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4 people agree with this review 2010/04/03
影響力の大きい某評論家によって不当に貶められている演奏であるが、私としては、メリー・ウィドウ史上最高の名演と高く評価したい。名演となった要因の第一は、やはりカラヤン&ベルリン・フィルの雰囲気満点の名演奏ということになるであろう。特に、第2楽章のワルツや第2楽章と第3楽章の間にある間奏曲の美しさは、ライバルであるマタチッチ盤やガーディナー盤など全く問題にならないほどの極上の美演である。これ以外にも、随所に見られる詩情溢れる抒情豊かな旋律の歌い方も完全無欠の美しさであり、ここぞという時の力強い表現も見事の一言である。歌手陣も、いかにもカラヤン盤ならではの豪華さだ。その扇のかなめにいるのはダニロ役のルネ・コロということになるが、ハンナに対する心境の微妙な移ろいを絶妙の歌唱で巧みに表現しているのはさずがという他はない。また、ハンナ役のハーウッド、ヴァランシエンヌ役のストラータス、ツェータ男爵役のケレメン、そしてカミーユ役のホルヴェークも最高のパフォーマンスを示しており、これらの五重唱の極上の美しさにはただただため息をつくのみ。録音は、通常盤でもなかなかの高音質であるが、最近、ESOTERICからSACDが発売された。これは究極とも言える鮮明な高音質を誇っており、そのSACD盤を持ってメリー・ウィドウの決定盤と評価したい。
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4 people agree with this review 2010/04/02
ムターは、1980年にカラヤン&ベルリン・フィルとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を録音しているので、本盤は約30年ぶりの録音ということになる。演奏は、約30年前の旧録音が、終始カラヤンのペースで演奏されたというイメージがあったが、本盤は、ムターの個性が全開の円熟の名演であると評価したい。ムターならではの大らかさの中にも、繊細な抒情に満ち溢れている。バックは、マズア&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。マズアの指揮は、ベートーヴェンや特にブラームスの協奏曲では、いかにも薄味の伴奏と言った趣きであった(オケはニューヨーク・フィルであったが)が、本盤では、楽曲がメンデルスゾーンの協奏曲だけに、そのような問題点はいささかも感じられなかった。正に、ムターとマズアの楽曲への思いが通じ合った会心の名演と言っても過言ではなく、更に、メンデルスゾーンゆかりのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のいぶし銀の音色が、演奏に重厚さを添えることになっている点を忘れてはならないだろう。ピアノ三重奏曲やヴァイオリン・ソナタは、プレヴィンやハレルとともに、実に息のあった名演奏を繰り広げており、特に、ピアノ三重奏曲の終楽章の地響きがするような重厚なド迫力には、完全にノックアウトされてしまった。ボーナストラックの春の歌は、ムター&プレヴィンの仲睦まじさに思わず微笑んでしまうような名演奏であり、名演揃いの本盤の締めくくりに相応しい温かみを湛えている。
1 people agree with this review 2010/04/01
凄いCDが現れたものだ。アルゲリッチがショパン国際コンクールで優勝したのは1965年のことであるが、本盤は、それより6年前の17歳の時に演奏されたバラード第1番や、優勝の2年後に演奏した諸曲をおさめている。いずれも、アルゲリッチの個性全開の超名演と評価したい。アルゲリッチは、最近ではピアノ独奏曲の演奏を殆どしなくなっているが、彼女には円熟という言葉は薬にしたくもなく、現在においてもなお、協奏曲であれ、室内楽曲であり、自由奔放と評すべき個性的な演奏を繰り広げている。そして、本盤の若き時代の演奏にも、その萌芽が現れていると言えよう。バラード第1番は、緩急自在のテンポ設定と強弱の大胆な付け方が見事であり、とても17歳のピアニストによる演奏とは思えないくらいの感動的な名演だ。