OWL RECORDS ほか 初期の作品から (1980 - 1985)
こちらの写真、ペトルチアーニを抱きかかえるのはハルク・ホーガンでもなければ、勿論ローラン・ボックでもない。キャリア初期のペトルチアーニがOWL、Rivieraなどに吹き込んだ諸作品でドラムを叩いていた、イタリアのベテラン・ドラマー、アルド・ロマーノだ。作曲家としても多作なアルドは、実質的なリーダー・デビュー作と言える『Michel Petrucciani』やソロピアノ作『Oracle's Destiny』などでハイライト的な楽曲をいくつか提供している。つまり最初期におけるペトルチアーニの最良の音楽パートナー(=理解者)だったということだ。
のちにここ日本では”赤ペト”と呼ばれ親しまれる『Michel Petrucciani』は、19歳という余りある若さとその情熱で押しまくりながらも随所で叙情性香る美的センスが光る、まさに”将来を有望視せずにいられない”一枚となっている。そのほかOWLには、リー・コニッツ御大とのデュオ録音『Toot Sweet』、ビル・エヴァンスに捧げた初ソロピアノ作『Oracle's Destiny』、多重録音というユニークな手法で挑んだ二枚目のソロ『Note'n Notes』、ペトルチアーニの心の友でもあるベース奏者ロニー・マクルーアとのデュオ『Cold Blues』、都合5枚のアルバムが吹き込まれた。
またOWL以外でのレーベルでは、イタリアのRiviera に『Estate』、カール・ジェファーソン主宰カリフォルニアのConcord に『100 Hearts』(ソロピアノ)、『Live At The Village Vanguard』といったアルバムを残している。
「Michel Petrucciani」 (1981)
1981年4月3,4日録音
ジャン・ジャック・ピュシオー主宰の仏OWLレーベルに吹き込まれた、『Flash』に続く2作目のリーダー・アルバム。オーソドックスなピアノトリオ編成にもかかわらず、ここまで聴く者の心をワシ掴みにするのは、力強いタッチでグイグイと全体をリードし、キャンバスいっぱいに色彩豊かなピアニズムを大胆に描いていくペトルチアーニのギミック一切ナシ、一本筋が通って画然とした勇猛果敢さに他ならず。日本デビュー盤ともなり「赤ペト」の愛称で親しまれて久しい本作。アルド・ロマーノ作の「Christmas Dreams」、J・F・ジェニークラークのベースソロが躍動する「Juste Un Moment」、恰もスティーヴィー・ワンダーに追随するかのような至極ユニバーサルなメロウ・ソウルを紡ぎ上げる「Gattito」など、その美しさと情熱の温度は永遠。ゆえにいつ聴いても新しい発見がある。
「Oracle's Destiny」 (1982)
1982年10月18日録音
この詩情は果てしなく・・・と言ってしまえばあまりにも平たくなってしまう。ペトルチアーニの心の奥を覗き見ているかのような一音一音とその間に心酔しながらも、そこには耽美やロマンティシズムを超えた何か得体の知れない情緒が潜んでいるのでは、と折に触れハッとさせられる。ビル・エヴァンスに捧げた初のソロピアノ・アルバムではあるが、名器ベーゼンドルファーを弾きながらゆっくりと自己との対話を愉しんでいるかのような印象も。ペトルチアーニ本人は「この頃はまだソロピアノを吹き込むほどの力はなかったんだけど・・・」とこの当時を振り返っているが、二十歳そこそこの若者らしさが出ているという意味でも実に奥ゆかしく愛らしい。大好きなエヴァンスに殊の外なりきってみせた(であろう)「Mike Pee」にほんのり漂う青春の香りが好きだ。
「Estate」 (1982)
1982年3月29,30日/4月16日/5月5日録音
明るい前途が目の前に広がっていくかのような、所謂ペトルチアーニ節でもある底抜けに陽気でスケールの大きなサウンドスケープ。まさにその真面目であろう「Pasolini」、コロコロとよく転がるアドリブに思わず天晴れの高速サンバ「Samba Des Prophetes」、師(というかマイメン)チャールズ・ロイド作の「Tone Poem」など、「なるほど爽快!」と大声上げて膝を打つ人気曲を収録。ほか、美しい和音を駆使しながらゆったりとスウィングする自作曲「I Just Say Hello」、エヴァンスの「Very Early」、ジョアン・ジルベルトが歌ったことでよく知られる伊太利小唄「Estate」などかなりバラエティに富んだ内容となっている。いくら何でも本作を聴けば、「エヴァンス派→ リリカル≒どこか内気で湿っぽい」という杓子定規な捉え方を改めざるを得ないだろう。
