サヴァールの「メサイア」を満喫

2020年04月13日 (月) 10:40 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第275回


 昨年の秋、東京のオペラシティで聴いたウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサンの「メサイア」はすばらしかった。
 会場に到着すると、思いのほかの盛況。あれ? クリスティがラモーとかフランス・バロックを来日公演で持ってくると、信じられないほど空席だらけなのに、今宵は満席? みんな、やっぱり有名曲が好きなんだね。この十分の一でもフランス・バロックを聴けばよいのに。と、半ば悪態をつきながら、着席。当然、うんと前方だ。この細長いホールでは、1Fだろうが2Fだろうが、ステージ近くに座るしかない。
 そうして聴いた東京での演奏は、パリやヴェルサイユで聴いたときよりも見事と思えるほどで、大満足できた。おお、日本でこれだけのものを聴けるとは。
 長いことバロックの宗教曲の演奏家というと、まずもって名があげられるのはカール・リヒターだった。たとえ、プロテスタントのバッハ以外の曲でも、だ。「メサイア」にしても彼が録音したドイツ語盤、英語盤が名盤ガイドの類では推薦されていたものである。ついでに言っておくと、ヘンデルは長いことイギリスに暮らした作曲家なのに、ドイツの作曲家扱いされていた。でも、それ、ちょっと違うんじゃない。ヘンデルが作ったたくさんの英語、イタリア語のオペラ、オラトリオが演奏・録音されるようになって、よかったよかった。
 この日の「メサイア」を聴いた人は、この曲が、ひたすらまじめに神を賛美するだけではなく、実に音楽的な変化に富み、場合によってはオペラのようであることに気づいたはずだ。18世紀ロンドンの聴衆は、ありがたいお説教を聴くために会場に出向いたのではない。「メサイア」とて娯楽だったのだ。
 やはり、あの「ハレルヤ」のエピソードがいけない。うっかり立ち上がった王様がいたせいで、「メサイア」は崇高な曲だと信じ込まれてしまった。ちなみに、全体の中で一番つまらない曲が「ハレルヤ」だと私は思う。好きな人には申し訳ないが。
 クリスティの「メサイア」のCDは、その日、会場で100組以上売れたそうだ。だから、前から言ったじゃん、すばらしいCDだって・・・。

 要するに、長いこと禁欲的、ひたすら真剣な宗教音楽演奏が標準となっていたわけだ。なるほどキリスト教の歴史の基本である受難とか、十字架とか、弾圧とか、旧約聖書のもろもろのエピソードとか、そういったものは信仰の厳しさやひたむきさを表しているだろう。
 だが、そのような路線の演奏だけが正しいのかと言えば、違う。そもそもキリスト教は愛を説くのではなかったか。神への信頼を語っているのではなかったか。マリアさまというやさしい女性もいるではないか。寛大、柔和、それもまたキリスト教の一面ではないか。
 要するに、北方的な厳しい宗教曲演奏ではなく、南方的な、やさしく抱擁するような演奏があったっていいのだ。岩のように厳しいのではなく、柔らかい日の光のような演奏が。感覚を心地よく刺激し、幸福感に誘う演奏が。
 「メサイア」の場合は、たとえば、オーケストラによる最初の「シンフォニー」(序曲)が終わったあと、歌いだすのはテノール。おごそかで美しい独唱曲だ。要するにこれ、ヴェルディ「アイーダ」の有名なアリア「清きアイーダ」みたいなものですよ。開始早々、シンプルなテノールの旋律で、聴く者の心をぐっとひきつける。ヘンデルが劇場的な感覚の持ち主だったことがわかる。
 日本はアマチュア合唱が盛んなので、「メサイア」に関しては実に詳細な解説書が手に入る。読むとおもしろいですよ。だけど、合唱も大事だが、独唱者のひとりひとりがオペラのように歌を披露していく、それもまた「メサイア」の魅力のひとつ。ただひとつここに欠けているのは、艶っぽい歌。そりゃそうです、宗教曲だから、それを求めるのは無理。ヘンデルが書いた愛の歌が聴きたければ、たとえばオペラ「ジュリアス・シーザー」や「アリオダンテ」をどうぞ。ヘンデルは、歌い上げる愛の歌より、囁くような、ため息のような愛の歌を書くのが本当にうまいと感じ入る。

 ジョルディ・サヴァールは、自分でヴィオールなど弦楽器を弾くと、実に細かで精緻な演奏をしたものだ。だが、指揮となると、案外おおらかである。それが大味になってしまうこともないわけではないのだが、「メサイア」に関しては、いい方に作用している。
 日本国内、おにぎりの味はいろいろであろう。おいしいものもあるが、それほどでもないものもあろう。だが、そうは言っても、ある程度の水準はキープされているだろう。わけがわからない味がする心配はまずなかろう。そういうあたりまえのおいしさのようなものがサヴァールの「メサイア」にはある。いわゆる自然体である。習い覚えたのではない、おのずと身に着いたような自然さである。腕によりをかけておいしくしたという力みはない。力んだおいしさもよいものだが、こういうおいしさもほっとする。意識せずともすべてのピントが合ってくるような安心感がある。0.1ミリ、あるいはそれ以下の精度を目指しているわけではない。だが、数ミリの範囲に同じようなばらつきで収まっているから、全体としてはまったくいびつではない。バッハのような、あるいはリヒターのような、追い込んでいくような真摯もよいが、こういう力が抜けた敬虔もよい。
 と書くと、なんだかお気楽な通りいっぺんのきれいさ、くつろいだゆるさのように受け取られるかもしれないが、いいや、まったくそんなことはない。決していいかげんな気持ちで、あるいは甘い気持ちでこういう美しさが作り上げられるものではない。
 透明感があって軽快だが、軽薄ではない合唱。おおげさに流れをせきとめない歌い方。強弱の幅を大きく取ったりもしない。すいすいさらさらと美しい。が、低いほうにはちゃんと陰影があり、のっぺりと均一ではない。
 この「メサイア」は何度聴いても、飽きない。

 ちなみに、サヴァールの指揮ぶりは決して暑苦しいものではないが、その彼が、私が知る限りただ一度だけ(というより、正確には1演目だけ)真剣に熱くなっているように見えたことがあった。それは数年前にパリで見たマラン・マレのオペラ「アルシオーヌ」だった。おお、サヴァールがこんなに燃えることもあるのか、とそう昔から彼を聴いていたわけではない私は驚いた。これは映像収録もされているから、いつか発売されてほしいものだ。オーケストラ曲だけの抜粋版はすでにあるのだが・・・。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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サヴァール

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