練習曲の疾走は、唖然とするような抜群のテクニックであり、それでいて、芸術性をいささかも損なうことがないのはアルゲリッチの類まれなる才能の証左と言えるだろう。マズルカは、合計で8曲おさめられているが、テンポ設定といい、強弱の付け方といい、そして強靭な打鍵といい、文句のつけようのない高みに達している。夜想曲は一転して抒情豊かな演奏を行っており、実に感動的だ。ピアノソナタ第3番は本盤の白眉と言うべき空前絶後の超名演だ。後年にスタジオ録音しているが全く問題にならない。第1楽章や第2楽章の抒情豊かな歌い方の絶妙さ。第2楽章の抜群のテクニックに裏打ちされた俊敏な前進性。終楽章の力強い打鍵と切れば血が出るようなパッションの爆発。録音は、モノラル録音だけにやや籠った音質が残念ではあるが、演奏が極上だけに、聴いているうちに殆ど気にならなくなった。
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2 people agree with this review 2010/03/31
ぺルゴレージ生誕300年を記念してアバドが取り組んできた3枚にも渡るアルバムの有終の美を飾る三作目のアルバムだ。本盤には、1作目のCDにおさめられたスターバト・マーテルや、2作目のCDにおさめられたサルヴェ・レジーナのような有名曲は見当たらず、いずれも知られざる作品がラインナップされているが、アバドによる見事な名演によって、これらの作品に光が当てられることになった功績は極めて大きいと言わざるを得ない。どの曲も、清澄なみずみずしささえ感じさせる美しさに満ち溢れており、純度の高い透明感溢れる極上の響きが、いかにも宗教音楽ならではの至高・至純の高みを体現させていると言えるだろう。アバドによって見事に統率されたモーツァルト管弦楽団やスイス・イタリア語放送協会合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、特に、モーツァルト管弦楽団など、ピリオド楽器を用いているにもかかわらず、ごつごつした感じが全くなく、どこまでも滑らかで歌謡性豊かなハーモニーを奏でているのは、アバドの抜群の統率の賜物と言えるだろう。独唱陣も、情感溢れる見事な歌唱を行っており、ぺルゴレージの知られざる作品の魅力を引き出すのに大きく貢献している点も忘れてはなるまい。
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3 people agree with this review 2010/03/30
今年はぺルゴレージ生誕300年の記念イヤーであり、アバドは、昨年の最高傑作スターバト・マーテルを含む第1集に続き、更に2枚の作品集の録音を行った。本盤は、その第2集にあたるものであるが、早世の天才作曲家の類まれなる才能やその楽曲の魅力を知らしめることに大きく貢献する名演だと思う。アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してから泣かず飛ばずの低迷期が続き、その重責から来るあまりの心労も重なって大病を患うことになった。しかしながら、芸術監督退任間近に大病を克服した後は、彫りの深い円熟の名演の数々を遺すようになったのだから、実に皮肉なものだ。特に、本盤のような小編成のオーケストラを指揮した場合、アバドの各楽器のバランスを重視した丁寧なアプローチは、俄然その威力を発揮することに繋がる。それも、同郷の作曲家のぺルゴレージの作品ともなれば、正に鬼に金棒ということになる。モーツァルト管弦楽団は、歴史の浅い若いオーケストラであるが、ピリオド楽器を使用しているにもかかわらず、ごつごつした感じがしない。それどころか、全体から滑らかな自然体で、しかもみずみずしささえ感じさせる美しい音楽が浮かび上がってくる。これは、各楽器のバランスとともに、歌謡性を重視するアバドならではの至芸と言えるだろう。独唱陣や、スイス・イタリア語放送協会合唱団の見事な歌唱も、ぺルゴレージの音楽の清澄な美しさを、我々聴き手に知らせしめるのに大きく貢献していると言える。
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9 people agree with this review 2010/03/29
