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2014年7月25日 (金)

連載 許光俊の言いたい放題 第234回

マゼールの「ティル」

 なんと、このコラムで書いたばかりのロリン・マゼールが死んでしまった。わずか3ヶ月前にすばらしいコンサートを聴いたばかりだったこともあって、このニュースにはがっかりした。
 しかし、一番がっかりしたのはマゼール本人かもしれない。何しろ、ミュンヘン・フィルの年間プログラムの中で、自分の父は100才以上生きた長寿の家系だから、当然自分もそれくらい生きるつもりでいるといい、万事調子よくて、人生で今ほど自由を感じているときはなかったと語っていたのである。さすが普通ではないバイタリティーというか、楽天的というか、こうでなければ世界的な指揮者などという仕事は務まるまい。実際、ミュンヘン・フィルに限らず、マゼールの指揮予定は、いったいどれほど本気なのかわからないほど、各地であれやこれやの作品が大量に並べられていた。
 とはいえ、この死がまったく予想できなかったわけではない。マゼールの演奏が完全に最晩年のどん詰まりにあることはすでに死の数ヶ月前には明らかだった。彼が奏した「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」には、あのヴァントが最後にハンブルクの定期公演に出演したときのブルックナー第4番と同じ気配が漂っていたのだ(この演奏はCDで聴ける)。そのフィナーレは、それまでのヴァントにない不思議な軽みを帯びていた。最後は、まさに空の中に消えていくがごとき趣を持っていた。煙が空に立ちのぼりいつの間にか空と一体化して消えていくように終わるのである。それとまったく同じ様子がマゼールの「ティル」にはあった。そして、あちこちで現れる休符の虚無感は、やはりベルティーニ最晩年、チェリビダッケ最晩年にも通じるものがあった。死相が表れた指揮者の音楽は変わる。指揮とは神秘である。
 この最晩年様式の「ティル」を聴きながら、私は考えた。自分の人生をこのいたずら者の音楽で締めくくるとしたら、それはまったく何とも気が利いた終え方に違いないと。マゼール本人が自分とティルを重ね合わせていたとは思えないけれども、あの、どんな作品でも奇術師のように手をくるくる回して指揮したり、あげくはわざとらしく指揮台の上で飛び上がってみたり、協奏曲だとことのほか目立つようなことをしてみたりという姿を思い出すにつけ、マゼールが何やらいたずら者っぽく思えてくるのだった。
 ちなみに、マゼールの「ティル」では、昔クリーヴランド管弦楽団を指揮した演奏が透明感があってよい。オーディオ評論家の嶋護氏からもらったCDが手元にあって、これは音質にうるさい氏が太鼓判を押すだけに音もいい。好調だったころのクリーヴランドの技量の高さや均一性もすばらしい。不思議なもので、最晩年の演奏を聴いたあとだと、まだ働き盛りだったマゼールが基本的に昔も同じ演奏をしていたことがよくわかる。よけいなことをせず、音が見通しよく鳴る。淡々としている。なのに立派である。清潔な耽美主義とも言うべき美しさがある。マゼールは、曲によって演奏が激変するが、この場合は、何かどぎついことを期待すると拍子抜けするほどあっさりしている。残念ながら現在は入手難ということだが、じきに再発売の予定があるそうだ。絶対音楽的な音響の構築性を誇るこの「ティル」、かつて絶賛された同じオケとの「英雄の生涯」ともども、マゼールのオーソドックス系名演奏のひとつである。
 マゼールは後年、バイエルン放送響とも「ティル」を録音している。興味深いことに、解釈は全然違う。こちらは、ソロ楽器をクローズアップする録音の効果もあろうが、ずっと描写的だ。ディテールの演劇的なリアリティはたいしたものである。そして、クリーヴランドよりはるかに遅く聞こえるのだが、実際は演奏時間はたいして変わらない。テンポの伸縮が激しく、細部にこだわるために結果として遅く聞こえるのだ。
 実はバイエルン放送響は、確かに腕はよいのだが、表情の豊かさやいきいきした感興という点では、まったく禁欲的な楽団である。常にどこかしらっとした雰囲気がある(ついでに言うと、北ドイツ放送響もそうである)。それが理由で、私はこのオーケストラが好きではないのだが、マゼールの下、精一杯がんばっている。楽団員がこれでもかと遊んでくれたら実に痛快だったろうに、やっぱり顔つきがまじめだ。私などいろいろな授業をやっているから想像できるのだが、妙にノリがよいクラスがあれば、勉強はちゃんとやるけどおとなしくてつまらないクラスもある。バイエルン放送響は後者のタイプなのだろう。ま、人にはいろんなタイプがいるものです。
 とはいえ、これほどまでに手に取るように細部の意味がわかる演奏がまれなのは確かだ。スタイリッシュで上品で美しいクリーヴランド、リアルで描写的なバイエルン、聴き比べるのは一興である。

