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Review List of 村井 翔 

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     2020/11/02

    一番の聴きものは、やはりシャーガーのトリスタンか。2年後、ベルリンでのチェルニャコフ/バレンボイム版の方がさらに良いが、素晴らしいヘルデン・テノールに成長したものだ。2015年のカンブルラン/読響でも聴いたニコルズはまあまあ。細身な声で本物のドラマティック・ソプラノではないが、イゾルデ役としては悪くない。他にはレリアのマルケ王がまだ男盛りで(世継ぎを望んで再婚したわけだから、これで正解)、好感の持てるキャラになっている。ガッティの指揮はいつも通りクリアかつ色彩豊かだが、第2幕二重唱のクライマックスなどではかなり緩急の変化もつける。ただし『パルジファル』『マイスタージンガー』に比べると、残念ながらオケが落ちる。明晰なのは良いとしても響きが必要以上に薄く感じるのは、指揮者の本意ではあるまい。
    人物達の服装などは「超時代風」だが、演出家に特定の状況に読み替えようという意図はないようだ。基本的にアンチリアル路線なので、可もなし不可もなしだが、個人的には二点ほど気に入らないところがある。第1幕で媚薬を飲む場面も同じ杯から飲むようには見せないが、飲んでから二人が抱き合うどころか全く接触しないのは、ちょっと極端。第2幕二重唱でもせいぜい肩を寄せて座る程度、第3幕でもイゾルデはトリスタンの遺体に触れようとしない。二人の関係は肉体関係じゃなくスピリチュアルなものだという演出家の主張は了解できるが、どうしても違和感が残る。この作品の描くエロス=タナトスは肉体関係を排除しないし、むしろ必須とするものだ、というのが私の考えなので。もう一つは、トリスタンと同年配のはずのメロートを極端な老人にしてしまったこと。これでは二人の同性愛関係が行方不明になってしまう。トリスタンのセリフにはこうある。「彼は私を愛したが、私同様、イゾルデの眼差しに幻惑されたのだ」と。なお、日本語字幕は随所で思い切った意訳を試みているが、私の解釈と違う箇所だらけ。第2幕二重唱はショーペンハウアーを踏まえた哲学的な歌詞なので、意味が通る限りは直訳が望ましいと思う。これも好みの問題ではあるが。

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     2020/10/29

    『ペレアスとメリザンド』と並んで最もウィルソン向きの作品だろうと予想したが、その通り。徹底したアンチ・リアリズムで舞台装置はほぼ皆無。照明のみで勝負。リューの死もカラフの接吻もすべてリアルな形では表現されない。人物達は常に正面を向いて直立したまま歌い、能のような手の動きだけをする。あまりにスタティックに過ぎると思ったのか、ピン・パン・ポンの三人組だけは歌のパートのない所でも、ちょこまか動くのだが、いつものウィルソン様式を乱した感なきにしもあらず。最も面白かったのは幕切れで、カラフは自分の名を言ったとたんにスポットライトから外され、最後は後ろの群衆に紛れ込んでしまう。トゥーランドットが「愛」を見出すためのイニシエーション物語で、ここまでの出来事はすべて彼女の妄想だったのかもしれないと思わせる。
    テオリンは去年の日本での歌と同じ印象。ひところのようなヴィブラート過多のコンディションからは立ち直ったように聴こえるが、この演出では特に求められる怜悧な切れ味がない。声のコンディションは2008年に新国立で歌った時がベストだったように思われ、同郷(しかも同い年)のステンメにだいぶ差をつけられてしまった。ただし、もともと美人なので「絶世の美女」に見えなくもないのは救い。クンデはかなり力任せな歌だが、この役としては悪くないし、演出には合っている。アウヤネットは駄目。演技に関しては、この演出では文句を言いようがないが、歌は繊細さが足りない。ルイゾッティの指揮は相変わらず凡庸。手堅い職人芸のおかげで、あちこちで重用されるのだろうが、このオペラではどうしても、もっとハッタリが欲しい。