ムターの約30年ぶりの再録音である。前回は、ワイセンベルクと組んだ録音であったが、今回は、ベートーヴェンやモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集の録音でも息のあった名コンビぶりを発揮しているオーキスとの組み合わせである。ライナー・ノーツによると、ブラームスのヴァイオリン・ソナタについては、オーキスともども20年に渡って演奏をしつつ研究を重ねてきたとのことであるが、その意味では、今般の録音は、20年もの長きに渡った両者による研鑽の到達点というべきものであると言えよう。そのような点から漲る両者の自信は、第2番と第1番を逆転させるという、収録された曲順のこだわりにも表れている。そして、ムターのヴァイオリンも、前回の録音とは段違いの円熟ぶりを示している。前回の録音では、弱冠20歳という年齢もあって勢いに任せたようなところも見られたが、今回の演奏では、勢いに任せて上滑りしてしまうような箇所はいささかもない。ムターの特徴であるスケール雄大な大らかさは感じられるものの、決して大味になることなく、ブラームスならではの渋みのある抒情も、心を込めた豊かな音楽性を湛えて巧みに表現している。オーキスのピアノも、ムターのヴァイオリンに見事にあわせており、特に、第2番の第2楽章の両者の自由闊達とも言うべき掛け合いは、このコンビの好調ぶりを表す素晴らしさだ。いずれにしても、本盤は、ブラームスのヴァイオリン・ソナタの古今東西の名演の座に加わる資格を十分に有する名演と高く評価したい。
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5 people agree with this review 2010/03/24
シューリヒトは、数年前まではブルックナーの交響曲やブラームスの交響曲などのスタジオ録音などによって、颯爽としたインテンポを基調とする指揮者だというイメージがあったが、最近アルトゥスレーベルなどが数々のライブ録音を発売したこともあって、劇的な演奏やロマン的な情緒を全面に打ち出した演奏をも繰り広げたりするなど、決して一筋縄ではいかない指揮者であることがわかってきた。本盤も、シューリヒトの一筋縄ではいかない多彩な芸術を味わうことができるCDであると言える。ドイツ・レクイエムは、本盤におさめられた楽曲の中では録音年代が最も古く、特に合唱に濁りが見られる点が大変残念である。基本的な解釈は、数年前に発売されたシュトゥットガルト放送交響楽団との59年盤(ヘンスラー)に酷似しているが、第6楽章の劇的な表現は、シューリヒトの温厚な紳士というイメージを覆すのに十分な激しさだ。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3は、録音が59年と比較的新しいだけに録音は鮮明。ここでのシューリヒトは、いかにもドイツ正統派の巨匠と言った趣きの堂々たるインテンポによる演奏を基調しており、若き日のアラウのピアノをしっかりとサポートしていると言える。アラウのピアノは、後年の演奏を彷彿とさせるような堂々たるピアニズムが素晴らしい。ブラームスの第4は、シューリヒト得意の曲であるが、後年の演奏(ウィーン・フィルやバイエルン放送交響楽団)と比較して、かなりドラマティックなものとなっている。特に、終楽章のパッサカリアは、各変奏毎の描き分けを大胆に行っており、終結部の猛烈なアッチェレランドは、後年のスタジオ録音には見られないシューリヒトの内なるパッションの爆発を垣間見ることが出来て実に感動的だ。
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9 people agree with this review 2010/03/21
トスカニーニの歴史的な名演であるが、これまで発売されたCDは、録音年代が古いモノラル録音というハンディもあるが、K2カッティング盤も含め、決して満足できる音質とは言えなかった。それ故に、本盤登場以前は、ムーティ盤や、最新のパッパーノ盤などにどうしても食指が動いていたが、XRCD盤が発売されるに及んで、他の演奏は、殆ど太陽の前の星のように、その存在が霞んでしまった。それほどまでに、今般のXRCD盤は、実在感溢れる衝撃的な音質であり、あらためて、この歴史的名演の凄さを再認識することに繋がったと言える。ローマの松のボルゲーゼ荘の松からして、そのメリハリの利いた凄まじい迫力に圧倒されてしまう。カタコンブ附近の松の地下から響いてくるような重厚さも見事であるし、ジャ二コロの松の弦楽器の何という艶やかさ。