「禁断の楽しみ」

2010年7月12日 (月)

連載 許光俊の言いたい放題 第181回

「禁断の楽しみ」

 このところ、私は毎晩禁断の楽しみに耽っている。ステレオを新調したので、それで手持ちのCDをあれこれ聴き直すのが楽しくてたまらないのである。これがなぜ禁断の楽しみなのか?
 基本的に私は、ナマが好きである。どうしても聴きたいコンサートは万難を排して聴く。聴き逃したら最後、チャンスは二度とないのだ。チェリビダッケとベルリン・フィルの和解コンサート、ザンデルリングの引退コンサート、カルロス・クライバーの最後のコンサート、テンシュテット晩年のベルリン・フィルとの協演・・・まさに唯一無二の機会で、「もう一度」はなかった。こういう音楽に触れるためには、時間と金を惜しんではならない。
 それゆえ、もちろんCDも喜んで聴くが、どうしてもナマ優先となる。再生装置に手間暇、お金をかける気は全然しなかったし、家を建てるときもリスニングルームを作ろうなどとは微塵も思わなかった。友人知人にはそちらのほうに熱心な人も少なからずいて、彼らのステレオを聴かせてもらったこともあったが、そのときはそれなりに「いいなあ」とは思うけれど、自分で高価な装置を買う気は全然しなかった。「再生音楽なんて、しょせん偽物じゃん」という侮りがなかったとは言えない。
 ところが、まったく何の気まぐれか、昨年ハイティンクとロンドン交響楽団の演奏会を聴いている最中に、「このきれいな音は、再生装置で鳴らせるのかな」と思ったのだ。消え去るにはもったいないような美しい演奏だった。
 その話をあるオーディオ雑誌の編集長にしたところ、ではあれこれ試聴をしてみましょうということになって・・・そうしたら、話がトントンと進んで、一般常識からすれば結構なお値段のステレオを揃えてしまったのである(大好きな車の買い換えは延期して)。
  その詳細は、「ステレオサウンド」最新号と前号に書いたので、興味のある方はそちらをご覧頂きたいが、高級オーディオ、恐るべしである。いつの間にこんなことになっていたのか。今回私が揃えた製品など、高級オーディオの入口あたりのものにすぎないだろうが、それでも、「今、ベルリン・フィルの面々が私の目の前で弾いてくれています」「今晩はツィメルマンさんが、うちに来て私のためにショパンを弾いてくれます」「クレーメルさんの横に立って聴いています」「今聖トーマス教会でオルガンの響きに身を浸しています」という感じの音がしてしまうのである。人に聴かせてみると、その臨場感に仰天する。
 単にいい音、きれいな音が出るだけではないのである。演奏家がすぐそこにいて私だけのために演奏してくれる、という妖しい錯覚がしてしまうのだ。「私は毎晩おうちでベルリン・フィル1列目」、これは病みつきになる。名演奏家に自分だけのために演奏してもらう、これを最高の贅沢と言わずしてどうする。ルートヴィヒ2世は、自分だけのためにワーグナーのオペラを上演させたではないか(私も人生で一度は、お気に入りの指揮者とオーケストラを雇って、好きな曲を演奏してもらいたいとひそかに考えていた・・・)。
 それと、これまでも愛聴してきたチェリビダッケやヴァントのライヴ録音、特に後者が抜群に映えるようになったが超意外だった。ヴァントのBMG録音については、音に冴えがないとか、クローズアップがわざとらしいとか、いろいろ否定的な意見があるし、私も不満を覚えていた。ところが、新しい装置で聴くと、実に快適なのである。ベルリン・フィルとのブルックナー第5交響曲など、最高だ。指揮者自身が大満足するできばえだったことがよくわかる。チェリビダッケでは、ミュンヘン・フィルとのチャイコフスキーの第5交響曲(EMI)もいいし、シュトゥットガルト放送響との「ローマの松」中間楽章(DG)では、異常な弱音の美が暗示される。もちろん完全にナマと同じではないにせよ、何か特別なことが起きているということはよくわかるのである。もちろん日本ライヴ(アルトゥス)もいい。
 まだまだ言いたいこともあるが、あまり書いていると、自分の恋人についてのろける「コジ・ファン・トゥッテ」の男たちみたいになるので、このあたりで止めておく。いずれにせよ、高級オーディオ、一度は耳にしておくべきである。知っていたほうが絶対に幸せになれる。

 さて、不快な天気が続く毎日だが、今回は珍しくヴァイオリンのCDを2点。
 ルクレールの「2つのヴァイオリンのためのソナタ集第2巻」は、こんなときにも非常に心地よく聴ける。気品ある美しさに満ちた曲ばかりだ。この作曲家、独特の憂愁があって、それを愛でる人はあとを絶たない。イタリアのバロック音楽よりも繊細な味や陰影がある。ゆるやかな時の流れがたまらない。一足早く夏休み気分になれる。演奏しているのはアニマ・コンコルディアという2人組。
 逆に、超暑苦しくてビックリしたのが、佐藤久成の「トリスタンとイゾルデ」というアルバム。文字通り、ワーグナー作品のヴァイオリン編曲集(世界初録音が半分以上)なのだが、冒頭に入っている「トリスタン」前奏曲のネットリぐあいがたまらない。微妙な音の高低、揺れ、ポルタメントなどを駆使し、ドロドロした世界を描き出すのだ。相思相愛というより、ストーカー的なのではないかと思わせるほどの粘り方である。このヴァイオリニスト、ジャケット写真を見て、てっきり草食系かと思ったのだが、とんでもない誤解だった。こんなヴァイオリンを耳元で弾かれたら悪夢にうなされそうというくらい濃い口なのである。「愛の死」は、ちょっとかすれ声っぽい感じで弾き出されるのにのけぞった。これまた妖しすぎる。いいんですか、まだ若そうなのにこんな演奏しちゃって。いやはや、これも禁断の音楽だ。暑苦しさに巻き込まれて暑さを忘れる、のでは。
 しかもエロ表現だけではない。「パルジファル」では、聖金曜日の動機をすばらしい弱音で弾く。しかも強い憧れの感情がある。たいしたもんです。ヴァイオリンとピアノだけで、ちゃんと「パルジファル」の音楽になっているではないか。この前サントリーホールで聴いたヒラリー・ハーンのチャイコフスキーの協奏曲は1分で帰りたくなったが、そんなものとは比べものにならないほどいい。
 このヴァイオリニスト、既存のレパートリーに満足せず、あれこれ発掘しているようだ。その志も高い。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

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