【特集】 イマコソ、野坂昭如

2011年11月23日 (水)


野坂昭如



 イマコソノサカ。危うい祖国のリハビリ・ソング集。 作家、歌手、作詞家、タレント、政治家とお茶の間から国会まで幅広く活躍した才人、野坂昭如、初の作品集。セレクトするのは盟友、桜井順。桜井が手がけた野坂の歌をレーベルを超えて収録。長谷川きよしのカヴァーでヒットした「黒の舟唄」、戸川純もカヴァーした「バージン・ブルース」から、CMソング「ソ・ソ・ソクラテス」まで、時代を揺り動かした唄の数々をこの1枚で!

 2004年「ロック画報」で突如その功績がアブリ出され、翌2005年には、あのユリイカで「いまこそNOSAKAだ!」と超特集。そして2011年。原発、TPP政局、食糧危機、格差社会、少子化・・・伊達直人の母心も早や忘れ去られてしまいそうな、「3.11」以降のわが祖国にこそ「イマコソノサカ」。
歌手・野坂昭如と二人三脚はたまた二人羽織のごときドタバタ欣快なるツガイでわれらの五臓六腑をコネクリ回した、作詞・作曲家 桜井順さんが、目下一時休養中の主役になり代わって太鼓判を押す、”イマコソ”の27曲。桜井さんのお話しとあわせて、歌手・野坂昭如の清々しい魔力をいま一度、腰を据えてじっくり味わうこととしましょう。 時代の隠し包丁、夜討ち朝駆け、イマコソノサカ!

「唄であれナンであれ、すべて僕の怨念のあらわれである」 (いつかの野坂昭如)






 
野坂歌大全T AKIYUKI NOSAKA SINGS JUN SAKURAI

 
 野坂歌大全T AKIYUKI NOSAKA SINGS JUN SAKURAI
 Solid CDSOL1462 2011年11月23日発売

【収録曲】
1. マリリン・モンロー・ノー・リターン 2. 黒の舟唄 3. バージン・ブルース(ライブ録音) 4. バージン・ブルース 5. 花ざかりの森 6. 凍原哀歌 (ツンドラ・エレジー)(ライブ録音) 7. 終末のタンゴ(ライブ録音) 8. バサラ地方の子守唄(ライブ録音) 9. 大脱走(ライブ録音) 10. 大挽歌(ライブ録音) 11. 大懺悔 12. 大禁酒ブルース 13. ヨコスカ・マンボ(ライブ録音) 14. かもめの3/4 15. サメに喰われた娘 16. 野坂唄之新古今集〜春「花」 17. 野坂唄之新古今集〜夏「蛍」 18. 野坂唄之新古今集〜秋「紅葉」 19. 野坂唄之新古今集〜冬「雪」 20. 男坂・女坂 21. おんじょろ節 22. 古い時計 23. 九段の桜 24. 生キ残レ少年少女 25. コカコーラ小唄 26. 突撃一番どんまいエイズ(コンドーム・マーチ) 27. ソ・ソ・ソクラテス(サントリー・ゴールド) 

TVエイジ・シリーズ 監修:濱田高志






HMV オンライン/モバイル Wオリジナル特典!!
もれなく 「野坂昭如 2012年 卓上カレンダー」&抽選で1名様に「野坂昭如 農本主義ポスター」を!


野坂昭如 2012年 卓上カレンダー

11月23日発売の野坂昭如『野坂歌大全T AKIYUKI NOSAKA SINGS JUN SAKURAI』をHMVオンライン/モバイルでご購入されたお客様に、もれなく「野坂昭如 2012年 卓上カレンダー」をプレゼントいたします。また、ご購入のお客様の中から抽選で1名様に「野坂昭如 農本主義ポスター」をプレゼントいたします。
HMV店舗でのご購入は対象外となります。ご了承下さい。


※ カレンダーは数に限りがございますのでお早目のご購入をおすすめいたします。



野坂昭如 農本主義ポスター

ポスターサイズ:約730W×1130H

・【ポスターの応募方法】対象商品ご購入後(商品出荷時)に、メールにて応募フォームのURLをお知らせ致します。
HMV店舗でのご購入は対象外となります。ご了承下さい。
【購入対象期間】 2011年12月22日(木)まで
【応募対象期間】 2011年11月22日(火) 〜 2011年12月31日(土)
当選は賞品の発送をもってかえさせていただきます。


※ HMV本サイト及びHMVモバイルサイト以外からのご購入、非会員でのご購入は特典対象外となります。
※ HMV オンライン/HMV モバイルでご注文頂いた場合、商品出荷のタイミングによっては応募対象期間を過ぎる場合がございますことをご了承下さい。




※ こちらのコメント・解説は CD『野坂歌大全T AKIYUKI NOSAKA SINGS JUN SAKURAI』と同様のものとなります。

野坂昭如 コメント

 ぼくには歌手としての自負がある。しかしこれ、桜井順という才能あってのこと。桜井のつくる歌は、特別奇をてらったものではない。時代を嗤い、かつからかい、さらに皮肉の裏返し、力まず焦らず。このゆとり、この術は桜井独自のもの。
 本人は無意識だろう。だが実は、真っ向から時代と向き合ってきた。歌手野坂は、さすが本職と関心しつつ、与えられた曲を、練習も訓練もせず、ただ歌うだけ。勘と度胸が頼り。つくり手と、歌い手。互いに何の相談もせず、注文もつけない。
 何となく次から次へ生まれた歌は、桜井順という才能が、野坂というフィルターを通して世に出したもの。武道館満員という光栄に有頂天となったが、本来、聴衆はいてもいなくてもいい。しかし改めてこのコンビ、不思議に絶妙。今の時代にこそ、ふさわしいのではないか。


野坂昭如




桜井順 解説

「野坂歌大全・T」ノオト

 えー、歌手ノサカという存在は、まことに不思議な現象というべきやろ。まァフツー、歌というものは、作詞者が居て、作曲者が居て、歌手が居て成り立つ。戦前からのレコード会社が作る歌の多くは、このパターンだった。ところが60年代末頃から、ギター片手のワカモノが、自分の作詞作曲した歌をテメエで歌うことがアタリマエになって来た。いわゆる《シンガー・ソングライター》の発生。自分自身のメッセージを歌にして、直接社会にブツケるというこのカタチは、明治初期の「演歌」の再生版とも言える。さよ、歌手ノサカもそのイミでは、レッキとした《シンガー・ソングライター》なのだよ。作詞・能 吉利人、作曲・桜井 順、歌手・野坂昭如のアイダには、委嘱被委嘱カンケイ皆無。ノサカの存在が醸し出す空気に触発されて次々生まれるウタを、歌手ノサカは、飯を食うように黙々と歌う。作り手、歌い手が、夢ウツツ、渾然、三位一体となって歌手ノサカを《シンガー・ソングライター》たらしめて居るのや。そんな自然発生的なウタだから、ハナっから「商品」とはかけ離れている。スタジオで丁寧に仕上げるといった作業はホトンドやらない。歌手ノサカのメッセージが伝わりさえすれば、テイクワン・OK。アキラメてるワケじゃないが、「売れる」ことには関心が無い。さよ、これは「作品集」と言うより「ドキュメント」なのや。

 今回先ずリリースされる「野坂歌大全・T」は、70年代の反米反体制風に始まって、日本シホン主義大宴会時代を通り抜け、80年代末のネオ・農本主義の謳い上げ辺りまで。時代とベッタリ寝ていた《シンガー・ソングライター》ノサカの面目躍如ドキュメント。

 因みに、来春別途リリース予定の「野坂歌大全・U」は、90年代末のコワバった「国旗・国家」法案を機に、明治唱歌を振り返り検証した《ザ・平成唱歌集/巻之一》と、その続編《ザ・平成唱歌集/巻之二》、2000年の沖縄サミットに殴り込み掛けた反戦歌《チンタマケ》《沖縄鎮魂歌》などを収録。ご期待下され。


