制作する。「ドント・ユー・ウォーリー・マイ・リトル・マイ・ペット」というその曲は高校の同級生だったエンジニアに頼んで、ゴールド・スター・スタジオ (のちにスペクターの本拠地になる) で前述したレコーディング方法を用いて録られたものだった。
これを地元のローカルレーベルに持ちこんだスペクターは契約を取り付け、テディ・ベアーズ名義でデビュー。A面曲の「ドント・ユー・ウォーリー〜」は大した話題にもならなかったが、地元のラジオDJたちはB面の「逢ったとたんに一目惚れ (To Know Him Is To Love Him)」に注目、こちらを流すようになった。
これも例のダビングを繰り返した劣悪ともいえる音質だったが、エコーたっぷりの独特のサウンドはインパクト充分で、ついには同年9月の全米チャートに初登場し、以後TV番組にも出演したテディ・ベアーズは全米1位を獲得するようになる。気を良くしたテディ・ベアーズは後続のシングル、アルバムなどをリリースするがことごとく惨敗。アルバムの方はスペクターによる自己プロデュースで制作され始めたが、その遅すぎる作業ぶりに業を煮やしたレーベル側が別のプロデューサーを立てて作られたものが最終的に世に出回ることとなった。また、このセールス不振が原因で間もなくテディ・ベアーズは解散する。
1959年、フィル・スペクターはテディ・ベアーズのレコーディングで知り合ったレスター・シルのもとを訪れ、歌手/シンガー・ソングライター/プロデューサーとして契約を結ぶ。リー・ヘイゼルウッドと組んで録音プロデュースを行なっていたシルに就いて、”トゥワンギー・ギター” で有名なデュアン・エディのレコーディングを見学したスペクターは、その深いエコー効果の秘密などを会得したと言われる。また自分の声に女声コーラスを被せ ”スペクター・スリー” という名を付けレコードをリリースするなどしたのもこの頃だ。そんな中、シルと共に仕事でニューヨークを訪れたスペクターは、この地で名作曲家チーム、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーと交流を深める。また2人は、ジェリー・ゴフィン&キャロル・キング、バリー・マン&シンシア・ウェイルらを擁するアルドン音楽出版社のドン・カーシュナー (「黄金の耳を持つ男」の異名をとる) の所へ赴き、楽曲調達などを行なっている。
一旦西海岸に戻ったスペクターは、シルに頼んでリーバー&ストーラーのもとへ修行がてら雑用係として採用してもらうようになる。その後ニューヨークに舞い戻った彼は音楽業界筋のさまざまな重要人物と顔を合わせ親交を深める。この60〜61年辺りにレイ・ピーターソンのプロデュースをはじめ、楽曲提供なども行ない、スペクターはヒットを生み出したほか、シルの依頼で引き受けたパリス・シスターズとの仕事もこなし、こちらもヒットに結び付けている。それらのヒットですっかりシルの信頼を得たスペクターは、シルがヘイゼルウッドとコンビを解消したのを機に、「自分を共同経営社にしないか」という話を持ちかけ、了承される。そこで設立されたのが、両者の名前を組み合わせて名付けられた有名な「フィレス・レコード」だ。
今までに得た人脈を駆使して強力なスタッフを集めたスペクターは、フィレスで独自のスペクターサウンドを作り上げ、多くのヒットを生み出した。その成果が結実した例として挙げられるのが、クリスタルズの「ヒーズ・ア・レベル」。ダーレン・ラヴの迫力あるヴォーカルと分厚いバックサウンドが融合した独特の音像。そうしたスペクター独自のサウンドは「音の壁=ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれた。
その後62年には会社からシルを追い出し、スペクターの独裁状態が続く。ゴフィン&キング、グリニッチ&バリー、マン&ウェイルなど一流のヒットメイカーである作曲家たちを起用。またラリー・ネクテル、ハル・ブレイン、レオン・ラッセル、ニノ・テンポなど歴史に残る名セッションマンたちに指示を出し、納得いくまでレコーディングを続けるなど、自分の求めるサウンド、ヒットのためなら容赦のない行動に出ることは日常茶飯事だった。のちにスペクターのスタジオを見学したビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは、そうした光景にインスパイアされ『ペット・サウンズ』制作時に同様の独裁体制をとった。