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     2020/10/26

    才気横溢の演出の仕様については、カステルッチなどと違って、見れば誰にでも分かる楽しいものなので、説明の必要もあるまい。シトロエンのミニバンがヴァルトブルク城の下から出てくる序曲冒頭のシーンから映像と音楽のシンクロ率が高いのには感心。「歌合戦」すなわち「バイロイト音楽祭」というメタ設定は大ヒットで、舞台上(カラー)と舞台裏(白黒)映像の組み合わせも実にうまく、ヴェーヌス一座三人の音楽祭への侵入、カタリーナ・ヴァーグナー本人が警察に電話し、パトカーがバイロイトの丘の上に急行するあたりは本当に抱腹絶倒。『タンホイザー』でこんなに笑えるとは思わなかった。ただし、第2幕までがあまりに面白かったので、第3幕はややネタ切れの感を否めず。エリーザベトとヴォルフラムの性行為で最後の「救済」枠組みをぶち壊しにかかったが−−だって、これじゃ「君の天使が神の玉座で君のために祈っている」うんぬんといったヴォルフラムの言葉は全く空しいし、完全に自殺であるエリーザベトはキリスト教世界では聖女になれない−−いまひとつ不発の印象。
    それでも指揮が良ければ、5つ星を進呈すべき舞台だが、ゲルギエフは明らかに準備不足で存在感なし。これで当分は、バイロイトから招かれることはないだろう。くたびれた中年オジサンのグールドは演出の設定通り。ダヴィドセン、歌は文句なしだが演技の方は大時代的でトロい。これも演出家の計算の内か。何と言っても、舞台をさらったのはツィトコーワのキュートなヴェーヌス。急な代役だったそうだが、見事なハマリ役だ。歌のパートのないル・ガトー・ショコラとオスカルにも、もちろん大拍手。

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     2020/10/14

    今年の7月にスイスのラ・ショー=ド=フォンで録音。異例な快速リリースだが、この録音を一刻も早く世に出したい関係者の気持ちは良く分かる。不朽の名作『死と乙女』の録音史でもマイルストーンとなるべき画期的な録音だからだ。ここ半世紀ほどのカルテットのトレンドはSQの表現力を拡張してオーケストラのようにすること、いわばカラヤン指揮/ベルリン・フィルを弦楽四重奏で実現することであったが、カルテット・アロドの目指すところはもう全然違う。これまでの録音でも来日公演でも(残念ながらナマでは聴けておらず、NHK-BSで観ただけだが)このカルテットの音が細身であることは非常に印象的。マッスとしての力で押すということを全くせず、シャープな切れ味とピアノからピアニッシモにかけての微細な細やかさで勝負している。技術的にも世界最高水準に達していると思われ、前の「マティルデ・アルバム」(ヴェーベルン/シェーンベルク/ツェムリンスキー)など、彼らを聴いてしまうとラ・サールSQですら、ひどく「もっさり」して切れが悪いと感じられるほどだ。このシューベルト・アルバムでも全体に速めのテンポにもかかわらず、よく歌っていて、淡白という印象は全くない。微視的なレベルでの細やかさが半端ないのだ。第2楽章の演奏時間(10:58)は私の所持する25種類のディスクの中ではアルバン・ベルクSQの再録(10:40)に次ぐ速さだが、全く物足りないところはない。終楽章もエマーソンSQの8:13には及ばぬものの、過去最速クラスの8:33だが、強引な力押しという感じが少しもしない。演奏自体がすこぶる俊敏な性格を持っているからだ。『四重奏断章』は『死と乙女』のカップリングに絶好の曲だと思っていたが、こんなに前衛的で凄い作品だとこの演奏に教えられた。若書きの第4番も演奏のおかげで、実に聴き映えがする。