2011年吉日歌手ノサカ・委員会




「野坂歌大全・T」曲目紹介 /文・桜井順
※ こちらの曲目紹介は CD『野坂歌大全T AKIYUKI NOSAKA SINGS JUN SAKURAI』から一部抜粋したものとなります。


01. マリリン・モンロー・ノーリターン(1970年)

 野坂サンとの40年にわたる歌行脚の最初の曲。1970年秋、ヤマハ合歓の郷『音楽フェスティバル』で初演。招待された作曲家は数十人、「手持ち」の歌手帯同という条件にハタと困り、当時流行作家として大忙しの野坂サンに冗談半分出演依頼すると、ヤルヤルと大乗り気。あわてて「野坂風」反体制売り物の歌詞をデッチ上げ、デモテープ渡したものの、練習する時間は全く取れず、現地で本番ブッツケ。雲水姿、歌詞書き込んだ経文を手に、フルバンドバックに熱唱、当日一番の拍手もらったが、審査の結果は、パフォーマンス賞のみ。しかし、聴きに来ていたコロンビア・レコードから、レコーディングの申し込み。その後「マリリン」1曲を目玉に、冗談半分の続きで、歌手としてキャバレー回りを開始。忘れもしない11月25日、浅草キャバレー出演予定の寸前、テレビが「三島由紀夫」事件を報道、出演急遽キャンセル。今想えば、70年という年は時代の大きな変わり目だった。


03、04. バージン・ブルース(1972年)

 「直木賞歌手」ノサカの人気はバツグンで、各大学の文化祭にヒッパリダコ。女子大狙いで、この曲をデッチ上げ、「バージンの人は一緒に拍手を」と自分の膝をパンパンと叩くパフォーマンスが大受け、某ミッション系大学では、実行委員が学校当局から大目玉食う始末。


07. 終末のタンゴ(1980年)

 これは分かりやすい。田中角栄の栄華と凋落のドラマに他ならぬ。その一般化、冗談教訓化。こうした歌の場合、この歌手は上から世間を睥睨して、エラそうに御託宣を下す。半分冗談半分ホンキで。そこが他の歌手のマネ出来ないところ。


08. バサラ地方の子守唄(1980年)

 ばっさらぼんけ ばっさらけ
 どっきんどっきんしょー
 ばっさらぼんけ ばっさらけ
 もっきんもっきんばぁー

 能 吉利人が密かにトリップして採集・構成し、桜井 順が編曲した子守唄。バサラ地はご存じのように、マンティール河(R.Mentir)とライ河(R.Lie)の間に広がる荒涼たる土地。近在の都市から投げ棄てられた年齢不詳の超老婆たちが鳥のように群生し、旅人が通るたび、歯の一本もない奈落のごとき真っ暗な口を開けて、この唄を歌って聞かせるという。歯の一本もない口で、どうやってバッサラケのS音を発するのだろうか?人種もブンカ背景も定かではないので、正確な翻訳は不可能だが、そのテンポとメロディパターンから、一種の子守唄と推定した。意味不明のコトバはすべてオノマトペ(擬音語)として聞こえて来る。しかしこの子守唄には、ところどころ英語文化圏の影、たとえばマザー・グースの遠いコダマが響いているような気もする。「モッキンモッキン バァー」はもしかして、「mocking-bird」のなれの果てではあるまいか?いずれにせよ、1980年新宿厚生年金大ホールでのリサイタルで、この唄を創唱した歌手ノサカのバサラ大名もどきのギンギラギン衣装が、この唄の雰囲気を一層マユツバ的ウサン臭いものにしたことは確かだ。


12. 大禁酒ブルース(2002年)

 2003年、脳梗塞で倒れる寸前の禁酒宣言歌。でも長年の過激な創作活動を支えたのはサケのエネルギーであったこともタシカ。宿命としてのサケ依存症。これはまだデモテープ段階のシロモノ。


23. 九段の桜

 これは「岸壁の母」の靖国神社版。合祀された英霊を貶める歌では決して無い。ここには「千の風」など吹かない。肉親、戦友にとっては、此処しか再会の場所は無い。しかし、時代が遷れば、中味はカラッポ、ナニも知らない鳩ポッポが集うだけの場所となる。2000年に入ってから「平成唱歌集・巻之三」に入れるつもりで録ったデモ。


24. 生キ残レ少年少女 「コッチで勝手にCMソング集」(1993年)から

 1989年、アメリカからコメ市場解放をセマられコマった農協の依頼を受けて、愛国的コメCMを制作した。その折りのコピーをタイトルにした日本農業応援歌。


26. 突撃一番どんまいエイズ(コンドーム・マーチ)

 この頃からエイズ問題が、社会のオモテに出てきた。青少年を守るためのコンドームPRを兼ねた、高校野球入場行進曲用に制作された。「突撃一番」も「コンドーサン」も知らない世代に、初めてバッターボクスに立つ時の心得を説いたもの。


27. ソ・ソ・ソクラテス[サントリー・ゴールド](1976年)

 これは、当時CM界のフロントに突出してきた天才コピーライター、仲畑貴志の作詞。高所から世間を見下ろして歌うノサカのスタンスを巧みに捉えて、CM界に旋風を捲き起こした。



 ・・・全曲の解説は、『野坂歌大全T AKIYUKI NOSAKA SINGS JUN SAKURAI』に掲載されております。
 つづきは是非そちらでご覧ください!




--- 野坂昭如さんの記念すべき初めてのベスト盤『野坂歌大全T AKIYUKI NOSAKA SINGS JUN SAKURAI』が今回リリースされるにあたり、本CDの企画発起・選曲・編纂を手がけられ、70年代から野坂さんと二人三脚で音楽活動を行なわれてきた作詞・作曲家の桜井順さんに色々とお話をお伺いしたいなと思っております。本日は宜しくお願いいたします。

 僕の話もいいんだけど、まぁ要するに「歌手・野坂昭如」のおもしろいところを世間に紹介しなきゃいけないからね(笑)。

--- こちらにあるポスターというのは?

 このポスターは1988年に農協から頼まれて作ったものなの。つまり、80年代バブル期には、例えばSONYのウォークマンを先頭にクルマや電化製品を日本が押し込んでいってアメリカNYの有名なビルなんかを買いまくった。でも、たちまちその逆襲を喰らって「米の自由化」を押し付けられた、そういう時代ね。で、農協はさて困ったぞと。そのときに「米の自由化に反対するキャンペーンを立ち上げてくれ」って声をかけたのが野坂さんだったわけ。それ以前から野坂さんは『かくて日本人は飢死する』っていう本にあるようなことをずっと書いてたからね。


野坂昭如 農本主義ポスター
こちらの商品は現在お取り扱いしておりません
「かくて日本人は飢死する」
“飽食ニッポン”の食卓を支えているのは海外からの大量の輸入食品である。しかし、この輸入が未来永劫絶えない保証はあるのか。「遺伝子組み換え食品」が人類を救うかのごとき報道、論考がある。しかし、その種を押さえ、殺生与奪の権を握るのは、米国の穀物メジャー。わが国における農業問題や食糧問題を説き続けてきた野坂氏が、戦後日本が築き上げてきた「繁栄」の土台の脆弱さを指摘しつつ、最後の警鐘を鳴らす。

 それで、野坂さんと僕でテレビCMを作ったのね。12チャンネルで土曜日の午前中っていう変な時間に流れてたから視聴率は低かったんだけど(笑)。で、その時作ったポスター五千枚をJRの駅貼りにする計画が出て来た。でも、貼る寸前に昭和天皇が倒れた。日の丸デザインに「生キ残レ」って書いてあるポスターなもんだから、とてもじゃないけど貼れないっていうことになって、結局五千枚全部お蔵になっちゃった(笑)。でも僕のところに五十枚ぐらい残ってたから、その後ときどき野坂さんのコンサートなんかで使ってたの。そういう“謂われ”があるポスターなんだよね、これは。

 そのときに一緒に出たのが『生キ残レ 少年少女。』っていう本。それを一昨年、岩波書店に持っていって新書にしてもらったのね。そこにもこのポスターの写真が掲載されてて、つまり「農本主義者・野坂昭如」の宣伝にもなってるわけなんだけど。これを貼ってるととにかく目立ってね(笑)。けっこう話題になったんだよ。

「生キ残レ 少年少女。」
農協テレビCM制作時のコピー「生キ残レ少年少女」。「二度と飢えた子供の顔はみたくない」という野坂氏の気持ちがこめられている。「農業は文化である。農業を棄てることは文化を棄てること。文化なき国が栄えたためしはない」。自給率低下、汚染米や毒入り野菜など日本の農と食のひずみを「焼跡・闇市派」の氏が撃つ。

--- これは、それこそゲリラ撮影だったんですか?