スペクター・サウンド〜ウォール・オブ・サウンドの代表的作品といえば、前述した「ヒーズ・ア・レベル」のほか、冒頭で述べた、後のスペクター夫人となるヴェロニカ・ヴェネット (=ロニー・スペクター) 擁するロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」 (63年)、ライチャス・ブラザーズの「ふられた気持ち (You've Lost That Lovin’ Feelin')」(64年)、そして63年のクリスマスアルバム『クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター』だろう。ちなみにこのクリスマスアルバムのライナーノーツの最後にスペクターのコメントが入っている。プロデューサーといえば裏方だった時代に、そうした試みは前代未聞であった。
ここまでが全盛期とされる60年代半ばまでの活動。また60年代後半にはアイク&ティナ・ターナーの「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」を手掛け評価を得たが、それがこの時期唯一の評価といってもいいもので、やはり激動のロック、サイケの時代に、フィル・スペクターの存在は ”アウト・オブ・デイト” と言わざるを得なかった。
70年以降の作品では、ビートルズが制作を投げ出した『レット・イット・ビー』を、グリン・ジョンズの後を受ける形で「ゲット・バック・セッション」の中から選曲〜編集作業を引き受けたり、『ジョンの魂』『イマジン』『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』といったジョン・レノンの諸作、レナード・コーエン、ラモーンズなどのプロデュースをするが全盛期ほどの評価を受けることはなく、80年のラモーンズ『エンド・オブ・ザ・センチュリー』を最後に第一線から退くこととなった。
ただ唯一、ジョージ・ハリスンの70年のアルバム『オール・シングス・マスト・パス』でのサウンド、シングル「マイ・スウィート・ロード」の音の重ね方には全盛期スペクター・サウンドの残り香が漂っていることも付け加えておきたい。
最後に、日本におけるフィル・スペクター・フォロワーについて。今と比べると洋楽情報が圧倒的に少なかった60〜70年代には、ポップス評論の第一人者でもあった木崎義二氏、音楽プロデューサーでもあった我妻一郎氏らによって日本にスペクター・サウンド、ウォール・オブ・サウンドなどが紹介され、”ポップスの裏方さん” にスポットを当てたそのテキスト (ライナーを書くにあたり、クレジットを追うしか方法が無かったという苦労も) は当時の貴重な情報源だったと言われている。また、スペクター・マニアを公言していた大瀧詠一、そして山下達郎がスペクター・サウンドへの愛情を良質な国産ポップスへと昇華するカタチで聴かせてくれたことも、日本におけるその伝播に何役も買っていたことは言うまでもないだろう。
はっぴいえんど後期のライヴで演奏されたクリスタルズ「ハイ・ロン・ロン (Da Doo Ron Ron)」風アレンジの「はいからはくち」をベースにして、大瀧詠一は「ウララカ」を作り上げたというのは有名な話。のちのナイアガラ・サウンドにも繋がるこの「ウララカ」は1stアルバム『大瀧詠一』に収められている。また若き山下達郎が大貫妙子らと組んでいたシュガー・ベイブ (プロデュースは大瀧詠一) の唯一のアルバムに収録された「雨は手のひらにいっぱい」でもスペクター・サウンドへの純粋な試みを聴いてとることができる。
「和製フィル・スペクター」と称される両者の作品以外にも、ウォール・オブ・サウンドの影響下にあるJ-POP作品は枚挙に暇がなく、加藤和彦の手による岡崎友紀「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」、大瀧詠一経由でこの名曲をモノにしたという佐野元春「SOMEDAY」、ナイアガラ・ファンも納得の杉真理「夏休みの宿題」といったウォール・オブ・サウンドDNAを受け継ぐ名曲を一挙収録したコンピレーション『音壁JAPAN』は、今あらためて聴き返しておきたいスペクターの遺産のひとつである。また、ピチカート・ファイヴらその後の渋谷系フォロワー以降、現在までに脈々と受け継がれている ”スペクターシンパ” による作家たち、スカート (澤部渡)、ザ・ペン・フレンド・クラブ、SOLEIL作品などを2021年最新のオーディオ環境で聴き込んでみるのも面白いかもしれない。
The Crystals - Da Doo Ron Ron (Audio)
The Ronettes - Be My Baby (Official Audio)
The Crystals - He's A Rebel (Audio)
Righteous Brothers -You've Lost That Lovin' Feelin'
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