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Review List of 村井 翔 

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  • 3 people agree with this review
     2009/10/11

    もはやデセイが歌うことのない夜の女王、オランピア、ツェルビネッタがそれぞれ二種類ずつ見られるのが本当に貴重。この三役に関してはグルベローヴァなど論外、デセイが史上最高、空前絶後と断言してはばからない。パリの『魔笛』、ザルツブルクの『アリアドネ』、『ルチア』仏語版は全曲の映像が放送されたことがあるが、いまだ商品化される気配はなく、その録画はわが家の宝物となっている。「歌う女優」デセイの凄まじい真価はその『ルチア』と『ハムレット』(これは幸いに全曲DVDあり)で遺憾なく発揮される。メトで録画されたと噂される『ルチア』伊語版はDVD化されるのだろうか。カラスの舞台を見たことのない私にとっては、ルチア役も歌と演技の相乗効果ではカラス以上と思える。

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  • 9 people agree with this review
     2009/10/10

    故ヴェルニケの名演出がこのような形で見られるようになったのを、まず喜びたい。演出家がすでに亡くなっているので、演技指導は大丈夫かと心配したが、まずは大過ない出来ばえ。黒人少年モハメッドに代わって、最初と最後に現われるアルルカン(ピエロ)が象徴するように、すべては非現実のお伽話というのがコンセプト。ザルツブルクでの次世代のプロダクションだったカーセン演出同様、時代を20世紀初頭に移しているが、カーセンほどのドギツさはない。とはいえ、貴族社会へのノスタルジーに劣らずアイロニーもまた強く感じられる舞台。なぜなら、元帥夫人の寝室もファーニナルの豪邸もすべてペラペラの書き割りに過ぎないからだ。(正確に言えば、舞台後景は巨大な鏡の組み合わせで出来ており、その鏡に前の鏡の裏面に描かれた書き割りが映っている)。フレミングの作り物めいたシュヴァルツコップ・コピーもこの演出コンセプトにはふさわしい。ズボン役ではいつも素晴らしいコッホ以下、他のキャストも申し分なし。指揮は精力的で、豊麗さもたっぷりあるが、欲を言えば、もう少し演出に寄り添ってほしかった。つまり、ヴェルザー=メストのようなデリカシーは望めない。

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  • 3 people agree with this review
     2009/10/05

    名高いオペラだが、音楽の上では類型的なナンバーが続き、大きな盛り上がりに乏しいので、エーザー版に「捏造ナンバー」である、舟歌の旋律による六重唱までぶち込んだこの上演版ではかなり凡長に感じるのも事実。それでも歌手陣が豪華なら何とか持ちこたえられるが、プティボン以外が小粒なこのキャストでは無理。頼みの演出も無機的な装置のせいもあって、怪奇・幻想の趣きは意外にも薄い。全裸に見えるボディスーツで登場のオランピア以下(彼女とホフマンのダンスは完全に性行為と解される)、しばしば(意味もなく)登場するほぼ全裸の男女が目玉とは寂しい。鏡像の喪失は男性性の喪失という解釈のようだが、影がないはずのシュレミルがしっかり鏡に映ってしまうのも困りもの。

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  • 3 people agree with this review
     2009/09/28

    録音が特定の「色」をつけないタイプのものなので、今一つ押し出しが弱く感じられるが、演奏の精緻さは特筆に値する。そんなに大暴れしない着実型だが、第1楽章展開部の盛り上がり、第3楽章最後の激しい追い込み、第4楽章の弦の厚みなど、エモーショナルな面でも決して淡白ではない。1番のようにナイーヴな曲よりは、現代音楽に近いこの曲の方がノット向きであるのは明らか。オケのうまさにも舌を巻く。近年、ドイツの地方オケは団員の顔ぶれも国際的になり、ミニBPO化していると言われるが、まさにそんな印象。財政基盤は安定しているのが当然の放送オケでなくとも、優秀な団員を確保できる財政支援(州政府と市民の支援)があるのは、うらやましい限り。下手をすると在京オケなど「バンベルクより下手」と言われかねない。ただ一つ、同じタイプのラトル/BPOと比べられると確かにつらいので、後はどう自分独自のカラーを出すかだろう。

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     2009/09/19

    来日公演でも「ボリショイがここまで変わったか」と観客を驚かせた新演出の映像。指揮だけは凡庸だが、他はすべて超一級だ。まずモノガローワ。美人であるだけでなく、この役のエキセントリックな性格、いや狂気をここまで鮮烈に見せてくれた歌手は初めてだ。キーチェンはこれまでとちょっと違う、優しく弱々しいオネーギン。もちろん何より特筆すべきなのは、斬新なアイデアにあふれた演出。人物達は現代の服装で、場所はいわば時間に縛られない室内だけという設定。そこには大家族のラーリナ家を象徴するように、室内いっぱいの大きなテーブルが置かれ、オネーギンとタチャーナが対峙する二つの場面(第1、3幕の幕切れ)ではテーブル両端の距離が何と効果的なことか。たとえば手紙の場のクライマックスでは窓が開いて風が吹き込み、やがて明かりも消える。第2幕第1場ではトリケのクプレをレンスキーが自虐的に歌うことによって、薄っぺらになりがちなこの人物の心理が重層的に示されるし、この場のタチャーナは廃人状態で、その原因を知る男たち二人が決闘に至る陰の要因がこれであることは容易に見て取れる。実は決闘も本物の決闘ではないのだが・・・この先は見てのお楽しみ。

