【追悼】パワフルで深遠な歌声で多くの名唱を残した”レディ・ソウル” アレサ・フランクリン

アレサ・フランクリン 追悼

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ゴスペル音楽に根差したパワフルで深遠な歌声で多くの名唱を残した”レディ・ソウル”アレサ・フランクリンが8月16日午前、デトロイトの自宅で膵臓がんのため亡くなりました。享年76。ゴスペル〜R&B〜ソウル界のみならず、ロック、ポピュラー音楽界にも偉大な足跡を残してきたアレサに改めてリスペクトの念を捧げつつ、心よりご冥福をお祈りいたします。

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1942年3月25日、テネシー州メンフィスの有名なバプテスト派の牧師C.L.フランクリンの娘として生まれたアレサは、幼い頃からゴスペルを聴いて育ち、12歳で父親の教会の聖歌隊に参加。4オクターブの声域と生々しい感情表現、絶妙なブレスコントロールは当時から秀でており、たちまち地元で大きな評判となった。

14歳で初めてのレコーディングを経験。デトロイトのJVBからシンガーデビューを果す。当時、アレサの家には彼女が最も影響を受けたというゴスペルシンガーのクララ・ワードやマヘリア・ジャクソン、ダイナ・ワシントン、サム・クックといった大スターたちが日がな訪れて歌っていたという。

ゴスペル畑での経験を活かし、リズム&ブルースのフィールドへ足を踏み入れたのは1960年、アレサ18歳の夏であった。ニューヨークのCBSコロンビアレコードに迎えられたアレサは、8月1日ニューヨークのスタジオで、プロデューサー、ジョン・ハモンドの元で4曲を吹き込み、その中の1曲「Today I Sing The Blues」が正式なデビューシングルとして発表され、同年11月から翌年1月にかけてスマッシュヒット(ビルボードR&Bチャートで最高10位)を記録、一躍人気歌手の仲間入りを果した。

このコロンビアには65年まで在籍し、「Won't Be Long」や「Operation Heartbreak」などのヒットを生むが、後半の数年は決して順風満帆という訳ではなかった。

66年秋、「リズム&ブルースの生みの親」としても知られる名プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーとの出会いがきっかけとなってニューヨークのアトランティックレコードと契約。後に”レディ・ソウル”と呼ばれるアレサがここに誕生することになる。

当時、アメリカのソウル/リズム&ブルース界は南部のサウンドが中心勢力の一部を形成していたが、アレサも翌67年1月、アラバマ州マッスルショールズのフェイムスタジオで吹きこんだ移籍第1弾シングル「I Never Loved A Man」(The Way I Love You)」を発表。リズム&ブルースチャートで堂々のナンバーワンに輝き、続くシングル「Respect」では遂にポップチャートをも制し、この1作で名実共にリズム&ブルース界の”女王”として君臨していった。アレサ25歳の時である。

まさに黄金時代とも言えるアトランティックでのアレサの活躍ぶりには目を見張るものがあった。「Baby I Love You」「Chain Of Fools」「(Sweet Sweet Baby)Since You've Been Gone」「Think」と立て続けにナンバーワンヒットを連発。のちの彼女の代名詞ともなる「A Natural Woman(You Make Me Feel Like」もこの時期に生まれた名曲の一つである。ちなみにアレサは68年から70年まで3年連続でグラミー賞「最優秀R&B女性アーティスト」を受賞している。

70年代に入っても彼女の勢いはとどまることを知らず、「Call Me」に始まり、サイモン&ガーファンクルのカヴァー「Bridge Over Troubled Water」「Spanish Harlem」「Day Dreaming」「Angel」、スティーヴィー・ワンダーとの共作「Until You Come Back To Me」、「I'm In Love」「Something He Can Feel」「Break It To Me Gently」と快調にヒットチャートを制覇していった。


アレサの名唱を振り返る



そんな彼女に大きな転機が訪れるのが1980年。14年間在籍していたアトランティックを離れ、アリスタへ移籍。ここからのアレサは、よりコンテンポラリーなサウンドを導入し、ポップフィールドでも多大な功績を残していった。また同年、映画「ブルース・ブラザース」に出演した際には、劇中で68年のヒット「Think」を披露。その圧倒的な歌唱におののき、また魅了されたファンも多い。

81年発表の「Love All The Hurt Away」では旧友アリフ・マーディインをプロデューサーに迎え、タイトル曲ではジョージ・ベンソンとデュエット、アレサの新たな魅力でファンを陶酔させた。

その後もルーサー・ヴァンドロスやナラダ・マイケル・ウォルデンら新進気鋭のサウンドクリエイターたちと手を組み、「Jump To It」「Get It Right」「Freeway Of Love」といったナンバーワンヒットを生んだ。ジョージ・マイケルとのデュエットソング「I Knew You Were Waiting (For Me)」やユーリズミックスとのコラボ「Sisters Are Doin' It For Themselves」は多くのロック〜ポップスリスナーにも強烈なインパクトを与えたことだろう。87年には、女性アーティストとしては初の「ロックの殿堂」入りを果たした。

2005年には大統領自由勲章を受章。2009年、バラク・オバマ大統領の就任式式典において「My Country, 'Tis of Thee」を披露した。 2017年には、スティーヴィー・ワンダーのプロデュース曲を含む新作アルバムの発表をもって、コンサート活動から引退する考えを述べていた。


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