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「ローリング・ストーンズを聴け!」 中山康樹さんに訊く [前編] 

2012年7月14日 (土)



 『マイルスを聴け!』など唯我独尊の帝王論でもおなじみ、中山康樹さんの最新著書は、結成50周年を迎えたローリング・ストーンズ、その祝砲とも言うべき満を持しての初論評。

 半世紀到達のメモリアル・イヤー、待てど暮らせど”本隊動かず”の憂き状況ながら、先頃リリースされたマディ・ウォーターズとの ”フーチークーチー蔵出し映像” 御宝箱や、大手飲料メーカー主導によるド派手な”バーコラボ”など、本国に負けないストーンズ愛でお祭りムードを扇動する我が国ニッポン。そこに続けとばかりに登場する本著「ローリング・ストーンズを聴け!」は、かつてない視点と饒舌さによって記された新しいテキストブックになることは間違いないでしょう。2年ぶりのHMV ONLINEご登場となる中山康樹さんに、”新説”たっぷりのローリング・ストーンズ論、伺ってまいりました。


インタビュー/文・構成:小浜文晶



おそらくブルースから最初に飛び出したのは
ブライアン・ジョーンズだったんじゃないかって思うんですよ。


-- 本日は宜しくお願いします。7月20日に発売される「ローリング・ストーンズを聴け!」は、中山さんにとって初のローリング・ストーンズ論評になるのですが、今回執筆にあたる動機としては、「60年代の作品が世界的な統一規格としてカタログ化されていない」ことに対する歯痒さというか、ある種の問題提起がやっぱり一番大きかったところですか?

 勿論、それもひとつの要素ですよね。つまり、アメリカ盤が“定番”と呼ばれて久しくなったことに対して、周りが何も言いなさすぎるんじゃないかなと(笑)。音楽雑誌にしても評論家にしても。ただし、そこに物申せばすぐに正常な形に戻るという話ではなくて、やっぱりそれを言い続けないことには...


-- ABKCO(アブコ)が動いてくれないと。

 そうなんですよ。だからその部分で、最初のボタンが掛け違いなくしっかり入っていないと、次の時代を重ねていっても、何かを語ったり説明しようとするときに全部がチグハグになってしまうんですよね。そこにストーンズが、特に日本で “広がらない”原因があるのかなと。


アブコ・レコード (ABKCO Records)
アメリカのレコード・レーベル。元はパークウェイ・レコードという名で操業されていたが、1967年、実業家アラン・クレインによって買収され、その名を「Allen & Betty Klein Company」の略称「ABKCO」に改める。同時に、それまでアンドリュー・ルーグ・オールダムと共同で行なっていたストーンズのマネジメントを一人で切り盛りするようになった。しかし、その悪名高き強引且つ巧妙な剛腕ビジネス・メソッドに辟易したメンバーからの信頼を得ることはできず、著作権の管理の問題などでバンド側との関係は悪化、後に訴訟問題にまで発展した。また69年にはビートルズ(ジョン・レノンの推薦でアップル社長就任)とも契約を結ぶが、その”悪徳”ぶりを耳にしたポール・マッカートニーだけは、サインに応じなかった。それがビートルズ解散劇の大きなトリガー、つまりジョンvsポールの軋轢を露にした要因になっているとも言われている。2009年アランの死後は、息子のジョディが社長を務めている。

-- 例えば、同じファースト・アルバムでも、イギリス盤とアメリカ盤とでは収録内容、特にアタマの曲順が決定的に違うわけですし。「ルート66」と「ノット・フェイド・アウェイ」、どちらを最初に聴くかでその印象はかなり異なってきますからね。

 仮にそういうケースが他のバンドであったとしても、ストーンズほどのバンドにそうしたズレや混乱があるのはちょっとありえないと言うか。キャピトル盤を土台にしたビートルズのカタログが今だに“定番”として平然と出回っているようなものですから(笑)。そういう意味では、イギリス盤、アメリカ盤両方出るっていうのがひょっとしたら理想なのかもしれませんけど。で、ストーンズの場合、一時的にそういう状況になったりもするんですけど、でも結局は、オリジナルであるイギリス盤が隅っこに追いやられてしまう。