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     2020/10/07

    ヤーコプスとビー・ロック・オーケストラによるシューベルト交響曲集の第二弾は初期交響曲中、最愛の作品である第2番と小ぶりながら、はちきれんばかりにエネルギッシュな第3番の組み合わせ。もちろん第2番も素晴らしい出来ばえで、第2楽章などたぶんこれまでで一番速いが(7:07)、アンダンテとはこういうテンポじゃなくっちゃ、という素敵な演奏。けれども、第3番がそれ以上だったのは嬉しい驚き。第1楽章主部からオーケストラは火がついたように驀進する。ロッシーニ風とも評されるこの曲だが、ロッシーニのブッファのアンサンブル・フィナーレで登場人物たちが早口でまくしたてるような、この演奏のスピード感と破壊力は凄まじい。第2楽章アレグレットもカルロス・クライバーと並ぶ快速(2:54)。さらに第3楽章スケルツォでの変幻自在のテンポ・ルバートには心底ぶったまげた。あわてて総譜を取りに走ったが、もちろんこんなこと、どこにも書いてない。演奏家が「楽譜を読む」とは、こういうことかと改めて教えられた。ヴァイオリン・パートに三人の日本人女性奏者の名前が見られるのも嬉しい。

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     2020/10/07

    イタリア系スイス人のピエモンテージとマンゼ指揮/スコットランド室内管弦楽団によるモーツァルト・ピアノ協奏曲集の第二弾。第19番もしなやかで美しい演奏だが、第27番が非常に面白い。第2楽章でも、きわめて雄弁な旋律装飾が行われているが、同じことが終楽章ロンドでも行われている。最初の提示の時から主題前半は譜面通り弾かれているが、後半になると早くも譜面通りではない。以後、この主題が戻ってくるたびに、旋律は華々しく装飾されている。前回録音の第26番「戴冠式」でもこのコンビ、ロンドでの旋律装飾をやっていたが、こんなに派手ではなかった。第27番のすぐ前に入っているロンド イ長調でもピエモンテージはアインガングとカデンツァを書き足したばかりか、大幅な旋律装飾を加えているが、これはこのロンドが未完で、ちょっと頼りない作品だからだろうし、第27番ロンドの主題は歌曲「春への憧れ」K.596からの借り物だからと言えるだろう。一昔前なら、こんなことをやろうものなら大ひんしゅくだったはずだが、このピアニストの旋律装飾は雄弁ではあるがセンス良く、少なくとも私は気持ちよく聴けた。第27番は最後の年、1791年の1月に最後の仕上げが行われたことから、最晩年特有の清澄さや諦念が強調されてきたが、アラン・タイソンの自筆譜研究によれば、書き始められたのは1788年とも言われ、もう少し華麗さを加味したこんな演奏もありだと思う。マンゼ率いるオーケストラも申し分ない共演で、第1楽章展開部で主題がト短調になるところなど、すこぶるセンシティヴだ。