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     2009/09/16

    もちろんLDも持っているけど、最近あまり稼働しないLDプレーヤーのご機嫌の悪さに音を上げていたところなので、待望の日本語字幕付きDVD化。2000年収録のデッシー、ボロディナ組と基本的に同じ演出、指揮も大差ないので主演歌手二人の勝負になる。特にフレーニとデッシーを比べると、歌唱スタイル、演技の質そのものが11年の間に大きく変わったことが分かる。後は好みの問題だが、この役に関しては、やはりフレーニに軍配。「哀れな花」などド演歌の世界だが、これをクサイと思う人は、そもそもこのオペラには近づかない方が良い。イタリア人の間に入るとドヴォルスキーは発声自体、異質に感じるし、最新の録画に比べれば音、絵ともに遜色を感じるが、いずれもまだ致命的な欠点ではない。

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  • 2 people agree with this review
     2009/09/13

    『イタリア』という曲はカラッと明るいというイメージを持たれがちだが、実は二つの楽章が短調、第一楽章展開部も結構凝ったポリフォニックな音楽だし、意外に陰影の濃い曲だと思う。その点では世評高いトスカニーニなどは全くもの足りず、テンシュテット/BPOなどというゲテモノ(失礼!)を愛聴してきたのだが、ようやくほぼ完全に満足できる演奏に巡り合った。過激というキャッチフレーズがいつもついて回るファイだが、この人の指揮の良い所は聴こえるべき声部が全部聴こえ、いわゆる「埋もれた」声部がないこと。かつてのイメージでは、薄っぺらい風景画に過ぎなかった『イタリア』が彫りの深い透視画像に見えてくる。ただでさえ速い第1楽章コーダのアッチェレランドには手に汗握るが、一つだけ不満を言えば、第4楽章は速すぎ。焦燥感は良く出ているが、最初からこのテンポでぶっ飛ばしては、音楽じゃなくスピード競争になってしまう。

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  • 11 people agree with this review
     2009/09/12

    BPO音楽監督はどうしてもブラームスをやらねばならないのか。苦手なものからは逃げるというのも、寿命の限られた人生においては大事な処世術ではないかな。ブラームスしか能のない指揮者じゃあるまいし、今のラトルにとってブラームスに関わるのは才能の浪費、時間の無駄でしかないように思える。散発的に彼ならではの譜読みが見られる箇所もあるとはいえ、指揮者はほとんど「借りてきた猫」状態。イメージとして一番近いのはバルビローリとVPOの全集だが、またコピー演奏か。まだ「巨匠」になる年ではないのに(実は私と同い年)、巨匠風演奏をつくろわなければならないラトルにはむしろ痛々しさを感ずる。それでも3番だけは悪くないかなと思ったので、マゼールとBPOの1959年録音(ほとんど評価されないが、LP時代から大好きな演奏)を引っ張りだして聴き比べてみた。昔のBPOが技術的にはずいぶん下手だったことが分かったが、曲の解釈としてはマゼールの完勝。

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  • 1 people agree with this review
     2009/09/09

    かつてはボロクソに言われた旧シェーンベルク全集の指揮者、ロバート・クラフトだが、グールドのような例外的天才を除けば、当時はまだ演奏者全体の慣れが不足していたのだろう。室内交響曲第1番の精彩ある演奏を聴くと、まさしく時代が変わったことを実感させられる。シリアもさすがに『期待』再録音では声の衰えが痛々しかったが『ピエロ』は素晴らしい。シャープだが「どろどろ」感の少ないシェーファーとは対照的で、歌手というよりむしろ女優であるバーバラ・スコヴァのものと並んで、最も表現力の強いシュプレッヒ・シュティンメだろう。

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     2009/09/07

    近年このオペラの上演が各地で相次いでいるのは、キリスト教vs異教の文化摩擦というテーマ、しかもそれがキリスト教の勝利に終わらない、「霊」は「肉」に勝利し得ないというストーリーが、サイード著『オリエンタリズム』以後のヨーロッパ人にはアクチュアルに感じられるからだろうか。ローカル色のぬぐえなかったヴィオッティ指揮、ピッツィ演出に比べると、こちらは大がかりな装置に大勢の半裸のダンサー達を動員したスペクタクルな舞台。音楽の上ではやや弱い劇的緊張を派手な見た目で補完しようという演出の意図は成功している。フリットーリのタイスは歌唱としては申し分ない(体型がもっとスリムなら文句なしだが)。題名役以上に重要なアタナエルのアタネリも少し粗いが、力演。