 うん。ケイサツに届け出もしないで原宿竹下通りぶっつけ本番(笑)。いちおう僕が監督をやって、友達のカメラマン(三上e正氏)に撮影してもらって。オンナノコが居ると、そこめがけて復員兵姿の野坂さんが突っ込んで行く。オンナノコは「なによ、このサファリルック!」って怒る(笑)。

 このポスターには野坂さんのセイシンが満ち満ちているからね。しかも、ちょうど今の世の中の感じとピッタリで、タイミング的にもおもしろいかなと。「ほらみろ、だから昔から言ってたじゃねえか」ってさ(笑)。それは『しぶとく生きろ』っていう、ついこの間出た本に書かれてることでもあるんだけどね。野坂さんの昔からのテーマのひとつは「お米」。60年代から「日本は、今の農政では飢死する」って言ってたぐらいだから。その頃はそんなこと誰も思ってなかったけど、今やかなり現実味を帯びてきたから、一種の預言者みたいなもんだよね(笑)。野坂さんの歌にもそういうところがあって。ほかの人が歌っても何てことないんだけど、野坂さんが歌うと何か意味がありそうに聴こえる。そこがミソなんだよね。

 ちなみに、この「廃」と「原発」っていうシールは今さっき僕が貼ったものなんだけど(笑)、実は、シール自体はこのポスターを刷ったときに作ったものなの。当時のCMにもちらっと出てくるんだけど。これもタイミングとしてはピッタリなんだよね(笑)。農協にしてもどうしようもなくなってるし。

『しぶとく生きろ』
若者よ、目を見開き、もっと怒れ。そして しぶとく生きろ! 焼跡・闇市派の著者が未来の日本を支える人たちへ贈る渾身のメッセージ。毎日新聞の連載から抜粋し、修正・再編集して単行本化。

--- がっちり今とシンクロしていますねぇ。ということもあり、CDの帯のキャッチにも「イマコソノサカ」と。

 うん、実際その通りだと思うんだけどね。それから、このCDのジャケット写真は『最後の林檎』のときのもの。これは、僕のブログに野坂さんが連載してたエッセイを、2001年に彼がひっくり返っちゃったときに纏めた本で、出版は2005年。もう潰れちゃった出版社から出たもので、当時の担当者がかなり凝って作ってくれたんだけど、おかげでちょっと高いものになっちゃって売れなかった(笑)。

『最後の林檎』
戦後焼け跡の「飢餓」を原点に、日本社会の復興期、繁栄期、バブル期、ポスト・バブル期の流れをシカと見据え、一貫して「飽食」に警告を発し続けて来た著者の、ギリギリの提言。インターネットに公開したコラムをまとめたもの。

--- 実際に今回のようなベスト盤を作ろうと思い立ったのも、その2005年当時に?

 一昨年ぐらいじゃなかったかな? 野坂さんと僕がやった音源はあっちこっちにあってバラバラに出てたから、僕はそれを全部集めて私家盤を二枚作ったの。中の解説なんかも自分で書いて。それをおもしろがってくれそうな友達に配って。それがこのCDになるきっかけになったのね。で、その私家盤を手にした今回のレコード会社の担当者に「せっかくだから正式に出しませんか?」って言われたわけ。

--- 「全集T」ということは「U」も近々リリースされるということですよね?

 「U」は来月ぐらいに出るのかな? そっちはPヴァインから出してた二つの唱歌集を纏めたもの。

--- 「ザ・平成唱歌集 巻之一」、「巻之二」ですね。

 そうそう。それは2000年と2001年の録音なんだけど、要するに「巻之三」を作ろうと思っているときに野坂さんひっくり返っちゃった(笑)。でも、「巻之三」で出そうと思ってた曲はこの「大全T」にチラッと入ってて。

『ザ・平成唱歌集 巻之一』
野坂昭如、能吉利人(作詞)、桜井順(作曲)の三人による平成の戯れ歌集。「昭和ヒトケタ」の老人力をテーマに、“バブル”“談合”“ディズニーランド”など社会諷刺ネタを大いに歌い上げる。「巻之二」は現在廃盤なれど、「巻之一」「巻之二」、さらにはシングル「チンタマケの唄」をセットにした完全盤が12月にリリースされる。

--- 「大禁酒ブルース」のデモ・ヴァージョン。

 野坂さんの場合、デモも本番もあんまり変わんないんだけどね(笑)。スタジオ使わないで、普通にマンションの一室なんかで録ってるからさ。

--- えっ、野坂さんの歌録りはこちらの部屋で行なわれたんですか?

 いやここじゃないんだけど、昔ちょうど向かいにもうひとつ部屋を借りてて、そこの一室に楽器や機材を持ち込んで、その『ザ・平成唱歌集』を録ってたんだよね。

--- (ウルトラヴァイブ担当者)だから微妙なリヴァーヴがかかっていて(笑)。

 そうなんだよね(笑)。でも音質がどうこうっていうより、何となくメッセージが伝わりゃいいわけ。だから二、三回気持ちよく歌ったら「OK」みたいなね(笑)。音を凝るんだったらとてもダメだけど、そうじゃない場合はほとんど部屋録り。野坂さん関係は全部それでやってきたからね。元々商売になるなんて思ってないから、持ち出しは少ない方がいいじゃない(笑)。


野坂昭如・僧


--- 再発盤を除けば、野坂さんの音楽作品自体が久しぶりで、「ザ・平成唱歌集 巻之二」以来ですから約10年ぶりのリリースになるわけですよね。

 今はまったく歌えないからねぇ・・・でも執筆活動は続けてるから。『しぶとく生きろ』っていう本は、毎日新聞で連載の「七転び八起き」を纏めたもので、そこには原発のことなんかも書かれてるんだけど。そもそも野坂さんは「原発反対」、「遺伝子組み換え反対」、完璧な「農本主義者」だからね。とにかく60年代から「食糧が危ない」って言い続けてた。

--- そこに桜井さんも同調されて?

 いや、その頃はよく分からなかったけど(笑)、野坂さんがそういうことを言うと、乗せられていかにもそんな雰囲気の歌を僕も作ったりして。昔はよく一緒に酒飲んだりして、いつも傍で言動を見ながら面白そうなものを歌にしてたからね。それを野坂さんに渡すと、物を食うみたいにモクモクと歌っちゃう。曲に対してあーだこーだって絶対に言わないわけ。「これは歌えないな」なんて一度も言ったことがないから。それを、70年代、80年代、90年代と三十年間やってたんだよね。

--- 一度も物言いがなかったのは、意外と言えば意外ですね。

 とにかく「はい」って素直に歌ってた(笑)。あと例えば、ライブで寺山修司美輪明宏なんかと一緒にやるときは、ちょっと構えるんだよね。で、そのときのための歌を作るわけ。「バージン・ブルース」はたしか渋谷のジァン・ジァンで、寺山修司と一緒のときに初めてやった曲。「明日はちょっと何か特別な歌をやろうか」って前の日に話して出来たんだけど、その「バージン・ブルース」の評判がよかったもんだから、それをもって聖心だとか女子大回りをしたんだよね。野坂さんとの歌は全部そういう出来上がり方。だから大抵一発目はライブなんだよね。

--- リハーサルなんかもまったくなしですか?