アッピア街道の松は正に精鋭を率いるトスカニーニ将軍といった趣きの貫録を見せる。ローマの噴水は、特に、朝のトリトンの噴水と真昼のトレヴィの噴水の光彩陸離たるブリリアントな音の響きに、殆ど幻惑されてしまうようなまばゆいばかりの魅力がある。そして、圧巻はローマの祭り。冒頭から終結部まで、誰にも止めることができない勢いと張り詰めるような緊張、オーケストラの驚異的なアンサンブル、そして切れば血が吹き出てくるような圧倒的な生命力が全体を支配しており、それでいて、10月祭の官能的とも言うべきカンタービレの歌い方も実に感動的だ。特に、主顕祭のもはや人間業とは思えないようなド迫力には、評価する言葉すら思いつかないくらい、完全にノックアウトされてしまった。
4 people agree with this review 2010/03/21
朝比奈の死の3か月前の演奏である。ラストコンサートは本演奏の1か月後に行われているが、今のところ録音は遺されていない(プライベート盤が存在しているとの情報を小耳にはさんだことがあるが)。したがって、本盤は朝比奈の遺した最後の録音ということになる。本盤の一つ前のブルックナーは7月に演奏した第8であり、それは93歳の老巨匠とは思えないような生命力に満ち溢れた名演であったが、やはり高齢の身には夏場は大変に堪えたのだろう。本盤の第9演奏時は、体調を相当に崩していたというが、そうした体力の急速な衰えが演奏に反映してしまっているのが大変残念だ。第1楽章など、朝比奈の指揮も拍がはっきりしなかったのだろう。大阪フィルにも戸惑いが見られ、アンサンブルも時折乱れるなどベストフォームからは程遠い状態にある。朝比奈の指揮もいつもの強靭さはなく、殆ど先に進まない後ろ髪を引かれるような演奏は、聴いていて痛々しさを感じるほどだ。第2楽章になると、漸く調子がのってくるが、どこか暗さが支配しており、そこに死の影を感じるのは私だけであろうか。終楽章は、朝比奈が人生の最後に放った最後の光と言えるだろう。ここになっている音楽は、正に魂の音楽であり、ブルックナーは第9を神に捧げるとしたが、朝比奈が天国へのぼっていくような崇高さを湛えている。全体としては、朝比奈のベストフォームとは言い難く、95年盤の方を最上位におきたいが、それでも、ここには朝比奈が人生の最後に到達した至高・至純の崇高さを湛えており、名演の評価を与えることに躊躇するものではない。
6 people agree with this review 2010/03/21
朝比奈はブルックナーを得意としたが、その中でも第8と第5が大のお気に入りであった。シカゴ交響楽団にはじめて客演した際も、候補として第8を第一にあげ、他の指揮者(ショルティ)との兼ね合いから、第5になったという経緯もある。このように、第5は朝比奈にとってお気に入りの曲であったにもかかわらず、第8と異なって録音運に恵まれなかった。晩年になって漸く東京都交響楽団との95年盤という推薦に値する名演も生まれたが、オーケストラの力量にいささか問題があった感は否めない。特に、第1楽章のホルンの音のはずし方は、かなり致命的とも言えた。同時期にシカゴ交響楽団に客演した際の映像作品も遺されているが、初日の状態のやや悪い演奏であり、これまた朝比奈のベストフォームとは言い難い(3日目の演奏が素晴らしかったとのことであるが、未だCD化されていない)。朝比奈ファンとしては、何とか理想の第5を遺して欲しいと待ち望んでいた者も多いと思うが、漸くその願いが叶ったのが、死の8か月前の演奏を収録した本盤であり、これこそ朝比奈が遺した第5の集大成とも言うべき超名演と高く評価したい。第1楽章の随所で見られるゲネラルパウゼは実に効果的であり、著しく遅いテンポなのにもたれるということは皆無。重量感あふれる重厚なブルックナーサウンドがさく裂している。それでいて随所に見られる聖フローリアンの自然を思わせるような繊細な抒情も、崇高とも言える高みに達している。第2楽章のしたたるような弦楽の音色も美しさの極みであるし、第3楽章の武骨とも言えるような力強いスケルツォも、これぞ野人ブルックナーの真骨頂を体現した理想の演奏と言える。終楽章のフーガは、ヴァントのように整理され尽くしたいい意味での凝縮された整然さはないものの、そのスケールの雄大さはヴァントを凌ぐと言えるだろう。SACD化も成功しており、マルチチャンネルはないもの、十分に満足できる水準に達していると言える。