「Live At The Village Vanguard」 (1984)
1984年3月16日ライヴ録音
エヴァンス解釈のユニークな一例として。聖地ヴィレッジ・ヴァンガードにやって来たピアノの妖精にそれは瞬く間に憑依。おなじみ「Nardis」は滑り出しのカデンツァを経てようやくその骨格を露にする。激しく硬質なタッチから生まれる新たな緊張感。キース・ジャレットのヨーロピアン・カルテットをはじめ数多ECM作品で妙技を残すパレ・ダニエルソン(b)と、70年代のエヴァンス・トリオを支えたエリオット・ジグムンド(ds)のリズムが主役ピアノにキビキビと呼応する。それまでのアルド・ロマーノを擁したトリオ時とは異なる、どことなく”大人びた”感じのペトルチアーニが味わえると言ってもいいかもしれない。勿論”すかした”という意味ではなく、より伸び伸びとしたフォームで動き回りながら次へのステップを見出した、という意味で。エヴァンスのみならずロリンズ「Oleo」の解釈もまた痛快無比。ちなみに、オリジナルとなる「Say It Again And Again」は、当時の岩浪洋三先生をして「ナウなのである」と。
BLUE NOTE 期の作品から (1986 - 1994)
泣く子も黙る天下のBlue Noteも70年代末には時代の流れから取り残され苦汁をなめる(1979年活動停止)。が、その後CBS〜エレクトラを渡り歩いた敏腕ブルース・ランドヴァルの社長就任
(同時に若きジャズ評論家マイケル・カスクーナが”カタログ復刻隊長”に大抜擢)によって80年代半ば、名門復活を高らかに宣言することとなった。そんな新生Blue Noteのニュースター急先鋒として白羽の矢が立てられたのが、1985年に同レーベルと契約を結んだペトルチアーニだった。
意気揚々と新しいスタートを切ったペトルチアーニは、この時期を境に自らの音楽をさらなる高みへと昇華していった。パレ・ダニエルソン、エリオット・ジグムンドとの『Pianism』を名刺代わりに、ジム・ホールとウェイン・ショーターという二大巨頭との共演盤『Power of Three』、さらにはエディ・ゴメス、ゲイリー・ピーコック、アル・フォスター、ロイ・ヘインズという二組の黄金リズム・セクションにジョン・アバークロンビーを加えた陣容、その錚々たる名前に”食われることなく”アイデンティティをピアノに託し放出しまくった『Michel Plays Petrucciani』と、昔からのアイドルでもあるビッグネームとの交歓を心底愉しむペトルチアーニの姿がある。
マイルス・デイヴィス・グループで活躍していたアダム・ホルツマンの助力を得てから表現力はより自由度と強度を増した。自他共に認める人気曲「Looking Up」がオープニングを爽快に飾る『Music』、「September Second」、「Miles Davis' Licks」を収録した『Playground』。この2枚のアルバムがアメリカはもとより母国フランスでもクロスオーバー的に大ヒットを記録したことにより、ペトルチアーニは名実共にスタープレイヤーの仲間入りを果たしたと言ってもよいだろう。
ほか、ピアノを弾くきっかけとなった永遠のアイドル、デューク・エリントンの愛奏曲を”傷心”の向くままソロピアノで奏でた『Promenade With Duke』、同レーベルからの最後のリリースとなったライヴ盤『Live』をBlue Note に残している。また、1985年のレーベル復活を祝した、レーベル・アーティスト総出による記念コンサート『One Night With Blue Note』、レニー・ホワイトの呼びかけでウェイン・ショーター、スタンリー・クラーク、ギル・ゴールドスタイン、ラシェル・フェレルといった豪華なメンツが顔を揃えた『The Manhattan Project』(1989年録音)といったオールスター・セッションにもペトルチアーニは参加。特に後者における生き生きとしたプレイは一聴(一見)の価値アリ。
「Pianism」 (1986)
1985年12月20日録音