 やらないやらない。70年代ぐらいに頻繁にやってた頃は、僕が仮り歌を入れたテープを渡して、たまに「じゃあちょっと練習しようか」って言っても、野坂さん一度も来たことないからね(笑)。ライブ会場にいきなりやってきてぶっつけで歌うんだよ。「マリリン・モンロー・ノーリターン」を初めて歌ったヤマハの「音楽フェスティバル」のときだってそう。

 マリリン・モンローは当時のセックス・シンボルで、いちばんいい時代だって言われる50年代アメリカの象徴でもあった。そのモンローが1962年に死んで、さらに二年後にケネディが暗殺されて、だから「マリリン・モンロー・ノーリターン」は、「アメリカはもうおしまいだよ」っていう感じの歌なわけね(笑)。この曲の最後には「少子化」についてのくだりも出てくる。「赤ん坊つくるにゃ おそすぎる」って。今の格差社会を言い当ててるみたいだよね。まぁそういうこと言っとけば、大抵当たるっちゃあ当たるんだけどさ(笑)。


桜井順(左)と野坂昭如


--- 野坂さんは、毎回ぶっつけで、歌は憶えられているものなのですか?

 勘はすごくいい(笑)。適度に酒飲んでればすごく上手いしね(笑)。飲みすぎると分かんなくなっちゃうし、シラフだとまったくダメ。一度だけ「シラフでやります」って言ってやったらボロボロになっちゃった(笑)。

--- 歌うということに対して元々特別な思いを持っていて、それゆえに少しナーバスになってしまったりだとか。

 う〜ん、それはないと思うんだけど・・・どうしてだろうね? でまぁ酔っ払ってるとよく歌詞間違えるんだけど、それがまた巧く間違えたりするんだよ(笑)。とにかくライブの人なんだろうね、野坂さんは。

--- 軽妙なトークも交えながら。

 だから女子大なんかに行くと猛烈にウケるんだよね。エンエンとしゃべってさ(笑)。「バージン・ブルース」を歌い始めた頃なんかは、女子大の学園祭に引っ張りだこ。

--- 音源を聴いてるだけでも、当時すごくおモテになった雰囲気はひしひしと伝わってきますよ。今の二十代、三十代ぐらいの若い女性にもファンの方は結構いらっしゃると思いますし。

 よっぽどのマニアはおいといて(笑)、実際どのぐらいの人が野坂さんのことを知ってるかってことでもあって。今はテレビにも出なくなっちゃったし、イメージがほとんどないと思うんだよね。野坂さんの小説ってちょっととっつきにくい感じもあるでしょ?

 でも本当言うと、野坂さん自身全然色気がない人だから(笑)。よく「新潮45」なんかにもウソばっかり書いてたけどね(笑)。「プレイボーイ」として売り出したのは事実なんだけど、実際には女遊びに精を出していたってことはほとんどないし、饒舌にアジったりすることはするんだけど、例えば吉永小百合とか、つまり二、三人いる野坂さんの「マドンナ」と一緒になったりすると、すぐカタくなっちゃってね(笑)。




--- きっかけとなった私家盤も含め、今こうして世に出る「シンガー 野坂昭如」の作品集を聴き返されて、桜井さんがまず率直にお感じになったことというのは?

 なんだろうねぇ?・・・ 野坂さんは、一種の不思議なカリスマであるっていうことかな。特に僕が最初の頃に作ったものっていうのは、野坂さんの言動を見て感じたことを歌詞にして、それをいきなり歌にしちゃっているのがほとんどだから。書き直したりっていうことがなくて、書いた僕ですら意味が分からなかったのね(笑)。例えば「花ざかりの森に 禿鷹がやって来る 目玉も肉も ズタズタ 屍がひとォつ」なんてイメージだけで書いてるから、あとで「何のことだろう?」って(笑)。でも野坂さんがそれを歌った後で大菩薩峠で連合赤軍がどうしたこうしたっていう事件が起こったりして、そういうシンクロはちょっと怖かったんだけどね(笑)。

 つまり「仕掛けて、そそのかす」っていうのを僕がやるんだけど、でもそれは僕が発想するんじゃなくて、野坂さんの中にあるものを僕が感じて作り、野坂さんがそれをそのまま歌うっていう、「ふたりでひとりのシンガー・ソングライター」なんだなってあらためて思った。 

--- 桜井さんの作詞家としての別名義を加えると、「野坂昭如・桜井順・能吉利人」三位一体のシンガー・ソングライターでもあると。

 「能吉利人」がフシギな媒介になったっていうか。野坂さんとやるときに初めてその名前を使ったわけだしね。

 僕の場合、片一方の商売がCM音楽だから、効率よくやんなきゃいけないことがほとんどで割りとシビアなんだけど、野坂さんとやる場合はそれとまったく違う世界。だから売れることなんてこれっぽっちも考えたことなかったね、最初から(笑)。おもしろけりゃいいやっていう。

『桜井順CM Works 1957-2007』
作曲家・桜井順が手がけたCM作品を一枚のアルバムにコンパイル。一聴して耳に残る洗練されたメロディが満喫できる。野坂昭如との黄金タッグ仕事は、「ソ・ソ・ソクラテス」、「キンキラキンゴールド」、「サントリーゴールド900 〜通せば天国〜」、「Cabin85・南の島」、「ダニ・アース」、「コカコーラ小唄〜日米修好歌」、「生キ残レ少年少女」などを収録。

--- そこに野坂さんの「歌いたい」という渇望が加わって。

 元々歌うことが好きだからね。それと、野坂さんの歌はどちらかと言うと、上から「なんとかダァ! かんとかダァ!」って御託宣を下すものがほとんどでしょ? 「この世はもうじきおしまいダァ!」とか「どんな人間にも必ず終わりが来る!」とかさ(笑)。 

--- (笑)聴いてる方としては、そこまで高圧的に言われている感じではないような・・・

 そうか(笑)。でも何となく上からワァー! っていう、それがまた野坂さん自身のキャラクターによく合ってるんだよね。昔デビューしたぐらいに偉そうにサングラスかけて(笑)、「女は人類じゃない」なんてこと言って大騒ぎになったでしょ? つまりそういう言い方ね。

--- 「女は女類だ」と。桜井さんはその昔「歌手・野坂昭如」を評して「ダメな花魁」と“褒めて”らっしゃいましたよね(笑)。

 (笑)何かそんなこと書いたかもしれないね。要するに、花魁は「上のクチで歌うか、下のクチで歌うか」っていう商売なんだけど(笑)、そういう意味でつまり野坂さんは歌ってもあまり売れないから、それで「駄目な花魁」って書いたんだと思う、あんまりよく憶えてないんだけど(笑)。

--- そこには「歌っていうのはそもそもハズカシイもの」ともありました。これは、野坂さんに限らず、ということですよね?

 うん、本来そういうものだと思うな。“開けっ広げ”で歌うことの恥ずかしさ。例えば演歌歌手は自分の人生の傷の部分を歌うわけでしょ? 傷が無い人が歌ってもおもしろくないんだよ。自分の傷を歌うってことは、ホントの自分を晒して歌うってことだから、そういう意味では「売笑婦」が「売唱婦」になってもいいぐらいなんだよね(笑)。

 でも野坂さんの場合は、特別自分を晒してっていう歌じゃないから。ただし、野坂さんの歌を他の歌手が歌ってもおもしろくも何ともない。ホントに不思議な歌手なんだよ。

--- 野坂さんへの提供曲は完全に「別の物」として作られていたようですが、中には別の歌手に用意していた曲を野坂さんにお渡しになったものも?