 特にストーンズは歴史が長い、しかも現役だから、片付けていかなきゃいけない問題が多々あって、その原点がそこだと思うんですよ。だから、いつまでたっても彼らは、「ブルースバンド」、「オルタモントの悲劇」、「夜をぶっとばせコノヤロー!」みたいな一面でしか語られていないわけで(笑)。それはやっぱり、先ほど言った土台が揺らいでいるというか、むしろ全然出来ていないからだと思うんですよ。

 それこそ近い将来、イギリス盤が普通に手に入るようになって、アメリカ盤の方が二次的なものになっていかないと、ストーンズの“広がり”という点においては、そこが相当なネックになってくると思うんですよ。書き手もそうだし、読み手や聴き手もそうなんですけど、アメリカ盤だけ並べて見てると、何と言うか...本当にワケが分からない(笑)。だから、イギリス盤を足蹴にして、アメリカ盤が完全にスタンダードになっていることを考えると、よくここまで色々な人が語ってこれたなと不思議に思えてきて(笑)。本にも書きましたけど、ビートルズ以上にファン想いで、シングルと収録曲をダブらせないようにしていたにも関わらず、あるアルバムではいきなり「サティスファクション」が入っていたりと...ビートルズのアメリカ盤以上に“イビツ”なんですよ(笑)。

 ビートルズのアメリカ盤っていうのは、曲を抜いたり足したりと、割と単純な入れ替えではあったんですけど、ストーンズの場合はもうちょっと複雑というか。


-- 意味不明というか。

 (笑)そこが全てをおかしくしている原因なのかなと。


英国盤ファースト・アルバム
1964年4月17日発売。「ルート66」、「恋をしようよ」という冒頭2連発で全てが決まる!? デッカ・ロゴ以外、グループ名もタイトルも冠されていない、不穏でふてぶてしいこのジャケット。「コレが本当のローリング・ストーンズ、世界制覇への第一歩!」と声高に叫んで憚らないファースト・アルバムの本丸盤。ボ・ディドリーのカヴァー「愛しのモナ」は、米国上陸にあたりラジオ・フレンドリーな「ノット・フェイド・アウェイ」に差し替えられてしまうという憂き目に(翌年発表のUSサード・アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!』に収録)。曲順を考慮するという作業がいかに大事かということを推して知るべし。1986年と2002年のリマスター再発の際にアメリカ盤が採用されたため、オリジナルとなる本作と、イギリス・デッカからのセカンド・アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』が現在廃盤となっている。
1964年5月30日発売。こちらは、シングルヒットを記録した「ノット・フェイド・アウェイ」が冒頭に据えられたアメリカ盤。ジャケットには、彼らが何者かであることを知る、所謂プロモーション文句としてのタイトル『England's Newest Hit Makers』、そしてグループ名がデカデカと記され、オリジナル盤の”プレーン”な仕様とは大きくムードを違える。
ビートルズのアメリカ盤
アメリカ経由でその人気が伝播されたこともあり、その昔、日本ではそれなりにポピュラーな存在であったビートルズのアメリカ・キャピトル盤。とはいえ、彼らのアメリカ進出は最初からスムーズにいったわけではなく、まずはシカゴのマイナー・レーベル:ヴィージェイからの出発となった。1963年7月にリリースされたアルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』は、イギリス盤『プリーズ・プリーズ・ミー』から、すでにシングル発売されていた「プリーズ・プリーズ・ミー」、「アスク・ミー・ホワイ」を外し、当時のアメリカにおけるLP標準となる12曲に”リサイズ”されたものとなった。次に、こちらもマイナーのスワン・レコードに移籍し、シングル盤「シー・ラヴズ・ユー」をリリース。アメリカでの人気が徐々に高まる中、それまでビートルズのレコード・リリースに消極的であったキャピトルが、当時のマネージャー、ブライアン・エプスタインとの直接交渉によってリリースを決める。1963年12月にシングル「抱きしめたい」を、翌64年1月には同社からのデビュー・アルバムとなる『ミート・ザ・ビートルズ』をリリースし、記録的な大ヒットとなった。こちらはイギリス盤『ウィズ・ザ・ビートルズ』を元にしているものの、「ヒットしたシングル曲は直後のアルバムに収録する」といったようなアメリカ市場の”商魂たくましき”方針に沿って、『イントロデューシング...』同様に独自編集がなされている。この特異な編集法に対してビートルズ・メンバーは不満を持つようになるが、のちの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』までこの「英米不統一」リリースは続けられた。写真は、2004年、ビートルズのアメリカ盤が初CD化(4枚組ボックス『キャピトル・アルバムズ Vol.1』)される際に発売された、中山氏と小川隆夫氏の共著『ビートルズ アメリカ盤のすべて』(現在絶版)。