上掲ヴィレッジ・ヴァンガード・ライヴ後に吹き込まれた、新生Blue Noteを象徴する一枚にして、ペトルチアーニの名をお茶の間にまで一気に知らしめた”決定盤”。チャールズ・ロイドと袂を分かった後のパレ・ダニエルソン(b)、エリオット・ジグムンド(ds)とのニュートリオは、それまでペトルチアーニに纏わり付いていたであろうある種のしがらみや胸のつかえ諸々からようやく解き放たれた、そんなカミシモを脱いだ余裕あるアンサンブルを随所に感じさせる。オープニングの「The Prayer」、当時の奥方に贈ったという「Our Tune」、エリス・レジーナに捧げた「Regina」など、オリジナル・コンポジションはいずれも作曲家としての才がさらに大きく花開いたことを伝える。誤解を恐れずに言えば、ブルーノートはじめ巻き返しを図る様々な商業主義がペトルチアーニのようなスター候補生を抱え込もうとする意思は無論ショウビズの世界では「アリ」なことなのだが、ペトルチアーニの音楽に対する情熱やそこに秘めた可能性は、そんな80年代アメリカの行き過ぎた消費構造を嘲笑うかのように膨張し化け続ける・・・
「Music」 (1989)
1989年録音
ツアーを共にしていたアル・フォスターを介しマイルス・デイヴィスと何度も接見したことは有名であり、マイルスにとってもペトルチアーニは「あまりにも愛おしいピアノの化身」、プリンス殿下以上に入れ込まん「Little Motherfucker」であったに違いない。そんなマイルスやその参謀たちとの出会いによって生まれたポップでフュージョナルなジャズの形。いや、そこにはもうジャズという”頚木”はない。TUTUバンドからマイルスを支えたアダム・ホルツマンのシンセが趣味のいいレースのカーテンのように全体をふんわりと包み込む。ブラジリアン・ライクな「Looking Up」が蒼天をかける。エヴァンスでもキースでもない真に独自のサウンドを手に入れたペトルチアーニの、青春の覇気うるわしく。全曲オリジナル、さらに曲毎に演奏陣を入れ替えるというところからも創作意欲がひとつのピークに達したことを強く感じさせる。だからしてここでは特段ジャズに固執する必要もなかったのだろう。「My BeBop Tune」、「Bite」、「Happy Birthday Mr.K」では、いずれも八十八鍵を表情豊かに転がしまくる痛快なアドリブに天を仰ぐ。その一方で、タニア・マリア客演の「O Nana Oye」、どファンキーな「Play Me」のような世界も混在。ペトルチアーニにとっては、前作『Michel Plays Petrucciani』からさらに一歩踏み込み、自己表現としての音楽の限界を超えてみようという”おたのしみ”チャレンジでもあったはず。
「Playground」 (1991)
1991年録音
マイルスがこの世を去った年に産声を上げた本作には、帝王ラスト・イヤーズの遺志を継いだか定かではないが、ジャンルレスという意味合いにおいて昔気質のジャズとは一旦距離を取ったかのような楽曲がズラリと並ぶ。「September Second」、「Home」という冒頭2曲の流れは、時代に乗り損ねたジャズ喫茶の愚痴を尻目に、まさに多様・細分化していく90年代の音楽モデルの在り方を流麗に語るかのよう。アダム・ホルツマンがシンセの”あの”ヒット音を天国(あるいは地獄)に向かって打てば、ペトルチアーニ含む帝王党は体中の全細胞が覚醒し狂喜する。気付けばオマー・ハキムやスティーヴ・ソーントンといった連中も傍らに陣取っているのだから恐れ入る。「Miles Davis' Licks」は最高にヒップ、且つシャレの効きまくったトリビュート。すでに定番となったブラジリアン組曲も快活なら、アンソニー・ジャクソンの地を這うようなベースに一票の「Contradictions」も腰にくる。時代の音と上手に戯れるフレキシブルな姿勢や持って生まれた社交性などがきっちり作品として結実するアーティストというのも実に稀だ。がゆえの妖精であり、天才であり。アルド・ロマーノによる木漏れ日のように柔らかな円舞曲「Rachid」もお見事。
「Live」 (1994)
1991年11月ライヴ録音
