【インタビュー】POSSESSED / ジェフ・ベセーラ

2019年05月10日 (金) 21:00

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デス・メタルの生みの親、あのポゼストがニュー・アルバムをリリースする。フル・アルバムとしては、何と33年ぶり。ということで、ヴォーカリストのジェフ・ベセーラに話を聞いてみた。

川嶋未来(以下、川嶋):07年にポゼストを再結成するに至った経緯を教えてください。

ジェフ:最初のポゼストは、メンバーがみな普通の生活をしたいということで解散をしたんだ。彼らの選択はもちろんリスペクトするよ。デス・メタルをやっていくというのは大変なことだからね。デス・メタルが好きか嫌いかにかかわらず、同じことを繰り返し、かつ時間の多くを奪うものだから。でも俺にとっては、デス・メタルは生活に新たな価値を加えるものなんだ。デス・メタルは俺の人生そのものさ。それはともかく、俺は解散後も、ずっとポゼストを復活させたいと思っていた。だけど強盗に2発の銃弾を撃ち込まれたせいで、肉体的にも精神的にも回復するのに17年かかってしまったんだよ。89年に撃たれたあとも、曲を書いたり楽器を弾いてみたりして、回復に努めていたのだけど、完全に復活するには長い時間がかかってしまった。大学に行き、結婚をして、子供を持ったりもしたからね。とにかくポゼストを再結成したいという気持ちはずっとあった。きっかけとなったのは、サディスティック・インテントがポゼストのトリビュート・アルバムに参加するということで、俺に声をかけてきたことさ。「The Exorcist」をやったのだけど、とてもしっくり来てね。非常に気分が良かった。ライヴでも3曲くらいポゼストをやったのだけど、ファンは大喜びしてくれてさ。「オー、シット!俺がいない間に随分とシーンの様子は変わったんだな」と思って。それで07年くらいから最初の新生ポゼストでツアーを始めてね。その後、結局ドラムのエミリオ以外とは友好的に分かれることになった。エミリオは本当に素晴らしいよ。そこから、とても強力な、お互いのために死ねるような、家族のようなメンバーを探し始めた。結局現在のメンバーに落ち着くまでに、25人くらい試したかな。つまり、精神的、肉体的に完全に復活するため、それからこれだというメンバーを探すのに時間がかかってしまったために、アルバムが出るまでにこんなに時間がかかってしまったんだ。

川嶋:07年の復活の時点からニュー・アルバムのことは頭にあったのですか。それとも最初はライヴだけを念頭に置いていたのでしょうか。

ジェフ:俺はずっとポゼストのニュー・アルバムを作りたいと思ってきた。だけど、さっきも言ったとおり、これというメンバーを見つけるのに時間がかかったし、事を急いでも失敗するだけだからね。

川嶋:それで12年もかかったのですね。

ジェフ:その通りだよ。クラウデオスは数年前にすでに加入をしていたし、その前のギタリストMike (Pardi)とも曲は書いていた。ツアーで昔の曲をやりながら、新曲を書いていったのだけど、大変な作業だったんだよ。曲を書いては試してみて、うまくいかなければ捨てて、というのを繰り返していた。新しく加入したメンバーに、ポゼストであるとはどういうことなのか、俺の哲学などを教え込みながらね。彼らはオールドスクールなロード・ウォリアーで、ポゼストに加入する前からさまざまなバンドで活躍しているから、彼らと俺の音楽性を混ぜ合わせていくという作業だった。それでデモを作って、興味を持ってくれるレーベルを探したんだ。


川嶋:そのニュー・アルバムですが、完全にポゼストですよね。80年代とはギタリストも異なるのに、なぜここまでポゼストのサウンドになったのでしょう。あなたから他のメンバーに細かい指示を与えたのですか。

ジェフ:もちろんさ。さっきも言ったとおり、彼らの書いてきた曲を大量にボツにせざるをえず、おそらく曲の50%は俺の手によるものだよ。歌詞はすべて俺が書いたし。俺がリフをいくつかダン(ダニイェル・ゴンザレス)に送って、彼は素晴らしいミュージシャンであり、アーティストでプロデューサーでエンジニアなのだけど、それを元に彼がファインチューンをして、曲に仕上げたんだ。色々試してみた結果、この方法がベストだとわかったんだよ。ファースト・アルバムでは、歌詞以外では俺のクレジットは入っていないけど、ニュー・アルバムを聴いてもらえれば、ポゼストには常に俺の音楽的影響があったということがわかってもらえると思うよ。