-- 当時のマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムの過多なプロモーション・コンセプトも原因のひとつになっているような気はしますね。結果的にディスコグラフィとしては整理しづらいものになっていますから。

 当時としてはあまりにもしっかり組み立てすぎたのかもしれませんよね。


-- ちなみに、中山さんご自身が初めて買われた“ファースト・アルバム”は何盤だったんですか?

 キングの日本盤ですね。所謂ロンドン・レーベルの。だから、イギリス盤とはまた異なる曲順。その次に買ったのがアメリカ盤で、イギリス盤は一番最後。真逆なんですよね。CD化されて、その順番が入れ替わるのかなと期待していたんですけど、またアメリカ盤から発売されたりして(笑)。

 土台作りという意味合いにおいても、60年代のストーンズが語られる上で一番大切な初期のカタログがそういう具合ですから、いきなり『ベガーズ・バンケット』から語り始めなきゃいけないような状況でもあるんですね(笑)。だから、『ベガーズ・バンケット』より以前は“別のグループ”というか(笑)、そういう感覚ですよね。僕らの世代はブライアン・ジョーンズの時代を結果的にでも一番聴いていたから、ごく初期の作品に馴染みのあった人たちにとっては、やっぱり『ベガーズ・バンケット』から話を始めるっていうことにはかなり違和感があるんですよ。


ビートルズの初代マネージャー、ブライアン・エプスタインの下で宣伝係を担当し、その後自らがスカウトしたストーンズのマネージャーに就任。レコード・プロデューサー、パブリシテイを担当。ビートルズとは正反対の「不良っぽさ」を売りにし、それが見事的中した”仕掛屋”ぶりはよく知られるところ。プロモーション戦略以外にも、オリジナル・メンバーのイアン・スチュワートを「ルックスがバンドにフィットしていない」という理由でクビにしたり、ミック・ジャガーにリーダーとしての実権を握るよう示唆したりと、ほぼ全権に亘って強固なイニシアチヴを握っていた。1966年頃にマネージメントをアラン・クラインに譲り渡すことを決意。1965年にはすでにイミディエイト・レコードを設立し、スモール・フェイセズのマネージメントを行なっていた。
日本盤ファースト・アルバム(キングレコード)
1964年12月20日発売。「これがリヴァプール・サウンドの決定盤!!」という帯のキャッチでも有名なキングレコードからの日本盤。冒頭には、日本で最初にヒットを記録した「テル・ミー」が据えられ、アメリカ盤ではオミットされていた「愛しのモナ」も収録。つまり、曲順の入れ替えのみで、オリジナル・イギリス盤により近い形で編集が行なわれている。




-- 逆に僕らの世代(=R35)では、『ベガーズ・バンケット』あたりから聴き込む人が圧倒的に多かったんですけどね。

 そうでしょうね、きっと。でも僕の感覚からすると『ベガーズ・バンケット』以降は、ビートルズで言うところの「赤盤」や「青盤」みたいな感じ(笑)。とはいえ、そういう違和や疑問が書きたいことの中心ではなかったんですけど、でも、まずそれを書かないことには、この本に関してはどうしても組み立てができなかったんですね。 


-- それこそ、冒頭はじめ、「EP」がしっかりディスコグラフィに組み込まれていますよね。

 ビートルズではそういうことができなかったんですよ。その必要がないというか。ストーンズだけの着眼点ですよね。チェス・セッションを集めたもの(『ファイヴ・バイ・ファイヴ』)だとか、当時は相当新しかった。でも、その新しさが少なくとも日本には伝わっていなかったので、初期はいつまでも「ビートルズの二番煎じ」的な扱い。すごく損をしているバンドだと思うんですよね。「EP」に関して言うと、当時オリジナル盤を目にすることなんてまずなかった。CDになったのですら比較的最近ですから。