 それはまったくないよ(笑)。でも「黒の舟歌」だけは、野坂さんが歌っていたのをたまたま長谷川きよしが聴いてて、「もったいないから俺が歌う」なんて言ってカヴァーされたんだけど。その長谷川きよしが歌ったものを加藤登紀子が耳にして、そこでまたカヴァーされたからバァーって広まっていったんだよね。

 とにかく野坂さんとのレコーディングやライブは思い出深いものばかりなんだけど、「サントリーゴールド」のCMのときは特におもしろかったね。「ソ・ソ・ソクラテス」ってやつ。あれの第二弾を撮るっていうとき、ちょうど浅草の国際劇場が店閉めするっていうんで、真夜中にそこを貸しきったのね。そこでエイト・ピーチェスっていう劇場専属のスター・ダンサーをバックにして撮影したんだよ。しかもサントリーの撮影のときは、ちゃんと現場にバーテンが居て酒が飲める。もう飲み放題でやるわけ(笑)。

--- 野坂さんはさぞゴキゲンで(笑)。

 酔っ払って歌うから録音するの大変だったんだけどね(笑)。そのとき、そこにトレンチコートを着たヨボヨボのオヤジが入り込んで一番前の席に座って「おいネエチャン、もっと足上げろ」なんて言ってるの。サントリーの関係者でも撮影スタッフでもなくて、ただの酔っ払いだったからつまみ出されたんだけど(笑)、それぐらい賑やかな現場だったわけ。サントリーも「デカボトル」みたいなものを発売して、まさしく日本経済がバブルに向かおうとしていた時代。あの辺りが野坂さんのひとつのピークだったって言ってもいいんじゃないかな。

--- お酒お好きですから、その手のCMには引く手数多だったのではないですか?

 酒のCMは結局あれだけだったね。でも本人ホントは鉛筆のCMをやりたかったらしいんだよね。野坂さんって原稿でも何でもぺンじゃなくて鉛筆を使う人だから。あと、たまたま出演依頼があったものでは「ダニアース」ね。これが大当たりしたんで、次に「アリ殺し」CMの注文が来た。でも野坂さんは「アリは悪い虫じゃないから俺はやりたくない」って断った(笑)。

--- レインコートのCMにも出てらっしゃいましたよね。

 サンヨーのレインコートね。そのサンヨーの社長がすごく野坂さんに肩入れしてて、色々と便宜を図ってくれてたわけ。野坂さんが選挙に出たときなんか、赤坂にあるサンヨーのオフィスを事務所として使うように貸してたぐらいだから。

--- 野坂さんとお酒を酌み交わしたときは、例えば好きな音楽の話なんかはしていたのですか?

 しないよそんなこと(笑)。野坂さんの歌を作るときは、音楽的なことはまったく考えないからね。しかしちゃんと「野坂風のメロディ」っていうのがあるんだよ。野坂さんが歌いやすいメロディ。そこに言葉がうまく乗ればいいわけ。そうすると野坂さん踊り出したりするからさ(笑)。


桜井順(左)と野坂昭如


 これはCDの方にも寄稿したエピソードなんだけど、70年代、野坂さんは当時流行作家だったから締め切りをいっぱい抱えてて、原稿を少しでも早くもらおうって担当者がいつも野坂さんにくっついて回ってたのね。だからライブ回りで地方に行くなんてなると、彼らみんな怒るんだよ。「ウチの原稿まだなのに、歌ってる場合か!」って(笑)。それであるとき旅先の京都の街を昼間から酔っ払って歩いてたら、有名なクラブでちょうどペレス・プラードがライブをやってたんだよ。そうしたら野坂さんスーッと入っていって。だけど、ペレス・プラードって言ってもとうに下り坂で、ドサ回り楽団のヒドイ演奏でね。それを観た野坂さんがニヤっと笑って「これで原稿八十枚ぐらいは書けるな」って聞こえよがしに(笑)。

 で、ちょうど同じ頃、横須賀に原潜が入港してくるって話しがあってね。実際には、時の首相・佐藤栄作の裏取引で核が持込まれてたわけなんだけど・・・そういったことと引っ掛けて「ヨコスカ・マンボ」が出来た。しかもその年、野坂さんはベスト・ドレッサーにもなった。だから最後に「I am ベスト・ドレッサー!」って(笑)。野坂さんは、その時代時代とピタっと寝てるっていう格好だったから、発言したことが直ぐニュースになるっていうかね。それを歌の中に仕込むんだけど、どうにも最後にオチがないから(笑)、「I am ベスト・ドレッサー!」ってまとめるわけ(笑)。

--- ケツまくって逃げるように(笑)。

 そう。「船は出てゆく 噂は残る」なんて歌っておきながら、最後はいきなり上から「I am ベスト・ドレッサー!」って、それで決まっちゃう(笑)。歌はそんないい加減な感じだったというか(笑)、ちょっとしたことですぐ仕上がっちゃったんだよね。

 ちなみに「大脱走」は鶴田浩二のマネ(笑)。彼の「〜なヤツだとお思いでしょうが・・・」っていう決めゼリフのパロディをやったんだよね。それで、スティーヴ・マックィーンの「大脱走」からタイトルも拝借して。それこそ「逃げるんだ!」っていう感じは割り合い今風でもあるよね。

--- 野坂さんの初期の音源作品はライブ録音がほとんどですが、数少ないスタジオ・レコーディングのときなどは、桜井さんはそこに立ち会われていらしたのですか?

 スタジオは全部立ち会ったけど、ライブは全部は立ち会ってないかもしれないねぇ。大体ステージ裏で色んな仕掛けをしていて。僕がいないときでも、バンドが適当にやってた。

--- 例えば『武道館の野坂昭如』の舞台演出などは桜井さんが手掛けたものだったり?

 これはね、60年代、70年代にいちばん当たってた「話の特集」っていう雑誌の当時の編集長だった矢崎(泰久)さんていう人がプロデュースした企画。このときの「御三家」は野坂サン、永六輔サン、小沢昭一サンだった。武道館が満員になったのにはビックリ。

 それが90年代、野坂サン、永サン、小林亜星サンの「世直しトリオ」時代になるとまたちょっと違う。割り合い政治的な感じになっちゃう。『世なおし直訴状』っていう本では、所謂「JASRACの黒い霧・分配金横流し事件」なんかについても触れてるんだけども。この頃は野坂さんも六十そこそこだったからまだ元気だったんだよね。1996年の12月24日に筑紫さんの「ニュース23」に三人揃って出て、オペラの曲を替え歌にして、いかにJASRACがインチキしてたかを訴えたんだよ。オペラだから、要するに「歌劇」を「過激」にってことで(笑)。それを手始めに全国を回ったの。あれはおもしろかった。色んなところへ行って歌を押し売りしちゃあ「今の世の中これでいいのか!?」って説教なんかもしたりして(笑)。90年代には、この「世直しトリオ」の場がとにかく多かったんだけど。三人で「徹子の部屋」にコッチから押しかけで二回ぐらい出たのかな? そこで選挙プロモート・ソングを歌ったりなんかしてね(笑)。


『世なおし直訴状』
米国の愚民化政策がじわじわ効き、飢餓地獄が再来し、職人を軽視の国は傾く・・・。拝啓小泉総理殿。低成長でもいい。心静かに暮らせる国を。君がやらねば、われらがやるぞ。還暦の馬鹿力、喜寿のクソ力を三勇士が実践。

--- 野坂さんの活動テーマの変遷は、そうした歌を通しても垣間見れるという。

 80年代はこのポスターにもあるように「お米」がテーマになってきたんだけど、90年代っていうのは小泉純一郎が出てくる前で何となくごちゃごちゃしてた時期でしょ? 実はこの頃、野坂さん参院選にまた立候補しようかって話があったの。「昭和ヒトケタが暴れなきゃ日本はもっとヒドくなるんじゃねぇのか」って雰囲気が何となくあったんだよね。