川嶋:一方で「アバンダンド」で聴かれるような、シンガロングのようなコーラスは、過去のポゼストには見られなかったものですよね。

ジェフ:そうだね、いくつか新しいフックを付け加えてみたんだよ。ファンがもっとアルバムを楽しんでもらえるようにさ。つまるところ、俺たちはアーティストであるけれども、さらに大切なことはエンターテイナーでもあるということ。だから、ファンが楽しめるようなフックを入れたんだ。まあ、こういう言い方は良くないかもしれないけど。決して商業的なことをやろうとしたわけではないからね。ただファンに楽しんでもらえたらいいなと思って。実際に気に入ってもらえているようだし、うまく行ったと思うよ。あのコーラスは、全部俺がオーバーダブしたんだ。

川嶋:歌詞はどのような内容ですか。同じフレーズが繰り返し出てきたりもしますが、コンセプト・アルバムになっているのでしょうか。

ジェフ:俺の書いている歌詞は、すべて"Seven Churches of Revelation”について、そしてそれが人類に伝えるメッセージについてさ。サタンの降臨とかね。もともとはアルマゲドンやアポカリプスがベースで、今回のアルバム・カバーは、8番目の教会、つまり新たなポゼスト、俺たちの新たな方向性を示しているんだ。ちょっと話が発散してしまったけど、もともとのアイデアは、もし神という概念がなかったら、世界はどうだったかということ。もちろん物事が非常に混沌とした、人々が、なんというか動物的になっているようなダークサイドにも触れている。俺たちがそうなるというわけではないけれど、世界の大部分がとても自己中心的になっているからね。みんなが独自の倫理基準を持っているというのかな。こういうのをデス・メタル的に、精神的な旅として、この世の地獄を描いたのさ。それから、テクノロジーこそが新たなルシファーだという歌詞もある。聖書に出てくるような、左手や左手首に獣の数字が書かれているというのではなく、今では携帯電話が生活を支配して、俺たちの宇宙、世界を操り人形のように操っている。それから『Seven Archons of Hell』や『Eight Kings of Hell』のような悪魔をテーマにしたもの、ベルフェゴールとかね、について読んだこととか。悪魔学やあまり知られていない儀式についてとか。彼らは大天使を守護に使って、強力な悪魔を召喚し、世界を支配する力や知識を得るのさ。それから「シャドウカルト」は、ボヘミアン・グローヴみたいな内容だ。毎年集まって、乱交やドラッグ、アルコールなどに耽って、あらゆる限りの奇妙な儀式を行い、そこで世界の運命を決めるという話さ。とにかくどの曲も、違ったヴァイブ、違ったトピックを持っているんだ。色んなものをミックスしたほうが興味深くなるからね。

川嶋:コンセプト・アルバムではないということですね。

ジェフ:まあ、つながりはあるけどね。俺はアルバムもずっと継続したものだと思っているし。『Seven Churches』があのような音なのは、あの当時のテクノロジーを使ったから。今回も、オーバープロデュースにならないように、オールドスクールの雰囲気を持つように心がけたけど、良い音質にはしたかった。本の新しいチャプターを書いたという感じさ。

川嶋:80年代の話を聞かせてください。Blizzardがあなたにとっての最初のバンドだったのですか。

ジェフ:そうだよ。MarauderとBlizzardが俺の最初のバンドだった。

川嶋:当時、演奏がどんどん速く、ヘヴィになっていったきっかけは何だったのでしょう。

ジェフ:俺はパンクが好きだったからね。Blizzardのころも、パンクやモーターヘッド、ブラック・サバス、レインボー、UFO、ガンマ、モントローズとか、ヘヴィなのが大好きだった。「Burning in Hell」の歌詞なんて、79年に書いたんだよ。11歳のときに。俺はエドガー・アラン・ポーやH.P.ラヴクラフト、ブラム・ストーカー、スティーヴン・キングなんかの暗い本を読むのが好きだったんだ。ヴィンセント・プライス、ピーター・カッシング、クリストファー・リーとかのホラーのスターも大好きだった。ちょっと変わった子だったんだよ。それから高校でもカトリックの授業があったし、そういうものへの反抗心もあった。それで叫ぶべきでないことをバンドで叫ぶようになったのさ。