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     2020/07/27

    今や珍しくなったオペラ全曲のセッション録音だが、こういうことをやる意義はまだあると感じさせてくれる素晴らしい成果。まずはやはりパッパーノから誉めよう。スコアを隅々まで掘り起こした本当に凄い指揮。第1幕冒頭や第2幕幕切れなどは勢いに任せてもう少し速いテンポをとることも可能だろうが、彼はテンポを動かさず、巨大なスケールを実現している。このオペラ、第3幕末尾のコンチェルタートが頂点で、終幕はエピローグのように聞こえることも少なくないが、この演奏ではオテロがデズデモナを殺す場面以後がちゃんとクライマックスになっている。コヴェントガーデンのオケも今では非常に質が高く、ヴァーグナーでもヴェルディでもほとんど不満を感じないが、聖チェチーリア音楽院管を起用した効果もちゃんと出ている。
    カウフマンに対しては、様々なテクニックを駆使した人工的な役作りを認めるかどうかが好悪の分かれ目。かつてのデル・モナコ、近年ではグレゴリー・クンデのようなストレートな歌い方を好む人は認めないだろう。でも私は全面的に肯定。なぜなら、原作戯曲ではイアーゴのオテロに対する同性愛もほのめかされるようなホモソーシャルな社会の人物とはいえ、この人、あまりにも直情径行、女性不信がひどく、私には理解も共感もしにくいキャラクターだから。人種差別、女性差別のせいでこのオペラが上演しづらい時代にならないよう祈るばかりだ。一方、イアーゴは、私にはその考えが手にとるように分かる実に魅力的な人物。カルロス・アルバレスは現代最高のイアーゴ歌いだと以前から思っていたが、今回はたとえばティーレマン指揮のイースター音楽祭ライヴなどに比べると多彩な表情を抑制して、ストレートに歌っている。カウフマンとの対比に配慮したのだろうが、これはこれで結構。デズデモナだけはちょっと不満。フレーニあたりから彼女はかなりしっかりした、強い女性として性格づけされてきたが、ロンバルディは若々しい声で歌の表情も美しいが、キャラとしてはどうも「お人形さん」的だ。慣例通り、第3幕のバレエ音楽は録音されていない。

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     2020/07/23

    最も素晴らしいのはHIPを踏まえた様式感の的確なルイージの指揮。メトのライブ・ビューイングでゲルギエフの締まりのない指揮にいたく失望した後だけに、とりわけ高く評価できる。快調なテンポで進め、因襲的な部分では速めのテンポをとりながら、「ゼンタのバラード」の特に「愛のモティーフ」では遅めのテンポというペース配分もいいし、随所で鋭い譜面の読みを見せ、超一流とは言い難いがそれなりに味のあるオケを巧みにリードしている。歌手陣ではミハイル・ペトレンコのダーラントが面白い。好々爺で小物といういつものイメージとは違って、もっと性格的な人物になっている。ガゼリの題名役はキャラクターとしては悪くないが、あまり声に力のある歌手ではない。常にいっぱいいっぱいの状態で歌っているのを迫真力があると評価することもできるが、ダーラントと二人の場面ではペトレンコの方が力強いので、普段の二人の関係が逆転してしまっているのは、どうもまずい。オーウェンスは歌の表情自体は美しいが、こういう映像ソフトではなかなか辛い巨漢の歌手。その割には声の力はいまひとつだ。
    演出は第1幕冒頭からプロジェクション・マッピングを多用。第2幕の舞台は沢山のミシンが置かれた集会所らしき場所で、時代は19世紀と思われるが、読み替えをやろうという意図は全くなく、正攻法のアプローチ。ただし、課題となる幕切れの処理もうまく行ったとは言えない。そもそも終幕に至っての突然の筋の急転は、オランダ人の「勘違い」が原因というドラマトゥルギー上の弱点は隠しようもない本作、正攻法の演出ではもはやどうやろうと観客の心を動かしようがないことを改めて痛感する。

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     2020/06/14

    フルトヴェングラーのような壮大でロマンティックなスタイルとHIPとのハイブリッドを狙った注目すべき演奏。リピートはすべて実施。トリオ後にスケルツォ主部が戻ってくる所ではリピートを省くが、これは定番通り。ホルンに始まる第1楽章序奏部は極端に遅くはないが、落ち着いたテンポ。主部もそんなに飛ばすわけではないが、第1主題で弦と木管を対等に響かせるのは、明らかにピリオド・スタイルのセンス。近年では珍しく楽章末尾の序奏主題回帰は完全にテンポをアンダンテに戻して終わる。第2楽章は意外にも速く、軽やかな足どり。ただし、二度目のAパートが急迫して全休止になった後は極端に遅く、痛切に歌う。この演奏のハイライトだと思う。フルトヴェングラーの1943年ライヴを思い出させるが、その後、楽章終わりまで遅いままのフルヴェンと違って、ルイージは二度目のBでスムーズにテンポを元に戻す。スケルツォは速めで浮遊感が心地いい。終楽章は着実なテンポながら常にリズムの弾みがあり、提示部反復をやってもダレた感じがしない。最後の音はディミヌエンドだが、音価をあまり延ばさないせいか、減衰しながらもこれほど違和感のない演奏ははじめてだ。