--- そこから『ザ・平成唱歌集』につながっていき・・・

 『ザ・平成唱歌集』ではその三人も歌ってるけど、直接関係あったのはむしろ1999年の「国旗・国歌法案」の可決のほう。「日の丸」と「君が代」。まだこの当時渋谷にジァンジァンがあったんだけど、そこで三人が「君が代」について考えたり、明治の色んな唱歌を考えるシンポジウムみたいなものを開いたのね。そのときに「じゃあ明治唱歌のパロディを作ったらどうなるのか?」って何となく思い付いて作ったのがまさしく『ザ・平成唱歌集』。ディズニーランドが消える歌(「浦安太郎」)や、病気の名前をズラリ並べた歌(「病院唱歌」)なんかにしても昔の唱歌と引っ掛けて作ってね。

 70年代は、僕もよく分からないまま勢いで書いてて、野坂さんもあまり考え込まずに歌ってて、それが何となくメッセージになってたのかもしれないんだけど、それ以降は「風刺」の対象がハッキリしてる歌に向かった感じはあるんだよね。対ゼネコンだとかさ。

--- 野坂さんは歌手デビュー以後折々「紅白歌合戦」出場を目論んでいたそうですが、そのためにNHKの「新人歌手オーディション」を受けたりすることも考えていたらしいですね。

 半分冗談、半分本気で「紅白出よう」とはよく言ってた。その頃はNHKのディレクターにも僕らの仲間が随分いたから、ホントにその気になったら「世直しトリオ」なんかで出れたのかもしれないけど。でもまぁ、NHKに出てハクが付くっていうんじゃなくて、あくまでそれをコケにしながらっていうスタンスだからね(笑)。とにかく危険な三人だから(笑)。

 「昭和ヒトケタ」ってどこか生理的につながるところがあるの。いつも権威に対して楯突いたり、あとは「東大法科」大嫌いっていう共通点なんかがあって(笑)。そのへんをバックボーンにして、どんなことでも笑い飛ばして叩きのめすおもしろさに溢れてるんだよね。

--- 僕のような白面郎からすると、野坂さんや桜井さん世代の “馴れ合いではない“ 連帯感はうらやましくもあります。

 そういうのはあるかもしれないね。僕らの世代はみんな70年代がいちばんの活躍時期で、それぞれ同じような価値観を持って何かをやっていたのはたしかだから。そこに自然と仲間意識のようなものが生まれて。永さんにしろ亜星さんにしろ今でもつながってるからね。

 50年代の終わり頃から今のテレビ朝日やフジテレビなんかが次々に開局されて、その記念番組を三木(鶏郎)さんの「冗談工房」で手がけたんだよね。そこから仕事がバァーっと増えていった。それまでのテレビ局は全部局内で番組を作ってたから、規制がなく何でもアリだったの。おもしろけりゃいいって。ちょうどその頃に僕らの世代がポンとあてはまって、それで60年代の終わり頃からフォークソングなんかの世代が出てくるんだけど、それまでの間十年ぐらい、新しいことやおもしろいことをやる人がいなかったブランクがある。そこに僕らが入り込んだっていう感じがあるんだよね。

 僕らのすぐ下には「目の下のタンコブ」って、所謂「団塊の世代」がいた。学生運動の中心世代にあたる彼らに、僕らは突き上げられたカタチになるんだけど。まぁ僕らの世代にも小田実みたいに「ベ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)」なんかをやってた人はいたけど、野坂さんは別にそういう活動はしてないからね。でも「心情三派」、気持ちだけは一緒だよって。「団塊の世代」はその後日本の経済発展の中核団体になって、今じゃ定年を迎えて悠々自適の生活を送ろうかっていう時期にきてるわけだよね。そういう人らを真ん中に据えながら、僕らの世代としても、これから先の世代にメッセージみたいなものを送りたいっていうのは一応あるんだよ。そろそろみんな棺桶に片足突っ込んでる感じになってきてるから(笑)、「今のうちに色々言っとかねぇとダメかな」っていうのはあって。それで昔の話しなんかを書き始める人が多くなってきてるんだよね。

 「昭和ヒトケタ」に共通することとしてはもうひとつ、空襲なんかで命の危機を感じる体験をして、食べる物がないっていう時期も少しの間あった。それが根っこにあるから、野坂さんは60年代から「日本人は飢死にする」っていうことを言い続けてるわけなんだよね。「バカじゃねえのか」って思われるのかもしれないけど、でも今あらためて考えてみると、色んなものが煮詰まってきて、世界の総人口にいたっては70億を超えて、三十年後には100億に届くって言われてる時代を迎えて、どこの国も一律に中流の生活を送れるようになってくると、穀物は全部食い尽くされちゃうわけ。穀物を育てるには水が必要だから、今度は水が足りなくなる。そうなると野坂さんの「農本主義」っていうのはあながち的外れなことじゃないんだなってことになる。40年前より今の状況のほうが、はるかにそのことを現実的に感じるんだよね。

 「じゃあ、どうするか?」ってことになる・・・「んなこたぁ知らないよ、お先にっ!」ってなことになるんだけどね(笑)。



【取材協力:BRAIN JACK/ウルトラヴァイブ/聞き手:HMV 小浜文晶】



profile

桜井順 (さくらい じゅん)

  1934年東京麻布生まれ。57年慶応大経済学部卒業後、1年の商社勤務を経て、三木鶏郎「冗談工房」に参加。ラジオ・テレビ番組制作に携わる。64年に独立して音楽事務所「BRAIN-JACK」設立。以降CM音楽をを中心に作詞・作曲活動を続ける。1970年「マリリン・モンロー・ノーリターン」で歌手・野坂昭如と二人三脚の音楽活動を開始。2007年には、富士フィルム「お正月を写そう」、石丸電気「石丸電気は秋葉原デッカイワー」、アース製薬「ダニアース」 、味の素「コーヒーギフトはAGF」など約3000本に及ぶCM用楽曲から厳選されたものを中心に、これまでの作品をまとめたCD『桜井順 CM WORKS』(Solid)を発売している。作詞ペンネームに「能 吉利人(のーきりひと)」「水木ひろし」。ちなみに「のーきりひと」とはイエス・キリストのもじり。主な著書に、CM詩集「毒」(思潮社・刊)、エッセイ集「オノマトピア・擬音大国にっぽん考」(電通・刊)などがある。 


  終末劇場(BRAIN-JACK.COM)


「野坂昭如先生と僕」〜どんな人間にも必ず終わりは来る〜


 俺は、自分のことを「ボク」とは言わない。
 野坂昭如先生を想うとき以外・・・

 俺より先に生まれただけの人間が、何千億人、何千兆人、何千京人、無量大数ほど地球上に生まれたことだろうか。そんなこと知ったことじゃないし分からないけれど、先生は、野坂昭如先生は、優一無二の、俺より先に生まれた「先生」たる存在なのだ。


野坂昭如


 90年代後半だったろうか、「朝まで生テレビ」で宮崎哲弥氏が、30年以上も先に生まれた野坂先生に対し「あんたさぁ〜それはさぁ〜云々〜という訳なのよ〜云々」内容は忘れたが、完全なるタメ口という態度をとった。宮崎氏にしてみれば、ただ単に「先に生まれた人間」という態度か。当時の俺は、心底その場に居合わせなかった僕を悔やんだ。その当時は、宮崎氏がどのような方なのか、全く存じあげていなかったのだが、宮崎氏をせめて妄想でもネックハンギングツリーで締め上げてきゅうきゅうさせたかった。不可能な俺は尻子玉を抜かれ、身体中の穴という穴から色々出てきて眠れなかった朝まで。

 かつて、作家中島らも氏が、先生に対して決闘を挑んだ時は、心底、心震わされた。アルコールに心も体も魅惑せしめられた両人の戦いの末を見留めたかった。結局、決闘は執り行われなかったようだが・・・。もしその決闘が執り行われていたならば、結果は推して知るべし。でもいいじゃんか、その心意気。ガンバレ!らもさん!