川嶋:パンクというと、具体的にはどんなバンドですか。

ジェフ:そうだな、当時はAngry SamoansやT.S.O.L.とか、その後FangやDischarge、Agent Orangeとか。誰も気にしていないようなディープなアンダーグラウンドのバンドが大好きでね。"Fuck the world"みたいなコンセプトとか。俺たちはとにかくワイルドなキッズだったんだ。ポゼストは、いろいろな意味でBlizzardの継続だったよ。メンバーの半分がBlizzard出身だし、俺がベースとヴォーカルをやって、ラリー(ラロンド。日本ではラロンデとされることもあるが、正しくはラロンド。)はリズム・ギターもソロもやって。俺とラリーは1979年から一緒にやっていたんだ。ラリーとは、その後ポゼストが解散するまでずっと一緒にやっていた。解散後、新生ポゼストについて考えていた時期に、俺は撃たれてしまうのだけど。

川嶋:ポゼストが始動したのはいつのことですか。インターネット上では、たいてい83年ということになっていますが。

ジェフ:おそらく82年の終わりだったと思う。実際『Seven Churches』の曲は、スレイヤーを聴く前に書き上げられていたんだよ。だけど、『Show No Mercy』の方が先にリリースされてしまった。もちろん競争でないことはわかっているけどね。ポゼストは、世界で一番ヘヴィでサタニックで速いバンドというコンセプトでやっていたんだ。それで、俺たち自身のスタンプを押したいということで、自分たちのスタイルを「デス・メタル」と呼ぶことにした。ポゼストが世界で唯一のデス・メタル・バンドであるなんていうナイーブな考えでね。他のバンドとは違う輝きを持たせたくてさ。ポゼストがやっていた音楽は、他のどんなバンドのものとも違っていたからね。リンゴのオレンジのように、まったくの別物だった。スラッシュ・メタルとは違う、デス・メタルというユニークなものとして認識してもらいたかったんだ。

川嶋:その「デス・メタル」という言葉は、どのようにして思いついたのでしょう。

ジェフ:リハーサルに行く車の中での会話から生まれたんだ。ヴェノムには、スラッシュ・メタル、スピード・メタル、ブラック・メタルみたいな称号があっただろ。ポゼストは独自のことをやっているし、デス・メタルって呼んだらどうかってね。革命みたいに思っていたんだ。ユニークで特別なことをやっているっていう自負があったから。当時出てきていたヘア・バンドみたいなくだらないものへの反発もあったし。あの頃もちろん好きな音楽はたくさんあったけど、俺は俺自身の音楽をやりたかったし、俺にとって十分に速くて十分にヘヴィなバンドは見当たらなかったから、それなら自分たちでやろうと。とても差し迫った欲求だったのさ。

川嶋:ちなみに「スラッシュ・メタル」という言葉を初めて聴いたのはいつだったか、記憶にありますか。

ジェフ:メタリカが出てきた時じゃないかな。いや、エクソダスだ。

川嶋:何年のことですか。

ジェフ:81年か82年。80年だった可能性もある。

川嶋:当時のベイエリアの雰囲気はいかがでしたか。83年にメタリカが引っ越してくるわけですが、やはり新しいムーヴメントが起こっているという興奮が感じられたでしょうか。

ジェフ:それは明らかにあった。革命みたいに感じたよ。何か特別なことをやってると感じていたし、自分たちがそのムーヴメントの一部という自覚もあった。もちろんメタリカも好きだったけれど、やっぱりエクソダスがベイエリア・スラッシュ・メタルのアンダーグラウンドの王様だったよ。俺たちはエクソダスが大好きだった。メタリカが引っ越してきて、商業的に成功して、さまざまなドアを開けたのは確かだ。エクストリーム・メタルがマーケットを席巻して、より多くの機会が開けたね。そうそう、エクソダスの曲の中で、ポール・ベイロフ(とジェフは発音)が、”Death Metal is all that you need”って歌うパートがあるよね。そのフレーズが俺の頭に残っていた可能性はあると思う。俺たちは、過去に使われていない言葉が欲しかっただけなのだけど、この曲が頭にあったかもしれないということは言っておきたい。