10年に及ぶアメリカ生活で培った経験、智恵、スキル、ノウハウ、全てを吐き出すべく登場した地元凱旋公演、フランスは「The Arsenal in Metz」でのファイト一発クインテット・ライヴ録音。但し帝王無き後の世界に、アダム・ホルツマンと掛け合う「Mile Davis Licks」は意外にもマイルドにこだまする。その他の演目においても、「激しいだけじゃないペトルチアーニ」という点で極めて爽快で滑らかな後味が残る。割れんばかりの拍手をもって迎えられる「Contradictions」、「Bite」、「Looking Up」と、リズムコンシャスなバンド・サウンドながら、そこには鍵盤を強烈にヒットしてきたペトルチアーニの姿はない。三十路を直前にした一握の感慨深さなりペーソスなりがあったのだろうか? それとも大企業特有の閉塞感に辟易していたのか? 何とも言えない心持ちが指先から音に伝わっていく。実際このアルバムを最後にペトルチアーニはブルーノートを離れることとなる。しかしながら本作、当時のグループとしてのまとまりのよさを如実に顕したものとしてはピカイチの内容だ。
DREYFUS JAZZ 期の作品から (1994 - 1999)
大企業Blue Noteでの活動と忙しない都会暮らしに終止符を打ったペトルチアーニは、故郷を活動の拠点とするため13年ぶりにフランスに帰国した。そこでも大きな出会いが。フランシス・ドレフェスがオーナーを務める新興レーベル、Dreyfus Jazz から契約を持ちかけられたのだ。資本は小さいながら誠実な作品制作に定評のある地元レーベルからの真摯な誘いを断る理由などナシ。心も体もリセットでき、なお且つ新興レーベルならではの風通しの良い環境で自由に伸び伸びと再び新しいことにチャレンジできると確信したペトルチアーニ。本人自ら「アコースティック回帰を打ち出した」という移籍第1弾のアルバム『Marvellous』は、トニー・ウィリアムスとデイヴ・ホランドというこれまた強力なリズム・セクションを迎えたピアノトリオに、ストリングス・カルテットをブツけるというユニークな発想でファンを驚かせた。
ジャンゴ・ラインハルトの相棒としても知られるヴァイオリン奏者ステファン・グラッペリとの『Flamingo』、仏ジャズ界のハモンド・オルガン始祖エディ・ルイスとの『Press Conference』、後年未発表音源としてリリースされたニールス・ ペデルセンとのデュオ・セッション・ライヴ(1994年)など、かつて自らのアイドルだった巨匠との共演はこの時期もまるでライフワークのように続けられている。続編も作られた『Press Conference』ではペトルチアーニのオルガニストとしての確かな腕前もチェックすることができる。またDreyfusでは2枚のソロピアノ・アルバム『Au Theatre des Champs- Elysees』、『Solo Live』(9年後に完全盤として再登場)をリリース。いずれ劣らぬ素晴らしい内容につき万難を排して入手すべき。
スティーヴ・ガッドとアンソニー・ジャクソン、天下無双のリズムマスターとのラスト・トリオは、筆舌に尽くしがたい名演をいくつも残した。ペトルチアーニ 長年のラブコールがガッドに届き、ついに念願叶った初共演レコーディング作『Both Worlds』、1997年ドイツ・シュトゥットガルトでのライヴ映像『Live in Germany』、そしてこのトリオによる最初で最後の来日公演となった『Trio in Tokyo』。実際に作品として世に出たものはその3枚にとどまるが、いずれにおいても当代最高のトリオ・アンサンブルを手に入れることができたペトルチアーニの歓びいっぱいのピアニズムが溢れ返っている。
「Both Worlds」 (1997)
1997年8月23〜25日録音
フラヴィオ・ボルトロ(tp)、ステファノ・ディ・バティスタ(ss,as)、二人のイタリア人ホーンプレイヤーの名を日本のジャズ・ファンの間に浸透させた一枚でもある。スティーヴ・ガッド&アンソニー・ジャクソンという最強のリズム隊を手にしたペトルチアーニだったが、トリオという枠に収まらずドン欲なまでに自己サウンドの可能性を追求する。職人ボブ・ブルックマイヤーのトロンボーンを加えた厚みのあるセクステットで録音に臨み、様々なタイプのフォーマットを楽曲毎に使い分けることで、そこに自然とメリハリが生まれる。さらにアレンジを全てブルックマイヤーに任せたことで、欧州フィールと米国フィールの完全対比〜融合の世界「Both Worlds」がものの見事に成立。個性の強いピアニストが陥りやすい恣意的でナルシスティックな独壇プレイとは異なり、ペトルチアーニのピアニズムにおけるコミュ力がいかに突出しているかを改めて窺い知るだろう。魔法のような16ビート、8ビートを操り律動街道を驀進するガッドの業師ぶりは言わずもがな。途中4ビートを交えながら超シュアな16分をキープするオープナーの「35 Seconds of Music And Move」から早アゲアゲ。ペトルチアーニのテンションもきっとMAXに近かったはず。サンバもファンクもこの無敵艦隊の手にかかればワンランク上のイロツヤキレをたぐり寄せるというもの。後半2曲にスパイスとしてひとまぶしされたラテン〜カリプソ、中近東(?)フレイヴァも新味。