-- ABKCO制作のシングル・ボックスで。

 あれも簡易的なジャケットですけどね。だから、今回はちょっと生真面目すぎるぐらいにきっちりとイギリスにおける発売手順みたいなものを踏みたかったんですよ。そういう本は、僕が知る限りあまりなかったので。


「ザ・ローリング・ストーンズ」 EP
中山氏も「ストーンズのアルバム史はこの4曲入りEPから始まる」と語る、1964年1月発売のイギリス・デビューEP。「バイバイ・ジョニー」、「マネー」、「ユー・ベター・ムーヴ・オン」、「ポイズン・アイヴィ」と収録曲は全てリズム・アンド・ブルース/ロックンロールのカヴァーとなっており、当時の彼らが黒人音楽にいかに深く傾倒していたかが分かる。英チャートではNo.1を獲得したが、「バイバイ・ジョニー」、「マネー」、「ポイズン・アイヴィ」の3曲は、1972年の米国ロンドンレコードによる編集盤『モア・ホット・ロックス』に収録されるまで、アメリカでは長らく未発表となっていた。

「ファイヴ・バイ・ファイヴ」 EP
シングル「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」と同じく、1964年6月10,11日に行なわれたシカゴのチェス・レコーディング音源を纏めた2枚目のEP(1964年8月発売)。「イフ・ユー・ニード・ミー」、「エンプティ・ハート」、「南ミシガン通り2120」、「コンフェッシン・ザ・ブルース」、「アラウンド・アンド・アラウンド」の5曲を収録。いずれもアメリカ盤セカンド・アルバム『12×5』に収録されているため、音源としての「英米ギャップ」は発生していない。ちなみに、「アラウンド・アンド・アラウンド」には、マディ・ウォーターズのギターソロがフィーチャーされているロング・ヴァージョンというものも存在する。

「ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!」 EP
1965年6月に発売されたストーンズ初の公式ライヴ盤。観客の歓声までもをトラック付けしてしまった(印税狙い説アリ)「ウィ・ウォント・ザ・ストーンズ」を皮切りに、「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ〜ペイン・イン・マイ・ハート」、「ルート66」、「アイム・ムーヴィン・オン」、「アイム・オールライト」と、同年3月に行なわれたイギリス・ツアーから厳選収録された全5曲(実質4曲)。日本では、「ルート66」がオミットされた「ウィー・ウォント・ストーンズ実況録音盤」というタイトルで7インチ・リリースされている。
上記3枚のEP盤を見事初CD化させた、12枚組シングル・ボックスの第1弾(2004年発売)。日本製の緻密で繊細な紙ジャケ仕様にはかなわないが、1963〜65年までの当時のイギリス盤シングル/EPのスリーヴや内袋を忠実に再現した作り(プリントこそやや粗めだが)は、コレクターズ・アイテムとして十分質の高いものになっている。また同シリーズは、第2弾(1965 - 1967)、第3弾(1968 - 1971)と続編がリリースされている。



-- 今回ユニバーサルの「SHM-CD再発」企画にしても、50周年アニーヴァーサリーとはいえ、イギリス盤ファースト・アルバム、セカンド・アルバムなどの再登場はなかったわけですから...

 結局、アメリカ盤主体なんですよね。音楽雑誌の場合は、レコード会社との広告云々の関係なんかでそうなるのは仕方ないんでしょうけど、少なくとも記録や記事として同等に扱って欲しいなっていうのはあるので。


-- なので、この本は“ガチ”ですよね。日本のストーンズ・ファンにはすごく重宝されるのではないかなと思います。

 データも困ったんですよ。信憑性という部分で、ビートルズほど確立されたものがないので。イギリスでの発売日ですら、三つか四つの説があったりして。色々なサイトを見たりしても、極端な話全部違うぐらい。


-- そういった場合は、どの辺りで折り合いを付けたんですか?