川嶋:そう聞き間違えていたと言うことですか。

ジェフ:どういうこと?”Death Metal is all that you need”っていうフレーズがあるよね。エクソダスに。

川嶋:あのパートは”Intense metal is all that you need”のはずです。

ジェフ:そうなのか!(笑)実は先日エクソダスを聞いていて、もしかしたらこれが頭に残っていたのかと思ったんだ。だけど、当時確実に過去に使われてない単語をということで「デス・メタル」を選んだはずだったから、不思議に思っていたんだよ(笑)。で、さっきも言ったみたいに、ポゼストが世界で唯一のデス・メタル・バンドというつもりだったんだ。実際に4−5年はその通りだったよね。『Scream Bloody Gore』が出たのは87年だろ。おそらくこの話は聞いたことがあると思うけど、俺たちがデモを出した時に、初めてやりとりをした相手の一人がチャック・シュルディナーなんだ。当時まだマンタスというバンド名でね。彼は「デス・メタル」という新しいスタイルにとにかく興奮していた。チャックは実際にサンフランシスコにやってきて、ポゼストのファンクラブ会長、Krystal Mahoneyの家に住んでたこともあるんだ。それでソファーに座って、色々とリフを聴かせてくれたよ。パーティをしたり、お互いのリフを聴かせあったり。それから数年後、のちに『Scream Bloody Gore』に収録される曲の原型を聴かせてくれてね。「ジェフ、まさに君みたいだろ」って、とても誇りに思っている感じで。だから、いろんな意味で、チャックは俺にとって、デス・メタルがジャンルになるのに大きく貢献した最初の天才、人物なのさ。チャック以前は、デス・メタルというのはポゼストのことでしかなかった。ポゼストだけではジャンルになりようがない。その次のステップとして、デスがポゼストとともに、さまざまなバンドに影響を与えて、デス・メタルというジャンルを始動させたのさ。チャックのことはとても誇りに思うよ。ポゼストが彼にイニシエイションを施したのだからね。

川嶋:確かに87年当時、初めてデスのアルバムを聴いたときは、非常にポゼストに似ていると思いました。

ジェフ:当時多くの雑誌が、すぐにクローンという言葉を使いたがったものだよ。俺たちは、やたらとスレイヤーのクローンだと言われたけど、まったく意味がわからなかった。音楽的には一切スレイヤーからの影響はなかったからね。スパイクとか、そういう面での影響はあったけど、それにしたって、キッスやジューダス・プリーストもやっていたものだし。ただジーンズとTシャツでステージに上がるというのではなく、俺たちは色々と気を使っていたから。スモークや火とか、血を吐いたりとか。だけどメイクアップはしなかったな。ベイエリアでは、メイクアップはタブーだったんだ。初めてスレイヤーがやってきた時に、彼らはメイクアップをしていたんだ。観客はみんなペーパータオルを投げつけて「メイクをとれ!」って叫んでいたよ(笑)。俺たちはそういうことに容赦がなかったんだ。気に入らないと、客がみんなステージに背を向けてさ。帰らないんだよ。ただステージに背を向けるんだ(笑)。スレイヤーは初めてバリアを破ったバンドだったと言える。スレイヤーより前は、ロスのバンドはすべて嫌いだったからね。ポーザーばかりで。今考えればすべてのバンドがダメだったわけではないのだろうけど、俺たちはメタルにはうるさかったから。スレイヤー、それから引っ越してきたメタリカが、LAのシーンの門を開いたと言える。LAは今や世界でもっともヴァイオレントなデス・メタル・シーンがあるけどね。

川嶋:当時ジェフ・ハンネマン自身が「ポゼストはスレイヤーのクローンだ」と発言しているのを読んだ記憶があります。やはりポゼスト人気が高まり、スレイヤーの地位を脅かす存在になっていたからだと思うのですが。