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     2020/05/25

    確かに2012年に発足した団体だが、やはり12はメンバーの数で、ライナーノートによれば中核メンバーは12人で、それ以外は曲の要求に応じてデュオから最大23名の弦楽合奏までフレキシブルに対応するとのこと。このアルバムは4/3/3/3/1の14名編成。ヴァイオリンのエロイザ=フレール・トームとチェロのマックス・ルイージの両名がリーダー(芸術監督)である。チェロ以外は立奏、ロックもやるという今風の弦楽アンサンブル。このアルバムの付け合わせも現代曲ばかりだが、タヴナーなどはとても古い時代の音楽のように響くし、最後のアイスランド・ロック、シガー・ロスの曲もメロディックなアンコール・ピースなので、コパチンスカヤがセント・ポール室内管弦楽団と作ったアルバムとコンセプトは似ている。あちらのように『死と乙女』を一楽章ずつバラしてはいないが。さて肝心の『死と乙女』だが、編曲はごく穏当ではあるものの、演奏は素晴らしい出来ばえ。リズミックな駆動力ではコパチンスカヤの盤に軍配を上げたいが、こちらは一段と人数が少ないだけあって、弦楽四重奏と比べても遜色ないほどのシャープな切れ味と細やかさを誇る。それでも四重奏よりは人数が多いから、迫力はめざましい。

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     2020/05/09

    フルシャは2013年に都響とライヴ録音しているが、今回は一段と恰幅が良くなった。単にテンポが遅くなっただけじゃなく、本当に各部の彫りが深い。オケのうまさも惚れ惚れするばかり。ヤンソンス亡き後のこことガッティが追い出された後のロイヤル・コンセルトヘボウはたぶん世界中の指揮者が狙っているポストだろうけど、今やどちらも世界最高水準のオーケストラだからね。ちなみに、この曲とフランツ・シュミットの交響曲第4番は全体の気分や構成がとても似ていると思う(作曲はアスラエル交響曲の方が遥かに前)。ただし、フランツ・シュミットの曲は「死の舞踏」風の第3楽章スケルツォがクライマックスで終楽章はエピローグに過ぎないのに対し、曲の規模自体が1.5倍ほどあるこちらは、さらに絶美なアダージョとドラマティックな第5楽章が続く。この演奏でも最後の二つの楽章が実に感動的。この曲のディスクでは、スヴェトラーノフのスケールの大きさは今も忘れがたいが、少し表現がドギツ過ぎたきらいがあり、その後はマッケラス/チェコ・フィル(ほぼ一発ライヴと思われ、オケが万全じゃないのが惜しい)、ビエロフラーヴェク/チェコ・フィル(この人の常で、手堅いけどこじんまりしている)と残念な録音が続いたが、キリル・ペトレンコ/ベルリン・フィルが市販録音にならない限り、これが当分は決定盤だろう。