 ところで、リヒャルト・シュトラウスの作品は、案外個性的な演奏が少ない。この前、昔「悲愴」を徹底的に聴き比べたという話を書いたが、「悲愴」のような曲では、たいがいの演奏はまあ大同小異だが、ムラヴィンスキー、チェリビダッケ、メンゲルベルク、オフチニコフなどなど、強烈に個性的な演奏がいくつも存在する。だが、シュトラウスの場合、指揮者の表現の振幅は案外狭い。
 実はそれが、私が今年初めに発表した「クラシック魔の遊戯 あるいは標題音楽の現象学」(講談社)という本を書く際に悩んだ点でもあった。この本は、標題的な要素がある超有名曲、つまり「四季」「モルダウ」「幻想交響曲」「展覧会の絵」をネチネチじくじく嫌になるまで聴き比べるという、ほとんどスポ根特訓的な内容なのだが、当初は当然のことながら標題音楽の大家シュトラウスの「ティル」か「ドン・ファン」も含めるつもりだったのである。
 ところが、改めて多くの録音を聴き進めていくうちに明らかになったのは、案外こうした曲を超描写的に演奏したり、あるいはプログラム的な内容を完全に無視して演奏したりする指揮者はいないである。これでもかとティルのいたずらで馬鹿騒ぎしたり、ドン・ファンのネトネトの官能世界を強調したりはしない。バッハみたいに演奏したりもしない。それゆえ、聴き比べの対象としては断念せざるを得なかったのだ。
 この本は、何しろ書き上がるまでほとんど15年かかったのだが、おもしろいことに、読んだ知人数人からすぐに「今まで出した本の中では一番よいのでは」という反応があった。執筆でも演奏でも、他人の感想というのは本人とは違うもので、私としては「そんなものかな」と思うほかない。案外、本人としてはよいと思っているものが褒められなかったり売れなかったりするものである。「魔の遊戯」の場合、大方の読者にとってちょっと執拗すぎてくどいんじゃないかと想像していたが、そうでもないらしい。「四季」「モルダウ」「幻想」「展覧会の絵」に興味がある人は一読の価値があると自負するけれど、いろいろな演奏に関して、容赦なく(というか、私としてはごく当たり前に)問題点を指摘しているので、自分が好きな演奏をけなされたくない人は読まないほうがよいだろう。

 マゼールに話を戻すと、私も含めてかつてマニアが彼に注目していたのは、時として見せてくれる異様な演奏ゆえであって、この手のどぎつい方面の演奏では、たとえばプッチーニの「トスカ」など、冒頭のスカルピアを表す主題からして思わずニヤリとさせられる愉快さだ。フィッシャー=ディースカウの、これでもかとセコい悪者の歌はまったくプッチーニに聞こえない。主役はワーグナー・ソプラノのニルソン、その恋人は典型的なイタリアのテノールのコレッリという驚くべき組み合わせのキャストである。歌も指揮も数ある「トスカ」の中でも屈指のおもしろさである。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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