ジェフ:彼がそんなことを言っているのを聞いたときは、正直びっくりしたよ。スレイヤーとは最初の2枚のアルバムでも一緒にツアーをしたし、共演する機会は多かった。確かに俺たちはスレイヤーに近いところまで行っていて、ブレイクする寸前だった。次のスレイヤーはポゼストという感じでね。残念ながら、俺たちは解散してしまい、さらに俺は撃たれてしまうのだけど。ジェフとはとても良い友達だったのだけど、俺たちがスレイヤーから影響を受けたというのはまったくの間違いだよ。『Seven Churches』の曲は、すべてスレイヤーを聴く前に書いたのだからね。

川嶋:あなたのヴォーカル・スタイルは非常に独特のものですが、どのようなヴォーカリストから影響を受けたのでしょう。

ジェフ:やっぱりいろんなパンクとか、モーターヘッドだね。俺たちは、地球上で最もヘヴィなバンドをやろうとしていたわけだから、こういうスタイルがぴったりだと思ったし。

川嶋:具体的に影響を受けたヴォーカリストはいないのですか。

ジェフ:まあ、もともと俺はこういう声なんだよ(笑)。こういう声でしか歌えないんだ。ヴォーカリストがいなかったから、とりあえず俺が歌ってさ。音楽はとてもヘヴィだったから、こういう風に歌うべきだと思ったように歌ってみたんだ。マイクを高くして歌っていたのはレミーの影響だけど、ポゼストの音楽はもっとヘヴィだったし。スタイルに合った歌い方をした結果がこれだったのさ。

川嶋:ベイエリアにはイーヴルなバンドはほとんどいなかったですよね。あなたたち以外だと、Desecrationくらいでしょうか。

ジェフ:Desecrationは、ポゼストのローディたちが始めたバンドなんだよ。Bobby Yostは、俺たちのロード・クルーだったんだ。Desecrationというバンド名も、ポゼストの歌詞に由来してるのさ。”Desecration, In Love with Satan”。(注:厳密には"Tribulation, In Love with Satan, Desecration, Come to Salem"。『Beyond the Gates』収録の「Tribulation」。)彼らは俺たちよりも数年後だよ。サタニズムということに関しては、ヴェノム、スレイヤー、そしてポゼストが最初のバンドなんじゃないかな。

川嶋:86年のセカンド・アルバム『Beyond the Gates』では、多少のスローダウンが見られます。これはスピードよりもヘヴィネスを重視した結果だったのでしょうか。

ジェフ:俺たちは1つのやり方、1つのスタイルにこだわらないということを大切にしていたんだ。だから、音楽的にクリエイティヴなことをやる余地が常にあった。当時の2枚のアルバム、それから『The Eyes of Horror』は、それぞれ違ったスタイルさ。新しいアルバムを作るときは、それまでの作品をすべて取り込むこともできるし、まったく別のことをやることもできた。俺たちは、より多様なスタイルへと発展して行っていたんだ。それから当時、ティッパー・ゴアがPMRCを立ち上げて、アルバムに”Parental Warning”を表示するなんていう馬鹿げたことを始めていた。そんなものは、むしろ勲章さ。だけど、俺たちのアルバムやTシャツが、逆十字が描かれているという理由で、店頭から撤去されてしまってね。だから『Beyond the Gates』では意図的に、というかそうせざるを得なかったんだけど、ジャケットには逆十字を描かなかったんだ。そうしないとアルバムを売ってもらえないからさ。

川嶋:続く『The Eyes of Horror』EPでは、クリーンな音質が印象的でした。

ジェフ:あの作品はジョー・サトリアーニがプロデュースをしたからね。クリーンである理由の大部分は、彼がデス・メタルがどういうものか知らなかったということだよ。彼がああいうサウンドを好きだったし、実は俺もあのプロダクションはとても気に入っている。(ニュー・アルバムのミックスとマスタリングを担当した)ピーター・テクレンと昔のアルバムの話をしたんだよ。俺は「『Beyond the Gates』はもともととてもヘヴィなギター・サウンドでプレイされていのだけど、何らかのミスがあって、録音されたギターからはオリジナルのヘヴィさは得られなくなってしまった。だから、音質的にショボい部分はあるのだけど、俺はあのアルバムが大好きだ」という話をした。そしたらピーターが、「『The Eyes of Horror』は何があったんですか?あの音質は酷いですよね」なんて言うからさ、「そうかな?俺は割と好きだよ。後から振り返ってみると、サウンドはクリーンだけど」って。確かにあの時、バンド内での会話もほとんどなくなっていて、マイクがスタジオにいるのも見かけなかったし、レーベルとの契約としても最後の作品だったのだけど、それでも俺たちはこの作品に打ち込んでいたよ。俺はあれのプロダクションも作品自身も大好きさ。確かにジョー・サトリアーニ色は強いし、ラリーが書いた曲が多くなっていたのも確かだけどね。