 どうして?僕は、野坂先生をこんなにお慕い申し上げているのだろう?と自問する振りをして既に分かっていることなんだけど。結局は、幼少期に父親の膝の上で観た、ブラウン管の中でメートルを上げて「黒の舟歌」を熱唱される野坂先生が、俺を膝に乗っけて晩酌している親父と瓜二つだったからだ。存在として。ちなみに、父親がシラフの時の顔は、NHK「連想ゲーム」出演当時の大和田伸也似で、メートルが上がっている時の顔は、「鬼畜(‘78年 原作 松本清張・監督 野村芳太郎)」の緒方拳似だった。

 父親が死んでから、野坂先生のお姿を拝見するたび、父親を偲んだ。音声を拡張させるために作られたはずのマイクロフォン片手に、旧友の映画監督の頭をぽかぽか小突くなど(逆か、小突かれる側だった。先生は、出会い頭にキックボクシングで培った右ストレートを大島渚氏にお見舞いしマイクロフォンでぽかぽかされる側だった)、ダンディズム溢れるお姿を拝見し・・・。そして、月日が経ち、上京するまで憎悪していたアルコールを嗜むようになった大学時代、先生の著作や音源に耽った。

 もはや、僕にとって野坂昭如先生は、俺のオヤジである。

 最後に、TBSラジオで毎週土曜放送中の「永六輔その新世界」で、野坂先生のコーナーが設けられておりますことを告げさせていただく。




私設 「野坂会」 八王子てろてろ支部
ナスアケミ









 
野坂昭如 年譜


昭5
10月10日 父相如(すけゆき)と母ヌイの次男として鎌倉に生まれる。その三ヵ月後に母ヌイ死亡。
神戸に移り、張満谷(はりまや)善三家の養子となる。のちの終戦後までは裕福な家庭環境で育つ。小学校時代は級長や副級長を務めた。成績も総じて良く、中でも体操と唱歌が得意だったという。

昭20
6月5日 神戸大空襲。敗戦。しばらくの間祖母と大阪で生活する。

昭22
上京後すぐに窃盗罪により多摩少年院東京出張所に収監。
12月 新潟の実父相如に引き取られ「野坂」姓にもどる。

昭25
早稲田大学仏文科に入学。

昭29
学業に集中できずにアルバイトと酒に明け暮れる。
アルコール中毒のため新潟大附属病院精神科に入院。
退院後、新潟・大栄寺に入門。父・相如の参院補欠選の応援などもする。

昭30
再び上京。楽譜は読めなかったが、友人の紹介で写譜屋をはじめる。この年の暮れに「三木鶏郎音楽事務所」の事務員となる。

昭31
社長・永六輔、専務・野坂昭如、常務・宇野誠一郎による有限会社「冗談工房」発足。専務と言えど、実質は三木鶏郎のマネージャーであったが、経理ミス発覚によりマネージャーをクビとなる。大学中退。

昭32
「TV工房」の責任者となる。「阿木由起夫」のペンネームでコントを書いていた。また、作曲家いずみたくとのコンビでCMソングを作詞するようになり、二年間で350曲以上を手がけた。主なヒットCMソングは、「カシミロンの唄」、「ピアス・マンボ」、「花王ザブ」、「明治製菓のテーマ」、「ヤマキ花かつを」など。

昭34
テレビの台本を書き始める。「クロード・野坂」の芸名で銀座のシャンソン・クラブ「銀巴里」でシャンソンを歌う(客のいないうちにオーディション的に口ずさんだ、という本人談もある)。マネージャー失職後に銀座十字屋にあったシャンソン教室に通い、発声をマリー・クレーマーに習っていた。

昭35
人気放送作家として、月にラジオ18本、テレビ6本の番組を担当。同時に、野末陳平とのコンビ「ワセダ中退・落第」による漫才、CMタレント、ファッションモデルなど活動を多岐に広げる。

昭37
前年から寄稿を開始した週刊誌コラムをまとめた「現代野郎入門」出版。編集を手がけた「プレイボーイ入門」を刊行。
日本テレビの番組「春夏秋冬」に”プレイボーイ代表”として出演。「女は人類ではなく女類。男性よりも一級下の生物である」と発言し大騒ぎとなる。
12月 宝塚スターの藍葉子と結婚。

昭38
放送作家協会を退会。童謡「おもちゃのチャチャチャ」でレコード大賞作詞賞を受賞。処女小説「エロ事師たち」を発表。
この時期よりしばらく雑文業に専念。

昭41
「エロ事師たち」今村昌平監督により「人類学入門」として映画化。野坂主演は実現ならず・・・

昭42
小説「受胎旅行」が直木賞候補に。

昭43
「アメリカひじき」「火垂るの墓」の二作が直木賞受賞。

昭44
7月23日 「歌手・野坂昭如」誕生。東京・六本木CBSソニー・スタジオで、以前から銀座のバーなどで持ち歌としていた黒人霊歌の「ポー・ボーイ」(原題は「プア・ボーイ」)をレコーディング。池袋のキャバレー「ハワイ」のステージ出演を皮切りに本格的な歌手売り込み作戦が開始された。
10月 大宅壮一らによる「歌手・野坂昭如を励ます会」開催。11月1日 デビューEPレコード「ポー・ボーイ」発売。
同月15日 EP「サングラスの男とビキニの女が長い長いアクビをしている時の唄」発売。
中村錦之助プロの映画「幕末」に出演。”マドンナ”吉永小百合に襲いかかる役で話題に。

昭45
突如 キック・ボクシングをはじめる。
フジテレビのドラマ「お嫁に行きたい」出演。初主演映画「黒メガネの遁走曲(フーガ)」浦山桐郎監督)の決定が発表されるも、現実のものとはならなかった。
「題名のない音楽会」で”ワンマンショー”放送。

昭46
2月10日 作曲家・桜井順が書いた「マリリン・モンロー・ノーリターン」を発表。テレビ、ラジオ出演以外にも、全国キャバレー歌行脚に精を出しはじめ、酒場、深夜喫茶などでも歌いまくる。聖心女子大、東洋英和、神戸女学院、実践女子大など全国の女子大で新曲「バージン・ブルース」を披露。コンサートには憧れの吉永小百合からの花輪も届く。

昭47
3月 初のLPレコード「鬱と躁」を3000枚限定で発売。ライナー寄稿は浅川マキ
6月 雑誌「面白半分」の編集長に就任。その7月号に永井荷風の原作といわれる「四畳半襖の下張」の全文を掲載。警視庁に”猥褻文書”として摘発される。

昭48
この年あたりから、「食糧危機」 「公害問題」などの発言が多くなり、対談、座談、講演、テレビ出演に多忙をきわめた。
5月 早大でワンマンショー。東京、京都で行われた浅川マキのコンサートにもゲスト出演。ラグビー・チーム「アドリブ倶楽部」結成。
9月27日 第一回公判が開かれた「四畳半裁判」を盛り上げるため、日比谷公会堂で3000人を集め「野坂昭如猥褻リサイタル」開催。
12月 その「猥褻リサイタル」を収めたLP「不浄理の唄」発売。

昭49
2月 サンヨーレインコートのテレビCM出演。
4月 EP「終末のタンゴ」発売。
5月 参院選東京地方区 無所属での立候補を表明。
6月 LP「分裂唄草紙」発売。
7月 選挙は次点で落選。
9月 7月6日の選挙最終日に新宿西口で行なった演説を録音したLP「辻説法」発表。ベスト・ドレッサー(学術文化部門)に選出される。10月より東京12チャンネルのナイトショー「男のスタジオ」の司会を務める。池袋・西部デパートで開催された「野坂昭如・妄想の軌跡展」を記念してEP「おりん巡礼歌」発売。「野坂昭如の唄参拾」刊行。
11月 藤田敏八監督「バージン・ブルース」に出演。
12月6日 永六輔小沢昭一との”中年御三家”による「ノーリターン・コンサート」が日本武道館に1万人以上の聴衆を集めて開催される。パンフレットには「美声の六輔、芸の昭一、さて残る私めはとなると、いわばスリルの昭如であろうか」。