6 people agree with this review
朝比奈はブルックナーの第7を数多く演奏してきたが、本盤は、この約10日後に東京都交響楽団と演奏したものと並んで、生涯最後の第7ということになる。もっとも、朝比奈の手兵は大阪フィルであり、その意味では、本盤こそ、朝比奈のブルックナーの第7の集大成と言うべき超名演であると高く評価したい。特に、第1楽章と第2楽章については、いつもの朝比奈とは異なり、金管楽器などをいささか抑え気味に、全体の響きの中にブレンドさせて吹奏させているように思われる。要は、全体に静けさが漂っているところであり、テンポもやや遅め。正に、朝比奈の白鳥の歌とも言うべき趣きと言える。そして、その神々しいまでの崇高さは、朝比奈としても死の7か月前に漸く到達した至高・至純の境地と言えるものだろう。ところが、第3楽章に入ると、常々の朝比奈が復活する。テンポは非常に早くなり、金管楽器に思い切った強奏をさせるなど、重量感溢れる古武士のような武骨なアプローチで一環している。そのド迫力は、とても死を7か月後に控えた老巨匠の指揮によるものとは思えないような凄まじさと言える。終楽章は一転してテンポがゆったりとしたものに変わるが、金管楽器の踏みしめるような最強奏の迫力は尋常ではない。第7は、特に終楽章のスケールの小ささが難点とされているが、朝比奈の手にかかるとそのような欠点がいささかも感じられないのが見事だ。なお、SACD化によって、音質のグレードがかなりアップしたが、マルチチャンネルで聴きたかったという者は私だけではあるまい。
ショスタコーヴィチの交響曲は、ある批評家が言っていたと記憶するが、とんでもないことを信じていたとんでもない時代の交響曲なのである。したがって、楽曲の表層だけを取り繕った演奏では、交響曲の本質に迫ることは到底不可能ということだ。世評ではハイティンクやバーンスタインの演奏の評価が高いように思うが、私としては、ハイティンクのようにオーケストラを無理なく朗々とならすだけの浅薄な演奏や、バーンスタインのように外面的な効果を狙った底の浅い演奏では、とても我々聴き手の心を揺さぶることは出来ないのではないかと考えている。ムラヴィンスキーの演奏は、ハイティンクやバーンスタインの演奏とは対極にある内容重視のものだ。ショスタコーヴィチと親交があったことや、同じ恐怖の時代を生きたということもあるのかもしれない。しかしながら、それだけではないと思われる。本盤の第5など、ムラヴィンスキーにとっては何度も繰り返し演奏した十八番と言える交響曲ではあるが、にもかかわらず、ショスタコーヴィチに何度も確認を求めるなど、終生スコアと格闘したという。その厳格とも言えるスコアリーディングに徹した真摯な姿勢こそが、これだけの感動的な名演を生み出したのだと考える。芝居っけの全くない辛口の演奏であり、第5に華々しい演奏効果を求める者からは物足りなく感じるかもしれないが、その演奏の内容の深さは、ほとんど神々しいばかりの崇高な領域に達していると言える。レニングラード・フィルの鉄壁のアンサンブルも驚異的であり、特に、妻でもあるアレクサンドラのフルートやブヤノフスキーのホルンソロ(特に第4楽章中間部)は、筆舌には尽くしがたい素晴らしさだ。ムラヴィンスキーは数々の第5の録音を遺しており、いずれも名演の名に値するが、録音も含めると、本盤を最上位の超名演と高く評価したい。
4 people agree with this review 2010/03/20
ムラヴィンスキーの初来日時の衝撃のライブ録音である。本盤のベートーヴェンの第4は、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの黄金コンビの凄まじさを存分に味わうことが出来る超名演と高く評価したい。ムラヴィンスキーのCDは、DGにスタジオ録音したチャイコフスキーの三大交響曲を除くと、録音状態が芳しくないのが難点であったが、本盤は信じられないような鮮明な音質であり、これにより、ムラヴィンスキーの透徹したアプローチを存分に味わうことが出来るになったのは、実に幸運の極みと言える。第1楽章の冒頭のややゆったりとした序奏部を経ると、終楽章に至るまで疾風の如きハイテンポで疾走する。ここはテヌートをかけた方がいいと思われる箇所も素っ気なく演奏するなど、全くといいほど飾り気のない演奏であるが、どの箇所をとっても絶妙な繊細なニュアンスに満ち満ちている。