川嶋:当時、あなたの発言ではないかもしれませんが、ポゼストのインタビュー内で「自分たちはサタニックなバンドではない」という発言があった記憶があるのですが。

ジェフ:いや、『Beyond the Gates』あたりからやろうとしていたことは、サタン以外のトピックも扱うということさ。戦争やドラッグ、狂気とかね。1つのことにとらわれるのではなく、もっと多様性を持たせるという意味さ。とはいえ、『Beyond the Gates』の頃も、ほとんどのテーマはいつでもサタンだったけどね。つまり、俺は変わっていないと言うこと。これが俺のやり方だし。

川嶋:80年代の作品の中では、どれが一番お好きですか。

ジェフ:『Beyond the Gates』だね。理由は多様性があって、メロディもあって、音楽的にも優れていると思うから。まあでも全部好きだよ。『Seven Churches』のヘヴィネスは、俺の真のスタイルを体現していると思うし。「Holy Hell」はとてもエピックだし、たくさんのパートでできているよね。歌詞は、リスナーの頭の中で絵が浮かび、旅に連れて行くような感じだし。例えば、新作でも「オーメン」の歌詞なんかは一切の繰り返しがないんだ。最初から最後までがストーリーになっていて、繰り返しがないのさ。完全な一方通行。意味わかるかな。サビでの繰り返しもなくて、最初から最後まですべて違う歌詞で、長いストーリーになっているんだ。

川嶋:ポゼストの最初の解散は何年のことですか。ソースによってさまざまな説があるのですが。

ジェフ:どうだろう、88年か89年くらいじゃないかな。はっきりわからないな。

川嶋:解散に至った決定的な理由があったのでしょうか。

ジェフ:ある日、リハーサルに行ったら、みんながとても静かなんだよ。ラリーがポゼストを辞めて、ブラインド・イリュージョンに入ると言うんだ。俺は新しいギタリストを探さなくちゃと思ったのだけど、マイク・トレイオもマイク・ススも、普通の生活をしたいから辞めると言い出したんだ。ススは大学を卒業したい、そしてシーンにウンザリだと。トレイオは、父親とのビジネスをやりたいと。彼の父親はハウスキーピング・ビジネスでとても成功しているビジネスマンだった。とてもがっかりしたけれど、俺は彼らの決断をリスペクトしたかったし、人にはそれぞれの人生があるからね。彼らのことは兄弟のように思っていて、大好きだったから、心は痛んだよ。やめないでくれとお願いしたのだけど、彼らは去っていったんだ。

川嶋:80年代終わり頃からのデス・メタル・ブームをどう見ていましたか。先ほど名前の挙がったデスを筆頭に、オビチュアリー、モービッド・エンジェルなど、さまざまなバンドが出てきました。

ジェフ:とてもエキサイティングだと思ったよ。実は、俺はオビチュアリーのファースト・アルバムのプロデュースと、バッキング・ヴォーカルをやる予定だったんだ。(注:実際にはサード・アルバム『The End Complete』と思われる。)だけど俺は退院したばかりで、9ヶ月も入院していてモルヒネを打ったりもしていたから、まだめちゃくちゃな状態でね。実現できなかった。とてもやりたいとは思っていたんだけど。それに当時Debbie Abono(注:80年代にポゼストのマネージャーをやっていた人物。エクソダス、ヴァイオレンスなどのマネジメントなども手掛けていた。)がオビチュアリーのマネージャーもやっていたし。オビチュアリーやデスみたいなバンドは最高だと思ったよ。やっとデス・メタルが人気を博したからね。彼らのことはとても誇りに思っているし、大好きだよ。