「Trio In Tokyo」 (1999)
1997年11月ライヴ録音
ペトルチアーニ、ガッド、アンソニー、20世紀最後にして最高のゴールデン・トライアングル。その最初で最後の来日公演となった1997年11月ブルーノート東京でのライヴを収録。客席の合間を縫ってステージに向かうペトルチアーニ。パンパンに膨れ上がった東京イチのジャズ・ヴェニューに割れんばかりの拍手が鳴り響く。その一部始終を克明に捉えたある種のドキュメント。完璧な夜。ひと昔前であれば「ミシェル・ペトルチアーニ・イン・トーキョー」という邦題と共に円盤化されていたに違いない、それ程の、忘れかけていた熱狂。このトリオ、各自の腕っぷしの強さはもはや説明不要の領域になるが、三者相対的なアンサンブルの時を迎えると、これがまたさらなる奇跡を呼び起こすというのだから、実に”化け学”チック。ジャンジャンバリバリ弾き叩きまくることしか知らないキッズの皆さんには、この静と動、陰影に富む神秘めいた世界を何卒ご清聴いただきたい。互いが大いなる自由と悦びを感じ合いながら、同一ベクトルの磁場に向かい組んずほぐれつ。誰彼決して出しゃばることなく、「Home」、「Little Peace in C For U」、「Love Letters」といった至上の名演を千変万化多彩な表情にて生み出している。ジャケも差し替えとなったこちらの再発盤には「Take The 'A' Train」が追加収録されている。
[こちらの商品は現在お取り扱いしておりません]
「Dreyfus Night」 (2003)
1994年7月7日ライヴ録音
1994年の七夕、パリ「Palais des Sports」で行なわれたオールスターセッション・ナイト「ドレフュス祭り」の模様を収めた実況録音盤。ペトルチアーニのリーダー作とは言えないものの、マーカス・ミラーほか、ケニー・ギャレット、 ビレリ・ラグレーン、レニー・ホワイトといった猛者との大相撲という資料的な価値の高さなども含めて、ペト好きは是非とも手元に置いておきたい一枚でもある。「Tutu」、「The King is Gone」においては当然ながら帝王学の申し子たち、マーカスやケニーのオイシイところ総ざらいタイムになってはいるのだが、何を隠そうオーラスの「Looking Up」、これがとにかく白眉。リリースされた1997年当時、「この1曲のためだけでも良いから迷わずゲット!」的キャプションが各地のレコ屋に繚乱していたことを記憶している。正規音盤・映像化された数ある「Looking Up」ライヴ・ヴァージョンの中でも間違いなくテッペンに位置する名演だろう。マーカスのドンシャリ・スラップがしなやかな筋肉のように美しく躍動。ケニー、ビレリのソロもその歌心が抑えきれず四方八方に大横溢。これが初顔合わせだなんてとても信じられないが・・・皆ペトルチアーニのピアノの魔法にかかってハッピーにダンスするかの如く。愉しくも圧巻。いやはや言葉がない。
「Piano Solo:Complete Concert In Germany」 (2007)
1997年2月27日ライヴ録音
Dreyfusでは計2枚のソロピアノ・アルバムをリリースしているペトルチアーニ。1994年録音の『シャンゼリゼ劇場で』と1997年ドイツ・フランクフルト公演を収録した『Solo Live』。こちらは後者のコンプリート盤で、それまで全11曲だったものが一挙9曲追加の全20曲収録の2枚組仕様となって再登場した、ファン感涙の一枚となる。一般的には、コンサートをフルに収録、さらにペトルチアーニ本人の意向でノー編集のまま世に出たことでその純度の高さをたっぷりと味わえる前者『シャンゼリゼ〜』の方が多くの票田を獲得しているのだろう。だからといって本作をスルーするのはもってのほか。あまりにも美しく、嶮しく、生々しい。いじらしくも獰猛に生命を焦がす瞬間というものがスタインウェイを通した音の連なりとして僕らに迫りくる。結果的にこれが生涯最後のソロピアノ作品となり・・・ペトルチアーニが一番星になる直前、大吟醸の「Looking Up」、それを聴き逃すワケにはいかないではないか。