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     2009/09/06

    女狐は本来、とてもエロティックなキャラのはずだが、よくある上演のように着ぐるみを着せられてしまうと、エロティシズムが見えなくなってしまう。半ば人間で半ば動物のような実にセンスのいい衣装が決まった時点で、この上演の成功は決まったようなもの。キャストも魅惑的なほどエロティックなツァラゴワと、新国立の『指輪』のヴォータンでもあるラシライネンが最高の適役。女狐と森番の「愛」が実感できたのは、この演出がはじめてだし、森番が動物たちを追ってヒマワリ畑に消えて行くエンディングもいい。マッケラス指揮、ハイトナー演出のパリ・シャトレ座版は一つの規範となるべき映像だし、2008年サイトウ・キネン・フェスティヴァルでの上演も素晴らしかったが、そのどちらをも凌ぐような出来ばえ。

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     2009/09/05

    音の資料として大変貴重な録音であることは分かる。でも、ガーディナーが録音していた『イタリア』の改訂稿もあまり感心しなかったが、『スコットランド』と『フィンガルの洞窟』はわれわれが普通に聞いている出版稿の一つ前の形(改訂版ではない)で、曲の生成過程を知るという点では面白いものの、やはり未整理で繰り返し聞きたいと思うようなものではない。「メンデルスゾーン・ガラ・コンサート」で演奏された『スコットランド』にも少し普通と違うところがあったが、あれは出版稿を慣習的カットを復元して演奏したようだ。ライプツィヒに移ってからのシャイーの仕事にはレコード会社の思惑と指揮者の趣味が一致しているのか、こういう落ち穂拾い的なものが多いが、演奏・録音ともに優秀なだけに勿体ないような気がしてしまう。ピアノ協奏曲第3番も復元の努力には敬意を表するが、やはり凡作。

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     2009/08/31

    1989年の録画で絵、音とも古さを感じるが現在なお、このオペラ最良の録画だろう。やや太めのファウスト(デニス・オニール)、清純な乙女には見えないマルゲリータ(ガブリエラ・ベニャチコヴァー、エレナの方がずっと良い)など見た目の問題が気にならなければ、主役サミュエル・レイミーの素晴らしさとロバート・カーセンの冴えた演出で断然、他を引き離している。たとえばケン・ラッセル演出(残念ながら音の状態がきわめて悪いが、パロディ満載の大変面白いもの)ではオペラの録音風景にされているように、大仰で時代錯誤な第4幕はたいてい読み替えの餌食にされるが、カーセン演出ではセンス良くメタ・オペラ(オペラの中のオペラ)になっている。つまり、エレナと自分との愛がオペラの中の出来事に過ぎなかったと知ったファウストの失望で終わるわけだが、これはエピローグへの続き方として全く自然かつ合理的だ。

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     2009/08/31

    「3つの小品」はブーレーズ/BBC響の1967年録音を聞いて(同じコンビで1984年に再録音している)、その解像度の高さにぶったまげたものだが、時代は移り、そのブーレーズやカラヤン、アバドなど過去の名盤をことごとく顔色なからしめるような新録音。スタジオ録音ではなくライヴだというのに、とにかく総譜が隅々まで聞こえるのは驚き。第2曲「輪舞」のクライマックスでの複数モティーフ重ね合わせによる騒音効果なども鮮烈そのものだが、オペラ指揮者らしく、それぞれの音が無機質に羅列されるのではなく、ちゃんとつながって雄弁にドラマを語るところが素晴らしい。「ルル組曲」で歌うエフラティは既にレック指揮、パレルモ・マッシモ劇場と全曲を録音しているが、やや色気過剰。「ルルの歌」ではもう少しクールさが欲しい。

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     2009/08/31

    この盤の売りはベルク「抒情組曲」終楽章の声楽入り版が(録音としてはおそらく初めて)聞けることだろう。ボードレールの詩(シュテファン・ゲオルゲ独訳)による声のパートは作曲者が不倫相手のハンナ・フックス・ロベティンに贈った自筆譜に書き込まれていたものだが、聞いていただければ「一聴瞭然」、実際に歌えるようには書かれていない。この版はいわば二人の不倫のプライベートな記念品であり、演奏するとすれば弦楽四重奏で演奏された5つの楽章に声楽入り終楽章を付けるのではなく、この盤のように特別なものとして切り離して演奏するのが「正しい」のだろう。その事実上、演奏不能な楽章をとにもかくにも音楽にしてしまうシェーファーには唖然とするばかり。メインのシェーンベルクでもペーターゼン四重奏団ともども精緻かつ雰囲気豊かな演奏を繰り広げている。

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