川嶋:今のメタル・シーンについてはいかがでしょう。若いバンドでお気に入りはいますか。

ジェフ:この間一緒にやったバンドが凄く良かったんだけどな。バンド名が思い出せない。ちょっとインターネットで調べてみるよ。俺たちのオープニングをやってくれた3人組だったのだけど。見つけられるかな。ちょっと待ってくれ。そうだ、Necrotだ。まあ、俺は曲作りをしているときは、他のバンドは聞かないようにしているんだ。あ、あとペスティレンスは大好き。


川嶋:若いバンドと言えば、80年代当時あなたはまだ高校生だったんですよね。今のシーンからは想像がつかないくらい、みんな若かったと思うのですが。

ジェフ:そうだね、俺たちはキッズだったよ。とても反抗的で、”Fuck the world”みたいな、サタニックなデス・メタルをやりたくてさ。革命的なことをやりたかったし、自分たちのやっていることを信じていた。アンダーグラウンドでは、本当にたくさんのことが起こっていて、みんなが競争していたよ。俺たちの方がヘヴィだぞって。確かにヘヴィなバンドはいたけれど、俺は「どうせやるなら極限までやってやれ」と思っていたな。

川嶋:お気に入りのアルバムを3枚教えてください。

ジェフ:『Bonded by Blood』。『Motorhead』。『Black Sabbath』

川嶋:やはりどのバンドもファーストが最強ということでしょうか。

ジェフ:そういうこと(笑)。

川嶋:では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。

ジェフ:コンニチハ。ポゼストのジェフ・ベセーラです。5月10日に俺たちのニュー・アルバム『レヴェレイションズ・オブ・オブリヴィオン』が出るのでぜひ買ってくれ。次回また日本に行ったときは、ぜひ見に来てくれ。

 ジャンル名の起源を特定するのは容易ではない。「ブラック・メタル」のように、諸説が一切入り乱れないケースの方が稀だろう。「デス・メタル」の起源についても諸説ある。英語版ウィキペディアを見てみると、ポゼスト起源説の他に、ヘルハマー/セルティック・フロストのトム・G・ウォリアーがやっていた『Death Metal』というファンジン起源説、さらにそこからタイトルを借用したオムニバス・アルバム『Death Metal』起源説、デスのデモ『Death by Metal』起源説などが出ている。だが、ジェフ・ベセーラは、これらを一蹴。自分たちこそが「デス・メタル」の唯一の考案者だと主張しているのだ。諸説入り乱れている理由の1つとして、ポゼストのデモ『Death Metal』の発表年が、インターネット上では84年になっていることが考えられる。先述のオムニバス『Death Metal』、デスのデモ、いずれも84年のリリースなのだ。一方、ジェフによれば、『Death Metal』デモを配布しはじめたのは、83年とのこと。インターネットなどあったはずもない35年以上も前のことだ。誰かが詳細な日記でもつけていない限り検証は難しいのであるが、ポゼストが音楽的にもデス・メタルの直接的ルーツということを考え合わせると、「デス・メタル」というジャンル名を考案したのも彼らということで良い気もする。少なくとも、デスは明確にポゼストの影響下あったバンドであるから、『Death by Metal』というタイトルも、ポゼストからのインスパイアと考えるべきだろう。オムニバスの『Death Metal』にしても、ヘルハマーが収録されているとはいえ、他の参加バンドはランニング・ワイルド、ハロウィンと、デス・メタルとのつながりは薄い。また、ジェフが「『スラッシュ・メタル』という言葉を初めて聞いたのは80年頃かもしれない」と発言しているのも面白い。現在、公式に「スラッシュ・メタル」という言葉が使用されたのは、84年2月のKerrang!誌上というのが通説になっている。だが、それ以前からストリート・レベルでは「スラッシュ・メタル」という言葉が使われていたという説も根強く、今回のジェフの発言も、これを裏付けるものだろう。まあ、40年近くも前のことなので、年数まで明確に思い出せるのかというのはありますけどね。

 それはともかく、ポゼストの復活作『レヴェレイションズ・オブ・オブリヴィオン』は素晴らしい内容だ。「復活作は期待できない」というジンクスを完全に裏切る会心の出来。アラフィフのリスナーは、あの頃を思い出して涙が出るはず。もちろん若いリスナーも、ぜひこの伝説のバンドの復活劇を体感してほしい。


取材・文 川嶋未来



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