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     2020/05/02

    全員20代のドイツ人男性四人による新鋭クワルテットのデビュー録音。チェロ以外は立奏、暗譜で演奏、ジャズやロックもやるという、いかにも今風の四重奏団だが、第一ヴァイオリンのヤーコプ・エンケは意外にも甘い音色、細やかな歌い口の持ち主で、決してべたべたした甘党クワルテットではないけれど、四楽器均等のマッシヴな響きでガンガン押していくという近年のSQのトレンド(その代表はアルバン・ベルクよりもむしろ全盛期のエマーソンSQだったと思う)とはちょっと違うところを目指しているのが面白い。ただし、第一ヴァイオリンのつややかな歌に対して、ヴィオラやチェロは鋭角的なリズムで突っかけてくるから、古き良き時代の感覚と現代のセンスのハイブリッドといったところ。『死と乙女』第1楽章提示部のリピートを省いているのも、いわば「先祖返り」的だ。終楽章などはもちろん非常に速いが、しなやかさとリズミックな推進力の配分がなかなか巧み。昨年からリリースが相次いだこの曲の録音のなかでも、別格と言えるピリオド奏法のキアロスクーロSQを別にすれば、最も注目すべきディスクだろう。カップリングがメンデルスゾーン四重奏曲の最高傑作、第6番へ短調というのもグッド・アイデア。姉ファニーの死を悼んで作曲された曲だから「メメント」というアルバム・タイトルにもふさわしい。

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     2020/03/11

    レコーディング・レパートリーとしては18世紀もしくは20世紀の作品を録音してきたアンサンブル・レゾナンツ。古い方ではC.P.E.バッハ、ハイドン『十字架上のキリスト最後の7つの言葉』に続いて18世紀器楽曲の最高峰、モーツァルトの三大交響曲に挑戦してきた。弦の編成は7/6/5/4/2、ホルン、トランペット、ティンパニ以外は現代楽器のアンサンブルだが、スタイルは完全なHIP。直接音の多い、なまなましい音の録り方がされているので、小編成でも全く量感の不足を感じない。リピートはすべて実施、リピートが省かれるのが普通のメヌエット、トリオ後の主部回帰部でも律儀にリピートしている。三曲とも素晴らしい出来だが、特に第40番が圧巻。表出力の強烈さでは、オノフリとディヴィーノ・ソスピーロに並ぶほどだが、こちらには繊細さもあるので、さらに一枚上手だ。オノフリとミナージ、二人ともイタリア生まれのバロック・ヴァイオリンの名手で、バロック音楽の修辞法に精通しているわけだから、彼らの演奏が似てくるのも当然だろう。両端楽章はもちろん非常に速いが(終楽章の方が第一楽章よりさらに速い)、どちらも第二主題になると少しテンポを緩める。こういうやり方は下手をすると両楽章の疾走感を損ないかねないところだが、実にうまくいっている。第一楽章展開部の強烈な不協和音のところでは思い切ってタメを作るなど、インテンポという概念が全くないかのようだ。アンサンブルの核をなす弦楽器奏者たちがとびきりの腕っこき揃いであることはシェーンベルク『浄夜』/ベルク『抒情組曲』(弦楽合奏版)の録音でも確認できたが、このモーツァルトでも弦はダイナミックかつ細やかで、彼らの腕の冴えは目覚ましい。第二楽章はきわめて音素材が節約された音楽で、オノフリの録音では酷薄な感すらあるが、一方こちらは実にデリケート。木管楽器が鳥の鳴き声のように呼び交わすニ連符単位の音型など、一回ごとに表情が違う。ちなみにクラリネットありの版で録音。メヌエット主部はすこぶる峻厳、トリオは心持ち遅くなる。
    これに対し、第39番と41番ではアレグロ楽章があまり速くない。第39番冒頭のファンファーレ音型での金管の凄まじい咆哮にはピリオド・スタイルに馴染んでいる聴き手もぶったまげるが、アレグロの第一主題はアーノンクール並みに悠然と歌う。終楽章では即興的なテンポの揺らしが絶妙。『ジュピター』第ニ楽章2小節目終わりのアクセント付きフォルテの一音をこんなにコントラストを付けて奏でた演奏は初めてだ。長年の演奏習慣を白紙に戻した解釈で、譜面を見ると確かにそうも読める。メヌエットでは冒頭の下降音型でヴァイオリンがポルタメントをかけるのも目新しい。両端楽章は着実なテンポでややもたれる感もあるが、終楽章では克明にポリフォニーを表出する。