 「THE ULTIMATE GUIDE TO THE ROLLING STONES」というデータベース・サイトがあって、そこはその他の要素から見ても最も信頼性が高かったので、基本的にはそのデータに合わせるようにしました。だから、その他の資料とは異なる部分もあるんですよ。1969年のマッスル・ショールズでのレコーディングにしても、そのサイトによれば、レコーディングしていないことになっている。つまり、レコーディング自体してはいるけど、公式盤にはそのテイクが採用されていないという見解なんですよ。その部分なんかは、こちらで調べ直して書き加えましたけど。

 ストーンズ研究では今だにマーク・ルイソンみたいな人がいないから、データが整理されずに散らかったままなんだと思いますよ。


マッスル・ショールズ・レコーディング
1969年12月、全米ツアー終了後にストーンズ御一行は、ソウル・ミュージックの故郷アラバマ州はマッスル・ショールズでレコーディングすることを決意する。ジャクソン・ハイウェイ3614番にあるマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオでは、「ユー・ガッタ・ムーヴ」、「ワイルド・ホーセズ」、「ブラウン・シュガー」の3曲が録音されたが、公式に発表されているテイクがこのときのセッション・ソースを元にしたかどうかは意見の分かれるところのようだ。「ワイルド・ホーセズ」には、メンフィスの名セッション・ピアニスト、ジム・ディッキンソンが参加。また、『スティッキー・フィンガーズ』収録のテイクには、バック・コーラスにピート・タウンゼント、ロニー・レーンが参加しているとまことしやかにウワサされているが真偽の程は定かではない。さらに別テイクには、グラム・パーソンズが参加したと言われているテイクも存在する。
ビートルズ研究の第一人者。その結成から解散までの記録を徹底的な取材と事実検証に基づいてまとめたクロニクル書「ザ・ビートルズ全記録 (1957‐1964)」、「ザ・ビートルズ 全記録 Vol.2(1965‐1970)」は、「最も信頼のおけるビートルズ・ヒストリー」として現在もビートルズ・ファンから圧倒的な支持を受けている。ほか、「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」などがある。



-- 初期のカタログに関しては、この本を読んだ上で、やっぱり手元にイギリス盤を置いておきたいところですよね。

 まぁ、そうですよね。だからいつまでもイギリス盤がなおざりにされていることが非常に不可解で。結局ビートルズみたいに、日本でも発売元が一社じゃないことのデメリットがあったとしか言いようがないんですよ。


-- 一方で、『アフターマス』、『ビトゥイーン・ザ・バトンズ』は、まるでアラン〜ジョディ・クレインの気まぐれが作用したかのようにイギリス盤であったり。

 不思議ですよね(笑)。ミックやキースにしても原盤をABKCOから“買い戻す”という気はないみたいなんですよ。そこがやっぱり現役のバンドなんだっていうところでもあって。とりあえず目先の新作やツアーなんかに着手している限りは、「過去は別にどうでもいい」っていう感じなのかもしれませんよね。


-- オリジナル・イギリス盤以外で、初期のストーンズ秘蔵音源で「これが陽の目を見たらテンションが上がる」というものは、中山さんの中で何かありますか?

 RCAスタジオのセッション音源ですかね。何度かそこでやっていますから。最初のセッション、あるいは「サティスファクション」が生まれるぐらいの時期のセッション。いずれにせよ、ブライアン・ジョーンズのいる時代。それにジャック・ニッチェが参加していたら、もう最高ですね。


RCA スタジオ・セッション
当時の最新設備を備えていたハリウッドのRCAスタジオでレコーディングを行なうということは、ブルース・ボーイズからの脱皮を目論むストーンズにとっても相当な発奮材料だったに違いない。1964年10月、11月に同スタジオで作られた「ハート・オブ・ストーン」におけるあの”黒さ”と”白さ”の絶妙なバランスは、革新的な売れっ子アレンジャー兼鍵盤奏者のジャック・ニッチェとの出会いがなければ実現しなかったものだろう。その後1965年を境に「別次元に入る」彼らは、「ザ・ラスト・タイム」、「サティスファクション」、「アンダー・マイ・サム」といったオリジナル曲をRCAスタジオで次々に生み出していく。『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』、『アフターマス』、『ビトゥイーン・ザ・バトンズ』に収録された多くの曲は、ジャック・ニッチェの居たRCAスタジオがいかにマジカルな空間だったかということを雄弁に語っている。写真は、1983年にリリースされたストーンズのRCAスタジオ録音楽曲集『ハリウッド RCA セッションズ』(日本独自企画LP)。

 僕の見立てだと、やっぱりブライアンは死ぬまでストーンズの中心なんですよね。そのことが上手くこの本で表現できたかどうか心配ではあるんですけど(笑)、結局それがこの本を書く大きな動機にもなっているんですよ。

