トロリと、じんわりと、弦楽器

2020年08月04日 (火) 11:00 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第281回


 ヴァイオリンが、あるいは弦楽器が、とろんと甘い音楽をするための、するはずの楽器であることは、もしかしたらずいぶん長い間忘れられていたのではないか、と雨がしとしとする昼下がりにふと思ったのである。
 考えてみれば20世紀の終わり20年くらいの間からあとに、世界的な名声を得ていたヴァイオリニストたちを、クレーメルを筆頭として、思い浮かべてみるがいい。そんな中で、なぜかムターが人が変わったみたいに、ある時期から異様に艶っぽい演奏をやるようになっていたのが不思議だった。
 そんなことを考えたのは、バティアシヴィリの新しいアルバム「シティ・ライツ」を聴いていたから。バティアシヴィリはショスタコーヴィチを弾いてすら甘美にしてしまう人だが、こちらはもう思い切り、遠慮なく甘美にやって問題のない小曲集。バッハのコラールですら、切々とやる(だけど、もし名手と謳われたヴィヴァルディが弾いたら、こんな風になったのかも)。このアルバムでは、バッハから20世紀の映画音楽まで、みんなこういうふう。え、みな同じではないかって? いいんですよ、そういうのを楽しむアルバムだから。録音もその路線の音作り。懐かしのムード音楽のような。音価を均一に伸ばす傾向があるのも、昔の歌手みたい。とても甘いのだけど、一番低い弦、G線でドスをきかせたりはしないので、エロい悪女とか強い女という感じにはならない。
 それにしても、ヴァイオリンの世界では完全に女性が男性を圧倒している。女流ヴァイオリニストといちいち言う必要もとっくになくなった。もっとも、ヨーロッパでは女性指揮者も急速に普通になってきたし。オーケストラを眺めれば金管楽器も。昔は女性には無理だと言われていた楽器、つまりは女性に体力がついたのかどうなのか。ついでに言うと、女性の活躍は、文学のほうもそうです。日本の現代文学とか。これからはわざわざ「男性作家」「男流作家」と呼ばれる時代が来るのかも。
 このアルバムには、バティアシヴィリがこれまで訪れた町に関連した曲を集めているが、東京や東アジアの町はない。もし入れるとしたら・・・と考えても入りそうな曲がない。ヴァイオリンで弾くのに都合がいい、いかにもその都市らしい魅力的な小曲が。誰か作曲したらどうだろう、大穴ですぜ。


 さて、このあとでタベア・ツィンマーマンの「カンティレーナ」というアルバムを聴くと、改めて大きな違いに驚くことになる。最初にピアソラが入っているのだが、これがまるでブラームスの交響曲のヴィオラ・パートみたいなのだ。シンコペーションや重音のしっかり感とか。ださいですね、ひとことで言えば。
 むろん、ヴァイオリンとヴィオラという楽器の違いもある。ヴァイオリンがほかの弦楽器と比べて独特なのは、4本張られた弦の1本1本が強い個性を持っていること。特に一番高いE線と、低いG線。ヴァイオリンを弾くとは、その個性をうまく使い分けることにほかならない。だが、ヴィオラはそうではない。逆に、ヴィオラで弾かれる音楽に、ヴァイオリンにないなめらかな均一性や落ち着きがあるのはそのせい。
 しかし、なぜまたこの決してツィンマーマンの音楽性とピタリと一致しているとは思えないピアソラを冒頭に置いたのか? このアルバムはトラック2のモンサルバーチェから、俄然、魅力的になるのだ。考えに耽りながら道を歩いていくような、そう、まさにブラームスみたいな抒情が美しい。弱音でそっとつぶやくようなヴィオラの歌。抑えたピアノ。艶消しのようで艶があるという微妙なぐあいが実によい。
 明るい楽想の曲になっても、からりと晴れあがらず、やや暗みがある。それが何とも微妙で、危うさがあって、これもよい。そういう音楽をきちんとコントロールしてできる奏者たちなのである。決して複雑とは言えない曲の、音のひとつひとつが精密にこれと決められている(実はピアソラは、そうやって演奏すると何とも野暮ったくなる音楽なのである)。
 ファリャの「アストゥーリアス地方の歌」は、ローカル色を完全に脱したきわめて洗練された演奏。陽気なはずの曲もどこか陰気な感じがする。ドイツ・ロマン派みたいだが、それがこの場合はまったく悪くない。気が付くと、バティアシヴィリの甘美な音楽をすっかり忘れて、これに聴きほれている。滅び去ったものの、夢うつつの幻を見ているかのような「ナナ(子守歌)」。
 カザルスの曲になると、もうこれはまさにブラームス。内省的などという昔の評論家が好きだった言葉を使いたくなる。このアルバムはあとにいくほど、ますますまるで北方の音楽のような趣が強くなる。グラナドスもなんだかシューベルトのようで、もはや恐ろしさすら感じさせる。で、聴いているほうは、スペインあるいはラテン系のアルバムであることをすっかり忘れてしまう。

 どちらもいいアルバムである。雨の日にどうぞ。と書こうと思っていたら、梅雨が明けた。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

評論家エッセイ情報
バティアシヴィリ
タベア・ツィンマーマン

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