「過去を愛する人たち」
2012年7月18日 (水)
連載 許光俊の言いたい放題 第208回「過去を愛する人たち」
人はどうして自分が見たことも聞いたこともない過去に関心を寄せるのだろうか。最近、それが実に不思議に思えたのである。
その理由のひとつは、竹内貴久雄の『クラシック幻盤偏執譜』(ヤマハミュージックメディア)を手に取ったからだ。この著者にとっては2冊目のクラシック評論集だというのが意外だった。1990年代頃からだろうか、CD解説をはじめあちこちに文章を発表しているのを見かけたし、比較的最近も『ギターと出会った日本人たち』『唱歌・童謡100の真実』という、クラシックの評論とは違うけれど、音楽についての著作を出していたから。
竹内氏はマニアである。はっきり言って、私などが全然興味を持っていない(しばしば、どうでもよいと思われる)演奏家に注目し、資料を集め、考えをめぐらす。ロジンスキ、アルヘンタ、グローヴズ、ゴルシュマン、シヴィル、ファーレル・・・そういう人たちについて愛情をこめて書いている。筆が優しい。とっくに死んでしまった人たちの音楽、本国でもほとんど忘れられたような演奏家の音楽が、はるか離れた場所の人間の心を動かし、言葉を書かせる。素直に、美しいと思う。私は竹内氏とは音楽の好みを同じくはしないが、気持ちよく読める本である。
竹内氏の信用できるところは、自分のために音楽を聴いている点である。好きだからあれこれ聴いている。当たり前のようだが、評論のために聴いているといういやらしいプロらしさがない。特に新聞評で、2万円か3万円(+招待券)が欲しくてこれを書いているんだろうと思わされる文章を見かけるたびに、私は罵りたくなるから。
ここでも紹介したことがあるが、最近は古いテープから復刻するCD制作にこだわっている平林直哉氏も過去を愛する評論家である。ところが、同じように過去に関心を持つ2人が、酒席になると喧嘩というほどでないにしても、険悪な雰囲気になるのがおもしろい。きっとマニアというものは、どこかで自分が一番、自分がやっていることが一番おもしろいと信じたいのだ。そして、自分の領分をかたくなに守りたいものらしい。自分だけの過去を夢想したいらしい。
片山杜秀『未完のファシズム』(新潮社)は、戦前、戦中の日本の軍部を支配した思想や、それが巻き起こした葛藤、衝突などを記したもの。音楽書ではないが、一応音楽評論家の肩書きも持つ人の著作なので紹介しておく。
片山氏は、常人がまるで思いつかないような意外なものの中に同一性を見出し、アクロバティックな論を展開するというイメージがある。ところが、これはきわめて落ち着いている。ですます調で、まるで聴衆に話を聞かせるような調子で進んでいく。
内容については、私はその分野ではまったくの素人だから何も言えないけれど、語り口に今までにない円熟味を感じた。何かしっとりしているのだ。私のように、まったくこうしたことに興味がない者でも最後まで簡単に読み通せてしまう話芸はあいかわらずうまいものである。そのリズム感や構成を見ているだけで、この人は音楽評論家の資格があると思う。リズムと構成の感覚を持たない人に、ちゃんと音楽を語れるはずがないのである。ま、誰がそうとは言いませんが。
柳澤健『日本レスリングの物語』(岩波書店)も過去について語った書物である。レスリングがどう日本に定着したかを綴っている。これもまた、うまい。たいがいの人はそんな歴史には興味など持っていないだろうが、おもしろく読めてしまう。体裁はよく見かける平凡なスポーツもののノンフィクションなのだが、逆にそれゆえに、微妙なところで書き手としての才能があるかないかがわかってしまうように思える。
本書もよいのだが、実は柳澤氏の本では、『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(文藝春秋)が大傑作である。クラッシュ・ギャルズといえば、ある世代なら何となく知っているだろうが、かつて一世を風靡した女子プロレスラーの2人組である。そんな人たちについて今さら延々語るなんて、まさにマニアっぽく思われる。
ところが、柳澤氏の本は、まったくマニアからかけ離れているのである。取材を通じて浮き上がる衝撃的な事実の連続。女子レスラーたちのすさまじい生き方には言葉を失わせる迫力がある。あまりの強烈さゆえ詳細はふせるが、クラッシュ・ギャルズなどまったく知らない人にとっても、間違いなくおもしろいはずだ。実は、昨年私が読んだ本の中でもっとも感銘深かったものの1冊である。
試みに、やはり女子プロレスにまったく興味など持っていない人たちにも勧めてみたところ、みな一様にすさまじい内容に仰天し、一気に読んでしまったようだ。きわめて間口が狭い本のようでいてそうでない。このあたりに、柳澤氏がプロの書き手としての腕が明らかだ。
それにしても、みなさん、本当に過去や歴史に興味があるなあ。前回紹介した拙著の『最高に贅沢なクラシック』とは全然違いますなあ。
ところが、にもかかわらず、偶然のことながら片山、柳澤、そして拙著には通底するテーマがあって驚いた。実は同世代に属するこの3人は、ほぼ同時に出た書物の中で、物や金、あるいは余裕があるかないかという問題に触れる話をしているのである。片山本では、資源がない日本はどうやっていけばよいのかが歴史的に語られる。柳澤本では、金も経験もない日本が、ゼロから始めるレスリングをどう確立していくかが内容。そして拙著では、クラシックが「豊かさ」という思想やイメージに立脚していることが示されている。で、それに対して自分はどう対応するかが三者三様なのがおもしろい。
もちろん、クラシックとは過去の作品を演奏するものである。
最近は忘れられた作品を掘り出す例もよくあるが、佐藤久成の「ニーベルングの指輪」というアルバムは強烈だった。このヴァイオリニストには宇野功芳氏が尋常でなく肩入れしているようなので、いまさら私が書くこともないと思うが、念のため。
ヴァイオリンひとつでワーグナーの大作の名場面を演奏してしまっている。しかも、単に「こういう編曲版で弾きました」という資料的価値(つまらなさの言い訳)を問題としているのではない。ちゃんとヴァイオリン音楽として立派なものになっているのが偉い。
非常に濃密な、肉食系の演奏である。強弱、ニュアンス、構成などが考え抜かれていて密度が高いので、CD1枚聴き通すのはかなりくたびれるほどだ。私の好みではポルタメントはこんなにつけないほうがよいが、それで演奏の質が下がっているわけではない。陶酔に継ぐ陶酔、音楽に激しく没頭し集中する演奏ゆえ、あっさり志向の人はすぐさまギブアップするに違いない。「ローエングリン」の前奏曲が特に私には気に入った。
最近、海外の有名レーベルは、明らかに見た目重視で売り出す演奏家を決めているようだ。嘆かわしい。世界的なレーベルという自負があるのなら、こういうアーティストを売り出してみろと言いたい。また、日本の財団も、どうでもよい演奏家ではなく、こういう人に最高の楽器を貸したほうがよい。
佐藤は今月上野でコンサートを開くようだ。私は行かない。暑さに弱いので、セミがうるさく鳴く暑さの盛りの上野にこんな演奏を聴きに行く想像をしただけでめまいがする。暑さに強い人はどうぞ。私は秋か冬まで待ちます。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
評論家エッセイ情報
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。
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