 ブライアン・ジョーンズって、ブルースが好きすぎて、結果ストーンズから追われた「悲劇の主人公」として一般的に語られていますよね? それもたしかに事実なんですけど、でも例えば『サタニック・マジェスティーズ』までの過程だったりを順を追って聴いてみると、必ずしもブルースだけではなくて、もっとワイドに多種多様な音楽を貪っていたことを感じさせるんですよね。ブライアン自身にしても、ある種天才だったゆえに、自分の中にどういう音楽的素養があるのかという見極めが出来ていなかったんだと思うんですよ、結成当初は。若かったし。そのときは確かにブルースに狂ってはいたものの、コピーの段階はあっという間に卒業する。その後はセッションやレコーディングを重ねていく度に、「自分はブルース以外にこんな才能があったんだ」ということを確認していったんじゃないかなと。聴き手としては、そのことを色々な楽器を演奏するっていうことでしか知ることができなかったんですけど。そういう部分でストーンズを引っ張っていたところが多々あって、おそらくブルースから最初に飛び出したのはブライアンだったんじゃないかって思うんですよ。


-- あぁ、なるほど。

 むしろ、ミックやキース、あるいはイアン・スチュワートの方が、ブルースやブギウギなんかにずっと固執していて(笑)、ブライアンは結構トンデたんじゃないかなと。だから結局、ストーンズの外に共感してくれる人を求めたときに、ジョージ・ハリスンが出てきたんじゃないかなと思うんですね。今回の本では、そうした見立てに沿って「60年代の章」を書いたんですよ。


-- ブライアンの再評価、というよりは評価の見直しですね。

 定説とはズレるんですけど、僕はそう思っていて。そうなると、ますますイギリス盤じゃないと見えてこないんですよ。さらに言えば、ブライアンのそうした豊かな才能を取り込んだ上で、ミックやキースが新しいストーンズとしてのオリジナル曲を書くことができた。だから、「ブライアンを排除して」だとか、一口にそういうワケでもなさそうなんですよね。


-- 本の中では、“円満退社”のような書かれ方がされています。

 ストーンズの物語は、ビートルズ同様に上手くできている部分があって、結果ブライアンも“上手く”死ぬわけなんですけど...。実際、ブライアンは自分のバンドをやろうとしていたし、可能性はまだまだあったということは、『サタニック・マジェスティーズ』あたりの作品が雄弁に物語っていますからね。


-- この時期は自ら現地まで赴き、ジャジューカやグナワの演奏を録音・編集していますもんね。

 そうなんですよ。ジョージが、ビートルズ解散と同時に才能をいち早く開花させた、そういう形がブライアンにも待っていたような気がするんですよね。だから、すごく惜しまれる死だと思います。

 余談ですが、僕は、一時期「3人のブライアン」について考えていて。ブライアン・ウィルソン、ブライアン・エプスタイン、そしてブライアン・ジョーンズ。ブライアン・ウィルソンに関しては、生き延びてしまった不幸を感じさせますが(笑)、逝去したブライアン・エプスタイン、ブライアン・ジョーンズ、とりわけブライアン・ジョーンズの死というものは、その後の音楽的展開などを想像してみると、やっぱり惜しまずにいられないんですよ。ブライアン・エプスタインの死にまとわりついている類の”悲しみ”が意外と少ないんです。


© Jim Marshall


-- ジョージもそうですし、ジミヘンなんかとの交流の成果もきちんとした形で見たかったです。

 ジョージ・ハリスンの場合は、結果的に彼の方がブライアンにシンパシーを感じていたんですよね。第一に、誕生日が三日違い。これがどうやらジョージにとっては親近感という部分で大きかったようで。それから、自分もブライアンもグループ内で“三番目”の存在だったこと。しかも、並みのグループの三番目ではなく、大天才が二人いる中での三番目という気持ちは自分とブライアンにしか分かるはずがない、と思っていたみたいです。