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     2020/02/21

    来日直前に本拠地で収録された、昨年の日本公演と同じプログラム(ソリストのアンコールのみ違う曲だが)。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は独奏者にしっとりとした叙情的な歌い口と切れ味鋭いテクニックの両方を要求する難曲だが、スクリデはどちらも兼ね備えている。ただし、彼女の音楽は悪く言えば「蒸留水」的でクールなたたずまいを崩さない。第2、第4楽章ではアイロニーやエグ味がどうしても欲しいのだが、これはヒラリー・ハーンにあって彼女にはないものだ。
     チャイコフスキーの第5番は素晴らしい見物/聴き物。作曲者自身が一切、言葉による説明をしていなくても、明らかにプログラムを持った交響曲として聴くことができる作品だが、そのプログラムが眼前に見えるような指揮。たとえば第1楽章第2主題に入るときの、まるで音価が倍になるかのような思い切ったテンポの落とし方、一方、小結尾にかけてのアッチェレランド。完全に楽譜を編曲してしまうようなバーンスタインのやり方とは違って(実はこれも大好きなのだが)、ネルソンスの振り方ではこれらの部分が全く恣意性を感じさせずにドラマを語っている。ネルソンスはこの第5番について、『悲愴』に劣らぬ悲劇的な作品だということをしばしば語っていて、甘いカンティレーナになりがちな第2楽章も、この演奏ではひんやりとした感触が印象的。特に至難なピアニッシモを保持するホルン独奏には大拍手。第3楽章でもホルンのゲシュトップト音をしっかり効かせて、不穏な感じを演出しているが、最もきわだった解釈が聴かれるのは、一般には壮麗な凱旋行進のように奏でられる終楽章コーダ、モデラート・アッサイ以降の部分が極端に速く、突進するように演奏されること。運命「に対する」凱歌があげられるのではなく、まさしく運命「が」凱歌をあげるかのようだ。確かに2008年のバーミンガム市響とのライヴでも、この部分の解釈は同じなのだが、今回は全体が遥かに恰幅良いテンポになっているので、終楽章コーダの突進は印象が強いし、指揮者の考える個性的な解釈を刻印することに成功している。

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     2020/01/18

    アスミク・グリゴリアンの見事なまでの一人舞台。一時代前のナディア・ミヒャエル、さらにその前のキャサリン・マルフィターノも見た目は申し分ないサロメだったが、いずれも声量には限界があった。グリゴリアンも実年齢はそんなに若くないが、見た目は少女のようだし、この人の声はモノローグの最後の部分など、フルヴォリュームで鳴り渡るオーケストラを突き抜けるように響く。
    問題はカステルッチの演出。『サロメ』は「7つのヴェールの踊り」におけるストリップ、切られた首をかき抱いて歌うフィナーレなど、相当に下世話な所のあるオペラで、作曲者の生前からの大成功(ガルミッシュのシュトラウス邸が『サロメ』の興業収入で建ったのは良く知られた話)もそのせいだが、演出がまさにその下世話な部分を徹底的に拒否しようとしていることだけは、良く分かる。顔の下半分を赤や緑に塗った脇役達や黒塗りかつ太鼓を持ったシャーマンとして表象されるヨカナーンなど、なかなか面白いが、演出家の腕の見せ所であるはずの「7つのヴェールの踊り」では一切、サロメを動かさない。つまり、音楽にすべてを語らせようというわけだ。切られた馬の首、首のないヨカナーンの死体など、不思議なオブジェが出てくるが、サロメが馬の首と戯れるわけでもない。最後も「この女を殺せ」というヘロデの台詞が聞こえるだけで、サロメが実際に殺されるシーンはなし。煽情的な身振りを一切見せないヴェルザー=メストの端正な指揮が、演出とうまくシンクロしていることは確かだが、正直言って、あまりに高尚すぎて私には良く分からない。

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