昭50
1月1日 テレビ特番「野坂昭如対コンピュータ」出演
前年に渋谷公会堂で行われた「話の特集100号記念大博覧会」ステージの実況録音LP「大歌謡祭」発表。
5月 五木寛之井上ひさしらと「面白半分春の音楽祭」開催。
埼玉県大利根町の”アドリブ農場”にて田植え。以後本格的に米作りを開始する。
7月 LP「絶唱! 野坂昭如」発売。
10月 EP「男坂・女坂」発売。
11月よりニッポン放送の深夜ラジオ番組「オールナイト・ニッポン」のパーソナリティを担当。

昭51
ラジオ関東で「野坂昭如のアドリブ的タックル論」放送。4月27日 「猥褻裁判」で罰金10万円の判決。
フジテレビ「小川宏ショー」で「野坂昭如30分40曲歌いっぱなし」放送。局側のコメントは「お酒も用意して、ノドをうるおしながら歌っていただくことになります」。
6月 LP「武道館の野坂昭如」発売を記念して「ハロー! ミスター・ダンディ・ノサカ・オンステージ」開催。
8月より「サントリー・ウイスキー」のテレビCMに登場。この頃より「歌手引退」をほのめかす。

昭52
2月 EP「赤と黒の哀歌(エレジー)」発表。浅草国際劇場にて”サントリー大物シリーズ第二弾”のCF撮影。渋谷公会堂にて「”爆弾発言付”野坂昭如引退リサイタル」開催。だが、爆弾は不発。「また歌手に戻れる日まで・・・」と歌への未練を捨てきれない発言も。
米倉斉可年が絵草紙を手がけた「マッチ売りの少女」発表。


年譜のつづきは 「野坂昭如大全U」特集で・・・



ザ・平成唱歌全集
 
 ザ・平成唱歌全集
 Pヴァイン PCD25142 
 野坂昭如&桜井順による平成の名唱歌集『ザ・平成唱歌集』の巻の壱&弐&シングル「チンタマケの唄」が1枚に合体。野坂の評価など全く寄せ付け受け付けぬ歌声と叫び、桜井順によるピリリと激辛の歌詞が終末のニホンに活を入れる。紙Wジャケ/ リマスタリング。桜井順による追加解説。


 
こちらの商品は現在お取り扱いしておりません
 
 チンタマケの唄
 Pヴァイン PCD4601 
 『ザ・平成唱歌集』の緊急別巻として2000年に発売されたマキシ・シングル。「チンタマケ」とは沖縄の方言で「鎮(チン)魂(タマ)歌(ケ)」を意味する反戦歌。当時の沖縄サミットの会期に合わせて緊急発売された。




ザ・平成唱歌集 巻之一
 
 ザ・平成唱歌集 巻之一
 Pヴァイン PCD3947 
 野坂昭如、能吉利人(作詞)、桜井順(作曲)の三人による平成の戯れ歌集。「昭和ヒトケタ」の老人力をテーマに、“バブル”“談合”“ディズニーランド”など社会諷刺ネタを大いに歌い上げる。



 
こちらの商品は現在お取り扱いしておりません
 
 ザ・平成唱歌集 巻之二 黒の田植歌
 Pヴァイン PCD3960 
 参院選挙の真っ只中の2001年7月に発表されたこともあり、リリース当日のレコード店インストア・ミニ・コンサートも、小林亜星、クレイジーケン・バンドの横山剣などが駆けつけた。明治唱歌をナゾった「巻之一」とは異なり、「巻之二」は風刺的ものが中心となっている。葉子夫人との夫婦デュエット「嗚呼結婚記念日」、永六輔、小林亜星を加えた「世直しトリオ」による、歯間を秋風吹き抜けるジジイの春歌「せ・せ・せ」などを収録。


絶唱! 野坂昭如 マリリン・モンロー・ノーリターン
 
 絶唱! 野坂昭如
 Pヴァイン PCD7316 
 野放図な歌心が坂をころげ昭かに地を揺るがせるが如し。マリリン・モンローはノー・リターンか? この世の終わりに聴け。びゅーちふりーな野坂の毒歌の群れ。1975年コロムビアから発売の名作アルバムに、71年発表のシングルと75年発表の傑作EP「春・夏・秋・冬」を併収。リマスター紙ジャケで再登場。


 
鬱と躁
 
 鬱と躁
 Pヴァイン PCD7317 
 1972年当時は3000枚限定で世に出た自主制作による初アルバム。名曲「サメに喰われた娘」も収録された42〜45 歳の野坂昭如 大迫力アルバムの復刻。評判が良くなかったと言われていた寂しいジャケが、山本和男氏のクールで鋭い迫力の写真に大変身! リマスター紙ジャケで再登場。


こちらの商品は現在お取り扱いしておりません
 
 辻説法
 バップ VPCC84577 
 1974年参院選における野坂昭如の全てを再現。新宿駅西口にて行われた演説~アピールを収録。永六輔、小沢昭一という”花の中年御三家”が揃い踏む。1974年発売作品。



 
こちらの商品は現在お取り扱いしておりません
 
 分裂唄草紙
 バップ VPCC84576 
 野坂昭如、唯一無二の酔いどれ節満載の渾身の作品。「終末のタンゴ」を含む全11曲収録。編曲にピコこと樋口康雄や三保敬太郎らが参加し、全体的に当時流行のフォークロックやニューロック色が強められている。中でも、小室等作曲、高中正義編曲による「十人の女学生」は昭和ニューロック歌謡の英名として今もなお高い人気を誇る。1974年発売作品。

こちらの商品は現在お取り扱いしておりません
 
 不浄理の唄
 バップ VPCC84578 
 1973年に日比谷公会堂にて行なわれた「猥褻リサイタル」の模様を収録したライブ盤。ゲストに美輪明宏が登場し、さすがのシャンソン小唄で酔わせてくれるが、ノリにノッている野坂昭如、その無敵の歌唱の前ではすべてが・・・。1973年発売作品。






 
武道館の野坂昭如
 
 武道館の野坂昭如
 KIVA ENCK2002
 1975年、2000枚が通販でのみリリースされたという野坂昭如の武道館ライヴ盤。永六輔、小沢昭一との「花の中年御三家大激突! ノーリターンコンサート」は、「話の特集」が主催し、司会には愛川欽也と中山千夏が登場する、時代の空気を如実に感じる好企画。フル・バンドをバックに、主役の野坂もオープニングから多少の緊張とともに恍惚の表情を歌で垣間見せる。御三家による軽快なカラミを交えながら最後の「黒の舟歌」まで突っ走る。


こちらの商品は現在お取り扱いしておりません
 
 ダニアースの唄
 バンダイ AADA004 
 畳の被りモノで「死んだ! 死んだ! ダニダニダニ」と歌うその姿に誰もが心を鷲掴みにされた、1998年本人出演・歌唱CMソングのシングル盤(短冊型)。カップリングには、野坂、永六輔、小林亜星の「世直しトリオ」による「なんじゃん・わるつ 〜昭和わかれぶし〜」や「ダニアースの唄 (Drum'n'Bass Mix)」などを収録。




 
CKB ライヴ青山246深夜族の夜
 
 クレイジーケンバンド
「CKB ライヴ青山246深夜族の夜」
 Pヴァイン PCD5617
 2000年9月2日に青山CAYにて、野坂昭如、幻の名盤解放同盟、クボタタケシ、サミー前田、川勝正幸らをゲストに迎えて行われたイベント「青山246深夜族の夜」の音盤。ゲストの野坂昭如は登場するや否や「野坂説法(前説)」でフロアを温め、「終末のタンゴ」、「ヴァージン・ブルース」、「黒の舟唄」ではバックのCKBの演奏にノセられ高揚した歌声を響かせる。