-- あとは、本職以外にも色々な楽器に興味を示す部分だったり。

 シタールにしてもそうですよね。ジョージは当時「ノルウェーの森」を吹き込んでいて、でもそれはまだ世に出ていなかった。その間にブライアンがジョージの自宅に遊びに行って、シタールがあるのを見付けたんですね。ブライアンはその場ですぐに弾けるようになって、その直後に「黒くぬれ!」が出来た。もう完璧にマスターしているんですよね。だけど、ジョージはたどたどしいんですよ(笑)。そこが「ノルウェーの森」の良さでもあるんですけど。要するに、方やインド、方やモロッコと、民族音楽や楽器を含む外の文化に目を向けていたところであったり、どこか一ヶ所に留まらない広がり方という部分でかなり共通するところがあったんですよね。

 ブライアンが音楽を担当した『ディグリー・オブ・マーダー』のサントラにしても、まだ聴いてはいないんですけど、おそらくジョージの『不思議の壁』や『電子音楽の世界』なんかに近い感じがあると思うんですよ。


「ディグリー・オブ・マーダー」
1967年に公開された旧西ドイツ映画。主演は、当時ブライアンの彼女であったアニタ・パレンバーグ。自宅で恋人を殺してしまったアニタ扮するマリーが、街で知り合った男に金を払って死体の処理を頼む...といった内容のカルト・ムーヴィー。特筆すべきはその音楽スコア/サウンドトラックで、ブライアンが作曲、アレンジ、プロデュース、演奏を担当。ほかギターにジミー・ペイジ、ピアノにニッキー・ホプキンスが参加している。1966年夏〜1967年初頭にかけて制作されているということで、時期としては『アフターマス』や『ビトゥイーン・ザ・バトンズ』あたりとカブっている。シタール、ダルシマー、ハープシコード、シンセ、チェロなどを用いた民族的〜幻想的な音源のほか、ブルース、ポップスなど様々なタイプの楽曲が犇いている。なお、公式なサウンドトラック盤としてリリースされてはおらず、現在ブートのみでその楽曲・映像を確認することができる。
 

『ブライアン・ジョーンズ・プレゼンツ・パイプス・オブ・パン・アット・ジャジューカ』
60〜70年代のカウンター・カルチャー”影の帝王”ブライオン・ガオシンとの交流で「ジャジューカ」に魅せられたブライアンが、1968年、モロッコ・マラケシュに赴き異教徒集団マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカの演奏を録音し、アメリカのスタジオでオーバーダブを加えた実質的なソロ第1弾作品。一度耳にするとコビりついて離れない呪術的でトランシーなその演奏は、凡庸なサイケ音楽ではすでに満足できなくなっていたブライアンの強い”トリップ願望”と飽くなき音楽への探究心を伺い知れる。1995年に日本盤でCD化もされたが、現在は廃盤となっている。

-- そうですね。たしかにブライアンが現在も存命だったら、ノイズやドローン、あるいはアンビエント系の音楽なんかに着手しているような気もします。

 シンセサイザーが登場したときも、ブライアンはかなり強い興味を示していましたから。そういうことを積み重ねて見ていくと、全然ブルース一辺倒じゃないんですよ(笑)。そういう意味では、62、3年当時のブライアンにとってはブルースが新しい音楽だったんじゃないですかね。

 『アフターマス』『ビトゥイーン・ザ・バトンズ』なんかは、ミックとキースのオリジナリティが爆発した時代の作品とも言われていて、勿論その通りだとは思うんですけど、でも全体のサウンドを引っ張っていたり、あるいは全体の色彩を決定していたっていうのは、やっぱりブライアンだったと思うんですよ。その頂点がまさしく『サタニック・マジェスティーズ』になるわけで、これが果たして成功したのか失敗したのかとなると...そこは謎のまま(笑)。とはいえ、評価を完全に分かつところにこのアルバムの面白さがあるんですけどね。


-- 『アフターマス』、『ビトゥイーン・ザ・バトンズ』、『サタニック・マジェスティーズ』には、作品を追うごとに霧や靄が濃厚にかかっていく感じがあって、然るにこれらを「ブライアン三部作」と言っても過言ではないみたいな。

 そうですね。定説であるごく初期のブルース/リズム・アンド・ブルース時代の作品ではなくて、この三作品にこそブライアンらしさというものが色濃く滲み出ているんじゃないかなと思うんですよ。

