必聴! ブルックナー交響曲全集

2020年04月01日 (水) 17:15 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第275回


 先日、ANAの国際線に乗ったら、音楽ソフトとしてブルックナーの交響曲第8番が提供されていた。クナッパーツブッシュの演奏である。わざわざ改訂版と書いてある。あ、こんなものを選ぶなんて、きっとマニアの仕業だな、とつい笑ってしまった。次はいつ乗るかわからないが、第9番の改訂版、第3番の初稿なども提供したらどうでしょうか。
 さて、そのブルックナー。ピアノ4手で弾いた交響曲全集を聴き始めて驚いた。これはすごい。前から興味があったが、やっと聴いてみたら、予想よりはるかによい。もっと早く聴けばよかった。
 もともと私は、オーケストラ作品をピアノに編曲した演奏が好きではある。オーケストラの楽器の音色を排したとき、音楽の骨格がはっきりと出てくる。それが新鮮なのだ。
 それに、ピアノ演奏に秀でた作曲家のオーケストラ曲は、ピアノ的発想で書かれていることも多い。シューマンはもちろん、ブラームスですらそうなのだ。
 しかし、このピアノ版ブルックナー全集は、そういうおもしろさのレベルを超えた領域にある。とにかく異常に美しいのだ。
 ブルックナーと言えば、連想される楽器は何と言ってもオルガンだ。彼はまれに見るオルガンの名手だった。オルガンは音を長く持続できる。そういった特徴が彼の交響曲にもうかがえる。だから、音が早く減衰するピアノでは・・・そう疑って当然である。私だって疑っていた。
 ところが、この演奏は、そんな疑いを吹き飛ばすどころではない。理由として考えられるのは、たとえば録音会場が残響が長めの教会であることだが、それは部分的にすぎまい。ピアニストたちが音の響きに関して敏感なのだ。一般論として、この類の敏感さをピアニストはあまり持っていないのではないかと私は思っている。目の前に巨大な音を出すピアノがある。それと格闘しているから、会場で音がどのように鳴るかまで神経が回らないのではないか。それに、ピアニストが練習するのは自宅。いくら広い部屋といっても、小ホールほどの広さもない。ポゴレリチやソコロフが小さな会場でもまったく抑えることなく全力で大きな音を出し続け、聴いているほうは耳が痛くなるような経験をしてみると、この人たちの演奏は自宅でできあがっていて、それを各地で繰り返し弾くのだろうなと思ってしまう。だからいけないとまでは言わないけれど。


 ブルックナーゆかりのリンツの教会で毎年ひとつずつ演奏、録音されてこのセットができあがったわけだが、まずは第7番の頭などどうか。これはやっぱり弦楽器や管楽器で聴きたいでしょう? ピアノじゃね、と思うでしょう? 
 ところがである。このデュオの雄大な主題の弾き方。これはまさに弦楽器ではないか。つまり、この演奏はまったくピアノくさくないのだ。何せ弾くのはピアニストだから、この手の編曲ものはどうしたって、ピアノ音楽っぽくなる。が、この演奏はそうではない。あくまでオーケストラの響きがイメージされているのだ。たとえば、息の長いクレッシェンド。もちろんピアノでオーケストラのような振幅を得ることはできない。だが、物理的な音の大小ではかなわなくても、イメージとしての壮大さは十分以上に伝わる。そして、すでに原曲になじんでいる人は、この演奏からたちどころにオリジナルの響きを生々しく思い出すことができるだろう。
 第2楽章、ゆったりとしてテンポでじっくりと歌われる主題。それが残す余韻。まるでチェリビダッケではないか。このアダージョ、普通のピアニストなら、このテンポでは絶対にやらないよ。思わず、うううとかあああとか言いたくなるくらい陶酔的。悠久の彼方、宇宙の彼方に消えていくようなコーダもすばらしい。絶品。
 それにしても、ディーノ・セクイーとゲルハルト・ホーファー、このふたりのピアニストは、よほどブルックナーが好きなのか? ピアニストでブルックナー好きなど、あまり聞いたことがない。指が動くのでピアノ版を弾いてみました、といったレベルではない。ブルックナーへの愛情や、作品をよく知っているという感じがすごくする。なみのピアニストなら、もっとピアノ作品らしくやりそうなものだが、そうならない。
 各曲について述べていくときりがないのでしないが、第8番のアダージョも吸い込まれるように美しい。なんと息が長いこと。コーダなど、別世界をさまようかのような気持ちにさせられる。彼岸からやさしく手招きされているようだ。そこから一転して、フィナーレ。そのコントラストのすさまじさには息をのむ。
 そういえば・・・ブルックナーの晩年の写真に、ピアノといっしょに写っているものがあった。ベーゼンドルファーを愛用していたらしい。ならば、彼の部屋でこのような第8番が鳴っていた可能性もあるだろう。そんなことを想像すると何だかときめく。ああ、あなたは自分の部屋で、こういう音を弾きながら音楽を作っていたのですかと。
 そして、今度は、あの怖い怖い第9番冒頭。あそこも、ピアノでなんかできるかと思うでしょう? ところができるのだ。聴いてみてください。

 この全集では、ブルックナーの同時代人、彼を支持した人たちの編曲が演奏されているのも売り文句になっている。高度な録音技術がなかった当時、ピアノで演奏することは、その曲を世に広めるための重要な手段だった。
 だけれど、どの程度原譜に忠実なのかは、それを見ていない私にはわからない。あれだけ原曲をいじって演奏したレヴィらのピアノ版はこんなにおとなしくてまともなのか? 少なくとも、いろいろな強弱がついていそうな気がするが、演奏者たちは無視した? マーラーが初演で感動し、編曲した第3番は、この録音のような最終稿ではなくて初稿ではなかったか? その第3番が妙にマーラーっぽく聞こえてしまうのはおもしろいが・・・。

 私は必聴という言葉が好きではないが、この全集はブルックナーが好きな人にとっては必聴だと言いたい。聴いて気に入らないならそれはそれで仕方がないことではあるけれど、ともかくも一度は聴いてみるべき演奏である。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

評論家エッセイ情報
ブルックナー
4手ピアノによる交響曲全集(第0番〜第9番) ピアノ・デュオ・ディノ・セクイ&ゲルハルト・ホッファー(10CD)

CD

4手ピアノによる交響曲全集(第0番〜第9番) ピアノ・デュオ・ディノ・セクイ&ゲルハルト・ホッファー(10CD)

ブルックナー (1824-1896)

(17)

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発売日: 2019年12月28日

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