切れ味鋭いアタックも衝撃的であり、ムラヴィンスキーによって鍛え抜かれたレニングラード・フィルの鉄壁のアンサンブルも驚異の一言である。各奏者とも抜群の巧さを披露しているが、特に、終楽章のファゴットの快速のタンギングの完璧な吹奏は、空前絶後の凄まじさだ。同様のタイプの演奏としてクライバーの名演(ウィーン・フィルとのスタジオ録音(DG)ではなく、バイエルン国立管弦楽団とのライブ録音(オルフェオのSACD盤))もあるが、内容の彫りの深さにおいて、ムラヴィンスキーには到底太刀打ちできるものではないと思われる。アンコールの2曲は、この黄金コンビの自家薬籠中の曲だけに、全くすきのないアンサンブルを披露しており、そうした鉄壁のアンサンブルをベースとした圧倒的な迫力と繊細な抒情が見事にマッチングした超名演だ。
6 people agree with this review 2010/03/20
朝比奈の死の1年前の演奏であるが、朝比奈が行った数々のブルックナーの第4の中でも、最高の名演である。そればかりか、ブルックナーの第4の演奏史上、ヴァントのラストコンサートと並んでベスト2に君臨する至高・至純の超名演と高く評価したい。朝比奈のブルックナーへのアプローチは、古武士のような武骨さを身上とした愚直なアプローチを旨としており、テンポをできるだけ動かさず、堂々たるインテンポを基調としたものだ。それでいて、木を見て森を見ないなどということはなく、無手勝と言ってもいいような鷹揚さで楽曲をスケール雄大に描いて行く。しかしながら、本盤のテンポは早い。それでいて、荒っぽい箇所は皆無であり、スケールの雄大さが減じることは全くない。それどころか、どこをとっても、意味の深い有機的な美しさに満ち溢れている。つまりはスケールの雄大さと細部のきめ細かさの二律背反する要素の両立。これは、従来の朝比奈には見られなかった(あるいは果たせなかった)演奏スタイルであり、最晩年になって漸くなし得た究極の至芸と言えるのかもしれない。それにしても、これが90歳を超える老巨匠の指揮による演奏とはとても考えられない。何度も指揮しているはずのブルックナーの交響曲への深い畏敬の念とあくなき探究心が、これだけの透徹した至高・至純の超名演を成し遂げることに繋がったとも言える。SACD化によって、この究極の超名演をより一層鮮明な音質で味わうことができることになったのは嬉しい限りだ。
8 people agree with this review 2010/03/20
朝比奈の死の5か月前の至高・至純の超名演である。朝比奈のブルックナーの第8としては、大阪フィルを指揮した本盤、本盤の5月前の名古屋でのライブ盤、そして94年盤に加えて、NHK交響楽団を指揮した97年盤の4種の演奏がベストであると考えている。このうち、オーケストラの力量も含めた演奏の水準の高さとしては、NHK交響楽団を指揮した97年盤がベストであると思うが、当該盤は未だSACD化されていない。そうなると、録音も含めたトータルの評価としては、本盤に軍配が上がるのではないかと思われる。朝比奈のブルックナーへのアプローチは、スコアに記された音符の数々を愚直に音化していくというものであり、巧言令色とは一切無縁。古武士のような武骨さが身上であり、しかもテンポを可能な限り動かさず、堂々たるインテンポを基調とする。スコアの細部に拘るあまりの過度の凝縮が、楽曲全体としての矮小化を招くという悪循環に陥ることは全くなく、全体的な造型を構築した上で、鷹揚と言ってもいいような無手勝の演奏を特徴としており、それだけにスケールの雄大さは桁外れだ。したがって、ブルックナーの交響曲の指揮としては、最適のアプローチと言えるものだろう。それにしても、本盤の演奏は、これが死を5か月後に控えた90歳を超える老巨匠の手によるものとはとても信じられない。前述の4大名演の中でも、名古屋でのライブ盤に次いでテンポは早いが、それでいて荒っぽさは皆無。オーケストラの重厚な音色、微動だにしないインテンポ(終結部など、一部アッチェレランドもみられるが、全体としてはインテンポを基調としていると言える)、絶妙な強弱設定など、どれをとっても至高・至純の高みに達していると言える。朝比奈が、このような超名演を人生の最後に遺してくれたことは、我々にとって大いなる幸運であったと考える。
8 people agree with this review
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