 だから、僕らが思っている以上に60年代のブライアンというのは影響力があって。ドノヴァンにしてもジミ・ヘンドリックスにしてもザ・フーにしても、アイドル視していたのはジョン・レノンポール・マッカートニーではなく、ブライアンだったんですよ。アメリカのバーズなんかにしてもそうですけどね。女性服を着る発想だったり、ああいった髪型のカツラを着けてみたりだとか、ファッション的な部分でもブライアンの影響というのは大きかったようですから。ロックスター、トリックスターのアイコンとしての条件を全て持っていた人なんですよね。


-- ジャック・ニッチェとブライアンのシナジーも当時は大きかったようですね。

 そこは、RCAスタジオ・セッションなどが世に出れば、さらにいくつか垣間見ることができるようになると思うんですけどね。僕が持っているブートでは、「サティスファクション」にしろ「黒くぬれ!」にしろ、セッションではなく、単純なバックトラック、所謂カラオケでしかないんですよ。だから、「ワン・プラス・ワン」みたいに、もう少し長大なセッションの模様が見れれば面白いなとは思うんですけど。


ストーンズ「黄金のRCAスタジオ時代」を語る上で欠かすことのできない名伯楽。元々はフィル・スペクターの右腕的存在のアレンジャーだったが、むしろフィルのヒット曲はニッチェなくしては生まれることがなかったのでは、と囁かれているほどそのアレンジ力には定評がある。クラシックやジャズ・オーケストラの理論を用いた独特な音の使い方で、それまでのポップスにおけるアレンジの常識を覆した。ストーンズとは友人であったアンドリュー・ルーグ・オールダムを介して知り合い、RCAスタジオの録音に立ち会った。またライ・クーダーを紹介し『レット・イット・ブリード』に参加させたのもニッチェで、その流れから、ミック主演映画『パフォーマンス 青春の罠』のサントラを、初めての映画音楽仕事として手掛けることとなる(ライも参加)。ほか、バッファロー・スプリングフィールド、ニール・ヤング作品への参加、また「エクソシスト」、「愛と青春の旅だち」、「スタンド・バイ・ミー」など数々の有名サントラの制作も行なっている。

-- このセッションの様子は、音源なりフィルムなりで残っているものなのでしょうか?

 あると思うんですけどねぇ...大体無いと言われていた物がポッと出てくるのが最近の流れですから(笑)。



(次のページへつづきます)







 中山康樹 『ローリング・ストーンズを聴け!』


今年結成50周年を迎えるローリング・ストーンズ。『聴け!』シリーズがベストセラーの音楽評論家・中山康樹が、彼らの代表作50枚を最新データをもとに独自の視点で論じ尽くす初の「ローリング・ストーンズ評論」。1960年代前半から現在まで、ローリング・ストーンズがリリースしてきた主要アルバム50枚についてオリジナル・ジャケット写真とともにすべて解説。カバー写真は、60年代から伝説的ミュージシャンをとり続けてきた、ジェレド・マンコヴィッツ。


contents


  • イントロダクション
    第1章 イギリス・オリジナル・アルバム
    第2章 編集アルバム
    第3章 ベスト・アルバム
    コラム 1 イギリス盤を追放したアメリカ盤
    コラム 2 続々リリースされる公式ブートレグ
    あとがき



  中山康樹 プロフィール
  (なかやま やすき)

 1952年大阪府出身。音楽評論家。ジャズ雑誌「スイングジャーナル」編集長を務めた後、執筆活動に入る。マイルス・デイヴィスをはじめとしたジャズ、ビートルズを中心としたロックについて、独自の視点で評論活動を続ける。マイルス関連の著作に『マイルス・ディヴィス 青の時代』、『マイルス vs コルトレーン』、『マイルスの夏、1969』、『マイルスを聴け!』、『エレクトリック・マイルス1972‐1975』、『マイルス・デイヴィス 奇跡のラスト・イヤーズ』等多数。訳書に『マイルス・ディヴィス自叙伝』がある。近著は『かんちがい音楽評論[JAZZ編]』、『LA・ジャズ・ノワール---失われたジャズ史の真実』、『さよならビートルズ』。また、ロックにも造詣が深く、『ビートルズ アメリカ盤のすべて』、『ビートルズとボブ・ディラン』、『愛と勇気のロック50』、『ディランを聴け!!』等がある。


[関連リンク]
  公式HP 中山康樹の「マイルス・アンド・モア」



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初のストーンズ論評

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The Rolling Stones

価格(税込) : ¥4,840

発行年月:2012年07月

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