春の夢

2019年03月18日 (月) 17:00 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第269回


 関東地方の日差しは、すっかり春である。毎年のようにこのコラムでは花粉について嘆いている気がするので今年は繰り返さないが、そういう時期である。
 春は何かと気分がぼんやりする。夢うつつになる。そのせいか、路上ではふらふらと走る車、ぼんやりと歩く人間を見かける。
 そうだ、春らしい夢うつつの気分をますます強めるCDを挙げてみようか。

 たとえば、もう50年以上も前、オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団が来日したときの記録。東京公演と大阪公演の録音が発売になったが、東京のほうから。
 まず最初の「君が代」でたまげる。なんとゴージャスな音色! 恐ろしくなめらかなレガート。そこから、休みを置かずにアメリカ国歌に移行する。こりゃもう、まさしくプッチーニ「蝶々夫人」みたいだ(ついでに、「蝶々夫人」の最後と、「君が代」の最後を比べてみてください)。
 そして、フィラデルフィア管の代名詞でもあった、いや今でもそうか、「トッカータとフーガ ニ短調」。一般的に知られているのはストコフスキー編曲版だが、ここで奏されるのはオーマンディの編曲。ストコフスキーよりもはっきりとオーケストラ寄りの感性の産物だ。ストコフスキーというと、ハデというイメージがつきまとうが、オルガニスト歴があるストコフスキーに対して、根っからのオーケストラの人だったオーマンディの演奏は、むしろいっそうえげつなくオーケストラ的だ。テンポの伸縮も、強弱も、煽り方も。オーマンディ=堅実・中庸という先入観は、見事に木っ端微塵になる。フーガの部分などサスペンス映画、ホラー映画みたい。この録音を聴くと、さんざんショーマンと批判されたストコフスキーが、オルガン音楽の特徴をよく理解し、オーケストラで再現しようという意図も持っていたことがかえってわかるのである。
 オーマンディの演奏だと、この曲がブラームスめいて聞こえてくる。最後の音がぎゅっと押し詰まった感じとか。そういえば、ブラームスもバロックを取り入れたりしていたしね。もともと明快ではあっても色彩感が乏しいはずの放送音源で、東京文化会館収録で、これだけきらびやかな音がするというのはすごい。
 最後に入っているバーバーの「アダージョ」は、ご期待通りにビロードのようになめらか。ハリウッド風というほどには安っぽくないし、センチメンタルでもない。かつてのチェリビダッケとミュンヘン・フィルのような深淵をのぞかせるような演奏でもないが、見事に美しい。これ、アンコールでしょ? 最後まで手抜きなし。
 こんな楽団がやがて経営危機に瀕し、かつての名声を失うとは、誰が予想しただろう。まさに春の夢のごとし、である。なんだかいにしえのフィラデルフィア管が無性に聴きたくなってきた。と言ったところで、今更詮無いことだが。
 大阪での公演もCD化された。オーマンディはハンガリー出身ということで、だから彼のバルトークは使命感があっていいんだ、とかつてはよく言われたものだが、この「オケコン」を聴いても、全然そういう感じの演奏ではない。むしろ、予想外にきらきらした音が出てきてどきりとさせられる。陰気で、厳しくて、近づいたら噛みつかれそうなバルトーク演奏の正反対。こういうのを表面的だと責めた時代もあった。そういうこと言うなら、マリス・ヤンソンスやネルソンスなど、今のショスタコーヴィチ演奏のほとんどは表面的というしかない。時代は変わった。良くも悪くも。今の耳のほうが素直にオーマンディを楽しめるのかもしれない。


 ついでにもうひとつ東京でのライヴ録音を。事故死したゆえに伝説化されたケルテス。その彼がロンドン響と来日したときのライヴ録音。
 実は私は、世評高いケルテスの録音をあれこれ聴いてもこれまで全然感心したことがなかった。腐すほどでもないが、元気のよさ、騒がしさばかりが目立って、気に入らないのだ。若々しいのはいいけど、青臭いのは嫌だなあ。
 ところが、このライヴ録音を聴いて驚いた。「エグモント」序曲が異様に立派なのだ。オーケストラから厚みがある響きが生まれている。まったく慌てず、騒がず、重量感すらある。35歳でこの演奏をしたのか? たいしたものじゃないか。で、快速部分になるとオーケストラが一気に走り出す。すばらしい緊張感、緊迫感。
 アンコールの「トリッチ・ポルカ」の活発な演奏から、拍手も終わらぬうちにゴージャスな「蛍の光」へとつながり、再び拍手が起きる。当時の聴衆の興奮が伝わってくるようだ。海外のオーケストラの来日が、文化的な事件であり使命であった時代の匂いがする。なんか、それが感動的。
 音質も1964年とは思えないほど明快。


 さらにもうひとつ、夢みたいな演奏を。チェリビダッケの「ダフニスとクロエ」。
 もうだいぶ前に発売された盤、それも今更チェリビダッケの、それも彼の得意中の得意だったラヴェル演奏を取り上げて褒めるのもなあ。そうは思うのではある。けれど、いざ聴いてみれば、やはり感嘆するしかない。
 いやもう「ダフニス」の最初の音が鳴り出した瞬間に息をのむ。ひとつひとつの音の異様なまでの存在感。こうでなくてはならないという確信。微妙な音の伸縮の薄気味悪さ、艶めかしさ。
 やがて登場する合唱。声とは、空気の震えだ。風だ。と同時に、嵐であり、暴力だ。そういう声の原初的な力。
 大量の情報量が起伏する「夜明け」は、超現実的な、現実なのに非現実という感じが強烈。現実としての音を追及すると、現実のように感じられなくなる矛盾。この作品、この演奏には、ベートーヴェンのような信念や、ブルックナーのような信仰や、マーラーのような苦難が表現されているわけではない。なのに、圧倒的な感銘を与えられる。どうして音が大きくなるだけで、心が動かされるの? なぜ静かな音が心をざわつかせるの? 消えていく音が悲しいの? そういう音楽の一番根っこにある不思議さに向かい合わされる。
 「ラ・ヴァルス」の羽毛のような柔らかい響きも、思わずぞくっとするほど。空気に色がついているみたい。ただ、ところどころ、音量が変に大きくなるのはなぜ?

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

評論家エッセイ情報
オーマンディ
ケルテス
チェリビダッケ
『ダフニスとクロエ』第1組曲、第2組曲、ラ・ヴァルス、クープランの墓 セルジウ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル

CD輸入盤

『ダフニスとクロエ』第1組曲、第2組曲、ラ・ヴァルス、クープランの墓 セルジウ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル

ラヴェル(1875-1937)

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価格(税込) : ¥2,808

会員価格(税込) : ¥1,490

まとめ買い価格(税込) : ¥1,490

発売日: 2018年09月14日

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